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第二話・「庶務と閑話休題」

「予算は足りてるんですよねぇ」

「はい、財務長官の一件で捻出できましたからな。人員も問題なし。騎士団の協力も御座いますし」

「でも水路は・・・」

「・・・ですなぁ。クシャタラナト様はどちらかと言えば気難しい気性の聖獣。説得は難しいかと」

「いっそのこと黙って上流から工事を行ってはいかがです?」

「そんな、駄目ですよシュナさん。黙ってやるなんていけません」

「は、はい、失言でした」

 リィエルの執務室にて。会話しているのは席に着くリィエルと、机越しのハンネル宰相、シュナ親衛隊長。共に文官と思しき部下を引き連れており、膨大な量の書類を持参して来ている。

 王国議会が滞り無く終了し、今年度の政務予算の全てが決定。リィエルの戴冠式もつつがなく終了し、晴れてリィエルは国王としての職務に従事する日々が始まった。

 大勢の予想通り、リィエルは庶務全般においても非常に明晰な頭脳を発揮してくれた。そも、政治のなんたるかをやるよりは幾分か、細々とした事業を処理するほうがリィエルの性分には合っているように見えた。なにせ数字や学術的が絡むほぼ全ての公共事業に関する書類に手を触れるだけで内容を理解し、的確な指示を下すのだ。逆にその指示を受けて行動する各部署の方が指示が余りに的確かつ素早いので目の回る思いだという。

 そんな中、ある懸念事項が浮上した。

「最初から整理してみましょう。何か思い付くかもしれません」

「ふむ」

 リィエルは目の前に置かれた数々の書類束をぺらぺらとめくり、箔板はくばんという一種のノートにインクでペンを走らせた。この箔板というのは、硬度の高い金属箔を滑らかに表面加工した木の板に張り付けたもので、ごく一般的な文房具の一つである。紙は製造が難しいため高価すぎるのだ。一方で箔板は、インクを水洗いして何度も使えるという大きな利点を持っている。

 目の前に広がる書類も公文書の一部として清書されたものなので、いずれ城下にある公文書館に保管され秘術による保存がなされるのだろう。うかつにインクを落とさないよう、リィエルも気を遣っている。

「まず、先日のシュエレー神山の一件で発生した多量の土砂ですね。これを除去して、山肌がこれ以上崩落するかどうか調査を行い、必要なら補強工事をする、と」

「国土庁の技官や王立学院の学芸員によれば、目測ですが補強は必要ないとか」

「きれいに剥離しましたからねぇ。でも、わたしも同意見ですけどやっぱり調査くらいはしないと。万が一ということもあります」

「ですな」

 ハンネル宰相は既にリィエルに対して子ども扱いするような態度を一切見せなくなっていた。ことリィエルの普段の生活においては年齢そのものが幼いためそのように接することもあるが、政務に関する対話においてはリィエルを練達した識者であるかのように振舞っている。

「それから・・・わたしの術で乾燥してしまった農耕地帯の土壌ですか。・・・これをもう一度耕して農場に戻し、緑化を行うためには、どうしてもたくさんのお水が要りますねぇ」

「であるからして、水路を造る必要はどうしても御座いますな。まさか手桶で川から運んでくることなどできますまい。井戸を掘ろうにも、これも土が深く乾いてしまったため無理、と。技官に言わせれば通常よりずっと深く井戸を掘ることができれば水源に当たるかもしれないとありますが・・・」

「前にも言いましたが、土が乾いている状態で地下水脈を汲み上げるのには反対します。土壌の密度がこれ以上変わると危ないと思いますから。平地ならまだしも、不安定な山の斜面ということもありますので」

「・・・なるほど。しかし、それならばやはり川から水路を引くことになりますが」

「そうですねぇ・・・なんとか、泥水が出るのを抑えられれば説得できるかしら?」

「難しいでしょうなあ。何せ川上で簡単な漁をするのも禁じた方です。今回の崩落で流れ込んだ土砂でも、どれだけ立腹しているか容易に想像がつくというものですな」

「困りましたねぇ」

「・・・・・・まあ、出来ぬものは仕方ありません。説得か別の方法を模索するかは後に保留するとして、他の作業計画もご確認を」

「うーん・・・他といっても、後は焼けたり埋まってしまった穀倉と苗倉の対策ですね。どうしましょう」

「一応、この城にも予備の備蓄として農作物の種は保管しておりますが、とても今年の農作業に足る量とは言えません。麦や芋を始め作物のほとんどは農民らが大半を引き上げて退去していたため少なくとも今年の食料に困ることはありませんが、来年以降は収穫が途絶えることになりますな。牧草が無いため、同じく引き上げた家畜の飼育もままなりません。既に飼料を切り詰めている状態とか」

「うーん・・・・・・」

 大きく唸り声を上げてリィエルはそれきり眉をひそめて黙り込んでしまった。

 つまり、先日のシュエレー神山崩落の一件、あれが及ぼした影響はその崩落そのものに留まらず、リィエルが用いた術の被害も含めて二次被害が散発したのだ。その主なものに農地の焼失が上げられる。

 フィルラント王国の農業は、国の北部、つまりシュエレー神山の麓に位置する広大な斜面においてを中心に展開される。収穫物は黒麦、大麦、芋、葉野菜、寒さに強い果物が少し。収穫量は王国の食卓を賄い、2~3%が余剰して備蓄できる程度にしかならない。

「塩害について調査したところ、これに関しては無事とのことです。農民によれば水を撒いた際に注意すべきとありました」

 三次被害について調査隊を編成したのは、騎士団と王国軍の一部を預かったシュナである。王の身辺を警護する親衛隊といえども、平時は騎士団と同等の扱いを受けて行動する場合が多い。というより、騎士団も平時は多種作業に従事する王国軍と同等に扱われる。

 独自権限を有し活動できる騎士団ではあったが、フォガリ騎士団長に言わせれば「どの道訓練ぐらいしか今のところやることがありません」というわけで、北部に練兵所や兵舎を構える軍の一員として焼け爛れた農地の麓で訓練する気にもなれないのだろう。

しまマメの備蓄はいくらほどあります?」

「十二分に」

「では手配をお願いします。石橋を走って渡ることは今は避けましょう」

「は。そのように」

 縞マメとは、海の沿岸部に自生する豆類の一種である。塩分に強い耐性を持ち分解して栄養とする植物で、これを栽培し塩害農地を塩抜きする手法は古くから存在する。名前の由来は見た目のまま、樹木の年輪のように種子の表面が縞模様になることから。

「これでしばらくは縞マメを食べずに済みますわね」

 三者の紅茶を注ぎながらレアがこぼし、いけないと思いつつも全員が苦笑した。縞マメはその性質から塩分を蓄積し、その分解物も溜め込むためとにかく苦く、不味い。調理法によっていくらか食べやすくできるとはいえ、城の調理人をして「専用の鍋を毎年用意させてください。あれを料理した鍋で他の材料を調理したものを陛下に出せません」と言わしめる代物だった。そして王城に暮らす皆には不憫なことに、こういった塩害対策で必須となる作物だけに王城には常に備蓄が置かれ、毎年その量を減らすこともないために王城の者がこれを食して消費するはめになる。リィエルも貧しい食事に慣れた舌を持つに至る過去があれど、この豆を初めて食べた時には表情を凍らせたほどである。

 農地復興が急務であるこの時に「食べたくない」などと言えないが、それでもなおこの豆はひたすら不味かった。滋養は多いと聞くが。

「数少ないフィルラント原産の作物も、あの味では・・・」

 ハンネル宰相ですら眉をひそめる脅威の穀物、それが縞マメ。が、今では世界中で栽培され、塩害対策に用いられる重要な農作物である。この国の功績としては大きい。せめて焼却や肥料、飼料に用いることで処理できるものならなお良かっただろうに、焼いても海に捨てるしかなく、土中に埋めると再び塩分を発生させ、飼料にするにも家畜すら食べるのを拒む。

「・・・・・・ところで、今日の夜のご飯は・・・」

「・・・・・・縞マメが献立に上がっていましたね」

 リィエルの確認にレアが答え、二人してげんなりする。既に王城でも食べる物を選び、農地再生の目処が立つまではこの調子らしい。

 縞マメはお薬、縞マメはお薬、と口の中で呟くリィエルは甘い茶菓子をかじっているのに苦々しげだ。

「もういっそのこと今度縞マメをたくさん持ってきてください。秘術士は薬師でもあります。わたしが薬草として使えるか研究を!」

「政務があるので駄目です。是非にというなら王立学院に依頼しましょう」

「・・・・・・うぅ、わかりました」

 にべもないハンネル宰相である。いかなる時にも冷静さを見失わないのは彼の美徳だが、この限りにあってそれが恨めしい。

「南部市街に退去している農民らも、家が残っている者は帰還を始めました。家が埋まった者についてはこちらで対処しておりますのでご心配なく。この他に鉱山との運搬路が絶たれたためフォーダムレフテ市職人街で少々揉めたようですが、輸出品目の相場をやや上昇させて職人らには生産頻度を落とすよう通達しました。隣国も相場変動には復興支援として納得を頂いております」

「エンケルダとトルパトルには戴冠式の招待状を送る暇もありませんでしたね。その内にご挨拶に伺ってもよいのでしょうか」

「それはもちろんでしょう。追って両国に通達しておきます」

 エンケルダ国は西の隣国。トルパトルは東の隣国である。国交はあり、フィルラントとは秘術士の育成やフィルラントの誇る職人の作成する道具類の流通、対して食料など生産物や材木の交易のやり取りがある。商魂逞しい商人らには三国間の相場に沿って年中歩き回る者も居る。無論、軍事同盟も結ばれている。

「・・・・・・既に、命令が下れば工夫工兵共にいつでも作業に取り掛かれる状態です。土砂の除去は先日から既に始まっておりますが、本格的な工事はまだ一切手を付けておらぬ状況。いかがなさいます?」

 ハンネルが言外に言いたいことは分かっている。リィエルが答えるべき言葉も分かっている。だが、二人とも表情は渋いままだ。

 先に言及されていたが、この案件の最大の障害となっているのが、東の守護聖獣、水竜クシャタラナトだった。

 フィルラント王国東方の国境に指定されたシュエレー神山から注ぐ河川は平原にてき止められ、そこそこ巨大な湖沼を形成している。これに住まい国境の守護者として水竜クシャタラナトとフィルラント王国は契約しているわけだが、この水竜がとにかく気難しい性格だった。

 先日の神山の崩落の際、リィエルは土砂を受け流すべく河川へと大量の土砂を流し込んでしまったが、これがいけなかった。クシャタラナトは突如上流から流れてきた濁流に憤怒し、二度とこのようなことがあれば自分は国境の守護契約を破棄するとまで言い放って湖底に引き篭もってしまったのだ。以来数日、彼は誰の呼びかけにも応えないまま。その言葉通りなら、河川工事でどうしても発生する泥水を目ざとく見つけ、彼は本当に守護の契約を破棄しかねない。

 唯一行っていない可能性としては、まだリィエル本人がクシャタラナトに直接面会を申し出ていないことが上げられる。王国議会からこちら、戴冠式や庶務の処理、加えてレアからは遠出できるほどにないと静養を求められ、リィエルは城外に出ることすらできないでいる。しかし、このままでは埒が開くはずもなく、時間の流れに任せられる問題でもない。

