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呼び出し

ゴールデンウィーク一週間前の土曜日、俺は不吉な着信音で目が覚めた。

「喜嶋、今から重大な任務を与える」

あいさつもなしに本題に入るのが部長の真骨頂だ。

「重大な任務……?」

 すこぶる嫌な予感しかしない。

「今、どこ?」

「家です。これからバイトに行こうと」

だから勘弁して下さい、というニュアンスを込めてウソを言った。けど、部長にそんなこと通じるわけがない。あのひとの鼓膜、都合の悪い話は勝手に閉じるシステムなんだと思う。

「演劇部存続の危機だ。今から一時間後、渋谷のハチ公前で待ち合わせ。じゃ」

 勝手に約束を取りつけられて通話は切られた。まあ、いつものことなんだけど。

 演劇部存続の危機ってなんだよ? 俺はちょっと不安になった。部長は物事を誇張したりしない。むしろ控えめに言うことが多い。

「鳩が豆鉄砲を食らったような顔ってどんなもんか見てみたい」

鳩ではない俺にそう言い、ゴーグルを装着させて、エアガンを乱射しようとしてきたこともある。

「冬子、かわいそうだからやめてあげて」

そのとき、助けてくれた架純先輩のことを俺は一生忘れない。

部長は、幼なじみの架純先輩のいうことだけは素直に従う。大天使の前では、悪魔も形なしってわけだ。

その部長が「演劇部存続の危機」と言うもんだから、架純先輩がらみの事件じゃないか、とはうっすら予想がついた。

今は芸能活動をしていてほぼ幽霊部員状態だけど、昨年の文化祭の公演では、架純先輩を見たさに部の歴史始まって以来の興行収入を記録したと、なかば伝説になっている。

もしかして、架純先輩が部活を辞めると言っているのか? それは一大事だ。そうだとして、それを部長がなぜ、下っ端部員の俺に相談するのかわからないけど、とにかく渋谷へ急ぐしかない。秒で着替えて家をあとにした。

渋谷ハチ公前に行くと、部長はすでに待っていた。やや茶色がかったロングヘアーが春風になびいている。色白で小顔。瞳はぱっちり。手足が長く、革ジャンにパンツを合わせたスタイルがばっちり決まっている。道行く男が振り返るほどの美人だ。ホント、あの性格さえなければ、架純先輩とまではないかなくても、間違いなくモテるはずなんだけど。

「おはようございます」

俺が挨拶すると、

「遅い」

ムスッとした顔をする。いや、待ち合わせの時間より十分も早く来てるんですけどね。

「こっち。ついて来な」

部長は顎をしゃくって、ちょうど青信号に切り替わったスクランブル交差点を足早に渡って行く。何が何だか分からないけど、俺にはついて行くという選択肢しかない。

「重大な任務って何ですか? それと、劇団の危機がどうとか」

「ついて来ればわかる。急いでるんだから」

部長は道玄坂を早足で歩いて行く。

道玄坂の途中で脇道に入り、人気のない方へない方へ無言で進んで行く。次第に道は細って行き、ついには大人ひとりしか歩けない、もはや道とは呼べないような裏路地を歩き、廃墟のように見える焦げ茶色の五階建ての雑居ビルへと入って行く。

……えっと、スゴく不安なんですけど。まさか、豆鉄砲のリベンジとかじゃないよね? ふたりきりだから、部長を制止してくれるひとは誰もいないよ?

