『10』
「ふぅーっ……」
神谷はホテルの自室でルーティンの瞑想を終え、商売道具を一式装着した。商売道具と言っても、左右の腰にナイフを一本ずつと肩から下げたホルスターに愛銃のコルトパイソンを差し込んでいるだけだ。神谷はおもむろにティッシュを一枚抜き取り、天井目掛けて放り投げた。放り投げられたティッシュはゆっくり不規則に左右に揺れ舞い落ちる。そしてティッシュが自身の胸元辺りまで落ちてきた時に神谷はすばやく右腰のナイフを抜き、ティッシュ目掛けて一突き入れた。突かれたティッシュは一瞬ぐにゅっと形を変えたが、スルリとナイフの刃をかわし、ゆらゆらと地面に落ちた。それを見た神谷はちっ、と舌打ちをしティッシュを拾い上げると、くしゃっと丸めてごみ箱へと投げ入れた。そして腰から抜いたナイフを再び腰へ戻すと、次は誰もいない前方に向かって軽く構えを取った。毎日の瞑想の成果かは分からないが、神谷は集中力が上がると想像したモノがリアルに見える様になっていた。だから神谷ははたから見れば何も見えない空間にイメージで敵を浮かび上がらせ、イメージトレーニングを始めた。神谷がイメージした相手は中野だった。イメージで浮かび上がらせた中野が神谷へと先手を打つ。中野が放った先手はナイフでの突きだ。神谷は軽く構えた左手で、突き出された中野の右手首をはたき落とし、今度は自らの右手で中野の喉を目掛けて手刀での突きを放った。中野は神谷の突きをバックステップでかわし、間合いを保とうとする。しかしそれを読んでいた神谷の喉への突きは実はフェイクで、突きを出すと同時に中野との距離を一気に詰めに行った。そして神谷が距離を詰め、中野に掴みかかろうとした時。中野は胸元からサプレッサー付の銃を取り出し、神谷に銃口を向け言った。
「まだまだだな」
そこで神谷は我に返った。もう眼前の中野のイメージ体は消えている。
「まだまだ……か」神谷は一人呟き、額の汗を拭った。いま実際に中野とやり合えばどうなるか、神谷は想像できなかった。案外あっさり殺せるかもしれないが、中野はかつての師だ。師を持った者にしか分からないが、どれだけ己が成長しようとも師の実力は自分よりもはるかに上だと感じてしまうもの。だが復讐するからにはそんな事は言ってられない。頭では分かっていても本能がいう事を利かなかった。これを払拭するには戦い続け、腕を磨くしかない。しかしいくらヒットマンといえど毎日人を殺す訳にもいかないし、そもそもそんなにターゲットがいない。殺さずとも実戦の経験が積めればな…さて、どうしたものか…
数秒間考えた結果、一つのアイデアが浮かんだ。
「道場破り……これは案外アリかもしれないな」神谷は早速スマホを取り出し、京都市内のありとあらゆる道場を検索した。空手に柔道、総合格闘技など様々な道場がヒットしたが、どの道場のホームページにも道場破りに関しての情報は無かった。相手にされるかも怪しいのに、いきなり押し掛けるのは気が引けたがもはや仕方がない。行くからには道場破りを相手にしそうな団体を選別した。そして見つかったのはフルコンタクト空手の龍仁塾とプロレスラー養成所の様な感じの今里会だった。どちらもホームページに対外試合歓迎!や道場破り上等!といった過激な文言が打ち出されていた。神谷は少し悩んだ末、龍仁塾に向かう事に決めた。たしかにパッと見はレスラーの方が体も大きく強そうだ。しかしプロレスは所詮プロレス。パフォーマンスありきの格闘技だ。道場破りをする理由の実戦練習には不向きだと考えたのだ。久本も連れていこうかとも考えたが、あいつも自分なりに考えて訓練するだろうと思い、おせっかいをするのをやめた。時計を見ると時刻は十三時前だ。神谷は着替えを済まし、ホテルを出た。
