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魔族が暮らす洞窟の奥で、僕は相も変わらず墓に向けて祈る。横には魔族の皆がいる。墓を見ると様々な気持ちが込み上げてくる。おじいちゃんの墓、王都にそびえたつ墓、そしてこの墓。これらは歴史なのだろう。亡くなっていった者たちを忘れまいとする、ある種僕が縋り付いているものと同じなのだ。祈りを終えて魔族の皆を見る。神妙な面持ちをしており、とてもではないが、この洞窟から逃げないのか、とは言えなかった。
「皆は人間との共存を願ってるみたいですけど、もし人間が約束を破って攻めてきたらどうするんですか?」
「うーん、考えたくないけど、その時は全面戦争だろうねぇ」
戦争、それはむせ返る程の血の匂いが蔓延する戦場を舞台に繰り広げられる、殺戮と言って差し支えないものだろう。戦争自体は嫌だけど、嫌だ嫌だと言い続けて回避できるものでもない。理不尽というのはいつその身に降りかかるのかは予測できないのだから。
「じゃあ、折角なので特訓をしませんか?」
「特訓?何の特訓をする気なの?」
「それは勿論、命を奪う特訓ですよ」
「!」
僕の言葉にリフィーアが驚く。だが命を奪う特訓をしておかないと、いざという時に体が動かなくなる。戦場では一瞬の硬直が命取り、それは痛感した。冷酷なようだが、この世界では命が軽い。気持ちの整理がついていないのかまだ動揺している魔族の皆を尻目に、洞窟にある武器になりそうなものを探していく。剣や鶴嘴は長い間使われていなかったのだろうか、所々に赤錆が出ている。それを見て感慨深くなる。人間と魔族の衝突というものが昔のものという事が読み取れるからだ。だが、いつまでも平和の風に身を任せてもいられない。
「武器は一応使えます。洞窟から少し出て、生き物を探しましょう。森からは出ないように気を付けて」
「・・・本当に強かになったねぇ」
「信じられないわ。リューがこんな性格だったなんて」
洞窟を出て率先する僕の背後から、彼らの声が聞こえてくる。僕も最初はこんなつもりじゃなかった。一人で出来ることなぞたかが知れていると何処か悟った風で、その癖おじいちゃんとの約束を守るためだけのある種惰性での付き合いだった。それが今や危ない橋を渡っているという自覚はあるのに、彼らに深入りしてしまう。有難迷惑?感謝の押し売り?うまく言葉に出来ないが、彼らを見殺しにすることだけは出来ないという事は確かだ。僕の手は伸びたのだろうか、目の前で死に行く弱者を救えるだけのゆとりは生まれたのだろうか。分からない、この質問の答えなど分かる人はいまい、未来は不確かだからこそ、無理筋が通る隙間があるのだから。
「あ、丁度あそこにバステルがいます。あのバステルで特訓を・・・あれ?なんか見たことあるな」
「当たり前だ、あれは俺の足だぞ」
「あっ、兵士さん。また会いましたね」
「また会いましたね、じゃねぇよアンタ。何でまだこの森にいるんだ、それに後ろには魔族がいるじゃねーか」
「やぁやぁ密売人さん、よくも今まで足元を見てきてくれたねぇ」
「もう私たちにはリューがいるから、お生憎様」
バステルは密売人である兵士の所有物だった。魔族に届けるための大量の荷物を、バステルに運ばせているのだ。今はバステルは森の中をのしのしと散歩しており、兵士が少し後をついて行っているという感じだ。
「何してるんですか?」
「見たらわかるだろ、こいつの散歩だよ。いつも重い荷物を持ってもらってるからな、リフレッシュだ」
「見た目に反して意外と几帳面なんですね」
「・・・魔族もそうだがアンタも大概毒舌だよな。まぁいい、動物ってのは人間みたいな傲慢な心はない。特にバステルみたいな草食動物だと基本的に臆病だし、出来る限りストレスをかけちゃダメだ。負荷をかけたままだと、動物が可哀想だろ」
「そういうものなんですか?」
「そういうもんだよ」
