『8』
「ん……?雨…?」
シャーッっと音を立てながら水しぶきが倒れた久本の顔に降り注ぐ。瞼を開けているつもりだったが、思う様に開かず視界の確保に十数秒掛かった。湿気と生ごみの臭い、そして僅かに感じる風。そうか、ここはオアシスの路地裏だったな。と久本は我に返る。そしてようやく目の霞みがマシになり、数センチ動かすだけでも全身に痛みが走る体を動かして周囲を確認した。そこで久本の目に人影が入った。
「だ…れだ?」声にならない声を振り絞り尋ねるもその人影は返事をせず、少しばかり揺れている様に見えた。そして完全に意識を取り戻した久本の目に写った人影の正体は、先ほど自分を半殺しにした小倉と神谷の姿だった。状況の整理ができない。なぜ小倉と神谷が一緒にいる?もしかしてグルか?俺ははめられた?などと脳内にネガティブな考えが駆け巡っていた時、突然小倉が倒れ込んだ。
「え…?神谷さん…何して……」
久本は神谷の手に握られたモノを見てハッとした。それは刃渡りこそないが、確実に人を殺せるサイズの神谷が愛用するナイフだった。そしてようやく神谷が口を開いた。
「遅くなってすまなかった。ほら、人が来る前にさっさと行くぞ」とだけ言うと歩き出した。久本は痛みできしむ体を何とか起こし、神谷に続く。そして倒れた小倉の方に目をやると、小倉の首からは倒れてもなお大量の血が噴き出しており、それはまさに血のシャワーだった。さっき顔に掛かった水しぶきは雨ではなく小倉の血だったのか。あまり気持ちの良いものではなかったので久本はとにかく顔が洗いたくなった。しかし神谷はそんな久本を無視して、唯一建物内に入れる休憩室に通じるドアに耳をあてた。
「神谷さん、何で俺の居場所が分かったんですか?」
「念の為イヤホンに仕込んでおいたGPSのおかげだよ。位置情報を確認したらオアシス内にいる事が確認できたけど電話も繋がらないしおかしいと思ってな」
「そうですか…あ、他の奴らは?」
「ここに来るまでの控え室にいる奴らか?俺が入った時は誰も居なかったが…でも、どうやら今は何人かいるみたいだ。微かに声が聞こえる」
神谷は扉に耳をあてながら、ジャケット内に忍ばせた銃とマガジンを取り出す。そしてマガジンをセットし、スライドを引いた。
「殺るんですか?さすがにこの人数はやばくないですか?」
「俺を誰だと思ってんだ」と神谷は微笑み、他にも腰に忍ばせたナイフの本数を数えている。
「いや、危険の方じゃなくて…一気にこの人数を殺せばさすがに捕まりますよ」
「あぁ、そっちね。それにお前はもう歩けるのか?」
久本はボロボロだったがその場で屈伸をし、「いけます。軽くなら走れそうです」と答えた。久本が答えると神谷は扉のドアノブに手を掛ける。
「いいか?俺が走れと言ったら走れ。それにお前は常に俺の後ろにいろ。ちなみに小倉のスマホは回収済みだから」
久本は黙って頷く。神谷はそれを確認し「せーのっ」とドアをガチャ!っと押し開けた。久本も神谷に続いて中に入ったが、すぐに神谷の背中にぶつかった。中に入って急に神谷が立ち止まったのだ。え?っと神谷の脇の横から中の様子を見ると、椅子に座って談笑していたであろう男達がこちらを向いて唖然としていた。もちろん全員がオアシスの黒Tシャツを着ている。それに三人の内二人は最初に小倉に連れられて通った時に見た顔だった。そして一人の男が口を開いた。
「お前ら…ここで何してんだ?…それに後ろのお前、さっきここ通ったよな?小倉さんはどうしたんだよ?」
「俺が殺した」悪びれた様子なく神谷が答える。
「は?何いってんのお前?」と三人が立ち上がり、三人共が腰に装着していた警棒を手に取る。驚きと興奮で、三人の顔はやや紅潮していた。