郵便受けには、チラシがあふれるほど入っている。ただ、五〇一号室だけは別で、その郵便受けにだけ、

『(有)ドリーム企画 ゴールデン・スランバー』

というステッカーが掲げられていた。

部長はエレベーターの前を素通りすると、

「ここのエレベーター使えないんだ。ちょっと大変だけど」と、そのまま階段の方へ歩いて行く。

 俺はますます不安になる。傷ひとつないカラダで帰れたらラッキーだと思うしかない。

「急げ、喜嶋」

 五階まで昇り切った部長は、息を切らせて這うように昇る俺を振り返って言った。

「は、はい……」

 帰りもこの階段を使わなきゃいけないのか……と心の中で嘆いていると、

「あとはゆっくりできるから」

部長は何か含みのある言い方をして、先に廊下へ入って行く。え、なに今の意味深な発言? チョー怖いんですけど。

「喜嶋こっち」

五〇一号室のドアの前に立って部長は手招きする。

美人の先輩に個室に誘われるって、普通ならドキドキするシチュエーションなんじゃないの? 身の危険を感じて心臓バックバクいっちゃってるよ、おっかしいな。

俺が横に並ぶと部長はドアベルを鳴らした。ブーッという子豚が泣くようなブザー音が消えると、廊下は静寂に包まれた。

ドアに貼られた『(有)ドリーム企画 ゴールデン・スランバー』と書かれたステッカーを見つめていると、そのドアがゆっくりと開いた。チェーン越しに、フレームレス眼鏡をかけたインテリ面の男が顔を覗かせる。

「さっき電話した田辺だけど」

部長がそう言うと、男は何も言わずに頷き、一旦ドアを閉めてチェーンを外してから、再びドアを開けて俺たちに中に入るよう手で促した。

男は、脛の半ばまで丈のある真新しい白衣を着こんでいた。その姿を見て、ここは病院なのかと俺は疑った。……にしては清潔感がなさすぎるか。

「行くよ」

部長に言われて、俺は靴を脱いでスリッパに履き替えた。

部長は勝手知ったる様子で薄暗い廊下を進み、レールカーテンを捲って部屋へと入って行く。俺はおとなしくそのあとに続いた。……いつでも逃げられる準備をしながら。

部屋の中には壁で仕切られたいくつかの個室があって、それぞれレールカーテンが閉められていて中の様子が見えないようになっている。足元は暗くて、時折りコンピューターの電子音が聞こえてくる以外は図書室のように静かだ。

「ドクターは奥の部屋にいらっしゃいます」

 俺たちの後からついて来た白衣の男が、部屋の奥にあるドアを手で示しながら、低い声で言った。

 部長は返事もせず、ドアの方へ歩み寄ってノックした。

「どうぞォ」

 部屋の中から、かなり年配の男性のものと思われる声が返ってきた。

 部長がドアを開けると、白色灯の明かりが漏れ出た。俺は眩しさに顔を顰めながら、部長のあとに続いた。

部屋の中は、病院の診察室のようだった。診察台があり、スチール製の事務机と椅子が置いてある。その椅子の上に、真っ白な髪の毛と髭を伸ばし放題に伸ばした、小柄な老人が腰かけて、部長と俺を交互に見つめている。

この爺さん、誰だ? 俺は状況がまったくつかめない。よからぬことが起こりそうだってこと以外は。

「田辺ェ、部長さんだねェ?」

 老人は間延びした口調で、久し振りに孫に再会でもしたような笑顔を部長に向けた。

「そうです」

「えっとォ……」

 老人は目の前にあるパソコン画面に目を遣り、

「今ァ、二号機をォ使用しているゥ、清宮架純さんのォ、ご友人だとかァ?」と、部長に視線を戻した。

 二号機って何? 完全に置いてけぼりをくらってる俺。架純先輩、こんなとこで何をしてんすか?

「そうです」

 せっかちな部長は、老人のテンポの遅い喋り方に少しイラ立ち、

「架純は、どれぐらいの期間、契約しているんですか?」

 契約?