「わたしが行って、もしもクシャタラナト様が応えなかったら・・・」

「その時は手立てが尽きますな」

 一言、リィエルが行くと言えたら楽だろう。しかしそれは可能性を論じるに過ぎず、楽観的に過ぎる。無論聖獣クシャタラナトも国家と契約し居場所を確保しているため、王たるリィエルの懇願に応えないとも思えない。が、聖獣は王の下にあり臣の上にあるもの。保障や交渉材料も無く赴いては両者の関係に溝を生みかねない。既に溝はあるが、深まる危険性を冒すほどの理由が今は無い。聖獣を失うことは国力の数割を失うに等しいからだ。隣国との関係が良好でも、例えば災害など聖獣の力を借りる場合もある。

「うーん・・・」

「むぅ・・・」

 どうしたものか。リィエルとハンネルはまた唸って黙る。

「アールカイン様に助力を頼むというのはどうでしょう?」

 シュナが思いついて言うが、リィエルは首を横に振った。

「駄目です。先日もお世話になったばかりですし、それにカインさんはこういうことで頼みごとをしても、きっと不愉快に思うでしょう。わたし、カインさんに怒られるのは嫌です」

「左様で・・・」

 ちょっぴり拗ねたようなリィエルが微笑ましく物珍しかったが、シュナはそんな考えを抑えて自分に出来ることはないか考え続けた。が、そうそう急に妙案が浮かびはしない。

 西の守護聖獣、巨大鳥アールカインとリィエルは親しく友誼ゆうぎを結んでいるそうだが、シュナは今でもこれが信じられない。聖獣とはそうした存在であり、国家と共にあれど一般に親しげに接するような存在ではないのだ。リィエルの交友関係こそが異端と言える。

 じきに雪解けの季節になる。本来水量が増えればそれだけ農業用水を引き浄水を通して国中は冬の渇きを潤すものだが、あの水量が流れる川を工事するのは無謀すぎる。今が最も良い時期なのだ。

 土地は乾いたが、やがて雨が降り風が種を運び自然に土壌は回復するかもしれない。が、それには一体何年を要するのだろう。一年やそこらであれだけ乾燥した土地が潤うとも思えず、その間に国は飢えることになる。

「レアさん・・・」

「・・・お気持ちはわかりますが、駄目です。どうしてもと言うのであれば、もっとお食事を頑張って食べてくださいまし。陛下があんまり小食なのでコックが嘆いておりました。それで体力が付けばお外へ出て構いません」

「でも、あんなに沢山食べきれないです。すぐお腹が一杯になってしまいます」

「お体が小さいので当然ですが、それでも陛下は健啖けんたんとは言えませんよ。偏食が無いのも良いことですが、パン一つにスープ一杯、少し多い時で肉の一切れ程度ではあまりにコックが哀れです」

「・・・サエラが最近太ったと言っていたのはそれが理由か・・・」

 リィエルの残した食事をつまんだらしい。

「あと一皿、頑張ってみましょう陛下。栄養不足で倒れられては困ります」

「・・・はい」

 結局、会議はリィエルが長時間外出できるまでに体力を付け、クシャタラナトに直接面会する。これで結論となった。

 ついでにサエラには後にレアより直々に処分が下される方向で決定したことも追記する。


「んっ・・・・・・ふぁぁ・・・」

 ハンネルとシュナが退室し、レアも紅茶を淹れ直して来ると給仕室へ行ってしまいリィエルは珍しく一人きりになった。椅子に腰掛けたまま猫のように背を伸ばし、大きく欠伸をついて机に上体を投げ出す。ひんやりと冷たく、疲れた頭に心地よい。

 時刻は昼下がり。茶菓子で腹も多少膨れ、根を詰めて考え事に没頭していたこともあり疲労がある。

 高価なガラス板で覆われた窓から日差しが投げかけられ、リィエルの背が温もって気持ちよかった。そのまま今度は椅子の背もたれと手すりに寄りかかり、うとうとし始める。

 暖炉は煌々《こうこう》と明るく、部屋を暖める。

 まどろみの中でもリィエルは思考を止めず、何かよい方策が無いものか考え続けていた。しかし、今回の事例に関してはいっそシンプルな物事だけに解決方法が限定されすぎる。先ほどの決定通りにやるしかないなら、レアの言いつけを守って今日から晩餐は多く食べるようにしなければ。

 薪がパチリと音を立て、火の粉が煙突に吸い込まれる。



 ドアがノックされる音でリィエルは目を覚ました。失礼します、とレアの声。足音が一つでないので、サエラも来たようだ。

「あら、お目覚めですね」

「え?わたし、どれくらい寝てましたか」

「半刻ほど。先ほどは失礼を」

「??」

 あらいやだ、とレアは軽く噴き出した。

「申し訳ございません。いえ、先ほどはノックもせず入室しましたので」

 なるほど、とリィエルも笑った。レアが温かい湯気の立つ茶を持ってきたので、リィエルは執務机を離れて窓際の小さなテーブルに着いた。

「サエラ?」

 これまで一言も喋らずドアに立っていたサエラに、リィエルは声を掛ける。どうしたのか、サエラは目を泳がせて小さく「はい」とだけ。

「どうしたの?」

「いいんです陛下。サエラには少々お灸を据える必要があります」

「・・・・・・レアさ・・・じゃなくて侍従長~」

 やっとサエラが泣き出しそうな声を出した。ああ、と納得しリィエルは破顔する。先ほどの一件だろう。

「だから一緒に食べましょうっていつも誘ってるのに」

「ほらぁっ!ほらレアさん、リィエル様もこう言ってくれてるじゃないですか!」

 対するレアは片眉をひそめた。硬質な無表情が特徴的な彼女だけに、こういう表情はかなり怖い。

「午後のお茶を同席するまでは、私も許可しましょう。陛下にも休息の時間は必要です。しかし、晩餐では何を求められているか、私が毎晩のようにお教えしているでしょう。それとも?サエラにも陛下と同じくテーブルマナー始め楽しい楽しいお勉強を受けていただきましょうか。私にはサエラがあの授業を真面目に聞くとは思えませんが」

 サエラがうげっ、という顔をしながらリィエルを見た。リィエルはその視線に苦笑で応える。

 サエラが晩餐に同席したことが無いため知る由も無かったが、晩餐時にはリィエルはレアからテーブルマナーの講座を受けつつ、平時は一人で、そして時折は大臣らと会食しつつ政治の勉強も兼ねながら過ごすことになっている。日中は忙しい大臣が多いため、これは旧来の慣習としてリィエルも納得していることだった。もちろん、子供らしく夜の早いリィエルを考慮して会食なども短時間で済ますのだが。

 知識においてリィエルは傑物だが、今後王族として振舞うための洗練された仕草や言葉遣いなど、各種マナーはごく基本的なものしか備わっていなかった。恐らくそれはリィエルの母ミュシェが教えたのだろうが、良い下地にはなっていてもそのまま放置するほどレアは甘いメイドではない。立ち居振る舞いの全てを監修し、一端のレディーとして教育するのがレアに任された最大の仕事である。手を抜けとも言えまい。

「どうしますか、サエラ」

「うう、遠慮しときます・・・」

「分かればいいのよ。それと、つまみ食いなんてはしたないこともお止めなさい」

「はぁーい・・・」

 しょんぼりするサエラの頭をよしよしと撫でるリィエル。二人して笑い合い、レアも口の両端を持ち上げながら紅茶をカップに注ぐ。

 午後の空いた時間、最近では今のようにリィエルに近しい側近らがこの執務室でリィエルを中心に歓談するのが通例になりつつあった。それは誰が言い出して決めたことでもなく、ごく自然に。ただ、この広い執務室にリィエルが一人ではあまりに寂しいだろうと誰ともなく心のどこかで気付いていたのかもしれない。

 その通例に従い、ドアが再びノックされる。どうぞ、とリィエルの言葉に扉を開けたのはやはりシュナだった。

「通達を済ませてきました。調査団以外は通常のまま城内警護と、土木作業の補助を行わせます」

「はい、結構です。シュナもこっちに来てお菓子を食べましょう」

「いただきましょう」

 引き締めた表情がやや緩む。リィエルのためと誰も言わないのは、この集まりが自分自身の安らぎの場でもあるからだろう。なにかとストレスの溜まりやすい立場にあるシュナとレアは特に、この部屋に居る時こそ最もくつろいでいる様子だった。

 和やかな午後の時間が流れる。窓の外を見て陽が翳り始め、急に冷えてきたのでレアが暖炉の薪を足した。サエラがリィエルのためにと毛糸のケープを持ってきて、シュナはといえば執務机の上を整頓していた。

 そろそろ陽が傾く頃か。リィエルはつらつらと思考を巡らせながら、ふと窓の外に見える建物に目を留めた。

「そういえば、あれは官舎でしたね」

「え?ああ・・・そうですね。横にあるのが家族寮、それに・・・」

「ずらっと並んでるのがメイドやなんかの借家ですね~。私んちは反対側なんで見えないんですけど」

「そうなの。でも、サエラはこのお城に住み込みですよね?」

 きょとんと尋ねたリィエルに、サエラは頬を掻きながら答える。

「あ・・・いや、その・・・まあそうなんですが」

 ふぅ、とレアが息を吐く。

「まだ名義を変更していないのね、サエラ。何度も催促しているのに」

「いやあ、母さんの名前のほうがお給金とか諸々がそのあの」

「サエラはわたし付きのメイドなんですから、相談してくれたらわたしのお小遣いからちゃんとお給料を出しますよ?」

 昨年、シャルテ王と王妃が遭った事故の際、サエラの母も同じ馬車に乗っていた。九死に一生を得たが両足にひどい怪我を負い、以来自宅にて療養しているという。代わりにサエラがメイドに昇進したが、そもそもサエラは以前から城内で手伝いをしていたためそこらの新人メイドより遥かに使えるというのがレアの評。リィエルも、出自に難があるだけに気安く接してくれるサエラの存在はありがたく、心強い。長く勤めてきたというサエラの母と比較しても、サエラの地位は今や無視できるものではないのだ。

「お母さまを大事にしてるのね、サエラは」

「い、いやリィエル様にそんなこと言われたら・・・ねぇ?」

 気恥ずかしいらしい。目を泳がせて照れるサエラが可笑しくて、リィエルはくすくすと笑った。

「あ、そうです。レアさん、この後の予定は?」

「この後は晩餐まで空いています。どこか行きたい場所でも?」

 リィエルはサエラの手を握って満面の笑みを浮かべた。

「はい。サエラのお母さまのお見舞いに。いいでしょう?」

 サエラが慌てた様子を見せたが、レアはなるほど、と思った。窓の外を確認して、天気と距離を見る。暖かくして手を引いて歩けば問題はあるまい。典医の言葉では体力を付けると同時に適度な運動も行うようにとあったことだし。