「三人か…お前は動くな」神谷は腰のベルトに手を掛けながら言った。そして緊迫した空気の中、相手の一人の手が一瞬ピクッと動いた時。神谷がベルトの間から刃渡り5、6センチほどのバタフライナイフを取り出し、コンマ数秒で動いた相手に向かって投げつけた。相手も投げられたナイフにかろうじて反応し、反射的に腕ではたこうとしたが、ナイフは腕の動きよりも早く相手の喉仏辺りに刺さった。ナイフは刃が隠れるほど深く刺さり、男は首を押さえながら膝をつく。喉の傷から逆流した血を口からこぼしながらかろうじて呼吸をし、やがてナイフを抜く事なく倒れ込んで息絶えた。目の前で仲間を殺された二人を見ると、先程まで紅潮させていた顔が嘘の様に真っ青になっていた。数秒で仲間が殺されたのだ無理もない。残った二人は神谷に対して敵意よりも見るからに恐怖心を抱いていた。だが、殺らなければ殺られるという動物的本能が騒いだのか、二人の内の一人が「うわぁぁぁ!」と絶叫しながら神谷に警棒を振り下ろした。真っ直ぐ振り下ろされたのならば身を反転させかわしやすいが、警棒は真っ直ぐではなく、斜めに振り下ろされた。真っ直ぐよりもかわすのが難しい軌道だったが、神谷は難なく警棒を止めた。というよりも警棒ではなく、警棒をを持った相手の右手がヒットする様にガードをした。警棒がミートする直前で攻撃を止められた事により、相手の腕は弾かれた様に後ろにはね返り、胴が空いた。これは久本から見ても分かるほどの明らかな隙だった。そこへ神谷は一気に前進し距離を詰め、相手の懐へ体を入れる。そしてジャブの要領で素早く相手の喉へ手刀を入れ、アッパーの様に股間に打撃を入れた。相手は「うぅっ……!」とうめき声を上げると同時に、内股になり股間を押さえてへたり込んだ。誰の目から見ても完全に神谷の勝ちだったが、神谷は相手が落とした警棒を手に取ると、股間を押さえて悶絶している男の目をめがけて、警棒を水平に叩き込んだ。久本は神谷がテニスプレイヤーに見間違えるほど綺麗なフォームで叩き込んだ事にも驚いたが、圧倒している相手に対してここまでする残忍さにも驚いた。正座に近い体勢でへたり込んでいた相手は神谷が放った警棒での攻撃で体が後ろに押され後頭部を地面に打ち付けた。
「体柔らけーじゃん」神谷はそれだけを言い残すと後頭部を打ち付けて倒れた男の顔面に烈火の如く警棒を叩き込んだ。バチィィン!バチィィン!と肉をはたく音だけが鳴り続き、数発で男はうめき声すらも上げなくなった。そこに「やめろぉ!」と残りの一人が叫び声を上げる。「あ?」と神谷が振り返ると同時に、男は神谷目掛けて手に持っていた警棒を投げつけた。神谷は反射的に身をかわしたが、投げられた警棒は明らかに神谷の体から逸れており、後方の壁に激突した。ガチャン!と金属音を響かせ転がる警棒を神谷が拾い上げ、先程の警棒と合わせて二刀流状態となる。久本はまさかとは思ったが、そのまさかだった。神谷は二刀流の状態で丸腰の残った一人に向かい走り出した。そして右手に持った警棒を振り下ろし、男が腕でガードをすると間髪入れず左手の警棒を振り下ろした。それを何度か繰り返すと、男はガードしていた腕が上げられなくなった。神谷は腕を潰すつもりでわざとガードされているにも関わらず、同じ箇所を警棒で叩きつけていたのだ。そして男がたまらず腕を下げると、次は容赦なく脳天に警棒を叩きつけた。二発目で相手の脳天からは血が噴き出し、男の額は真っ赤に染まった。男の意識はすでに途切れていたが、神谷は警棒で叩きつけるのを一向にやめない。返り血で顔に赤い斑点ができているがそんなのお構いなしだ。そんな神谷を見ていて我慢できなかった久本がようやく神谷を止めた。
「かっ、神谷さんっ!もう……もう死んでます……!」久本が声を掛けた事で神谷は手を止めた。
「ふぅ…じゃあ行くか。さっさとここ出ちまおう」
そして神谷が小走りで休憩室を後にしたので久本もそれに続いた。部屋を出る際に一度振り返ったが、もうそこは休憩室なんかではなくただの地獄だった。自分は神谷の弟子だ。だから神谷のやり方に口を出すつもりはない。だがターゲットではない相手に本当にここまでやる必要があるのか?それにしても残忍すぎる。これでは快楽殺人者と言われても文句は言えないぞ。
「ここまで来れば大丈夫だな。おい、適当にタクシー拾ってくれ。とりあえず離れるぞ」
あれこれ考えている内に外に出た様だった。つい数分前に三人の人間がこの建物内で殺されているのに関わらず、歩いている通行人はそんな事など知らず呑気に歩いてる。そして久本は手を上げ、タクシーを止めた。
「どちらまで?」
「駅前までお願いします」
「駅前って…京都駅でいいですか?」
神谷を見ると頷いたので、「はい」と返事をした。