「清宮さんはァ……」と、老人はパソコン画面をしばし凝視し、一週間の契約をォ結んでいますねェ」

「一週間も?」

 部長は驚きの声を上げながら俺の方に顔を向けるけど、俺には何が何だかわからない。少しは説明してよ。

「一週間、ぶっ続けで?」

 部長は老人の方へ顔を戻した。

「そうゥ」

老人はゆっくり頷いて、

「一週間分のォ、ドリーム料金をォ、前払いでェ、頂いてェますからねェ。何かァ、現実逃避したくなるゥ、よっぽど辛いことがァ、あったんだろうねェ」

 ドリーム料金? 現実逃避? まさか、新手の宗教か何かじゃないよね? 俺は無神論者なんで、ここらでおいとまさせてくれませんかね。

「で、でも……」

 部長は、顎に手を添えて、一瞬何か考えを巡らすと、

「トイレとか食事とか、どうするわけ?」

「長期用のォ、ドリーム・カプセルがァ、あるんですよォ」

「長期用の?」と部長が顔を顰めると、

「ええェ。長期用のォ、ドリーム・カプセルはァ、排泄の処理やァ、栄養分の注入やァ、それからァ、洗体までもォ、自動でやってくれるのですよォ」

 老人は、少し自慢げな表情を浮かべてそう言った。けど、俺はその意味をさっぱり理解できず、間の抜けた顔で老人を見つめていた。コールドスリープか何かの話かな? 

「一週間もここにいるなんて。学校はどうするつもりよ」

 部長は頭を掻きむしり、

「架純は、どのコースを利用しているの?」

 老人に迫った。コースって? いい加減、俺を会話に入れてほしい。

「それはァ、守秘義務がァ、ありますからァ」

「緊急事態なの」

「緊急ゥ?」

「そう……彼女の父親が危篤状態なのよ」

「え?」

 俺は思わず声を上げた。

「この男を、架純と同じコースに連れて行って」

部長は俺を老人の前に押しやる。

「え?」

 状況がますます呑み込めないんですけど。俺、どこに連れて行かれちゃうの?

「そういうゥ、事情がァ、あるならァ、仕方がないィ」

 老人は頷くと、白衣の男に視線を送った。白衣の男は頷き返して部屋の外へと出て行く。

「あ、あの、どういうことです?」

 ひとりだけ事態が呑み込めていない俺は、怯えを隠し切れずに部長を見つめた。

 部長は俺の肩に手を置いて、

「強制終了って手もあるんだけど……」と言って老人の方を見ると、

「それはァ、なるべく避けた方がァいい。人体にィ、影響がァ、出る可能性が高いィ」

 老人は後を引き継いで言った。

「強制終了? 人体に影響?」

もうワケわからん。部長はようやく、俺にちゃんと状況説明する気になったようで、

「ちょっとだけ外します」

老人にそう言うと、俺を部屋の外へ引っ張って、そのまま廊下に出た。

「何ですか、ここ。ドリームなんちゃらとか――」

俺の質問には取り合わず、

「これを見ろ」

部長はバッグからクリアファイルを取り出す。週刊誌の見開きの記事を拡大コピーしたような紙が二枚入っている。その一枚には、

『令和のドン・ファン イケメン俳優・荻窪健斗、衝撃の七股発覚!』

デカデカとタイトルが書かれ、サングラスにマスクで完全に顔を隠した男が、髪型やスタイルの違う女と一緒に写る隠し撮り写真が何枚か掲載されている。

荻窪健斗の名前は、芸能人に疎い俺でも知っている。こいつの顔を見ない日はないんじゃないかってぐらい、いろんなメディアに引っ張りだこの、いけすかないヤローだ。確か、架純先輩と共演する予定だったはず――