 レアの僅かな目線にシュナも頷いた。

「いいでしょう。私たち全員でお供しますが、よいですね?」

「はい。お願いします」

 一方で急なことに狼狽するサエラは、リィエルの手を振りほどくわけにもいかず立ち尽くす。

「いやそんな、ウチなんて陛下のお目汚しになっちゃうって言いますか、その、べ、別にお見舞いなんて大それたことしなくても母さんぴんぴんしてますし、ええとあのぅ」

「・・・どういうことなんだ、レア?」

 サエラの態度を不審に思ったシュナ。リィエルもレアの顔を見上げている。そのレアは心なしか楽しそうだった。

「サエラ・ウォセット・レーレン。聞き覚えは?」

「?・・・ああ・・・ああ~・・・なるほどなあ」

「どういう意味です?」

 リィエルが聞くと、レアはいたずらっぽく茶目っ気のある微笑みで返した。が、その返答はシュナから出る。

「サエラの母、レーレン婦人と言えば城内で有名なメイドでして、私も世話になりました。レアの直接の上司だったのですが、これが厳しい方で」

「鍛えられましたわ。もの凄く気配りの利く方で、言い換えればどんな小さなミスも見逃さない、そんな女性でした」

「私も怒鳴りつけられたことがあります。無論、私に非があったのですが・・・」

「基本的にあの方は間違ったことは言わないのよ。シュナも勉強になったでしょう?」

「そうだな、ふふふ」

 思い出に花を咲かせる二人とは対照的に、退路を絶たれつつあるサエラは本気で嫌そうな顔をしていた。

「やめましょうよ~、陛下連れて行ったりなんて」

「どうして?わたし、会ってみたいです。サエラのお母さま」

 得心のいったシュナがいじわるそうな笑みでサエラを見た。普段とは形勢が逆転し、サエラは怯む。

「サエラは陛下の前で母上から怒鳴られるのが嫌なんだろう?」

「うっ!」

「あの方なら間違い無くやりますわね」

「うう・・・」

「大丈夫ですよサエラ、わたしが付いてます」

「ひぃぃ・・・・・・」

 もはや退路は無かった。レアが外套を用意し、リィエルはサエラの手を握ったまま離さず、シュナの先導で四人は部屋を後にした。



 王城は広く小高い丘の頂上に聳え立ち、その丘の麓をぐるりと城壁と柵、そして水を張った濠で囲まれている。麓にある外門と城門まではかなりの距離があるが、斜面には無数の建物が並び、さながら一つの巨大な宮殿のように見える。

 建物の多くは城仕えの役人や侍従、その他兵士など城内関係者が居住し、円形に立ち並ぶ屋敷は小さな都市としても機能していた。城下町に対して言うなれば城内町としようか。これら建造物は王城の一部と見なされるものであり、所有者はもちろん国王、リィエルである。

 これだけの規模で人々が住まうため、城内町には認許を受けて出入りする商人が店舗を持ち開業している場所すらある。しかし街並みは古くに形成されたこともあり景観は統一され、木造を基本とした茶色の屋根が上品さを保つ。欠点として、全包囲の景観が似るため慣れた者でないと迷い易いというところか。これは王城内の建築基準に準ずるものでもある。

 リィエル達一行は念を押してと同行した数名の兵士に守られつつ、道を知るシュナに先導され町の一角へ赴く。そこには他の大きな集合住宅などに隠れるように、可愛らしい庭付きの一軒家が鎮座していた。

「いい家よね。シュナは来たことがあるのかしら?」

「何度かな。レアもだろう?」

「他にも結構来てますよ。母さんの趣味です。お二人も母さんの魚介パイを食べたんでしょ?」

 既にげんなりとしているサエラがリィエルの両肩に手を置いたまま言う。これに、そうそう、と二人の女性は頬を緩めた。他に、護衛の兵士の数人までもがごくりと喉を鳴らす。よほど手広く客を招くのが好きなようだ。

「あれ、美味しいのよねえ。レシピを貰えなくて残念だわ」

「料理長もそんなことを言ってたな。隠し味がどうしてもわからないとか」

「へ~ぇ?隠し味とかあるんですかね。ずっと食べてますけど知らなかったです」

 珍しく少しむくれ気味なのはリィエルである。一人、その魚介パイなるものの見た目も味も知らない。

「わたしも食べてみたいです。ああ、でもお見舞いに来たのでした・・・」

「そうですねぇ、それに最近は作ってないみたいです。足が悪いんじゃ料理も難しいみたいですから」

「残念です・・・」

 さて入りますか、とサエラが鬱屈としたまま庭の門に手をかけた。木製の小さな柵が小気味良い軋みを鳴らし、後ろにぞろぞろと一行が続く。

 そこで横合いから声をかける者があった。

「おやサエラ、久しぶりの実家ですね」

 優しげな男性の声に振り向くと、そこに立つ白髪の紳士。声色とは裏腹にギリリと引き締まった顔の皮とがっしりと盛り上がった両肩が特徴的である。それでいて全体的には細身の印象を受ける、形容するに剛槍のような外見である。表情だけがにこにこと柔らかい。なかなか異様な外見的特長を持つ御仁であった。

「あら父さん、お買い物ですか」

「そうなんだ。それで・・・おや?・・・なるほど。しまったな、急いで片付けないと。先に入っていますよ」

「はーい」

 携えた布袋はぎっしりと詰まっており、買い物と言ったが何を買ったのか窺い知れぬ風体。その袋を軽々と持ち上げ、どうぞこちらへ、と手招きしてくる。そのまま唖然とする一同を尻目に家の戸を開けて入ってしまった。

「今のは・・・」

「父さんですよ。シュナさんは会ったことあるんじゃないですかね」

「・・・あ、ああ」

 さあどうぞどうぞとサエラが言うので再び一行はぞろぞろと進む。サエラが少しお待ちをと言い残して家に入り、ややあって中から賑やかな喧騒が聞こえてきた。部屋の片付けを始めたらしい。

「シュナ、どなたなの?」

 くい、とシュナの袖を引くのはレア。視線は背後の兵士へ。どうやら護衛の兵達もあのサエラの父という男性を知っているらしいのか、そわそわと不穏な表情だった。

 問われたレアは、信じられぬといった顔つきだった。

「いやそれが・・・千人長なんだ、彼は。王国軍軍団長麾下弓兵大隊の指揮官。宰相閣下の下で実務を担当する三人の千人長の一人だ・・・・・・と、思うんだが」

「も、元とかよね?」

「いや、現職なんだ。功績あって先々代国王陛下から子爵位を授与された、れっきとした貴族だぞ。なんでこんな所に・・・?」

「うそ・・・・・・」

 背後の兵士に目線で確認すると、彼らもまた引き攣った表情で頷いた。思えばあの男性、官給品の防寒コートを着ていた。

 リィエルがきょとんとし、大人達の反応をなんだか面白いことが起こっているらしい、程度に捉えて微笑む。サエラの家族、一体どんな人たちなのだろうか。

 それから待つことしばらく。傾いた太陽が落ちていくように動き、空が茜に染まり切った時刻。

 待っていたのは実時間でそれほどにならないが、急な冷え込みが体感を狂わせた。まだかしら、とリィエルも少々寒そうだ。

「すみません遅くなりました。もういいです、どうぞぉ!」

 袖を捲くり上げ息を荒げ汗を流すサエラが皆を呼び、一体どれだけ散らかっていたのだろうと嫌な憶測が流れる。

「居間に物を置きすぎなんですよね、んもう」

「うふふ。それじゃ、お邪魔します」

「はいどうぞ。狭いとこですけど」

 入る前にシュナが指示し、護衛の兵士らは家の外を囲んだ。それほど時間を取る予定ではないので、寒空の中に長々と待たせることもない。それに人数もやや多いので、交代で休息してよいと伝えてある。近隣には寮住まいの者のための食堂や茶店もある。

 二階建ての、傍目には小さな家はやはり古い軋みを鳴らすドアをくぐらせ、童話に出てくる森の家のようにも思えた。

 サエラの背からひょいと横に目を向けると、思いの外広い暖炉付きの居間、奥には台所が見える。階段で二階に通じ、他にはほとんど仕切のないという面白い空間があった。居間の中央、暖炉の傍には低いテーブルとソファ。どちらも結構な人数が着けられる大きさである。

 暖かい中の空気に触れ、一行はほっと息をついた。サエラの指示に従い、めいめいに外套を脱ぐ。

「かわいいおうちですねぇ」

「えーそうですかね?まあ、他の家とは造りが結構違うのは知ってますけど」

 などと言いつつも、サエラもほんのり照れている様子を見せた。はにかんだような顔をしたまま、皆をソファに座らせる。

 暖炉の灯で体を暖めていると、台所にいたのかサエラの父が顔を覗かせた。

「それじゃサエラ、母さんを手伝ってあげてください」

「はーい。って、父さんがご飯作ってるんだ?珍しいね」

「そうかい?まあ、母さんの代わりにですね。最近はしょっちゅう戻って来ていますよ」

「そうなんだ。それじゃ私もそうしようかな」

 なんだかな、とシュナとレアは顔を見合わせた。リィエルが、このフィルラント王国の主が訪問してきているというのに、この気安さはどうだ。まるで単に友人を招いただけのようなサエラ一家に、二人はむしろ落ち着かない。見ればリィエルだけが、本当にただ友人の家に遊びに来た子供のように、楽しげな顔で周囲を見回していた。

「急にお客さんだなんて、この子ったらたまに顔を見せたと思えば・・・」

「だからっていきなりゲンコツはないでしょー!」

「お黙りなさい。まったく服も着替えずに。よいしょっと」

「・・・大丈夫?」

 賑やかな言い争いは二階から。階段を苦労して降りてくる足音が聞こえてきた。

「あたたたた・・・そこの、帽子掛けの横に杖があるから、取ってちょうだい」

「これ?」

「そうそう。よいしょ・・・はぁ~、階段を降りるのも一苦労だわ」

 リィエルが立ち上がった。

「それで、お客さんっていうのは・・・」

 次いで、シュナとレアが立ち上がる。

 サエラの肩を借りて杖を突くのは、表現として失礼ではあるが、少しばかりふくよかな女性だった。サエラよりも背が高く、言うなれば逞しい雰囲気の快活な婦人である。顔をみれば皺も無く健康そうだが、両足の包帯が部屋着のスカートの裾から垣間見えた。まだ添え木が取れないのだろう。歩くのも辛そうだった。

 サエラの母。その目が、まず背の高いシュナとレアを見た。数ヶ月ぶりの知己の顔に懐かしむ笑みがこぼれ、そしてその二人に挟まれて立つリィエルを見た。

 始め、彼女はリィエルが誰なのかわからなかったのだろう。だがリィエルはこの大柄な女性に申し訳なさそうに眉尻を下げ、労るように足を見て目を合わせる。この少女は何故、初対面でこれほど泣き出しそうな顔をするのか。

 そして、この国の新王がどういった人物なのか、彼女は夫と娘から聞かされていた。

「あ・・・ああ・・・!」

 杖が手を離れ、床に甲高い音を穿つ。

 驚くサエラの手を掻い潜り、杖を拾おうとしたリィエルの前へ、彼女は走り寄った。足に激痛が走るのも一切構わずに。そしてまろぶように膝を折り、リィエルの両手を握り締め、懺悔の涙を流した。

「申し訳ございません、申し訳ございません!陛下・・・ああ、なんてこと・・・陛下に合わせる顔など無いというのに!こんな・・・!」

 リィエルの手を引き、彼女はその豊満な胸元に少女を抱きしめた。

 急な展開に驚き、女性の胸元に顔を埋めるリィエル。きょとんとしていた彼女は、やがて女性の服を掴み、顔を沈め、声を殺した。

 カムラ・テレグス・レーレン。先代王妃付きの専属メイド。あの事故の日、カムラは王と王妃の乗る馬車に同乗していた。その事故が原因で、彼女の両足は重症を負い不自由を強いられている。だが、彼女はそれ以上の傷を抱えた。

 新王は10歳の少女。シャルテ王の隠し子であり、父と同じ日に母を失い、孤独と飢餓に臥していたところを救助された。そして先日のシュエレー神山の一件でも、民を守ろうと命を賭した。

 この少女を、この余りにも過酷な運命にたたき落とした責任の一端は自分にある、と。

「いいんです。サエラのお母さま、いいんです、もう」

 リィエルは目に涙を湛えながらも、気丈に笑顔を作りカムラに声をかける。慰めの言葉にカムラは首を振り、いっそう強くリィエルを抱きしめた。彼女もまた、リィエルの痛みを知っていたから。