ホテルを出た神谷は、偶然目の前に停車していたタクシーの窓をノックし、運転手に「乗れる?」と確認を取って後部座席へと乗り込んだ。運転手に龍仁塾のホームページに記載されている住所を伝え、現地へと向かった。龍仁塾は市内でも北の方へ位置し、ホテルからは三十分ほどかかった。運転手は、たまたま龍仁塾の場所を知っていた様で、目の前に着車してくれた。神谷は釣りは良いからと勘定を済まし、龍仁塾の前に立つ。建物はホームページの写真よりもはるかに色褪せており、外壁もボロボロだった。ガラス張りの引き戸から中を覗くと、二人の塾生が組手を行っており、二十人ほどの塾生が二人を円で囲むように座り、勝負を見届けていた。見た感じ塾生の年齢はさまざまで、二十代から四十代ぐらいが目立つ。神谷は(子供はまだ学校の時間だからいないのか…)と変に納得して、ガラガラッ!と引き戸を勢い良く開けた。足下にはすのこが引いてあり、土足禁止の札が貼ってあったが神谷はそれを無視し、一段上がった畳張りの道場に立った。そして中に視線を戻すと塾生全員が沈黙を保ったままこちらを振り返り凝視していた。組手を行っていた二人も手を止めている。突然の訪問者にしばらく沈黙が続き、一人上座に座っていた風格のある小柄な男が近づいてきた。
「どちらさんで?」
並ぶと神谷よりもはるかに背の低いその男は神谷の前に立ちはだかり、何者だと言わんばかりの圧をかけた。その後ろで塾生達がざわつきだし「体験生か?」「俺と同い年ぐらいだ」などと話し声も聞こえる。
「道場破りなんだけど…相手してくれる?」
神谷が答えると先程と比べものにならないぐらい塾生がざわつきだした。すると圧をかけていた男が振り返り、「静かにせぇや!!」と塾生達に向かって吠えた。そしてもう一度神谷の方を向き「道場破り…とは冗談ですか?」と笑顔で問いかけた。男は続けて「私はこの龍仁塾で師範代をしている前川と申します」と名を名乗り、広角だけを不自然に吊り上げた作り笑いで神谷の次の言葉を待った。
「そんな作り笑いと挨拶はいらないよ。誰からでも良いから早くかかってこい」
「そう申されましても…武道をしている者にとって素人には手を出す事は御法度なので…」男は作り笑いを続け、わざとらしく困ったなという様に頭を掻いた。
「そうか…ならこちらからいくぞ」神谷はそう言うとわざと遅いモーションで前川にボディーブローを入れた。前川は「うっ……!」と声を漏らし、数歩後ろへと下がる。それを見た塾生達が再びざわつきだした。そして塾生の一人が神谷に言った。
「あんちゃん!もうその辺でやめとき!師範代がキレたら手がつけられへんで!」他の塾生達も「あんた死ぬぞ!」「バカが!」などと慌てふためきだした。後ろの塾生達がやいやいと言っている間、前川は腹を押さえたまま、片膝をついて立とうとしない。
「早く立てよオッサン。その程度も防げないのか?」神谷がそう言うと、前川はすくっと立ち上がり神谷に言った。
「おい、あんまりなめんなよ」
「そんな脅しはいいから。ほらっ、来いよ」
「怪我してから文句言うんじゃねぇぞ…おい!お前ら!今から俺がする事は弱者を痛めつけるんじゃねぇ!単なる指導だ!」前川は神谷から視線を外さず塾生に言うと、リズミカルなステップを踏みながら構えをとった。先程とはもはや別人である。神谷が近付くと前川は下半身へ下段蹴りを放った。神谷が足を立てガードを取ると、下半身へ放ったはずの前川の蹴りが軌道を変え、神谷の側頭部へと直撃した。
「ぐっ……!」蹴りがもろにヒットし神谷は怯んだ。
(二段蹴りか…)
前川の蹴りがヒットすると後方の塾生達から歓声が上がった。前川は塾生の歓声が耳に入らないぐらい集中してこちらへ構えを向けている。そしてふらついている神谷へ「せいっ!!」と追撃の正拳突きを放った。神谷はこれにかろうじて反応し、身を捻ってかわした。が、前川の突きは神谷の耳をかすめ、耳が切れた。血が神谷のフェイスラインをなぞり、道場の畳へ滴り落ちる。流血する神谷を見てようやく前川の表情が少し緩んだ。
