『9』
久本は昨日、目の前でさらわれた少年と老人が気になって眠れなかった。小倉に負わされた手傷のせいで助ける事に躊躇してしまった自分が情けない。
(悪をこの世から葬る為に身を汚してもヒットマンになると決めたのに)
少しずつ後悔が込み上げてくる。頼むから生きていてくれ。そう願いながら、 まだかまだかと今朝のニュースを待った。するとしばらくして見慣れたオープニングと共に推しの美人キャスターが挨拶をし、朝のニュース番組が始まった。政治のニュースから始まり、有名俳優の結婚や作曲家の悲報といった芸能ニュースが流れる。そしてテロップが切り替わり、推しキャスターの表情が深刻なものへと変わった。
「えー今朝未明、京都市で二名の惨殺死体が発見されました。遺体には複数の刺傷があり、死因は失血死と予想されます。警察は近くの防犯カメラの映像を解析し、犯人の行方を追っています」
映像は美人キャスターから現場へ切り替わる。そこでは通行人への取材が行われていた。恐らく第一発見者だろう。男は少々興奮気味に質問に答えている。
「そりゃあ驚きましたよ!犬の散歩をしていると、いつもは行かない方向へうちの犬が向かうんです。突然の事に私も驚いて、引っ張られるがまま犬の後を追いました。じゃあそこに二人の男性が倒れてて……」通行人の男性が話し終わると、カメラはまだ鑑識が作業をしている現場に切り替わった。その映像を見ていた久本は、映像に映り込んだものに違和感を覚えた。
(あれ?この車……?)
それは見覚えのある車だった。そう、昨日少年と老人をさらったヤクザの車だ。何で現場に車がある?乗り捨てたのか?そんな偶然あるか?久本があれこれ推測を立てていると、画面は美人キャスターへ戻りキャスターが手元の資料を読み上げながら言った。
「今新しい情報が入りました。死亡したのは入江清司さん四十八歳と、久貝正則さん四十一歳です。二人は国の指定暴力団川瀧組の構成員という事で、警察は暴力団同士の抗争も視野に入れ、捜査を進めています」
久本は画面に写し出された殺害された二名の写真を見て愕然とした。驚きのあまり、声が漏れる。
「何で……何でこいつらが死んでるんだ…?こいつらが殺したんじゃねぇのかよ!?」
誰があの二人を殺したんだ?さらって移動した後に別のヤクザと鉢合わせたのか?…いや、いくらヤクザでも計画も無しにそれぐらいで簡単には殺しはしない。じゃあ一体誰が?
久本が頭の整理を終える前に、ニュースはスポーツへと切り替わった。チャンネルを変えるももうどの局もこのニュースを流していなかった。一度神谷に連絡を入れようかとも考えたが、神谷なら「そんなのほっとけ」と言うだろう。普通に考えたら神谷の言う通りなのだが、久本の正義感はこの事件を放っておけなかった。(とりあえずはネットでこの事件をできる限り調べてみるか)
そして一時間ほどネットで事件に関する情報を探し、とある掲示板のスレッドを見つけた。スレッドタイトルには「リアル殺戮の天使。京都の惨殺事件」と書かれていた。久本は釣りだと思いながら、チャッピーと名乗るスレ主へコンタクトを取る。
「チャッピーさん、初めまして。恐らく私の知人がこの事件に関与しています。可能ならば、もう少し事件の詳細をお聞かせください」
三十分ほど待つと返信が来た。
「あなたは警察関係者ですか?」
どうやら少し警戒している様だ。まぁこんなタイムリーな事件のスレッドを作成したら、釣りだとしても警察から事情を聞かれる可能性はある。チャッピーはそれを懸念しているのだろう。
「いいえ、私は警察関係者ではないです。もし、それでも不安ならば、この文書を証拠としてもらえれば」そう久本は返信したが、ここから数時間相手から反応はなかった。久本も根気よく待ったが、もう返信は来ないかと諦めかけたその時。画面に新着のお知らせが届き、相手はチャッピーからだった。
「分かりました。会ってお話と言う事はさすがに無理ですが、それでも良ければ…」
(よしっ!食いついた )