 抱きしめてくれる人が居ないのは、子供にとってどれだけ辛いことか。なまじ賢しいリィエルなら尚の事。

「シュナ、貴女も。よく耐えたわね・・・偉いわ、ずっと辛かったでしょうに」

「え・・・そんな、私は・・・」

「いいのよ、我慢しなくても。貴女のことはちゃあんとわかってるから」

「・・・・・・」

 言われてシュナは俯いた。そう、カムラとシュナは境遇をほぼ同じくする。あの日目の前で王を失ったという痛み。職責を全うできず、しかし感情に委ねることを許されない。

「・・・私は、涙してはなりませんので」

「・・・・・・そうね。貴女は、そうよね。ごめんなさい、シュナ」

 いえ、と言うシュナだが、見透かされた痛みに耐え兼ねて目を背けた。

「シュナ・・・・・・」

 レアが気遣うようにシュナの肩を叩く。シュナは苦笑して、やや赤らんだ目尻で、それでも涙粒を落としはしなかった。

 リィエルがゆっくりとカムラの胸から顔を離す。彼女もまた涙を流してはいなかった。だが、カムラの着る服の胸元は確かに濡れていて。

「足の具合はどうですか。お加減は悪くありませんか?わたしにできることがあれば、言ってください。わたし・・・わたしは、大丈夫。お城でみんな優しくしてくれて、毎日ご飯が食べられますし、シュナさんもレアさんも、サエラも仲良くしてくれます。わたしばっかりこんなに幸せなんじゃ、おばさまが辛そうにしている方が心苦しいです。ですから、どうか泣かないでください。わたし、大丈夫です」

 カムラは驚いて目を見開いた。居間の様子に涙ぐんでいたサエラの父も、このリィエルの言葉に喉の奥でぐっと低い音を鳴らし、震えながら跪いていた。

「・・・・・・娘は、サエラはどうです?失礼を致しておりませんか?」

「ええと、いいえ。いつも私を楽しい気分にさせてくれます。大切なお友達です」

 ちょっぴり言葉に窮したリィエル。サエラが「なんでちょっと詰まったんですか!」と苦い表情で、リィエルは笑顔を浮かべた。

「サエラ」

「あ、はい」

「陛下を、この素晴らしい女王陛下を、きっとよく守り、よくお世話して差し上げなさい。絶対に怠るようなことがあってはなりません。仲良くしてくださるのなら結構なこと。陛下のお力になれるよう、一生懸命おつとめなさい」

「・・・はい、母さん」

 よろしい、とカムラは言って立ち上がった。涙を拭い、優しく力強く微笑んでみせる。サエラの差し出した杖を掴んで、空いた手でリィエルの頭を優しく撫でた。

「ごめんなさいね陛下。突然こんなこと、失礼致しました」

「いいえ。ありがとう、おばさま」

「ふふ・・・・・・さあ、それじゃもうしばし座ってお待ちくださいまし。丁度いい日にいらしたわ。主人に手伝ってもらって一昨日から下拵したごしらえを始めていたの。お口に合うとよいのだけれど」

 サエラの父が立ち上がり、再び台所の奥へ向かった。戻った時、彼は大きな皿に乗った巨大なパイを両手に抱えていた。

 わっと小さな歓声が聞こえた。シュナとレア、そしてサエラだ。リィエルは、ならあれが件の魚介パイかしら、と興味津々にその大皿を見た。

「父さんが作ったの!?」

「半分くらいです。母さんが細かく指導してくれてね。簡単な料理なら私も作りますが、こればかりは母さんの得意料理ですから」

 言いながら置かれた巨大なパイは、なるほど魚介パイと言うだけある。色とりどりの貝類とイカ、魚の切り身、それに彩りを添える野菜が上面を飾り、この匂いから察するに魚肉とキノコ、ハーブなどを練り合わせたすり身がぎっしり中に詰まっているようだ。香ばしい、芳醇な香りが部屋を満たした。パイ生地は程良く焼き上がっており、栗色の焼き色が見目美しく、それでいてふんわりとよく膨らんでいる。生地の練り方一つから、見た目だけで相当の熟練を要する仕上がりであることは疑いようもあるまい。

「我が家自慢の魚介パイです。昨日までに準備していた最後の一枚がやっとさっき焼き上がったのよ。さあみんな座って。あなた、切り分けてくださる?サエラ、食器を用意してちょうだい。前掛けもね。熱いうちにいただきましょう。急いでちょうだいね」


 リィエルは、その貧しい過去から基本的に好き嫌いなど出来ない。それ以前に自然の恵みに感謝を捧げる日常であったタナック家では、母ミュシェ共々どんな食材でも料理して食べる習慣があり、偏食は一切しないように育てられた。が、問題はあまり量を食べられなかったことである。彼女の胃は体躯に比例して小さく、極めて少食ながら長時間の労働にも耐える体が作られてしまっていた。これでは、逆に沢山の食べ物を詰め込もうとしても胃が拒んでしまう。体に合った食事というなら、リィエルには少量で足るのだ。

「陛下はちょっとお痩せすぎね。骨はしっかりしてらっしゃるようですし、筋肉もあるみたいですが、長く歩いたり運動する分はともかく、急な運動や力仕事は苦手でなくて?」

「は、はい。分かりますか」

「それに疲労が溜まりやすいでしょう?一度疲れると体が休まるまで時間がかかるんじゃないかしら」

「当たってます・・・」

 カムラの言葉にリィエルが驚いてこくこく頷いた。レアも、医師と相談した内容にぴったり当てはまる言葉を聞いて驚く。確かにリィエルの体力について懸念していたが、こんなにすぐ分かるほど深刻だっただろうか。

「王妃様の専属でしたからね。あの方も体の強い方ではなくて、しょっちゅう病に悩まされておりましたの。だからその内に簡単な健康診断ならできるように・・・そうそう、それに陛下は少食でいらっしゃる?駄目ですよ育ち盛りなんですから。美味しいものをお腹いっぱい食べて大きくならないと。ご公務にも差し支えるというものですよ」

「はい・・・でも、すぐにお腹いっぱいになってしまうんです」

「あら、でも私のパイはペロリと平らげてしまわれたじゃないですか」

「・・・あ、あれ?」

 見ればリィエルの皿はもう空っぽになってしまっていた。他の皆も似たようなものだが、リィエルがこれほど食が進んだところを今までリィエル自身でさえ見たことがない。

 カムラがにっこりと笑うので、なんだか照れてしまってリィエルはごまかすように口元を前掛けで拭った。

「普段はあんなに少食なのに・・・」

「あっはは、レア、そりゃあそうでしょう。陛下のお年頃でお城住まいならそんなことだろうと思いましたよ。陛下はまだお城の堅苦しいお食事に慣れていらっしゃらないのね」

「・・・そうかもしれません」

 リィエルは頬をピンクに染めながらも、自分でも驚くことにもう一切れ、パイに手を伸ばした。サエラが手伝って皿に盛りつけてくれる。

 本当に久しぶりに、リィエルは普通の空腹感を覚えていた。あの飢えとは違う、口の中が唾っぽくなる感覚だ。まず、それほどにこの魚介パイは美味しかった。それに、皆で食卓を囲む団欒だんらんの一時が嬉しくて、楽しかった。

 フォークとナイフで丁寧にパイを切り分けると、白身のすり身からじわりと汁が流れ出る。これが底のパイ生地に染み渡り、かつサクサクした食感が少しだけ残り、口の中いっぱいに頬張るとハーブの香りがすうっと喉の奥から鼻へ流れ、舌の上にすり身のふわりとした食感が乗り、口全体にキノコと貝の旨味が広がった。食べるほどお腹が空いてしまう、そんな味わいに皆酔いしれる。

「すごく美味しいです。こんなに美味しいもの、初めて食べました」

「まあまあ、そりゃお世辞ですよ。陛下が知らないだけで、もっと美味しいものが世の中にはたくさんあるもんです」

「そうなのですか。でも、わたしこれ、好きです。とっても美味しいです」

 リィエルが心底満足げに言うのでカムラも目を細め、そうですか、と嬉しそうなに微笑んだ。甲斐甲斐しくリィエルの口元を拭いたりしながら、カムラはふう、と息をつく。

「・・・レア侍従長」

「あ、はい?なんでしょう」

 レアも夢中になって魚介パイを頬張っていたため、呼び止められて慌てて皿を置いていた。その隣に座るシュナはまだ食べている。

「これは、本当はサエラか夫に頼んでお城に持って行って貰おうと思って焼いたんです。お世話になったから、と。・・・侍従長、サエラはまだ私の名義でお給金を受け取っているのでしょう?」

「ええ、そうです。お望みなら、まあ多少処理が面倒ですが、そのままでも・・・」

 と、レアはリィエルを見る。リィエルも口を休めてカムラの顔を見上げた。

「構いませんよ。サエラはよくしてくれますし、咎めたりしません」

 しかしカムラはくすりと笑って、首を横に振った。

「いいえ、そういうことではなく。そう・・・実は、お暇をいただこうと思うのです」

 ハンカチで上品に口を拭って、シュナも皿を置いた。サエラとその父だけがまだ食べ続けている。

「この足ですし、サエラもようやっとお城勤めができるようになりました。ですから、もう引退を申し出ようと考えていますの。サエラはこんな娘ですけど、黙って親孝行してくれるとってもいい子ですし、夫の稼ぎも十分あります。よい機会なので、そのようにしてくださいまし」

 思わぬ言葉にサエラが驚愕の眼差しを母に向け、そして顔を真赤にして俯いてしまった。

 レアはカムラの目をひたと見据え、何か考えている。口を開いた時、ふっと小さく微笑んだ。

「それは・・・確かに理解できます。ですが、秘術治療は?完治するはずです。お歳もまだまだでしょうに」

「いいえ、これは戒めです。自然に治るのを待つつもりです。罰と言うのはおこがましいけれど、私はあの日を忘れられない。きっと粗相をするでしょう。これでも今までお皿の一枚も割ったことが無いのが自慢なんです。どうか、レア侍従長」

 懇願するような口ぶりだったが、カムラの瞳は訴えるような表情ではなかった。レアが既に心を決めていることを、カムラは察している。

 リィエルは少々残念そうな顔だった。だが、レアが決めることだろうと口を挟まずにいた。

「そんな、母さん」

 サエラだけが食い下がった。長年、子供の頃から母の後を付いて回って城の中で過ごしたのだ。今は母の代わり、と公言もしている。

「それより、サエラを正式にメイドとしてお仕えするよう取り計らってくださいますか。どうせこの子ったら、私の代わりだからなんて言って少し適当にこなしているんでしょう?」

「うっ、す、鋭い・・・」

 さすが、サエラの母である。娘の行動など把握できて当然といった風だった。

 レアはちらりとサエラを見て、リィエルを見て、それからカムラの目をもう一度見据えた。

「・・・そう、そうですね。それがよいのでしょう。名残惜しいけれど、サエラの名前で登記をしておきましょう。いいわね、サエラ」

 急なことでサエラも動揺する。母に何か言おうと口を開くが、言葉は出ない。言い分は母が正しい。自分のはただの駄々でしかない。

「・・・・・・はい。それでいいです」

「ごめんね、サエラ。貴女に相談もしなかったからびっくりしたわね。怒ってるかしら?」

「ううん、怒ってないよ。母さんが決めたことだし、そうしたかったんでしょ?私は尊重する」

「・・・ありがとう、サエラ」

 では、とレアが自分の皿を持ち上げながら言った。

「ではサエラ、明日からそのように再登録しておきます。陛下、許可はいただけますね?」

「もちろんです」

「ありがとうございます。そしてサエラ」

「は、はい」

「今まではカムラ・テレグス・レーレン婦人の代理として雇用していたため、貴女の職分は陛下の専属仕え、それに雑務に限定していました。が、明日以降は他のメイドと同じく一般業務や来賓の接客などにも参加してもらいます。よいですね」