後部座席に乗り込むと神谷が口を開いた。
「何を考えているか知らんが、これがお前が望んで足を踏み入れた世界だし、これが現実だ。余計な事は考えなくていい」
まるで久本の考えを見透かしたかの様に放った神谷の言葉は久本の心に響いた。
「やりすぎだとは思わないんですか?」
久本は言ってしまった。言ってから後悔した。きっと神谷にお前はぬるいと愛想をつかされる。だが、神谷の反応は少し違った。心なしか少々笑っている。
「やりすぎか?そもそも丸腰の人間に武器を手にして吹っ掛けたのはどっちだ?しかも三対一で」
たしかにそうだ。神谷が圧倒しすぎていて完全に頭から離れていた。最初に吹っ掛けたのはあいつらだ。しかも全員が警棒を持っていた。
「たしかに神谷さんの言う通り状況はこちらが不利でした。でも俺が言ってるのはその後の話ですよ」
「ああ、それか。その話は降りてからしよう」
神谷が言い終えた時にルームミラーを見るとミラー越しに運転手と目があった。「ええ、分かりました」と言うと到着するまでの間、二人は無言で車内での時間を過ごした。
「この辺でよろしいですか?」と運転手が駅前の八条口辺りでタクシーを止めた。支払いを済ませて二人はタクシーから降りる。
「あの運転手…めちゃくちゃ聞き耳立ててましたね」と久本が笑うと神谷も笑い、「そりゃそうだろう。そんな顔ボコボコになった奴が乗るんだからな。ひやひやしたんじゃねぇか?」
「笑い事じゃないですよ。本当にめっちゃ痛いんですから…タクシーの揺れも体に響いて痛かったですもん」
「それはそれはお気の毒に。でも無事で良かった」
安心したのか神谷は煙草を咥え、ホッと息を吐いた。
「それでさっきの話の続きですけど…」
神谷は、あぁと煙を吐きながら言うと「お前あいつらの警棒ちゃんと見たか?」と聞いてきた。
「ちゃんと見たか…ってどういう意味です?あの黒い警棒ですよね?もちろん見ましたよ」
「俺も最初は警棒だと思ったが、あれはただの警棒じゃねぇよ。スタンバトンだ。警棒と似てるけどな」
「スタンバトン?」久本は初めて聞いた名称だった。
「スタンガンは分かるよな?スタンバトンはそのスタンガンの機能を備えた警棒だよ」
「マジですか?」
「あぁ、マジだ。手に取るまで気付かなかったがな。あれを食らうとまずい。だから徹底的に潰した」
「徹底的に潰したって…三人とも死んでましたよ?」
「だから何なんだ?逆に俺とお前があいつらにスタンバトンで動けなくされて捕らわれたとしよう。ボコられるだけで帰れると思うか?」
「それは…ないと思います」悔しかったが、神谷の言う通りだった。ましてや相手は得体の知れない連中だ。どうなるか検討もつかない。
「だろ?だから中途半端に俺らの情報を掴ませたまま生かしておいたら何が起こるか分からない。こうやって危険な芽を事前に摘んでおく事も必要なんだよ。命の尊さや重さをうだうだ言って良いのは坊さんか、裏社会の現実を知らない一般人だけだ。そこでいちいち引っ掛かる様なら今すぐ足を洗った方が賢明だし今後関わらない方がいい」
「それじゃああそこまで叩き潰す事がヒットマンとして正解って事ですか?」
神谷は煙草を咥えようとした手を止めた。
「自分に大事な家族がいたとして…中途半端に逃がした相手が関係のない家族を狙ったらどうする?狙われてから後悔しても遅い。だからさっきも言ったが、一度接触した相手はなるべく消すに限る。それが正しいかどうかじゃなくてな。やらなきゃやられる。こっちの世界では当たり前の事だよ。だから相手も俺らに対して生かして帰すなんて生易しい事はしないと思え。捕らわれたら終わりだ」
神谷は再び煙草を咥え直し、火を点ける。
「たしかに神谷さんの言う事は理解できますけど…」久本の胸は煮え切らないモヤモヤした気持ちでいっぱいになった。
「まぁその内慣れるさ。俺も初めの頃は抵抗しかなかったしな。それより早く小倉のスマホをチェックして処分しよう」神谷はズボンのポケットから小倉のスマホを取り出し、画面をタッチした。運の良い事に小倉はパスワードを設定しておらず、すぐにホーム画面が現れた。そして電話帳を開き、鬼塚、中野、平岡と三名の検索をかけたが、ヒットしたのは「会長」と名前表示された鬼塚のみだった。