「その程度の実力で道場破りなんてよく言えたな!」前川がそう言うと塾生達も「ぎゃははは!」と下品にわざとらしく笑った。
「ふー…あんた良いスピードしてるな。でもそれだけじゃ俺はやれないよ」神谷は袖で血を擦り取ると再び来いよと手招きした。それを見た前川は緩んだ表情を再度引き締め「おどれ上等じゃ… !!」と構えた。たしかに前川は神谷の予想を上回る実力者だ。でもそれは空手で戦った時の話。神谷が身に付けているヒットマンとしての戦い方には通用しない。神谷がヒットマンだと知らない前川はそんな心配など毛ほどにもしておらず、またもや神谷へ正拳突きを放った。さっきよりも1・5倍はスピードが乗っていたであろう正拳突きだったが、神谷は頭を横に振りあっさり避けた。前川は避けられた事に少し動揺したが、続けて体を捻りながら大技である上段後ろ回し蹴りを放った。神谷は紙一重で頭部をガードしながら蹴りを受けた。さすが師範だけあって前川の蹴りの威力は本物だ。蹴りを受けた腕が悲鳴を上げている。前川優勢の状況に道場中が沸いた。だが、次に神谷の発した言葉により全員が静まり返った。
「そろそろ決めるけど…もういいか?」
は?前川を含め、その場にいた全員がそう思っただろう。
「もういい」
前川はそれだけをつぶやと、ダダダッ!と助走をつけ、神谷の顔面めがけて飛び蹴りを放った。
「お前の敗因はそれだ」
神谷はそう言いながら前川の飛び蹴りかわし、着地した前川に後ろ回し蹴りを放った。神谷の蹴りはもろに前川の後頭部に直撃し、よろけた瞬間に股間に蹴りで金的入れた。「んんっ!」と腰を屈めて悶絶する前川の髪を掴むと、顔面に膝蹴りをこれでもかと叩き込んだ。三発目で前川の意識は飛び体の力が抜けたのが分かったが、神谷はぐったりした前川の髪を放さず、膝蹴りを打ち続けた。息が上がった神谷がようやく掴んだ前川の髪を離すと、前川は畳の上に大の字で倒れた。神谷は前川に近付くと、靴を履いたままの状態で前川の顔をぐしゃっと踏みつけた。
「おいっ!!」
塾生の誰かが声を上げたが、神谷は聞く耳を持たず前川の顔を何度も踏み続けた。すでに膝蹴りを受けて顔が腫れていた前川は、踏みつけたられた事によってさらに鼻が陥没し、唇も裂けてもはや原型を留めていなかった。
「おい、もう勘弁してくれ…師範が死んでしまう」
一人の塾生が背後から神谷にすがる様に掴み掛かった。
「あー疲れた」
神谷はそこでようやく手を止めた。続けて、「ま、武道なんて所詮こんなもんさ。遊びとまでは言わないが、所詮はルールと審判に守られた格闘ごっこだよ」
しかし塾生は誰も神谷の挑発には乗らなかった。それよりも全員が瀕死の前川に近付き、各々言葉を掛けた。それを見てしらけた神谷は何も言わず道場を出た。無事道場破りは成功したが、神谷は期待していた収穫が得られずもやもやした。このままホテルへと帰っても良いがまだ何か物足りない。
(ついでに鬼塚や中野の情報を探るか)
神谷はタクシーを捕まえ、木屋町へと向かった。案外早く到着したが、街が活発になり始める夕方までまだ時間があった。それまで時間を潰そうかとも考えたが、時間が惜しかった神谷は手当たり次第聞き込みを始めた。周囲を見渡すとスーツ姿のサラリーマンや観光に来ている外国人がほとんどを占めていた。まだ日中なのにも関わらずキャッチをしている兄ちゃんもいる。まだロクなのがいないなと思いつつ、行き当たりばったりでキャッチの兄ちゃんに声を掛けた。
「あっ!お兄さん!うちなら今からいけますよ!一杯どうですか!?」
キャッチの若者は神谷が声を掛けるよりも前に話し掛けて来た。