 サエラの顔が凍りついた。

「・・・・・・・・・あの・・・・・・え・・・?」

「厳しく指導していくので一日も早く仕事を覚えて陛下のお役に立てるよう、頑張りましょう」

「頑張ってください、サエラ」

「頑張りなさいサエラ。母さんは隠居してのんびりさせてもらいます」

「ん・・・ああ、頑張るんだぞサエラ」

 シュナは三枚目のパイを平らげるところだった。

「そ・・・そんなぁ・・・」

 弱々しいサエラの悲鳴が聞こえて、陽は地平線に沈む頃になろうとしていた。


「まさか子爵閣下がレーレン婦人の夫だとは露知らず・・・あの、失礼なことを色々と申し上げたことがあるような無いような」

「ははは、いいんですよ親衛隊長殿。よくあることですから」

「そうですよシュナさん。父さんの名前知ってます?レーベン・レーレンっていうんですよ」

「・・・・・・あああ!レ・・・ああ!そ、そうか・・・しまったぁ・・・」

 さて陽も落ちたことだし、とリィエル達は立ち上がり、帰りがけの軽い世間話。台所ではレアがカムラを手伝って例の魚介パイを大量に紙で包み風呂敷に詰めている。護衛の兵に持たせて城に届けるよう、先ほどシュナが外に伝えていた。

「レーベン子爵だとか、レーベン千人長という呼び方は知っていたのですが!ああ、も、申し訳も・・・」

「レーベンがお名前でレーレンが苗字なのです?あら、似てるんですねぇ」

「そうでしょリィエル様。ほんと、紛らわしい名前ですね父さんは」

「いやあハハハ、面目もない」

 ん?とレアとリィエルが同時に気づく。目線はサエラの顔へ。

「あれ?なら、サエラは子爵さま・・・じゃない、子爵令嬢ということになるのですか」

「おいおい、聞いてないぞ」

 そうなるんですかね、とサエラは頬を掻く。

 爵位は王が臣下に、功あった時などに特別に授与する独立した位である。貴爵、准爵、老爵、子爵の四階級。爵位は爵領地と同時に与えられ、これらは貴族院によって記録、管理されることとなる。貴族院は一種の公文書館。記録は国家が続く限り残り、財産となる。また、爵位は子へと相続されるものとなる。

「ゆくゆくはサエラに子爵位を継がせることになるんですかね。領地はこの庭付きの家だけですけれど」

「どうせならもうちょっと大きな・・・いや、まあここでもいいのかな。欲が無いねえうちの一家は」

「あっはは、まあまあ。蓄えもあるし、サエラは若いうちに好きなことをするといい。父さんと母さんは応援するよ」

「またいつもの放任主義なのね。うう~、本当にいじわるなんだから」

「お仕事、頑張るんだよ。サエラ」

 レーベン子爵、もといレーレン子爵という名は、シュナなど軍人の筋では有名な名前である。

 先々代国王の時代に王の武芸指南役として王城に仕えた若き武人の物語。二人は歳の離れた友であり、やがて王はこの武人によって命を救われることになる。

 遠征先でふとしたはずみから王は狼の群れに囲まれ、これを武人はただ一人助けに駆けつけ、十本の矢をもって十五頭の狼を射る神業をして王を守った。王は彼を称賛し、平民の出であった彼に爵位と領地を与える。しかし武人は控えめに、王をお守りできるよう門内に僅かな土地と家を求めた。

 つまり、このフィルラント王国においては英雄と称される一人である。今なおその腕前は健在で、軍内でもその訓練と任務は最も過酷とされる弓兵隊を指導し、高い練度を保っている。宰相の信頼も厚いと聞き、フォガリ騎士団長でも彼の話をしたことがある。

 その英雄が今、娘にぽかぽかとぶたれ苦笑しながら妻と侍従長の手伝いとして大きなパイの包みを受け取り、それを家の外の兵士達に渡しながらくれぐれも落とさないようにお願いします、と腰も低く丁寧にお辞儀まで添えて兵士らの顔を見事に引き攣らせている。シュナはいっそ呆れて脱力せざるを得なかった。なるほど、人の噂に誇張は付き物。実力は確かなのだから真実がどうあれ問題あるまい、と。

「ごちそうさまでした。あの、いずれまた遊びにきてもよいでしょうか?」

「ええ、もちろんですとも陛下。またパイを焼いて待っていますよ」

 若干遠慮がちなリィエルに、カムラは快活な笑顔で遠慮することなどないと説いた。折り目正しくリィエルはお辞儀をし、夫妻に手を振って別れを告げる。二人もまた手を振り、それはリィエル一行が道の角を曲がって姿が見えなくなるまで続いた。

 レーレン夫妻に見送られ、暗くなった道をリィエル一行はのんびりと歩く。談笑しながらの食事とあって気付かなかったが、皆急に満腹感を思い出したようだ。

「うっぷ。久しぶりなんで詰め込みすぎましたね。大丈夫ですかリィエル様」

「うふふ、こんなにお腹いっぱい食べたの、初めてです。こめかみの辺りがちょっと痛くなるんですね」

「急に冷えたのもあるでしょう。さあ、早く城に戻るとしましょうか」

 レアの手を肩に添えられ、リィエルは彼女に寄り添うように歩いた。

 城の南辺りは城内町でも特に家族寮の多い区画で、サエラの家ほど小ぢんまりではないがそれなりにまとまった、小奇麗な一戸建てが軒を連ねている。城下の貴族街や商人の屋敷の並びに比べれば派手さは無く、どれもほぼ同じデザインをした建物。色調までも統一され、確かにこの道を歩くのは迷うのに注意したほうがよさそうだとリィエルはつらつら考えていた。

 ふ、と思いつく。

「もう一軒、少し遠いのですけど、寄りたいところがあります。よいでしょうか?」

「場所によりますが・・・夕食も済ませましたし、どちらへ?」

 す、と指で示すのは城の北東。夕闇が広がってもわかる、味気ない官舎街の辺りである。

「おすそ分けです。ペリュークさんとウィバルさんの様子を見に行ってみませんか」

 シュナがぽんと手を打った。レアとサエラは渋面を隠さなかったが、苦笑いで応える。

「ははあ、気に病みますか」

「いえ、そういうわけでは・・・ただ、ご挨拶をと思ったのです」

「気に病んでいる顔ですよ、陛下。まあ、更迭以降の財務長官達の様子も気になりますし、よいのでは」

 変なことを考えますね、とサエラはやや呆れ顔だった。

 先日のシュエレー神山の一件前後において、リィエルが調査させ判明した罪状により、ペリューク・ヤカラボ財務長官とウィバル・ランデミス外務長官は本来死刑になるところを、温情により財産没収、減給、そして官舎への転居が命じられた。長年の不正による自業自得であり、リィエル自身がこれら裁定を見せしめであると示してのことでもあって、以来公務員や役人の職務連携は格段に向上していると報告が上がっている。

「そういえばあの人達、ここ最近お姿を見かけませんね。リィエル様のとこにも来てないでしょう?」

「ええ、それもあって。担当のお役所の書類決済が溜まってるみたいなの」

「へぇー」

 護衛の兵士が持つパイの包みを一つ受け取り、半数は城へ戻ってよいとシュナが命じた。命じられた兵士らは立ち上るパイの芳香に待ちきれないようでも、リィエルの護衛という役目を継続できないのが残念そうでもあった。そして残る兵士らはその逆、名残惜しそうにパイを見送り、リィエルの護衛が続けられるからまあいいかと納得するような。

 冷えてきたこともあり、レアとサエラに挟まるようにしてリィエルを歩かせた。シュナが先導し、背後には三名の兵士。

 陽が落ちた直後は星が見えていたのに、今は空を見上げても黒一色。どうやら曇ってきているらしく、天候を鑑みてリィエルも足早になる。

「・・・あれ、今・・・門が開く音がしませんでした?」

 ふとリィエルが振り返り南を見る。が、街灯の明かりの向こうは逆光で見えず、首を傾げたのみに留まった。吹いてきた風の音だったのだろうかと思うことにして、また歩く。



 王城で働く者は一般的に官舎の一室を与えられ、家族のある者は申請すれば家族寮を宛てがわれることになる。レーレン家は元々家族寮住まいだったが、寮舎をそのまま改築してかの一軒家を現在の居としている。とはいえこれは例外で、ほとんどの者は一時住まいとして官舎を利用するに留まる。無論、自宅を有するなら一部役職を除き自宅からの通勤が認められる。

 ペリューク・ヤカラボは商家の出自で、ウィバル・ランデミスは移民三世の同じく商人の家系らしい。両者ともフィルラント市街、王城に近い南部の市街の一角に屋敷を持つ豪商であり、つい先日まではそこから通勤してきていた。今、その両方の屋敷は中にある多くの調度品や家具、美術品に至るまで全て政府によって接収され、屋敷は手入れをされ維持されるが財産のほとんどは競売にかけられ売り払われることに決まっている。これにあたってリィエルは、どうしても手放せない大切なものは個々に引き上げてもよいと伝えてある。二人は感謝したが、いくつか金品など本来なら没収対象になる品物も持ち出しているらしい。

 なるほど、それを売った金はかなりの額になるのだろう。官舎の一つに赴いたリィエルらは、そのロビーにあるサロンでやけに高級そうな絹のローブに身を包み酒を酌み交わし談笑する二人と鉢合わせた。

「へ、陛下っ!?な、どうしてここに!」

「こ、これはですな・・・」

 シュナのため息が聞こえた気がして、リィエルは自分のため息のタイミングを失ってしまった。

「随分と、悠々自適なご様子で。財務長官、外務長官?」

 レアの猫撫で声が皆の背をぞわりと撫で上げ、またリィエルは何か言おうとして口を半開きのままレアを見上げた。

 こほん、と可愛く咳払いをしてリィエルが一歩出る。

「こんばんわ、お二人とも。今日、サエラの実家に行く機会がありまして、おすそ分けを持ってきたのですが」

「は、はい!いや、あの、それはどうも・・・」

 上ずった声でペリュークが狼狽し、ゆったりと背をもたせていたソファから勢い良く立ち上がる。膝がパキッと音を立てた。

 男性用の官舎ということもあり、ロビーから見上げれば吹き抜けの一階、二階ともに官舎住まいの男性らが驚いてこちらを見ていた。皆王城で働く役人であり、当然この珍客らの顔を見知った者達である。一様にぎょっとした空気が流れ、ややあってドタバタと走る音が聞こえた。リィエルへの挨拶もそこそこに、皆身なりを整えに向かったのだろう。女性の目の無い所とはかくもむさ苦しいのが常である。

「男だらけのわりに結構綺麗ですねー。お金の使いどころ分かってる人は嫌いじゃないですよ私」

「サエラ・・・少しは自重しなさい」

 レアがこめかみを指で抑え、それを見てまたにやりと笑うサエラ。何が面白いのか、先ほどから不敵な笑みを顔面に貼りつけたまま周囲を眺めている。彼女を知る役人も居るので、彼らはサエラの視線を苦笑しつつも嫌そうに避けていた。