そう言って兵士は少し間をおいてバステルを眺める。その目つきはクラーク砦でダハウィに向けた敵対の目つきとは180度異なるもの。人間と動物、言葉は通じないはずなのに、兵士はしっかりとバステルの体調を管理しているようだ。それに応えているのか、バステルも兵士から離れすぎないようにゆったりと歩いている。心のゆとりが確かに存在しているのが見てわかる。
「ダハウィがクラーク砦を攻めてきたとき、あの場にアンタたちが居なかったらおそらく砦は落ちていた。アンタたちはすげぇ、だが俺にはもっと驚いたことがあった」
兵士がポツリポツリと話し始める。それはとても小さい声で、僕にはただの呟きに感じ取れた。
「暴走していた魔物を止めるなんて、俺には考えつかなかった。剣を向けるべき魔物に対して、アンタは手を差し伸べたんだ。とてもじゃないが真似できねぇ」
「僕も最初は剣を向けてましたよ。ただ、別の道が拓けただけです」
「それでもだ。あれがあったからこそ、周りの兵士たちも隊長への不信感が募ったところもあったんだ。アンタ、才能あるよ。俺とこのバステルはもう長い付き合いになるが、アンタは初めて出会った魔物との衝突を避けたんだ」
「・・・結局何が言いたいんですか?いくらおだてても、これからはぼったくりはさせませんからね?」
「チッ、無理か」
兵士の舌打ちに後ろで魔族の皆が呆れる。兵士は冗談だと軽く笑って、最後に一言。
「種族の垣根なんかねぇのかな」
それは兵士が自分自身に言い聞かせるかのようだった。そのまま兵士はバステルとの散歩に戻っていく。一匹と一人が適度な距離感を保ちながら、しかし離れる事無く森の中に消えていく。僕は彼が呟いた最後の一言が妙に頭に残っていた。
「結局なんだったんだろうねぇ」
「よく分からないわ」
「・・・魔族の皆さん、先ほどの兵士とバステルを見ても、まだ命を奪う特訓を続ける覚悟はありますか?」
「え?う、うーん」
「正直、あれを見た後で生き物を殺すのは難しいわ」
「僕はあります。なんせ戦場帰りですから」
魔族の皆の心は揺れ動いていたが、それに対して僕は一貫して特訓が必要だという考えを崩さなかった。ただし、命を奪うというのは、彼らが理解しているように苦痛を伴うものだ。何か心の拠り所が必要となる。出なければ、ただ単に己の心を壊すだけに他ならない。
「皆、バステルを町で買ってくるので、そのバステルを殺しましょう」
「おいおいリュー君、さっきバステルを見たばかりなのにそれは酷くないかい?」
「バステルはやめとかない?」
「いいえ、バステルだからこそ意味があります。動物だって生きている、感情の一つもある。それは見てわかったでしょう?だからこそ殺すのです。ここで逃げたら、人間との全面戦争が起きても逃げたままですよ?」
「それはそうだけど・・・」
尚も踏ん切りがつかないリフィーアさんに、僕は言葉を続ける。
「その代わり、殺したバステルは皆で食べます。感謝の思いを込めて、美味しくいただきます。命を奪うのは大変な事ですが、大事なのは何故命を奪うか、です。答えは全て、魔族のため。人間との全面戦争もこの気持ちで挑まなければいけません。今日バステルを殺すのも、来るべき戦争に備えるため。魔族の未来のために一つの命を奪う、その覚悟が大事です。そしてその覚悟を忘れないためにも、そして生命への感謝を忘れないためにも命を食らう。それが大事だと思います」
気付けばヒートアップしていた。最初のきっかけというのは非常に大事でありながら、不安定な怖さを併せ持っているのだ。何をするにしても、踏ん切りをつけるためには大層な御託や何か特別な理由付けが必要になる。僕の場合はイスファ=リアの牙で殺すことで、命を奪う行為から目を逸らした。だが、今日人間と動物の絆を見て、目を逸らしてはいけないと思い知った。自分は知らないというふりを続けていれば、いつか茨の道から逃げ出して平凡な道を歩き続ける事になる。僕は心を鬼にして彼らの覚悟を試すことにした。




