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ドリーム・カプセル

翌朝、暇つぶしにゲームで遊んでいると電話が鳴った。知らない番号だ。ドリーム企画からに違いない。俺はすぐ電話に出た。

「ドリーム企画の青木と申します」

 はっきりした声が返ってきた。

「喜嶋様のお電話で間違いないでしょうか?」

「はい」

俺は喉を鳴らすようにして返事をした。そして、ふと思った。

もしメディカル・チェックをクリアしなければ、架純先輩を連れ戻しに行くという大任は免れるのだと。それが良いことなのか悪いことなのか、自分でも判断が尽きかねた。夢の世界へ行ってみたい気持ちと、不安な気持ちとがない混ぜになっている。

「メディカル・チェックの結果が出ましたので、早速連絡させて頂きました」

 青木の声に俺はハッと我に返る。次の言葉を待つほんの数秒の間に、心拍数が一気に上がった。

「問題ありません」

 青木の明るい声を聞き、俺は無事に試験に合格した受験生のような安堵感とよろこびを抱いた。

「ありがとうございます」と無意識に口走っていた。何だ、夢の世界にそんなに行きたかったのか、俺。

「どういたしまして」

 青木は少し笑い声を含ませて言うと、

「昨日伺った際は、メディカル・チェックが済み次第、すぐにドリーム・カプセルをご利用なさるおつもりだと仰っていましたが、いかがなさいますか?」

 そこで俺は現実に戻され、急に尻込みして、ウッと呻いた。けど、不安よりも架純先輩のことを心配する気持ちの方が勝り、

「今すぐに、そちらへ行っても構いませんか?」と訊いた。

「はい。準備を整えて、お待ちしています」

 俺は礼を言い、通話を切ると、急いで出かける準備を始めた。


およそ一時間後。

渋谷駅で電車を降りた俺は、真っ直ぐにドリーム企画へ向かった。

その途中、部長が心配しているのではないかと思って、歩きながら電話をかけた。

「もしもし」

「え? まだ架純のとこ行ってなかったの?」

 呆れたような声が返ってきた。俺は慌てて、今、ドリーム企画へ向かっているところだと説明した。

「そう。まあ、頑張って」

 部長は意外に素っ気なく言ったかと思うと、

「架純を連れて帰れなかったら、演劇部に居場所はないと思いな」と急に脅すような口調になった。

「は、はい」

 俺は思わず背筋をピンと伸ばした。プレッシャーで胃が痛み始める。演劇部に俺の居場所なんて元からないけど、部長に何をされるのか怖すぎる。

「じゃあ、喜嶋、頼んだ」

部長はいつも通り、一方的に通話を切ってしまった。

電話なんてしなければよかったと後悔しつつ、俺はドリーム企画のある雑居ビルへ入って行った。

「お待ちしておりました」

五〇一号室のドアベルを鳴らすと、青木がすぐに顔を出した。

診断室へ通されると、老人が待っていた。

「こんにちはァ」

 相変わらず間延びした喋り方で挨拶されて、俺の緊張は少し和らいだ。

「どうぞォ」

 老人の前にある丸椅子に腰かける。

「山根ですゥ」

 老人が頭を下げた。俺は意味がわからず、

「はい?」と見つめ返した。

「わたしのォ、名前ェ。昨日ォ、言い忘れてしまったァ」

 そう言って、山根老人は笑顔を浮かべる。俺は会釈をして微笑んだ。

「青木がお伝えした通りィ、メディカル・チェックはァ、問題ないのでェ、すぐに始められますよォ」

「お願いします」

 俺は緊張感が戻るのを感じた。頬が強張った。それを見てとった山根は、

「リラックスゥ」と俺の肩を揉み、

「ではァ、早速ゥ、準備に取りかかりましょうかァ」

 そう言って青木を呼んだ。

「失礼します」

 小型のアルミケースを手にした青木が姿を現した。

「あとはァ、頼んだァ」

山根老人は立ち上がり、青木の肩を軽くポンと叩いて、部屋から出て行ってしまった。……この会社、青木がいなくなったら存続していけんの?