 ともあれ、リィエルの御前とあってペリュークとウィバルは畏まってお辞儀をする。

「突然来てしまってごめんなさい。長居することはありませんから、ご容赦くださいますか」

「め、滅相も。こんなむさ苦しい男所帯ですが、お好きなようになさってください」

 相変わらず謙虚なリィエルに逆に恐縮してしまう二人。先日の裁定が下って以来、ペリュークとウィバルは行いを改め、なによりリィエルに対する忠誠は非常に深まった。眼前の少女はただの子供と侮ってよい存在ではなく、既存の王侯並みに見るなどとないがしろな扱いをできない人物である。そう彼らは認識している。

「シュナさん」

「はい。お二人とも、これを。レーレン婦人の焼いたパイです」

「官舎のみなさんとご一緒にどうぞ。おすそ分けですから、遠慮は無用ですよ」

 急にやって来てよい匂いのするパイの包みを渡す我が王に、二人はむしろ動揺を深めた。一体何が目的なのだろう。まさか先日引き上げた金品について追求されるのだろうか。はたまた別の、あずかり知らぬ事情か。

 と、ここまで考えて二人とも同時に気づいた。

「・・・・・・へ、陛下直々のご視察ですか」

「そうお思いです?なら、それでもよいのですけれど」

「う・・・私めが言うのもなんですが、陛下はどうにも、その・・・老獪でいらっしゃるようですなあ」

 リィエル直々の監視ということか。この幼い陛下のちょっぴり意地悪な企みに、初老に差し掛かるペリュークも苦笑するしかなかった。人生経験だけでこの少女の先を行くことはできないらしい。

「レーレン婦人の魚介パイですか。ご好意に感謝します。いや、久しぶりだ。これは絶品ですからな」

 普段言葉少なめなウィバル外務長官がやっと喋ったのがこれ。やはりレーレン婦人のことはかなり多くの人々の知るところらしく、恐縮したふうであった二人の中年男性は漂ってきた芳しい香りに喉をごくりと鳴らした。

「ああ、茶も出しませんで申し訳ありません。今から急いで・・・」

「いいえ、いいんです。もう陽も落ちましたので、少し立ち寄っただけですから」

「左様で・・・」

「あの、それより、これはなんでしょう?」

 リィエルが指すのは、ペリュークとウィバルが対面して囲むテーブル。その上に、木彫りの人形を並べた無色と黒色のタイル模様のボードが置いてあった。シュナとレア、サエラもこの質問におや、という顔をする。

「ご存知、ないのですか?これはシックルというものです」

「シックル?」

「ええ。卓上で遊ぶ・・・まあ、遊戯ですよ。札遊びのようなものですな。このシックルは特に、かなり古い歴史のあるものでして、私とウィバルはこれが趣味の一つでもありましてな」

「へぇ・・・」

 しげしげと眺めるリィエル。本当に知らないらしい。

「リィエル様、シックルを知らないんですか?珍しいですね」

「こらサエラ」

「まあ、知名度はあっても少々敷居のある遊びでもありますし」

 ふぅん、とリィエルはボードに目を止めたまま興味深そうに頷いた。目線の先でウィバルが人形を一つ摘み、別のタイルへと動かす。

「これは”駒”です。種類によって動かせる方向が違うのです。盤の上で交互に駒を動かして、場所が重なった場合は相手の駒を奪うことができます。この、一番大きな駒、これが”王”ですが、これを奪うのが勝利条件となります。難しいものではありませんよ」

 ウィバルの説明に、だが当のペリュークが渋面を作ってみせた。

「・・・ウィバルはこのシックルに限らず、賭け事や卓上遊戯が得意でしてな。シックルは中でも特に上手い。旧知の仲ですが、一度もこやつに勝てた試しがございません」

「手を抜いては失礼ですからな」

「少しぐらいはよいだろうに」

 ふふん、とウィバルは笑う。

「強いとは、どのくらいでしょう?」

 やや不躾な質問はレア。意外でもなさそうだが、彼女もこのシックルというゲームは好んで興じることがある。相手は専ら部下のメイドだが、暇な時は暇なメイドという仕事にとってこういったゲームの類は有用だった。レアも、かつて先輩のメイド達から手ほどきを受けている。

 対してウィバルはこともなげに答えた。

「宰相閣下にも無敗ですな。王立学院長にも。まあ、それほど親しい間柄でもないので数は少ないのですが」

「まあ!それじゃもの凄くお強いのですか!」

 珍しくレアが大声を上げて驚いた。

 このシックルというゲーム、リィエルは知らなかったようだが実に広く親しまれる遊戯の一つであり、老若男女問わず大抵の人々が遊んだことがあると答える。直感と経験、知識を要するゲームであり、王城ではとりわけハンネル宰相が強く、王立学院長エンデルもまた負け知らずと言われている。この二人に対して無敗となれば、恐らくウィバルはこのフィルラントで最もシックルの腕前が強い人物と言えるだろう。

「どうです、遊んでみますか?」

 ペリュークの誘いに、リィエルは残念そうに首を振った。

「せっかくですが、またの機会にお願いします。お仕事がまだありますので」

 外出する前、晩餐まで時間があるとレアが予定について述べていた。先刻のレーレン家で馳走になったこともあり本日の夕食は取り止めにすると先んじて帰った兵士に伝えさせたが、寝る前に片付けねばならない仕事はいくつか残っている。

 そうだ、とリィエルは手を叩いた

「あの、ペリュークさんにウィバルさん」

「なんでしょうか?」

「はい」

 やや落ち着きを取り戻した二人は朗らかに笑ってリィエルの言葉を待つ。が、リィエルの表情は笑っていたが、同時に困ったように眉尻を下げていた。

「お仕事が溜まっているようですが、きちんと庁舎に出ていますか?書類の決済が滞っていると、部下の方々から苦情が上がっているのです。おくつろぎの所悪いのですが、明日からはそのようにお願いしますね」

 間。

 丁度、身支度も整った官舎の住人が集まってきたこともあり、リィエルの言葉は大勢の者の耳に入った。結果、この大爆笑である。

 そりゃあいけないなペリュークさん。陛下の言うとおりだ。あんたら仕事行ってなかったのか。シックルは仕事じゃないでしょう。等々。

 サエラは無論、シュナやレアも声を上げて笑っていた。ペリュークとウィバルも、顔を真赤にしたあげくに笑い出す外無く、複雑な表情を浮かべていた。が、当のリィエルだけは何故皆が笑うのか分からず、小首を傾げている。

「あの、わたし何か変なこと言いましたか?何か失礼なことを言ったのなら謝ります・・・」

 とまで言わせ、さすがにペリュークらも慌てて背筋を正した。

「もっ、申し訳ありません。陛下のおっしゃる通り、怠っておりました!」

「ご忠告痛み入ります。猛省し、改めます」

 はめを外したのだ、とシュナなどは理解している。豪商である二人にとって莫大な財産のある自宅で生活することは、一見するに豪盛な暮らしで誰もが羨むところかもしれない。だが、それは責任を枕に眠り、贅沢とは衣服とする生活だったのだろう。二人とも結婚して家族ある身でありながら独身寮のこの官舎に居るということは、つまりそういうこと。

 リィエルによって財産を没収されたのはよい機会と思えたか。だが、奔放すぎてはまずかったな、とシュナは苦笑した。

「お気持ちは分からないでもありませんが、今一度自らの立場を思い出すとよろしいでしょう」

「・・・そ、そうでしたな」

 本来は、死刑。シュナに諭され、粛然と二人は頭を下げた。


 リィエルの用事とは、本当にこれだけだった。勧告を受けた二人の大臣は厳粛な面持ちで恐縮し、少女らを玄関先まで見送る。その背後ではパイの包みを解いて歓声を上げる官舎の一同。

「明日からは必ず、仕事に戻ります。少々・・・ここは居心地が良すぎましたな、我々のような者には」

「それはよいことではないのですか?」

 ははは、と乾いた笑いはウィバルからだった。

「いいえ陛下。時として、我々政治家は居心地の悪い家に住まねばなりません。ペリュークの言う通り、ここは居心地が良すぎました。安寧に身を委ねてよいのは、役目を終えた者だけですからな。我らはまだ引退するつもりもございませんとも」

「少なくとも命じられたこの先一年は、なあ」

「いやまったく」

 居心地の悪い家がよい、とはどういう意味か。計りかねてリィエルは首を傾けた。

「追々、陛下にも分かるでしょう。生粋の政治家でなくとも知り得たのです。宰相閣下などは特にご理解していらっしゃることでしょう。もっとも宰相閣下は既に実践しておられる分、我々を鼻で笑い飛ばすでしょうがね」

 なんとなく言わんとするところは分かったが、確かに実感の湧く話ではなかった。政務の一端を預かる身として、積むべき経験から得られる教訓のようなものがあるのだろう。

 不正に手を染めた二人だが、やはり無能ではない。

「それでは、明日からはお城で。今日は急にお邪魔をしてごめんなさい」

「いえいえ。陛下さえよろしければいつでも遊びにいらして構いませんとも。シックルの手解きなどしてさしあげましょう」

「ぜひ、お願いしますね」

 シックルの手解きに対して是非にという言葉だったが、同時に別の意味にも聞こえて、ペリュークとウィバルはぶるっと震えた。

 二人に見送られ路地に出た頃は既に夜。夕食時か、その片付けをしようかという時か、官舎街の寒々とした光景でも部屋から漏れ出る明かりはほんのりと暖かそうだった。

 再びサエラとレアに挟まれて歩くリィエル。背後で護衛の兵士がくしゃみをしたのが聞こえ、寒くなりましたね、と漏らす。

 彼女らの視界に白いものが紛れた。

「あら、降ってきましたわね」

 粉雪が風に乗っている。

「本当。寒いわけですね」

「早く帰って温まりましょう。風邪ひいちゃいますよリィエル様」

「うふふ、そうですね」

 吐息は刺すほどに冷たい風に吹かれて白く曇りすらしない。春も近いのにこの寒さは、フィルラントでは例年通り。シュエレー神山からの吹き降ろしは収まりつつあるが、南海から来る風が山肌で冷やされ、ちょうどこの王都あたりで渦を巻く。

 時折風が止み、そのたびに雪は粒を大きく増していくようだった。この時期、湿気を含んだ風はこのような成長する雪を降らせる。

 王城へと続く緩やかな坂道が湿り気を帯び始め、道脇の雑草や植樹にうっすらと白い衣が纏い始める。

「・・・あら?」

「何か、なんでしょうね。こっち来ますね」

 その白んだ坂道の上、王城の門が開き兵士の一団が駆けてきた。リィエルの姿を探し求めているようだが、何かあったのか非常に焦っているようで誰もが強張った表情をしている。

「陛下!大変です、お早く!」

 兵士の一人が叫んだ。なにかしら、とリィエル達も緊迫して小走りになる。

 降りしきる雪に厳しさは無く、遊ぶように風に乗って逆巻いていた。




『獣の国の王ムルエルファス』



 フィルラント王国では秘術の研究が盛んなこともあり、王城に近い市街では特に秘術を用いた道具が試験的な意味合いも兼ねて頻繁に交換され用いられている。中でも長く使われているのが、街灯である。

 王国軍の一部に消防団という組織があり、市中の火消しを始めこの街灯の管理も受け持つ。彼らは夕暮れ時になると出動し、市内各所の道路沿いに敷設された金属の棒、つまり秘術灯の点灯を行う。これは霊力を充填することで先端部分が一定時間輝き続けるもので、点灯時間はおよそ10時間ほどになる。天体イゥスィーリアの一日は我々と同じく24時間ほどなので、日没直前に点灯すれば明け方前ほどまで市内は煌々と明るく照らされ続けることになる。