「なぁ?会長って表記されてる番号は鬼塚の事だよな?」
「多分そうでしょ。一度掛けてみたらどうです?」
「ばか言え。掛けてどうするんだよ。鬼塚さんですか?って聞くのか?そんな事したら翌日には番号を変えられちまうよ」
「あぁ、そっか。鬼塚は用心深いんでしたね」
神谷達は小倉から目当ての鬼塚への手掛かりを掴んだが、現時点ではどうする事もできなかった。しばし沈黙が続き、神谷が妥協した。
「とりあえずこの番号は一旦控えて保留にしておこうか。まずはこのスマホを処分する。何が仕込まれてるか分からんからな」神谷はそう言い、七条方面へと歩き出した。時計を見ると、まだ22時を過ぎたばかりで駅前はサラリーマンがせせこましく通り過ぎていく。京都に土地勘がある久本には神谷がどこへ向かっているのか検討がついた。この方角はおそらく鴨川だ。
「鴨川に向かってるんですか?」
久本が聞くと神谷は「おう」とだけ言い、歩みを進める。なぜ土地勘の無い神谷が鴨川までの道程を知っているのは不明だったが、久本は何も聞かず神谷の後を追った。寂れた住宅街を抜けて少し進んだ所に暗めの街頭が並び、やがて鴨川が姿を表した。鴨川と言ってもここは四条や三条とは違い、人気がほとんどなく道の整備もされていない。鴨川だがそれは名ばかりで、何の変哲もないだだの川にしか見えない。到着すると、神谷は小倉のスマホの電源が切れている事を確認して川へと投げ込んだ。
「鴨川に来たのは何か意味があるんですか?」
「いいや、意味はないよ。昔何かの拍子でここで親父と釣りをした記憶があってな。懐かしくて寄ってみただけだ」
あーそれでここを知っていたのかと久本は合点がいった。
「それより今頃オアシスは小倉の件で大騒ぎだろうな。明日の朝のニュースに出そうだ」
「多分出るでしょうね。そんな事件に自分が関与しているなんて今だに実感がわかないです」
「分かってると思うが、お前も追われる身になったんだ。これからの行動にはより一層慎重になれよ」
「ええ、分かってます」と久本は鴨川を見つめながら言った。とは言ったものの、これから始まる追われる身となっての生活はどんなものか、まだ想像もつかない。
「オアシスにいくつもあった防犯カメラ…姫村組はその映像を確認して俺達の面を確認するだろう。そうなればこの近辺…いや、関西圏では俺達は追われ続ける。それに普通ならヤクザと警察は対抗勢力だから協力し合う事はないが、元々姫村組にいたジンや、中野は警察とも繋がっている。俺らを捕らえる為警察も姫村組と情報を共有して動くだろう」
「もし警察に捕まればどうしたらいいんですか?黙秘を続ければいいですか?」
「いや、捕まっても逮捕はないだろう。これはあくまで俺の推測だが、恐らく警察に捕まれば俺達は姫村組に売られる。そして姫村組は警察に金を払ってなおかつ俺達を始末する事に関して目をつぶるよう要求するはずだ。もし断れば今までの警察との関係をリークするとかヤクザは何とでも脅せるしな」
「なら捕られると俺達が助かる方法はない…って事ですか?」
久本は問いに神谷は一呼吸置いて答えた。
「そうだ。何の犠牲も無く助かる道はないと思え。でもまぁ心配すんな。中野を殺したら俺は弁護士を通して自首するつもりだ。もちろんお前の事は何一つ話さないし、全ての罪は俺が負う。なぁに、弁護士を連れて関西圏以外の警察署に自首しに行くから姫村組に売られたりはしないさ」
久本には神谷に一切の同様が見れなかった。過去に逮捕された時もそうだが、よほど腕の立つ弁護士を味方につけているのかと久本も少し安心した。何をするにしても恐怖や不安はゴールが見えないからこそやってくる。若者が将来に不安を覚えるのも、先が読めないからこそやってくるのだ。だが、今回の中野に復讐をする件のゴールを神谷はすでに考えていた。久本は神谷が無事に中野に復讐をして自首するまでヘマをして捕らわれる事のないよう気を引き締めた。
「じゃあそろそろ帰るか。俺タクシー呼ぶけど相席で帰るか?」神谷はスマホを取り出しタクシー会社の検索を始めた。
「いえ、今日はこのまま歩いて帰ります。次はいつ集合しますか?」