「では、始めさせて頂きますね」

 青木は俺に微笑みかけ、アルミケースを机の上に置いて開いた。その中には、マッサージ機のパッドのような物が入っている。それを見つめながら、

「あの……僕は一体、どのコースを?」

 俺は不安を隠せずにそう訊いた。

「え、ご存知ないのですか?」

 青木は目を丸めて、俺の顔をジッと見つめる。

「はい……」

 俺は何だかひどく恥ずかしくなり、身を縮めて呟いた。

「これは失礼致しました」と青木は頭を下げ、「清宮様と同じコースですから、中世ヨーロッパコースのファンタジー篇になります」

「中世ヨーロッパのファンタジー篇?」

 いまいちピンとこない。

「ドラクエはやったことありますか?」

 青木に訊かれ、

「はい」

 俺は即答した。

「あんな感じの世界です」

「あんな感じの……」

 俺は思わず苦笑してしまう。

「剣と魔法の世界」

 青木は、それがいかにも魅力的な世界だと言わんばかりの表情を浮かべる。

「まさか、モンスターが?」

 ゲームの戦闘画面を思い出して、急に恐ろしくなった。

「いいえ」

 青木は柔和な笑顔を浮かべる。

「清宮さんが選んだのは、モンスターのいない平和な世界です。隣人を愛し、パンを分かち合う世界。牧歌的とでも言いましょうか」

「牧歌的……」

 危険な世界でないことはわかったから、俺はとりあえず安心した。

「清宮さんは、その世界で何を?」

「それはわたしにもわかりません」

 青木は申し訳なさそうな表情で首を振り、

「お客様が夢の世界で何をしているのか、それを知る手段はありませんので」

「そうですか」

 そう呟きながら、俺は架純先輩に想いを馳せた。先輩は今、何をしているのだろう? 夢の世界で幸せに暮らしているのならば、連れ戻すことは難しいのではないか、と考えた。

「どうなさいます?」

俺の顔を覗き込むようにして青木が訊いてくる。

「やります」

 俺は腹をくくった。ここで辞退したら男が廃る。……というより、部長に何を言われるかわかったもんじゃない。

「では、チップを貼らせて頂きますので、下着姿になってもらえますか?」

 俺は素早く服を脱ぎ捨てた。

「では、貼らせて頂きますね」

 体中にチップが貼られていく。ひんやり冷たい。湿布を貼られているみたいだ。

「終わりました」

 チップをすべて貼り終えると、青木は俺の体に患者衣を着せ、錠剤を二錠と水の入った紙コップを手渡してきた。

「これをお飲みになって下さい」

「これは?」

 受け取った錠剤を掌の上に乗せて、俺は少し警戒した。

「睡眠誘導剤です。それを飲むと、レム睡眠の時間が引き延ばされ、より鮮明な夢を長時間見続けることが可能になるのです。体を害するような成分は一切含まれていませんので、心配せずお飲みになって下さい」

 俺は青木を信用して、

「じゃあ」と錠剤を口に含み、水と一緒に飲み込んだ。ふぅ……。もうこれで、逃げも隠れもできないぞ。

青木は、

「では、ドリーム・カプセルの方へご案内します」と部屋の外へ出て行き、俺についてくるよう手で示す。

 二号機の置いてある個室に入ると、そこに設置されたドリーム・カプセルは、俺の目には一瞬、棺桶のように見えた。

「患者衣を脱いで、中に入って頂けますか」

青木に言われた通りに患者衣を脱ぎ、パンツ一枚の姿でカプセルの中へ入って仰向けになった。

睡眠誘導剤が効いてきたのか、頭がぼんやりしてくる。

「わたしが蓋を閉めましたら、下着も脱いでしまって下さい。栄養補給や排泄や洗体は、機械がすべて自動でおこないます」

青木の説明も、俺の耳には遠い場所から微かに聞こえてくるようだった。

全身の筋肉が弛緩して、心地良い微睡の中へゆっくり浸っていく感覚に抗うことはできなかった。

「では、ごゆっくりおくつろぎ下さい」

 青木が会釈をして蓋を閉める。俺は手探りで何とか下着を脱ぎ捨て、そのまま深い眠りに落ちていった。


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