久本は安易に返信しない様少し考え、そして提案した。「ではメッセージアプリの通話機能を使用してお話は可能でしょうか?それならIDの交換だけで電話番号を教える必要もなく、話が終わり次第私のアカウントをブロックして頂ければ今後一切の接触も防げますし」
別にこのままメールでのやり取りでも良かったが、それだと相手の返信を待つのも面倒だし、文章次第では話の伝わり方が大きく変わってくる。だから久本はあえて通話での聞き取りを希望した。そして案の定チャッピーからの返信は数十分を要し、「分かりました」という一言と一緒にIDのアルファベットが送られて来た。
久本は自身のアプリ上で、送られて来たIDを入力して登録を済ませた。これでチャッピーと名乗る人物と繋がった。そして恐る恐る受話器マークのアイコンをタップした。このアプリ独特の呼び出し音のメロディーが鳴り、数秒後にメロディーが止まった。耳元から通話先の空気が揺れたのを感じとり
「もしもし」と言った。しばらく沈黙が続き、あれ?っと画面の通話表示を目視で確認し再度スマホを耳に当てると「もしもし……?」と声が聞こえた。久本は勝手にチャッピーと名乗る人物を男だと決め付けていたが、声の主は明らかに女の声だった。
「あっ、もしもし?チャッピーさん?こんにちわ 」
「はい。チャッピーです。こんにちわ」
話し方の雰囲気からかなり若い女性だと思った。やはり釣りかもなと希望を捨て、久本は淡々と質問をした。
「お伝えした通り、この事件に知人が関与している可能性が高いんです。チャッピーさんは事件の一部始終を目撃してたんですよね?可能な限りで結構なのでお話して頂けますか?」
すると彼女は「一部始終というか……」と切り出した。「一部始終というか……全て見てました。この日私は友人の家に遊びに行ってて。そして帰りが遅くなったんです。でも友人の家から私の家はそんなに距離が遠くないから夜中だったけど歩いて帰る所でした」彼女は一度話を区切り、深呼吸をした。
「それで…もう少しで家に着くって所で一台の車が目の前を猛スピードで走り抜けました。結構危なかったので、ムッとして振り返り、その車に目を向けました。じゃあその車はすぐそこに停車して…中からスーツを来たおじさん二人が降りてきました。それで後ろの席からおじいちゃんと孫みたいな若い人を怒鳴りながら引っ張り出して…」
久本はここまで聞いて、彼女の話は釣りではないと確信した。「そのおじいちゃんと孫みたいな若い人ってどんな感じでした?」
久本が聞くと彼女は少し戸惑った様子で「見た目ですか?」と聞いた。
「うん、見た目と雰囲気。暴れてたとかすごい怖がってたとか」
彼女は「うーん…」と言葉を濁し「見た目はー……おじいちゃんはほんと普通の白髪のおじいちゃんでしたよ。それと若い人は特徴のある髪色をしてましたね。暗かったから実際は違うかもですけど、長髪で白に近い金髪?みたいな感じでした」
「なるほど。二人は抵抗とかしてましたか?」
「いいえ、それが全く。私もこの時は、あんな事が起こるなんて考えもしてなかったからすごく動揺してしまって…助けを呼ぼうにも怖くて体が動きませんでした 」彼女がここまで話した所で、久本は一度話を止めた。
「ちょっと待ってください。あんな事って何です?」
すると彼女も「えっ……?」と話を止めた。
「いやだから、あんな事って何が起きたんですか?」久本は追い討ちをかける様尋ねた。
「もしかして知らないんですか?殺人ですよ。ニュースにも出てましたけど…てっきり知ってて私に連絡を取って来たもんだと…」
「いや、男性が二名の殺害されたのはニュースで見ましたよ。もしかしてその二人を殺したのって…」
彼女は少し間を空け、言葉を選びながら答えた。
「金髪の少年の方が二人を殺しました……」
久本は言葉を失った。まだ子供に見えたあの少年が人を殺した?しかも相手はヤクザだぞ?それにさらわれた先で二人同時に殺すってどんな神経してんだ。
「あの、その少年は一体…どうやって二人を殺したんですか?」
「殺し方ですか?……すいません、突然だったのではっきり覚えてないんですけどー…」彼女はそう前置きをし、少しずつ話始めた。