「いや、今は遠慮しとくよ。それより君のお店のケツモチってどこの組? 」
神谷の問いかけに若者は困った様子で考えた。
「ケツモチってヤクザの事ですか?そういうのは話せません」
シラを切られると踏んでいた神谷にとっては一人目から大きな収穫となった。
「そこを何とか頼むよ。今ここで教えてくれるだけでいいんだ。それ以上は何も聞かないからさ」
「すいません。お客さんに関係のない話はするなって店長に止められてるんで」
これ以上はラチが空かないと思った神谷は、若者が配っていた店のビラを取り上げた。
「じゃあこのビラを持って直接店にいくよ。ありがとう」
「ちょ!何してくれとんねんっ!」
若者は立ち去ろうとした神谷の肩を掴んだ。
「君が教えてくれないから直接店長に聞こうかなと思って」
「だから教えられへんって言うてんねん!何回も言わすなや」
口調が変わり、どうやら若者は神谷を客ではないと判断した様だ。
「そこまで止めると怪しさ倍増するぞ?警察じゃないから心配すんな」
「そういう話じゃねぇんだよ!」
若者は神谷を掴んだまま睨み付けて言った。どうやらこのまま黙って見逃すつもりはないらしい。
「そろそろ手を離してくれないか?君と争う気はないよ」
「今さら何言っとんねん。ちょっと面貸せや」若者はそう言うと、店名の入った前掛けを腰から外した。
「そんな時間の掛かる事するぐらいならケツモチのヤクザに連絡すればいいのに…」
若者は神谷の言葉を無視し「来いや」と歩き出した。しかたないと神谷も若者の後を追うと、人気の無い路地裏へと向かった。そして若者は足を止めると突然振り返り、神谷の胸ぐらを掴んだ。
「お前何でそんなにケツモチの事知りたがるねん?素人やからってなめとったら殺してまうで?」
神谷は胸ぐらを捕まれたまま「そんなの好奇心さ」と笑った。続けて若者に「お前護身術って分かるか?」と言い、「はぁ!?」と拳を振り上げた若者の手首を捻り、足をかけてひっくり返した。
「痛ったっ…!」突然手首を捻られた若者は倒れ込んだまま手首を押さえ悶絶した。
「まぁ護身術知ってたら胸ぐらなんて掴まないわな」
神谷は倒れた若者を見下ろしながら言った。そして、さぁどうする?と若者に問い掛けた。若者は手首を押さえながら 「だから何も喋る事はないって!!」と言い放ち、神谷にタックルをした。神谷はタックルをかわす事なく受け止め、かわりに若者の首を腰の横でがっちりとホールドし、頸動脈を締め上げた。
「うっっ…!?」
そして若者は痙攣しながら再び倒れ込んだ。若者が気が付くまで待っても良かったが、神谷は店へと直接向かった。数十メートル歩いた所に受け取ったビラと同じ店名の看板を見つけた。入口には商い中の札が掛かっており、神谷は引き戸を引いた。ガラガラッと扉を明けると店内にはまだ客はおらず、仕込みの最中であろう大将らしき男がカウンター越しから神谷に声を掛けた。
「いらっしゃいませ!お一人様で?」
神谷は大将を一度無視し、もう一度店内を見渡した。やはり客はまだ誰もいない。
「お客さん?」
少し怪訝な顔で大将が神谷の顔を覗き込んだ。そして神谷は大将に体を向け直し聞いた。
「この店のケツモチってどこの組?」
「ケツモチ?」と驚いた様子で大将が聞き返した。
「そう。姫村組か?」
大将は作業を止め、カウンターに両手をついてなだめる様に言った。
「お客さん、ウチは見ての通りただの居酒屋ですわ。そんなケツモチやヤクザとは無関係やけど?」
そこで神谷は手に持ったビラをカウンターに置き、「そうか。でも外でビラを配ってた兄ちゃんはあんたと違う反応だったけどなぁ」
「なんやと?」大将の表情が一変した。
「おいおい、何だよその顔は?……まぁ今頃のたれ死んでなきゃいいけど」