「そうだなぁ…とりあえずニ週間は空けようか。明日からヤクザと警察が俺達を探し回るだろうし…ま、この二週間を無駄にする事なく鍛えておけ。それと外出は最低限に控えろ。食事も買い貯めしたものか、デリバリーで済ませろ。なるべく外出する事がない様工夫してな」
「そうします。何かあれば連絡入れますね」
そしてしばらくして、タクシーが到着した。
「じゃあ。また連絡する」神谷はそう言い残しホテルへと帰って行った。
「ふーっ……」久本は神谷を見送り一呼吸入れる。それにしても全身が痛い。打撲に擦り傷、青タンといたる所に傷ができている。これは明日になるともっと痛くなるぞ。腕にできた擦り傷を見ながら、神谷さんならこんな傷作らないだろうな。これは俺が弱い証か…と少しネガティブになった。考えてもしかたのない事だが、自分をあれだけボコった相手をあんなにもあっさり殺してしまうのだから嫌でも力の差を感じてしまう。あの人は異常だ。久本は神谷の強さの根底を自分なりに考えながら帰路についた。そしてしばらく歩いていると、何やら人の怒鳴り声が聞こえた。内容は聞き取れないが、とくにかくめちゃくちゃ怒鳴っている。一瞬、こんな体で揉め事に首を突っ込んでもろくな事はないと感じたが、自身の正義感が勝り、怒鳴り声が聞こえる方へと向かった。男の怒鳴り声はどうやら近くの団地の駐車場から聞こえる。久本は駐車場に停めてあるミニバンの影に身を隠しながら、声のする方向を見た。
「おう、クソガキ!もういっぺん言うてみぃ!」
そこではスーツを来た明らかにカタギではない二人の男が怒鳴り声を上げ、二対一となって脅迫じみた台詞を次から次へと吐いていた。久本は目をこらす。
(もう一人は…高校生か?かなり若いな)
二人の男に怒声を浴びせられているのは、かなり若い少年だった。だが少年と言っても白く見えるほどの金髪でかなりの長髪だ。見た目からして恐らく普通の少年じゃない。何か下手を打ったか、ただ単に絡まれたか…まぁ詰め寄られている理由はそんなとこかと思った。とにかくもう少し様子を見る事にした。
「俺達が用があるのはそこのじじぃなんだよ!お前は関係ないだろーが!」
(じじぃ?)と思った時、少年の背後に一人の老人がいる事に気が付いた。その老人は犬の散歩中だったのか、リードをつけた小型犬が足元で寄り添っていた。少年は綺麗な金髪だったが、この老人も黒い所が全くないほど綺麗な白髪だった。老人は二人の男にこれっぽっちも興味が無いらしく、この状況下でも少年の後ろで飼い犬と戯れていた。
「だからぁ、さっきから言ってんじゃん?良い大人がじいさん相手にたかるなって。俺そういうのほっとけねぇんだわ」
「別にたかろうって訳じゃねぇ。そこのじいさんにちと聞きたい事があるんだよ」片方のスーツの男が冷静に言った。
「こんな普通のじいさんにあんたらみたいな社会のゴミが何を聞きたい事があるんだよ。そんなに知りたい情報があるならググれよ」金髪の少年が話終わると隣いたもう一人のスーツの男が口を開いた。
「てめぇさっきから黙って聞いてりゃ、なめた口利きやがって…ガキだからって何もされないと思ってるのか?おい、こいつさらうぞ。車回せ」
「分かりました」
すると一人の男が少し離れた路上に停めてある車へと早足で向かった。
(おいおい、やべーぞこれ。あの少年さらわれちまう)
久本は助けるべきだと頭では分かっていたが、何せ自分はこの怪我だ。ろくに動けない上に相手は二人。下手すりゃ自分もさらわれて消されちまう。しかしそうこう考えている間に一人が車に乗って戻ってきた。特徴のある外車だった。車からしてやはりこの二人組はカタギの人間ではなさそうだ。車が少年の前に止まると、外にいた男が「おらぁ!はよ乗れや!」と少年と老人を無理矢理車に押し込んだ。
(あれ?)
恐怖のあまり抵抗できなかったのかとも思ったが、少年と老人はすんなり車に押し込まれた。普通は多少なり抵抗するだろう。それに久本の目には車に押し込まれる際、少年の口元が緩んだ様にも見えた。
(あの子……笑ってた…?)
あれこれ考え唖然としていると、少年と老人を乗せた車はその場を走り去った。「おいっっ!」久本は叫んだが、その声は無惨にも穏やかに流れる鴨川の水流の音でかき消された。