 霊力を消耗して使用される秘術の道具全般に言えることだが、この性質のため大量に敷設された街灯では殊更に同時に体力も消耗する。よって、点灯を任される消防団とは軍でも突出して屈強な男達の集団となった。これが市内を練り歩いて警邏けいらも兼ねるのだから、少なくとも夕暮れ時における市内の犯罪率はほぼ皆無と言ってよい。点灯の順路も日によって複雑に変更されるため、心無い者が計画して消防団の虚を突くこともできず、街灯の明るさもあって消防団が姿を見せると市民は一様に歓迎するように暖かい声を掛けていた。

「降ってきたなあ」

「陛下は外出中だって?お体に障らないといいが」

「まったくだ」

 北部市街と王城の敷地を隔てる門は、他の門と同様に二人の門番が置かれる。他との違いがあれば、それはシュエレー神山からの吹き降ろしに備えて外套を厚く着込んでいることだろうか。鼻を啜り上げながら二人は世間話をしていた。

「おや、消防団だ。まだそんな時間か?」

「まだ暗くなるのも早いですね」

 二人の見る先で、太い道路沿いに街灯の明かりが順に灯っていく。地面に直立した金属棒の中程にはやや平たくなった部分があり、そこに刻まれた秘術の公式を担当者が手でなぞる作業。簡単なものだが、北部市街だけで300本を超える街灯全てを一人で点灯させることは不可能だった。僅かとはいえ消耗する体力は、彼ら消防団でも一人あたり100本程が限度という。

 以前、いや最近でも稀に現れるのだが、後先考えない者がどれだけ街灯を点灯できるか競って無茶な本数に挑むことがあった。その時点灯できた本数は最高で216本と記録にある。挑んだ愚か者は、衰弱死したとも。

「ご苦労様です。今日も寒いでしょうに、お互い辛い職務ですな」

 地図を持ち先頭に立って歩く髭を生やした男が門番に声をかけた。見知った顔だ。門番二人も半笑いで手を振った。

「いやはや、まったく。ですがこうして仕事が続けられるのも陛下のおかげですからな」

「なるほど。では我々は貴殿らを羨むべきかな?わはははは!」

 どっと門番、消防団の面々が沸く。確かに、誉れ高い己が王の住まう王城、その門を守護する役目とあればある意味羨望の的とも言えよう。辛いはずの仕事にも誇りが持てたのは、確かにあの幼い陛下のおかげだった。わざとらしい嫌味に、わざとらしく胸を張り鼻息を鳴らして応える。それを見て一同はまた笑った。

 この国は幸せだと、今は誰もが言う。それは名君を得たからだと、誰もが言う。王を愛せる己が嬉しく、王に愛される己が嬉しいのだ、と。

 数ヶ月で国とはここまで変わるものかと驚嘆する者は多い。他国に出向していた者ほどそう言うのだが、国内にあってもそれは実感できた。

「笑い声が絶えないのはよいことだな」

「あっはは、そうでしょうとも」

 誰かの声に門番が笑顔で答える。それでは、と消防団らも街灯の点灯を終えて別の通りへと歩いて行った。それを二人の門番は手を振って見送って、また静かな宵の口が戻ってきた。二人は門の周辺を見渡し、異常が無いことを確認すると門内の見張り小屋へ入ろうとくぐり戸を開けた。

「ああ、君たち?どうした、勝手に通ってもよいものなのか?ここでは客は無条件で通行できるのだろうか」

「!?」

「だ、誰だ!?」

 突如聞こえた謎の声に身構える二人。そういえば先ほどかけられた言葉も同じ声だった。

 だが、いくら周りを見ても不審な人影などどこにも見えない。

「ここだ、ここ。いかんな先入観に囚われては」

「・・・・・・?」

 声は、二人の足下から聞こえたようだった。

「余としても許可無く侵入するのは心苦しいのだ。そうそう、ここだよ。やれやれ、人間はいつもこうだな」

「!!・・・!?・・・!!??」

「だっ・・・・・・え!?」

 二人の混乱も無理からぬことだろうに、”彼”はむしろ状況を面白がってこうしているのだった。誰でも彼の姿を見れば驚く。人間は無論、動物らも内面を知るにつければ驚愕し、聖獣で初対面の者には必ず侮られる。

「先んじて報せを送る習慣が無いのは容赦願いたい。代わりにこうして自ら遥々やって来たのだからね」

 彼の背は、彼らの膝下ほどの大きさしかなかった。

 顔から胸元までは白色、そこから尾の辺りまでは黒色。尾羽根は青と黄を交えて派手に逆立ち、翼も先端にいくと赤みを帯びて炎のゆらめきを思わせる。トサカは角のように硬質で、付け根から伸びる長い白毛が添えられて頂上は黒に近い。瞳は藍色で、クチバシは白に近く褐色をやや帯びた光沢のある黄色。

 そう、ニワトリがそこにいた。いや、ニワトリにしてはいささか派手な外見だったが。

「余は、北方シュエレー神山帯の向こう、妖精郷ユクティラの主、ムルエルファスである。君たちは我らの同胞を聖獣と称していたな」



 100人の人間に「ムルエルファスを知っているか?」と聞けば100人全員が「知っている」と答えるだろう。しかし「では、見たことはあるか?」という問いには100人全員が「いいえ」と答える。即ち伝説と呼ばれる存在であり、神々など幻想の存在として語られる。

 フィルラントが所蔵する中で最も古い文書にもムルエルファスの記述があり、これは今では童話やお伽話の形式に改変されて多くの人々に読み親しまれている。その中に「聖獣の中の聖獣ムルエルファス、彼は全ての聖獣の頂点に君臨し続ける偉大な王であり、その姿を見た者は今では誰もいない。イゥスィーリアの極北にあるという妖精の郷ユクティラに国を築き、配下の聖獣、そして多くの動物の庇護者となる」と、ある。しかしながら、どの文章にも彼の姿について詳細に述べられたものは無く、一説には山よりも大きなドラゴンだとか、見上げるほどの巨体を持つ獅子だとか、永久に飛行し続ける巨大な鳥だとか、その他様々な憶測があるが、どれも共通して巨大な体躯を持つとされている。

 リィエルは童話の類としても知っており、また母より学んだ学術的な文章の一部として聖獣の生態などについて述べたものでもこの名前を見た覚えはあった。当然、その姿を想像もした。


「聖獣の王、覇鳥ムルエルファス様は大きなドラゴンの姿をしているものだと思っていました・・・」

「ハッハッハ!よく言われる。今でも臣下など『我が君が竜ならよかったのに。これでは腹が空いて仕方がない』などと馬鹿なことを言うものだ。そのたびに『ああ腹が空いた』と返すのだがね。・・・笑ってもよいぞ?」

 人は見かけによらぬもの。噂は本人を明確に表さぬもの。この場合、人ではないが。

 当たり前のことだが、人語を解するニワトリなど普通は居ない。居るとすればそれはまさしく聖獣でしか有り得ない。ならばこのニワトリは確実に聖獣であり、当人、いや当鳥が自分はムルエルファスであると言うなら、聖獣がそう称する限りそれは事実だろう。

 とはいえまさかニワトリの姿をしていようとは。いや、そもそもニワトリの聖獣が居ようとは思わなかった。これが皆の感想であり、そもそもこのニワトリが本当にムルエルファス公なのかどうか、何故突然に訪問してきたのか、などの些事は念頭から吹き飛んでしまった。あまりにも衝撃的すぎる出来事だったのだ。

「とにかく、ええと・・・謁見の間にご案内すればいいのでしょうか?ねえ、レアさん」

「えっ?あ・・・ええと、そ、そうですね。あ、いえ・・・親衛隊長?」

「そう、だな。謁見の間へお越しいただくのがいいだろう。それで・・・そう、侍従長は迎賓の用意をして」

「そうね、そうだわね」

 リィエルが城に戻った時、城内は騒然としていた。

 メイド達は仕事も放り出してこのニワトリを見に来る始末だし、兵士らも浮き足立っていた。一方で悠々と案内されて門をくぐったムルエルファスは、陛下が外出中につきしばしお待ちをと衛士らが止めるのでのんびりと待っている。が、彼があの伝説に謳われた偉大な王というなら、寒い玄関でいつまでも待たせては失礼だろうと衛士らも困惑していた。そこへ、息せき切ってリィエルが帰って来て、自己紹介をしたムルエルファスに開口一番上の一文。不躾すぎたかと言った後でリィエルは後悔したが、当のムルエルファスは豪快に笑い飛ばした。やけに渋い声で。

「まあ、突然の訪問で申し訳ないのはこちらだ。ごゆるりとなされよご婦人がた。それで・・・フィルラント国王陛下はもうご就寝かね?急いで来たがもう夜だ。会えぬなら日を改めるが」

「えっ?」

 と、沈黙するリィエル。ムルエルファスの自己紹介はあったが、リィエルは身分を明かしていない。

「親衛隊長殿、どうかな?そちらの侍従長殿なら。ああ、こちらの下女の娘さんに尋ねてはいけないかな。会えるかどうか、まだ伺っていないと思うのだが」

 サエラはリィエルの外套を急いで部屋へ持っていったため、ここにはいない。リィエルはきょとんとして、ああ、と笑った。

 レアとシュナが混乱しながらも不遜な、と気色ばんだため、二人には謁見の間の準備をするように言いつける。命令に従って二人ともその場を退出し、リィエルとムルエルファスが残された。周りには興味深げにこの状況を見つめる手隙のメイドや兵士ら。

 リィエルは自分の着ている服を見て、そういえば書き物をするため汚れてもいいようになるべく古い、それほど高価でもない部屋着のままであったことを思い出した。聖獣が身なりで他者の貴賎を問うのかは知らないが、周囲の人物と比較してもまさか国王だとは思えまい。それに、まず真っ先にこの問題があるのだが、リィエルはまだ子供だ。

 スカートの両端を教わった作法に則ってつまみ上げ、リィエルは丁寧にお辞儀をしながら言った。

「申し遅れましたムルエルファス様。わたしはリィエル・タナック・フィルラント。今はこの国の王さまを務めさせてもらってます」

 ぽかん、といっそニワトリそのものの表情でムルエルファスは硬直した。

 やや、間。

 ムルエルファスは無言のまま数歩下がり、何度か首を上下に動かし、最後に石畳の床に腹を押し付けるように座り込んで頭を下げ、クチバシの先端が音を立てて煉瓦の床を穿った。

「ぶ・・・・・・無礼を言った。どうか許してくれまいか、国王陛下。望むならこのまま踏みつけてくれても一向に構わぬ」

「いいえそんな!ごめんなさい、わたしも初対面で失礼なことを言いました。それにわたし、王様らしくないから仕方ありません。お顔を上げてくださいませ、ムルエルファス王」

「む・・・そうか」

 ニワトリなので表情が分かり難い。が、真面目に落ち込んでいるらしいムルエルファスにリィエルは焦って気遣った。妙な初対面になってしまったな、と内心も複雑な心境である。

「なるほど、シュエレー神山の災害については伝え聞いたが、まさかこのような・・・失敬。あー、斯様かようにお若い女王陛下だとは露知らず。曖昧な情報だけで人物像など想像するものではないな」