神谷が言い終わると大将が厨房から神谷の方へ憤怒の形相でズカズカと近寄って来た。
そして神谷のシャツの袖を掴むと「あいつに何かあったらお前ただでは済まさんからの」と言い放った。神谷は大将の手首を掴み、「だったら今すぐケツモチのヤクザに連絡するんだな」と大将の手を振払った。大将は一瞬考えて「ならとりあえず奥の部屋で待ってろ」と座敷の個室へと神谷を招き入れた。
神谷は何も言わず招かれた個室へと向かい腰を下ろした。大将は神谷が腰を下ろしたのを確認すると「お前の希望通り今からケツモチ呼んだるさかい逃げんなよ」とだけ言い、厨房へと戻って行った。そして徐々に店内が騒がしくなった来て、三十分ほど経過した時に神谷がいる個室へ複数の足音が近付いて来た。
「こちらです」と外から店員の声が聞こえると個室のふすまが勢い良く開いた。
そこには企業の重役の様な風貌の刈り上げの男と、お付きであろう若い男が立っていた。
「こんばんわ。わてが神谷さんでっか?ワシは植木と申します。それにこいつは飯田ですわ」
植木が挨拶をし綺麗に刈り上げた頭を下げると、続けて飯田も頭を下げる。そして二人は神谷の向かいに腰を下ろすと植木は懐から煙草を取り出し飯田がそれに火を着けた。その時二人の手の甲に花のタトゥーが入っているのを神谷は見逃さなかった。
「ふぅーっ!来月からまた煙草値上がりしまんなあ!神谷はんも吸わはりますやろ?遠慮せんとガンガン吹かしたって下さいよ」植木はガハハ!と笑うと煙を宙に吐いた。「では私も」と神谷は煙草に火を着けた。飯田は煙草を吸わないらしく、植木の隣から神谷にじっと目を向けており、その眼差しは決して友好的なものでなく、明らかに敵意がある視線だった。もちろん神谷は飯田が向けた敵意を感じ取ってはいたが、あえて何も言わず話が進み出すのを待った。すると植木が一度煙草を灰皿に置き、大きく腕を組んで話を始めた。
「で?何で神谷はんはケツモチ呼べなんて言わはったんですか?」世間話もほどほどに植木はさっそく本題に入った。
「逆に植木さんは何で俺に呼ばれたと思います?」
神谷は植木が何か勘付いていると踏んでおり、あえてそんな言い方で出方を伺った。だが、植木はシラを切り「さぁ?何でやろ?」と食い付かなかった。
その様子に神谷は笑みを浮かべ、隣にいる飯田に問い掛けた。
「飯田さん、あなたはどうです?先程から俺に対して殺気を飛ばしてますけど…何で呼ばれたと思います?」
飯田は相変わらず神谷に敵意を向けており、答えようと呼吸をした時。横から植木が飯田を制した。
「お前は黙っとけ。神谷はん、わしらも暇ちゃいますんや。そないな茶番はもうよろしいから、はよ用件言うてくださいな」植木は腕時計に目をやりながら神谷に言った。
「なら単刀直入に言いましょうか。鬼塚と平岡を探している。だから居場所を教えろ」
神谷の言葉を聞いて飯田はすぐに顔色が変わった。しかし植木は眉ひとつ動かす事なく冷静に話を聞いていた。そして飯田でなく、植木が口を開いた。
「居場所を知りたい理由は?」植木は新たな煙草に火を着け、神谷の言葉を待った。
「中野を探している、と言えばあんたなら分かるか? 」神谷が言うと、植木はゆっくり頷いた。
「あぁ、それでか。謎が解けたわ。それに会長はともかく、平岡の事まで知ってるという事はある程度組の事調べてはると思って話しますよ?うちの会長は用心深い人やさかい正直今どこで何をしてるかっていうのはわしにも分からん。でもわしも一応姫村組の幹部や。探そうと思えば会長がどこにいるのかすぐ分かる」
植木がそこまで話した時、横から飯田が「兄貴っ!」と止めた。植木は「お前は口出すなや」と飯田の制止を振り切り、話を続けた。