「まさか!」

「童貞の割に察しがいいな」

部長はアブラ虫を見るような目で俺を見ている。いや、童貞だなんて部長に言ったことないスよ。間違っちゃいないけど、ねぇ、なんか……。

「もう一枚も見てみろ」

部長にせっつかれて、クリアファイルに入っているもう一枚のコピー紙を取り出す。

『清宮架純 初主演映画降板へ 絶倫男・荻窪健斗との破局が原因か』

そのタイトルの下には、いかにも意気消沈、といった顔で街中を歩く架純先輩を隠し撮りした写真が掲載されている。

その姿を見て、俺は心が痛くなった。荻原健斗への嫉妬や怒りといったドス黒い感情が渦巻く。目の前に部長がいなければ発狂して紙を切り裂いていたかもしれない。

「架純は、小学校からのわたしの親友だ。架純のことを傷つける奴は絶対に許さない」

部長は俺の手からコピー紙をひったくり握りつぶした。無表情だから余計に怖い。

「それで、架純先輩は今、何を?」

俺は恐る恐る訊いた。

「喜嶋、ガンジャって知ってるか? 大麻じゃなくて」

「あの、バーチャル・リアリティ空間を体験できるってやつですよね?」

「そう。それを、ここが扱ってるんだ」

そうか。老人が「現実逃避」と言っていた意味がようやくわかった。でも待てよ。

「架純先輩は一週間もここにいるつもりってことですか?」

「だから、だ。おまえには夢の世界へ行って、架純を連れ戻してきて欲しい」

部長は俺の両肩をがっしり掴む。とてつもない圧力。この華奢な体のどこにこんなパワーがあるんだろ。

「でも、何で俺なんですか?」

あんたが行けばいいのに、とは口が裂けても言えない。

「おまえが一番、暇そうだからな」

図星だから何も言えねえっす。

「架純は事務所から部活動は禁止されているが、籍だけは残してある。架純の問題は、演劇部全体の問題。うちは、ただでさえトラブルが多いからな。これ以上、何か起こしたら、廃部になる可能性がある」

窓を叩き割ったり、屋上からマネキンを吊り下げたり。校長から呼び出しをくらうようなトラブルを起こしてるのは全部あんただろ、というツッコミは口が裂けてもできない。

「心配するな、わたしも後から行くし、費用は負担してやる。演劇部の命運は、喜嶋、お前に託した。必ずや架純を連れ戻すこと。至上命令だ。いいな?」

脅すような、いや、完全に脅す口調だ。だって、瞳孔が完全に開いてるもん。

「詳しい話は、あのお爺さんから聞いて。じゃあ、わたしはこれから用事があるから、よろしく頼んだ」

 部長は口早にそう言って立ち去ってしまう。

「ちょ、ちょっと、部長!」

 俺は慌てて追い駆けたけど、階段へ行くともう部長の姿はなかった。きっと、手すりにお尻を乗せて滑り降りて行ったんだ。学校でその姿をよく目にするもん。

「あの」

 後ろから声をかけられて振り返ると、ドアの隙間から白衣の男が顔を出している。

「先生がお待ちしていますが、どうなさいますか」

「え、えっと……」

 俺は答えに窮してしまう。けど、架純先輩のことが気になって、

「は、はい」と会釈をして部屋の中へ戻った。

「ではァ、説明をしたいと思いますゥ。どうぞォ」

 診察室へ戻ると、老人は目の前にある椅子に腰かけるよう俺を促した。

「失礼します」

 俺が腰かけると、老人は立ち上がり、白衣の男に椅子を譲った。てっきり、老人が説明してくれるものだと思っていた俺は、

「あ、あの?」とふたりの顔を交互に見た。

「ちょっとォ、休憩にィ」

 ポンポンと腰を叩きながら、老人が部屋の外へ出て行ってしまうと、

「先生に代わって、わたしが内容説明をさせて頂きたいと思います」と、白衣の男は名刺を差し出してきた。俺はそれを受け取り、

「青木さん……」と男の顔を見る。

「はい。よろしくお願いします」

「こちらこそ」

「では早速。こちらが、当社のパンフレットになります」

青木は手に持っている封筒の中からパンフレットを取り出す。

そのパンフレットの表紙の上部には『ドリーム・カプセル』と書かれ、その文字の下には、日焼けサロンにあるカプセルのような物の中に、水着を着た女性が横たわっている写真が載っていた。

