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「グルルルル・・・」
精神干渉の魔法をかけられたダハウィが正気を失った眼で僕を見つめる。帝国の駒に成り下がった気高き砂漠の王に対して、僕は友の形見を向けるのみだ。覚悟を決めろ、ここは戦場だと自分に言い聞かせる。殺すか殺されるかの世界に生きているのだ。
「グルァ!」
先に仕掛けたのはダハウィだった。鳴き声と共にただ単純に右足を振り下ろす。巨躯から繰り出されるその単純な踏みつぶしは当たりさえすれば致命傷を免れないが、しかし遅い。ダハウィは死の淵に立っていない。精神を操られて、生存本能さえも失っているのだ。生き物というのは死がそこまで迫ってきたときに、ただ生きたいという一心のみで力が引き出される。それは手負いのガル達を殺した時に痛感した。あれが生に焦がれるというものなのだ。
「ふっ!」
ダハウィの鈍重な攻撃を避けてカウンター気味にイスファ=リアの牙をダハウィの右足に突き刺す。しかし、ダハウィの堅固な皮膚に邪魔されて牙が深くまで刺さらない。これがダハウィが見通しのいい砂漠で生き残るために進化した、最適な姿なのだ。木々がないから上からの奇襲を気にする必要はなく、砂漠の中に潜っている魔物から身を守るために固くなった足の皮膚は、並大抵の攻撃では破ることは出来ない。
(強い・・・)
ダハウィの攻撃はよけることが出来るが、僕も決定打がない。このままジリ貧になれば間違いなく僕が負ける。いくら体力をつけたとはいえ、相手は砂漠を生き残れるほどのスタミナを持っている。不味いと思ったのがいけなかった。一瞬の油断が命取りになるという戦場の鉄則を、僕は暫しの間忘れてしまっていたのだ。気付けば眼前に広がるダハウィの体躯。体の反応が間に合わず、タックルに吹き飛ばされる。
「ぐはっ……!」
壁に激突して、肺の空気が全て外に出る。全身に激痛が走り、足に力が入らない。無意識のうちに再生の魔法を自分にかけるが、とても再生が間に合わず、目の前には倒れ付した僕を見下ろすダハウィの姿。
(まだ死にたくない、いや死ねない・・・。体中の魔力を捻りだす勢いで、なんとかしてダハウィを止めないと・・・あれ?)
死に物狂いで魔力を集めると、僕は違和感に気付く。魔力はもう心もとないと思っていたのに、僕の体内にはまだ魔力が残っていたのだ。湯水のごとく魔力を使って傷の回復に努めても、すぐに魔力は回復する。僕の体は一体どうしてしまったのだろう?しかし、今は思考をそんなことに割くことは出来ない。すぐに防御の魔法を展開する。
「グルァ!・・・アァ?」
全力で僕を押しつぶそうとしたダハウィが、己の足の下に僕がいることに気付いて首をかしげる。何度も足を振り下ろすが、僕を押しつぶすことは出来ない。防御の魔法は大量の魔力を必要とするが、どんな攻撃でも防ぐことが出来る。しかしダハウィはそれでも執拗に僕を攻撃する。最早まともな思考は出来ないのだろう、焦点のあってない両眼を見て、僕は何とも言えない気分になる。まるで壊れたオモチャみたいにダハウィは同じ行動を繰り返す。どれくらいそれが続いただろうか、僕が自分の魔力残量に疑問を持ちはじめた時、転機が訪れた。
「その足をどけやがれぇ!」
「ぬぅ、ダハウィの皮膚は固いんだな」
「リューさん、大丈夫ですか!?」
何故か少し懐かしい声に思わず顔をあげる。すると目に飛び込んできたのは、一時前に僕が確かに置いてきたはずの友情の徴。皆は僕とは違うと思っていた、英雄に憧れているわけではなくただの冒険者と故郷を愛する人たちだと思っていた。だから、悩みの種を自分から断ち切ったのだ、足かせになると信じ切っていたのだ。それが蓋を開けてみればどうだ、なぜ彼らは僕に背中を向けて、ダハウィを前に武器を構えていられるのだ?なぜ震えることもなく、切っ先をダハウィの喉元に正確に向けることが出来るのだ?なぜ、無言で、何も言わずに・・・
「こ、怖いです・・・」
「バカヤロー、だから言ったじゃねぇか足手まといだって!臆病者は引っ込んでろよ、怪我しても知らねーぞ!」
「リクが一番の臆病者だと思うぞ」
「俺様は臆病者じゃねぇ、ただ向こう見ずでもねぇがな」
「私は臆病者ですが、受けた恩は返さないと・・・。ここでリューさんを見殺しにしたらきっといつか後悔するから」
「俺は金さえあればそれでいい、ついでに命もあるといいかもな。さぁ、誰も死ぬなよ」
「ったりめぇよ」
「・・・はい」
いや、彼らを美化しすぎたかもしれない。ただ、彼らの人間臭さがひどく眩しく感じる。結局、僕は誰かに助けられてばかり、英雄を目指してもその夢はかなわず、むしろ自分が危機に立たされる。パテンさんとの約束さえ忘れかけて、ここが墓場だと覚悟を決めていた。でも、それらは全て無駄じゃなかったと信じたい。彼らが楽しそうに話し合う、そのきっかけの一つでも作れたのなら。本音はどうであれ、彼らが僕を追いかけてきてくれたのだとしたら。空回りも悪くはない、周りに波紋を広げているのだから。
「皆・・・助かりました」
僕は小声で感謝の言葉を紡ぐ。それが彼らに聞こえたのかは分からない。僕からは背中しか見えなかったし、返事もなかったから。その無言が心地よかった。