「神谷はん、あんたが会長に危害を加えるつもりなら組員のわしらは当然それを未然に防がなあかん。やけど目的が会長ではなく、新参者の中野なんやったら話は別や。組員の中でも中野を良く思ってないもんが多いのも事実。ただその前にわしからもあんたに一つ聞いときたい事がある」
「聞きたい事?」
「おうよ。あんた小倉って知ってるか?」
小倉は先日神谷が始末した鬼塚の側近だ。知らないはずがない。シラを切る事もできたが神谷はそれをしなかった。
「知ってる。それが?」
「小倉は俺の弟分やってん。言いたい事分かるな?」
植木の顔色が一層険しくなった。
「植木さん、あんた状況分かった上で俺に詰めよってんのか?先に手出したのは小倉だぞ?今回はただ手を出した相手が悪かったんだよ」
「おどれらがこそこそ嗅ぎ回って小倉に手出される様な事したんとちゃうんかい!?」植木は険しい顔のまま言った。
「だったら何だ?俺に説教でもたれるつもりか?」
すると植木の隣にいた飯田が突然神谷に飛び掛かった。神谷は植木との会話中に飯田が片膝を立てている事に気付いており、飛び掛かって来た飯田の襟元を掴むと座敷の畳に叩きつけた。
「ふーっ…!ふーっ…!」飯田は押さえつけられながらも血走った目で神谷を睨み付ける。
「神谷はん、離したってくださいや。小倉はこいつにとっては兄貴同然でしたんや。堪忍してください」
神谷はゆっくり飯田から手を離した。
「雑魚が。あんまり俺をなめるのもいいかげんにしろよ」
「すんまへん。それで話の続きなんですがね。単刀直入に言うとワシはあんたに中野を消してもらいたいと思っておるんですわ。そもそもあいつがおらんかったら小倉も死なずに済んだ思いませんか?」
植木のいきなりの申し出に神谷は眉をひそめた。
「なに?」
「これは組の事情なんであんまり話せませんけど、あいつのせいで色々と難儀な事があるんですわ。だから神谷はんが中野を狙ってるんやったら差し出そうかなと…何か間違ってまっか?」
植木は再び煙草を咥えると、飯田がすぐさま火を着けた。
「どうでっしゃろ?この依頼頼めますかね?」
「ああ、なら早く中野の居場所を教えろ」
植木は煙を吐き出し、まぁ待ちぃなと神谷を止めた。
「ただ、これには一つ条件があります」
「条件?」
「はい。中野を殺す前にわしと一度手合わせ願えますか?手合わせと言うか…ヤキ入れさせてもらいますわ」
神谷は煙草に火を着けながら言う。「それは俺とって意味か?」
植木は首を縦に振り「わしも普段面子で銭稼がせてもろてますんでね。自分の弟分のタマをこんな素人に取られて黙ってたら示しつきませんし」と言った。そして植木は「ほな場所変えましょか」と立ち上がり、表に出た。
表に出ると飯田が車を店の前までまわし、神谷は植木と一緒に後部座席に乗り込んだ。どこに向かうかも伝えられず一時間ほど車を走らせて、とある山奥の開けた場所で飯田は車を止めた。
そこには十台ほどのミニバンやセダンといった、いわばヤクザ者が好む車両が並べられており、スーツを着た組員と思われる者が軽く二十人はいた。それを見た神谷は最悪の事態を想定し始めた。現時点で装備している武器はコルト一丁とナイフが二本。どう考えたってこの人数を全滅させる事はできない。殺すにもコルトには六発しか弾が装填されおらず、明らかに弾が足りない。かといってナイフで全滅させる事も不可能だ。技術的にこちらが上でもこの人数相手には到底スタミナが持たない。完全にやられた。すると植木が神谷に言った。
「これ皆わしの所のもんですわ。という事はわしを除く全員が小倉の弟分みたいなもんですな。でもまぁ心配せんとってくださいや。誰一人手出しはさせません。それにわしもあんたを殺す気はない。やってもらわんとあかん仕事もあるさかい。ただ半殺し以上には痛め付けますけどな」
「言っとくが俺はほどよく手加減はできんぞ?死んでも文句言うなよ」