「簡単に説明させて頂きますと、ドリーム・カプセルは、我々が用意したいくつかの夢の世界へお客様を案内する機械です。ページをめくってみて下さい」

青木に促され、俺はパンフレットのページをめくる。

そこには、ドリーム・カプセルの使用に関するフローチャートが載っていた。それに沿って青木は説明を始める。

「まず、お客様のメディカル・チェックをさせて頂きます。その後、ご希望の夢コースをお選び頂きます。夢コースの一覧はこちらになります」

次のページに、夢コース名と概略が掲載されていた。

『幕末維新コース』『戦国時代合戦コース』『ジュラ紀コース』『イタリア・ルネッサンスコース』などがあり、それぞれのコースがさらに細分化されていた。つまり、『幕末維新コース』では、新撰組篇や維新志士篇などに分かれていて、それらのコースの総数は千項目を優に超えていた。

「そちらからコースをお選び頂いたあと、お客様の体に特殊なチップを付け、あとはドリーム・カプセル内に入って寝て頂くだけです」

「特殊なチップ?」

 俺はそこが引っかかった。

「はい。夢の中で、リアルな感覚を得るためのチップです」

「つ、つまり、痛みとかを、本当のように感じる、ってことですか?」

「そうです」

 何だか少し怖くなってきた。そもそも、そんなことができるもんなの?

「あの、望みどおりの夢を見るって、どういう仕組みで?」

根本的な質問をぶつけてみた。

「はい」

 青木は頷き、手元のマウスを弄って、パソコンの画面上に脳の断面図の写真を出した。脳の各部位に見知らぬ名称が添えられてある。

「喜嶋さんは、ひとがなぜ夢を見るのか、その仕組みはご存知でしょうか?」

「いいえ」

 俺は首を振る。興味深い話だ。

「では、説明させて頂きますね。まず、脳には右脳と左脳がある。これはご存知ですね?」

「はい」

「右脳と左脳の橋渡しをするのが、この脳幹と呼ばれる部分です」

 青木は、右脳と左脳の間にある部分を指差した。

「脳幹の神経回路は、『アミン作動性ニューロン』と『コリン作動性ニューロン』とから成り立っています」

「アミン……コリン……」

 俺は早くも青木の話に置いてけぼりをくらう。

「その神経回路から発せられた信号が、大脳皮質にある体性感覚野や嗅覚野、聴覚野、視覚野を刺激して、さまざまな感覚を生み出すのです」

「じゃあ、つまり?」

「そうです。我々は、その信号を作り出し、先程申し上げました特殊なチップを使って、お客様の右脳に送ります。すると、右脳で夢が形成され、それが左脳に送られることによって、夢の世界をリアルに体験できるようになるのです」

「なるほど……」と、俺はわかったのかわからないのか、曖昧な表情を浮かべて頷いた。それを見てとった青木は、

「補足しますと、喜嶋さんは、睡眠には二種類の状態があるのはご存知でしょうか?」と訊いてきた。

「二種類? いえ、知らないです」

「レム睡眠とノンレム睡眠。聞いたことありませんか?」

「あ、あるかもしれません。確か、九十分おきに交互に現れるとか……」

 テレビで見たのを思い出した。

「よく御存じで」と青木は満足そうに微笑み、「睡眠時、そのふたつの状態が九十分おきに現れ、二、三十分続きます。つまり、ひと晩の睡眠では、レム睡眠が大体四、五回現れることになります」

「は、はあ」

俺は青木の話に聞き入る。

「レム睡眠時の脳波パターンは、起きている時の状態に近く、ノンレム睡眠時は、脳はほとんど休んだ状態だと言えます。どちらの状態の時も夢は見るのですが、ノンレム睡眠時に見る夢は断片的で、目覚めるとすぐに忘れてしまうものが多く、反対にレム睡眠時に見る夢は非常に色彩的であったり、物語的であったりして、目覚めてからもよく思い出せるものが多いのです」

