灰色の世界
灰色にしか見えなくなった世界でも、生き続けようとする私は何がしたいのだろうか。
世界が黒以外の色を灰色にした時に、私も灰になるべきだったのに。気づけばまだ呼吸をしている。
誰か生きてる人がいるはずだと旅を始めた。先なんか無いのに。先は全て灰色だ。
見上げても灰色の空が目に映るだけ。海を見ても灰色がうねっているだけ。
「嫌になっちゃうね」
独り言が漏れる。もしかしたら言葉には出てないかもしれない。
「誰かと話すとき困っちゃうなあ」
美味しそうには思えない水を口に入れる。今さら味なんかどうでもいい。
空からたくさんの種が降ってきて、人はあっという間に消えて行った。落ちてきた種は人に寄生し、人を灰色の煙にしていった。
煙に見えたのは小さな小さな植物だった。一つの種から数えきれない数の植物になる。
やがて、人は消え世界は灰色の植物に覆われた。私は種に寄生されなかった。
寄生されなかった私以外にも人はたくさんいた。でも、人から生まれた植物はまた人へ移り数を増やしていった。気づけば私以外はいなくなっていた。
「なんで私だけ残ったのかなあ」
植物は確実に私にも寄生した、なのに私は人のままだった。
無数の人だった植物を踏みつけ歩く。
植物に覆われた建物は、短い時間で崩れていった。腐敗能力でもあるのだろうか。
見渡せるようになった世界。物が無くなった世界。色が無くなった世界。
「誰かいないのー?」
答えに期待などしていない。これは私の生存報告なのだ。
「いるぞ」
唐突にする声。
私の声は失われていなかった。
「どこですか?」
「ここだ」
下からだった。人がすっぽりと入れるくらいの穴があった。
「引っ張ってくれないか?滑って上手く上がれないんだ」
四十代くらいの男だった。
手を伸ばすと掴まり上がってくる。肩が痛い。
「助かった、すまねえな」
男は私より二十㎝ほど身長が高かった。
「まさか生きてる人がいるなんて思わなかったぜ。あのままあの穴でくたばるのかと覚悟してたところだ」
「私も人がいるなんて思いませんでした。いったいいつからあの穴に?」
「さあな?人がいなくなって、気づいたらあの穴にいたよ。夜も朝もねえから時間がどれくらい経ったかなんてわかんねえ」
私も時間など気にしていなかった。どうでもいいと考えていた。
「一人じゃないってわかっただけでちょっとほっとしました」
「そうだな。俺もそう思うよ。とは言ってもすぐに別れちまいそうだけどな」
「どうしてですか?」
「こんな世界なんだ。いつ何が起きてもおかしくないだろ?」
「たしかにそうですね……」
今死んでもおかしくないと思える自分がいた。
「なんで俺達は生きてんのかねえ。他の人間はいつの間にか灰色になっちまったのに。嬢ちゃんなんか悪いことしてたか?」
嬢ちゃんと呼ばれるのは少し抵抗があった。私ももうすぐ二十歳だった気がする。
「いえ、特になんにも無い平凡な人間でした。えっと……おじさんは?」
名前も知らないしお兄さんという年齢でもない気がした。
「俺は元の世界なら悪人だろうな。強盗、詐欺、殺人、他にも色々やってた」
今じゃ懐かしい過去だ、と寂しそうに言う。
「へえ」
「怖がらないのか」
「殺してくれるならむしろ喜ぶべきかなと」
おじさんは笑った。大きな声で。
「たしかに、ここで生きてても何も嬉しくねえな。生きる価値がねえ」
「私の生きる目標も無くなりましたし」
「目標?」
「人に会うことです」
「ああ、なるほどな。それは悪いことをした」
そして、おじさんは笑った。
「さて、どうする?このままさらに進んで三人目でも探すか?」
「それはなんかめんどくさいですね。歩くのしんどくなりましたし」
目標を達成した時点で動くことが嫌になった。
「それならどうだ?殺し合いでもしてみるか?どうせ生きてても何にも意味がないんだから」
「そうしましょう。私一度人を殺してみたかったんです。私が絶対負けますけどね」
武器も無い腕力勝負で勝てる見込みなんか無かった。
「よしそれじゃあ始めるか。最後の生き残りを賭けて」
おじさんが私の前に立つ。
私が手を伸ばし、おじさんの首を絞めようとする。それはすぐに逃げられ、代わりにおじさんの手が私の首を絞める。
倒されどうあがいても逃げられない。
息が吸えなくなり、段々と意識が薄れていく。
ああ、やっと灰色を見なくてすむのかと思うと嬉しくなる。
目を閉じ、死を待つとふっと首にかかる力が消える。
どうしたのかと目を開けると、目の前には灰色の空。
起き上がり辺りを見回す。誰もいなかった。
私の上にたくさんの灰色が散らばっている。
「そっか、おじさんも灰色になったんだね」
私を助けてくれるはずだった善人のおじさんも植物になった。
「目標は達成したはずなのになあ」
私はまた歩き始める。
誰かが救ってくれると信じて。