神谷は動揺を一切見せずに言い放った。
「それは面白い!殺せるもんならぜひ殺すつもりで来てください」
植木は回りの組員にも「おい!もし俺が殺されても神谷はんには一切手出すなよ!!」と言った。
「はいっ!」と組員全員が返事をし「これで心配事は消えたましたか?」と植木は神谷を見て笑った。どうやら植木は神谷の察しを見抜いていた様だ。
だが神谷は「いいや。本当にそのつもりが無いのなら野次馬連中の持つ武器の類いも全て捨てもらおうか」と言った。植木はなるほど!と組員全員に武器を出す様に命じ、一台のミニバンのトランクに集約した。
「これで問題ありまへんか?」
「ああ問題ない。それともしお前を殺してしまったら中野の居場所は誰が知ってる?」
「それは飯田が全部話しますわ」植木は神谷に言うと、飯田に向かって「ちゃんと話しや!これは約束やでぇ」と言った。飯田は植木の言葉に頷きはしなかったものの目で答えた。
「ほな、そろそろいかせてもらおか…」
植木はジャケットを脱ぎ捨て、広い肩幅を露にする。そしてゆっくり神谷に歩み寄り、一度足を止め、「よくもまぁ小倉を殺してくれたなわれぇぇい!!」と怒りと体重の乗った大振りの右ストレートを放った。それを見ていた全員が完璧に植木の右ストレートが神谷にヒットしたと思った。が、現実はそうではなかった。相手はかつて死神と恐れられたヒットマン。そう簡単には攻撃を当てさせない。植木の右ストレートは神谷の頬をかすめただけだった。植木はすかさず体勢を変え、続けて左フックを放つ。神谷はこれを肘で受け止め、同時に腰からナイフを抜き出し、植木の首にねじ込んだ。
「ぬちゅ……」っと耳障りの悪い音が鳴り、植木は首に手を当てながらその場に膝をついた。言わずもなが首からは大量の血が流れ落ち周囲の組員達はあまりにも呆気ない結末に騒然とした。周囲が静まり返った中、神谷は「別に殺しても良いんだろ?」と言った。植木は「あ…あう…あっ…!」と首を押さえながらもがき倒れた。
「おい」
突然の神谷の呼び掛けに半数以上の組員の体がビクッとした。
「中野はどこにいる?」神谷は他の組員を無視し、視線を真っ直ぐ飯田に向けた。だが飯田は言葉を発する事はせず、倒れた植木に歩みより「兄貴……」と植木の頭を抱えた。神谷は飯田に近寄り、後頭部にコルトをそっと当てた。
「もう一度聞く。中野はどこだ?」
「中野は常に会長の側にいる。今、会長は自宅に帰らないで市内のホテル三ヶ所を転々としている状況や。ホテルの名前と場所はこれや」飯田は一枚のメモを取り出し、神谷に手渡した。
「毎日この三ヶ所のどこかには帰ってる。中野も一緒や」
神谷はメモを受け取り、中を確認した。そこには大手三社のホテル名と住所が記載されていた。この三ヶ所を張っていれば中野と出くわす。ようやく手掛かりを掴んだ。
神谷は聞きたい事が聞けたのでもうこの場に用は無くなった。そして目の前に立ち尽くした組員の一人に「送ってくれ」と声を掛けた。声を掛けられた組員は「えっ?」と一度飯田の方に目をやったが、飯田が「送ってさしあげろ」と指示を飛ばしたので「どうぞ」と止めてあったミニバンへと手招きをした。
神谷が後部座席に乗り込むのを確認すると、運転手の組員が「では、動かします」とゆっくり車を発進させた。ここでようやく神谷は緊張の糸が切れた。今回は本当にまずい状況だった。植木が倒れて、もし飯田が俺を殺すよう仕向けてたらさすがに俺でもこの人数相手には対処しきれなかったであろう。動揺が周囲にバレない様に演じていたが危なかった。神谷は安堵から少し笑みがこぼれた。ルームミラー越しに運転をしていた組員と目が合い、笑みを浮かべる神谷を気味悪がっていたのが見え見えだったがもうそんな事はどうでも良くなっていた。