「じゃあ……」

 俺が口を挟もうとすると、

「そうです」と青木は満足そうに頷き、「お客様の望む夢の世界をよりリアルに体感して頂くため、ドリーム・カプセル内では常に、レム睡眠状態で寝られるような仕組みになっているのです」

 俺は何となく青木の話が掴めてきた。

「何かご不明な点はありますか?」と訊かれ、何か危険はないのか、と訊いてみた。すると青木は、

「ありません」と即答。

「身体に影響のある薬品等は一切使っておりませんし、コンピューターの制御に関しても、万全の体制を整えています」

 そう言われても、まるで聞いたことのない装置に、俺は不安でいっぱいになった。

「どうです?」

 青木は俺の心の内を見透かすように、

「実際にドリーム・カプセルをご覧になってみては?」と提案した。

「はい。ぜひ」

 青木は頷いて立ち上がると、

「ついて来て下さい」と部屋の外へ出て行く。俺はパンフレットを持ったまま、そのあとに続いた。

 カーテンで仕切られた個室が並ぶ部屋に出た。

「こちらへどうぞ」

 手前から二番目にある個室のカーテンを開き、青木は中に入るように手で示す。

「は、はい」

言われた通りに俺は個室に入った。

そこには、パンフレットの表紙に載っているのとまったく同じ装置が置いてあった。

何も言われなければ日焼けマシーンにしか見えない。装置の横にはパソコンや、心拍数などを表示するモニター類が置かれている。

「低反発のマットレスを採用していて、寝心地も抜群です。どうです、試しに横になってみては」

「は、はい」

青木に促されて、俺は靴を脱いで装置の中に入って横になった。

なるほど、体がほどよく沈み込む。家の布団とは比べ物にならない寝心地の良さだ。そのまま寝てもいい夢が見れるんじゃないかな。

「閉めますね」

青木が蓋の部分をゆっくり下ろす。

蓋が閉まると、外の音が完全にシャットアウトされ、装置内はとても静かだった。手や足を思い切り伸ばせる余裕もあり、閉塞感はまったく感じなかった。

ちょうど顔がくる部分だけがガラス材になっていて、そこから、微笑を浮かべた青木が顔を覗かせているのが見えた。何となく棺の中に入った気分になる。

「いかがでしたか?」

 青木は蓋を開けながら訊いてきた。

「とても寝心地がいいです」

 そう言いながら、俺はカプセルの中から出た。いやぁ、これでいい夢が見れるなら、ジャンキーになってしまうのも頷ける。

「では、メディカル・チェックをさせて頂きますね」

 青木にそう言われ、俺はまずい、と思った。いつの間にか、ドリーム・カプセルを試す流れになっているけど、部長に勝手に押しつけられただけだ。まだやるとはひと言も言っていない。それに、俺はまだ肝心なことを訊いていないことに気づき、

「あの、料金は?」と青木を見た。

「一時間につき二千円頂いております」

高ッ! ということは……と頭の中で算盤を弾く。

架純先輩は、一週間分の料金を前払いしていると言っていた。一週間分といえば、三十四万円近くにもなる。それほどまでに現実逃避をしたいほど、失恋のショックを受けているのか。

俺は心が痛み、荻原への恨みが増した。

架純先輩のことはもちろん心配だ。けど、自分の懐具合も心配だ。

「ご心配なく」

 俺の様子を察して青木は微笑を浮かべる。

「先程お帰りになられた女性から、前払いで二万円頂いております」

 それを聞いて俺はホッとした。けど、それはつまり、十時間以内に架純先輩を連れ戻せ、という部長からの無言の圧力にも感じた。

「どうなさいますか?」

 改めて青木に訊かれて俺は困った。

「とりあえず、メディカル・チェックをお受けなさってはいかがでしょうか。喜嶋さんがやる、やらないにしても、メディカル・チェックの結果が出る明日までは、ドリーム・カプセルはご利用できませんので」