「スーツを着た二人は車から少年とおじいちゃんを引きずり降ろしました。二人はおじいちゃんは眼中にはない感じでしたけど…それに少年にだけ執拗に怒鳴ってました。少年は胸ぐらを捕まれてたんですけど、何か言ったんでしょうね。掴んでない方がスーツの懐から一本の刃物…ドスって言うんでしたっけ?それを取り出しました。私も初めは脅しだろうと思ったんですけど、男は胸ぐらを捕まれて身動きの取れない少年の腹部目掛けて体当たりしたんです」
「じゃあ少年は一度刺されたのにも関わらず二人を殺したって事ですか?」
「いいえ、たしかに男は少年の腹部目掛けて体当たりしたんですけど…その瞬間、少年は飛んだんです。ほんと宙を舞う様に。それはまるでワイヤーアクションみたいでした。くるんって……で、ドスを持った男に肩車されてるみたいな状態になって首をゴキッてひねったんです。首をひねられた男はそのまま倒れちゃって…その後は拾ったドスでもう一人の方を遊ぶ様にグサグサ刺してました。でもその刺すまでの行動をちょっと覚えてなくて…あっという間に近付いて刺したって感じで」
久本はゴクッと生唾を飲んだ。「そんなに何回も刺してたんですか?」
「はい…もう数えきれないくらい…そしてしばらく刺した後に横にいたおじいちゃんが止めたんです。もうよいって。じゃあ少年は分かったとだけ言って手を止めました」
「ちょっと待ってください。その二人は知り合いだったんですか?」
久本は昨日の記憶を辿る。久本が少年と老人に気が付いた時にはすでにヤクザに絡まれていた。少年がヤクザから老人をかばっている様子を見て、勝手に他人だと決め付けていた。しかし彼女の証言通りの会話があったのならその線はハズレだ。少年と老人は繋がっている。しかも簡単に人を殺す狂った神経の持ち主とそれを一言で制する事ができる者。考えれば考えるほど謎が深まるばかりだった。
「あのー…?」
久本が考え込んでいると、電話口から彼女が遠慮気味に聞いた。
「何です?」
「この事件に身内が関わってるかもって言ってましたけど…もしかしてあの少年とおじいちゃんの知り合いなんですか?」電話越しからでも伝わるほど彼女は怯えていた。
「ああ、違いますよ。それに話を聞く限り、私の勘違いだと思います」
「そうですか。ならもうお話はよろしいですね?」
「はい、ありがとうございました」
久本は彼女に礼を言い、電話を切った。そして一応今回の経緯を神谷に話しておこうと思い、電話を入れた。
「どうした?」三コールほどで神谷は電話に出た。久本が昨日神谷と別れてからの成り行きを全て話すと「聞く限りではその二人は相当やばいな。まぁもう見かける事は無いと思うが、関わるなよ」と釘を刺された。それと小倉の件をどうなったか聞いてみたが、特に報道されていないとの事。神谷いわく、裏社会での出来事としてはよくある事らしいが、人が殺される様な事件があれば必ず報道されると思っていた久本は拍子抜けした。でも神谷は報道されていないだけで警察や組の連中は水面下で俺達を探しているはずだとも言った。
「だから昨日言った通り極力外出はするなよ。警察ならまだしも組の連中に捕まってしまったら命は無いからな」
「分かりました。あ、それと平岡や鬼塚の情報って何か分かりましたか?」
「いやそれがまだ何も掴めてない。平岡は分からないが、鬼塚はほとんど人前に出ないからな。時間が掛かりそうだよ」
「そうですか…」
「まぁ急いては事を仕損じるとも言うしな。あまり熱くならない様に探すよ。じゃあまた連絡する」神谷はそう言い電話を切った。神谷は急いては事を仕損じると言ったが、久本は胸騒ぎがしてしかたなかった。平岡や鬼塚にはもう自分達が見つかっている様な気さえした。そうじゃなくても考えれば考えるほど気になる。こうなればこちらから仕掛けて事を終わらせるしか不安を取り除く手段はない。神谷に言うと止められると思った久本は、神谷には黙ったまま平岡と鬼塚、もしくはどちらか一方を自ら追う事を決めた。