「そうなんですか……」

 てっきり、今すぐに夢の世界へレッツゴーするものだと思っていた俺は、ちょっとだけ拍子抜けした。

「それなら、とりあえずお願いします」

 やるかやらないかは、明日までにゆっくり考えればいい。怠惰な人間に特有の先送りの考えで、俺はメディカル・チェックを受けることを承諾した。

 青木に連れられてビルから出ると、近くにある個人病院へ案内された。そこで種々の身体検査を受けて、再び雑居ビルに戻り、診断室へ入ると、最初の老人が椅子に座っていた。

 俺の身体検査の結果が書かれた紙を青木から手渡された老人は、

「問題ないでしょうゥ」と、皺くちゃの顔にさらに皺を寄せて微笑んだ。

「あとは明日、血液検査の結果が出るのを待ってからです」と、青木。

「結果が出たらァ、こちらから連絡差し上げますよォ」

 老人にそう言われ、俺は雑居ビルをあとにした。


家に帰る前にファーストフード店に立ち寄って、カウンター席でハンバーガーを食べていると、『ダース・ベイダーのマーチ』が鳴った。

俺は慌てて電話に出た。部長に言いたいことが山ほどあった。

「喜嶋、事情は呑み込めただろ? そういうことだから、よろしく」

部長は言いたいことだけ言うと一方的に通話を切ってしまった。俺が口を挟む隙などありゃしない。

諦めてハンバーガーを口にしながら、俺は例のパンフレットを取り出して読み始めた。読みながら、青木の話を思い出した。

あの診察室で話を聞いていた時は、部屋の雰囲気なんかもあって本当っぽく聞こえけど、冷静に考えてみると何とも怪しい会社に思えてきた。

大体、ひとの見る夢を操ることなんて本当にできんの? 

詐欺にでも遭ってるような気がしてきた。部長もグルなのかもしれない。不安が募る。

「ガンジャですか?」

突然、横から声をかけられて、俺はハッとして顔を上げた。

三十代半ば位のスーツ姿のサラリーマンが、パンフレットを指さして俺の顔を見ている。まるで、同じゲームに熱中してる同士を見つけたように、うれしそうな表情を浮かべている。

「あ、はい」

「よく、利用されるんですか?」

「いえ、まだ一度も」

「では、これから?」

「あの、さっきメディカル・チェックを受けてきたんです」

 そう言いながら、俺はチラッと彼の様子を観察する。どこにでもいそうな、真面目そうなサラリーマンに見えた。

「そうですか」

 サラリーマンは頷くと、

「まあ、心配しなくても、検査は通りますよ。どのコースを選んだんです?」

「あ……」

 俺はそこでようやく、架純先輩がどのコースを選んだのか知らないことに気づいた。

「まだ、選んでる最中ですか?」

「そ、そうです」

「ちょっと失礼」

 サラリーマンは俺の手からパンフレットを取ると、

「これなんか、お勧めですよ」

 そう言って、『浦島太郎 竜宮城スペシャルコース篇』という欄を指さして、

「ロリ巨乳な美女達とのハーレムを楽しめますよ」と俺の耳元に囁いた。

「え?」

 俺は驚き、彼の顔を見た。

「ぜひ一度、試してみて下さい」

 サラリーマンはウインクをすると、携帯電話が鳴っていることに気づいて、電話に出た。

俺は、竜宮城でロリ巨乳ちゃんたちにチヤホヤされる姿を想像して、鼻血が出そうになった。

いやいや、俺のミッションは架純先輩を連れ戻すことだ。

けど、どのコースを選んでいるにせよ、架純先輩を連れ戻すことなんてできるのか? 正直、自信がなかった。

架純先輩と話したことがあるのは、部長から無茶ぶりされたときだけだ。正確には庇護されただけで、会話をしたとはいえない。もしかしたら、いや多分、架純先輩は俺のことなんて認識すらしてないだろう。だって俺、完全にモブキャラだもん。

まあ、とりあえず、血液検査の結果が出なきゃどうにもならんわけだし、俺は家に帰ることにした。


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