「うふふ、そうですね。わたしが子供なので、知らないで居た人はみんなびっくりするかもしれないですね」

 リィエルの言葉には何処かしら自嘲めいた響きが含まれていた。耳聡くムルエルファスは首を振ってリィエルの顔をしげしげと眺める。

「・・・確かに、シュエレー神も太鼓判を押すわけだ。そのお年で・・・ふむ」

 やけに人間くさい仕草をするので、リィエルは失礼だとは思いながらも微かに笑う。

 聖獣とは寿命も無く遠大な年月を生きる生物だが、親しい間柄のアールカインもここまで人間っぽくは無い。それはひとえに彼らが人とほとんど関わりを持たないからであり、持って生まれた精神性がそうさせるのだが。それにしてもムルエルファスの性格は見ていて興味深かった。

「シュエレー神と、お話しをしたのですか?そんなことができるのです?」

「まあ、余は・・・余だからな。厳格な神だが、求めに応じぬほどでもない。気安くもないがね」

 リィエルがまだ話を聞きたそうにしていると、ムルエルファスは軽く笑った。

「そうそう、それも今日来た理由の一つだったな。他にもあるが、ここで立ち話もなんだね」

「あ、はい。それじゃ、謁見の間にご案内しますね」

 と、妙なことにリィエル自身が賓客であるムルエルファスを先導して廊下を歩くことになった。当然護衛の兵士は付いたが。一層妙なのは、リィエルがその状況を変だと感じていないことだろうし、ムルエルファスも特に口を挟むこともしないことである。護衛兵らのほうが反応に困って気まずそうな顔のまま一人と一羽の後ろに付いて歩いた。

 蛇足ながら付け加えると、リィエルとムルエルファスが並んで歩く様はまことにシュールで、一見してほのぼのとした和やかな絵面ながら双方各所では並ぶ者無しと賞賛されるに至る王ともなればなおのこと現実味とは乖離した光景に仕立てられていた。


 閑話休題。

 謁見の間を準備するにあたってレアはこの短時間でよくやったと言えよう。

 まず、そもそも聖獣は食物をほとんど摂らないことが知られている。不老不死である彼らは空腹が極限を超えても平時と同じく活動することが可能であり、その点では食事を取る意味もあるのだがやはり基本的に栄養を求めることは少ない。一つ例として、西の国境の守護聖獣アールカインなど、伝聞でしかないが風を食べるのだと言われる。大気に乗って流れる惑星の霊力を摂取するのだともされるが、詳しいことは定かでない。

 とまあそんな理由で、晩餐の用意は躊躇ためらわれた。代わりにレアは考えあぐねた結果、城の料理長と少し相談して穀物倉を開け、ごく限定的に栽培される上等の麦の実を器に盛って出すことにした。聖獣とはいえニワトリならこれを喜んで貰えるかもしれないと、苦心してのこと。

 椅子と机を用意する必要もよく分からず、これも妙案として昨年収穫された羊毛の中でも最上級の品質のものを詰めた柔らかいクッションを一つ調達し、麦の器を置く台と共に謁見の間に設置した。

 聖獣をもてなすのは無論、それがニワトリともなれば一体どんな手を尽くせばいいのか。レアは他にも思考を巡らせたが、これ以上に良い案が浮かばなかった。そのため謁見の間にてリィエルの傍らに控えた時には疲れ果て、加えてムルエルファスの反応如何がどのようなものになるか極度の緊張を無表情の端々に滲ませている。

 結果として、ムルエルファスはこのもてなしのやり方を驚きと共に喜んだ。

「美味い。黒麦かな、粒が大きいが大味ではないな。脂が乗ったと形容しようもある。肥えた土地でもないだろうに、なるほど学者の国らしい。よく品種改良を重ねたのだね。うむ、素晴らしい。この布団も温かくてよろしいな」

 食事を必要としないとされるわりに、ムルエルファスは供された麦を全て平らげてしまったが。

 リィエルは傍らに安堵のため息を聞いた。失礼があってはならないと努力したレアは報われたことになる。

「ですって。よかったですね、レアさん」

「は、はい!お褒めに預かり光栄に存じ上げます」

 と喜んでみたものの。

 シュナもリィエルの傍に立っていたが、レアも同様二人とも眼前の光景に戸惑いを禁じえない。それも無理はないだろうが、なにせ賓客として迎えたのは一羽のニワトリなのだから。

 彼が聖獣と知って尚、外見から来る先入観と違和感は拭いようもない。

 黒麦の大粒を食べ終えてひとしきり満足そうに息を吐いたムルエルファスは、さて、とリィエルを見据えた。

「急な訪問で無礼とは存ずるが、ご容赦願えればこの上ない。他でもない、フィルラント王リィエル陛下、貴君に諸用あってのことだ。出発したのは三日前だったが、途中で色々と小話も仕入れたのでよければ聞いて欲しい」

 渋く響く声。態度。なるほど眼を閉じてみればそこに居るのは紛れもなく大勢の民衆の上に立つ覇者の存在。

 リィエルも据えた腰を改めていた。

「はい。他国のお客様をお迎えするのは、わたしの代ではこれが初めてですから、何事につけても不慣れな部分があるかもしれません。寛大な目で見ていただけたら幸いです。お話しを伺えるはその上にありがたいことと思います」

 うむ、とムルエルファスは人間のように頷いた。

 リィエルも見劣りするものではない。謙虚さに満ちてはいても10歳にしてこの貫禄となれば、伝説に語られる偉大な王も少々態度を改めて、一介の君主らしく慈愛や尊大さといった感情を唯一見える表情であるその双眸から消失させていた。

「夜も更けてこよう。まず幾つかを語り、残りは後日にいたす。構わぬかな?」

「ええ、もちろんです。ええと、客室・・・はどうなのでしょう」

「ふはは、そうだな。馬舎・・・は要らぬ気遣いをさせそうだ。竜舎はあるかね。藁束を積んで貰えるとよいが」

 寝泊りする場所に畜舎を指定してくるあたり、流石に人間とは一線を画する。

「そのようにしましょう。レアさん、いいです?」

 レアはこくんと頷き、静かに退出した。

 竜舎とは騎竜を飼育し保管する、馬舎のようなものである。ムルエルファスが人間の文化に詳しいことにはもう左程驚きもしない。そして、確かにフィルラントには竜舎があり、今は三頭のゲマトルダット、つまり騎竜が飼われている。空いた檻もあったはずだ。

「なにかと手間をかけさせるな」

「いえ、そんなことは」

「ふふ・・・では、そうだな。まずは先日のシュエレー神山の災害だ。あれは見事な対処であった」


 ムルエルファスは言う。シュエレー神山の崩落を神々は予期していたと。だがそれがいつになるのか、までは詳細に知ろうとはしなかった。何故と問うならば、命の悲鳴は聞こえなかったからだ、と。

「それは、シュエレー神から?」

「いやユクティラ神だ。・・・そうか、言っていなかったな。余はユクティラの王だが、同時に神殿の管理者でもある。ユクティラには教会が無いのだよ」

「まあ」

 それはさておき、と付け加えて話は続く。

 未曽有の危機、大災害により滅ぶはずだった国を救い希望を見せたフィルラント国王とは如何なる人物か。ユクティラ神はムルエルファスの問いに答えず、己で知ればよいと返した。興味を持ったムルエルファスは次にこう尋ねる。

「その王がどうやって災厄を逃れたのか、予想は付く。故に、その存在は危険に過ぎるのではないだろうか、とな」

「はぁ・・・」

「・・・・・・ふふん?」

 リィエルの顔をムルエルファスはじっと見つめた後、器一杯の麦を食べた時よりも満足気に深く頷いた。

 彼の言葉に警戒心を見せたのはシュナだったが、二人の様子を眺めた後にムルエルファスには何か思惑があるのだろうと黙っていることにした。リィエルに近しい者である自分とて、王では無い身なれば彼らの思慮を最後まで理解することは難しいだろうと。

「返答は曖昧だった。が、ユクティラ神は面白がっていたな。ふん・・・余の間抜けも想像したか。あの小生意気な女、いずれ痛い目を見せてやりたいものよ」

「ええ?だ、だめです。神様と喧嘩はいけません」

 驚いたリィエルに、ムルエルファスは愉快そうな笑い声で答えた。それでリィエルは思い出す。

「あ・・・そうでした」

「まあそうだ、あれは喧嘩だったな。双方、楽しんでいた。だからユクティラ神は余に国を与えたのだからね」

 ムルエルファスの伝説において最も有名なものが、彼が神と戦った出来事である。その神の名はユクティラ。豊穣と護国の神。

 数ヶ月に渡る戦いの後にムルエルファスはついに敗北し、その武勲を認めたユクティラ自身によって王国を一つ与えられた。かつて妖精が住んでいた国、妖精郷ユクティラを。

「警戒もしよう。余の王国とはシュエレー神山の険しきが隔てるとはいえ、ここフィルラントは隣国なのだから。かの山の変事がどれほどの規模のものかは此処へ来る際に見た。あれを防ぐとなれば、その王とやらは史上稀に見る巨大な力を持つ者だ。人間がそれほどの力を持つならば、少なくとも余が直接出向いて牽制しに来た意味もあるかと思えた。ま・・・出鼻を挫かれたのはこちらであったがな」

「えっ、どこかお怪我を?」

 ぐ、と何かを飲み込むような音が聞こえた。横を見ればシュナが無表情のまま片眉を跳ね上げている。レアかサエラが居れば教えてくれただろう。あれはシュナが笑い顔を隠している表情だと。

「アハハ、まあそれはいい。いいのだが、リィエル陛下。貴君に会ってこうして話して、一つ保険をかけていて良かったと思っている。フィルラントとは三千年前の建国の際に少々付き合いがあったが、それ以来疎遠でもあってな。気にかけてはいたが、機会もなかった。全ては巡りあわせなのだろう。陛下は即位間もなく、またお若くもある。今日でなくとも余の動向が影響する部分もあっただろう」

「はい・・・なんでしょう。保険ですか」

 うむ、とムルエルファスは言葉を切って右の翼の根本をつついた。本能的なものだろうか、そのまま彼は何事もなかったようにまたクチバシを開いた。

「シュエレー神、ユクティラ神は概ね君の経緯を評価するようだ。ユクティラ神など痛快そうな素振りだったが、余はシュエレー神の態度が如何なるものかと考えた。あれは恐ろしい神だからな」

「・・・・・・はい」

「氷雪と試練の神シュエレー。その御名の下に神職に就くことはセス教の司祭らにとて格別の誉れだと言うな。そのシュエレー神の膝下であの大崩落だ。これはただで済むまいと思っていた」

 それはリィエルも考えていた。奥深く巨大なシュエレー神山帯の中央に住まうシュエレー神の領域、その最も外側であるこのフィルラントの白壁が崩落する原因を作ったのは旧時代のフィルラント国の人間だ。そして山の斜面はリィエルの炎で焼け焦げ、今も痛々しく無残な姿を晒している。

 もしも仮にこれがシュエレー神の課した試練だとするならとんでもない試練もあったものだ。一つ間違えばフィルラント王国は滅亡していた。そしてもしも試練でないとするなら、リィエルはシュエレー神の領域を汚したことになる。

 ムルエルファスは、だがリィエルを怯えさせる風でもなく事も無げに伝える。

「ただ、こう言った。不運の積み重ねであっただけだ、と。あの神が微笑んだところなど滅多に見られるものでは無いな。おかげで得をした気分だったよ。いささか恐怖もしたが」

 これを聞いてリィエルは、ほう、と安堵の息をついた。ずっと気がかりだったのだ。

「お伝えくださってありがとうございます」

「なに、礼には及ばぬ」

 そして、とムルエルファスは続ける。

「シュエレー神とユクティラ神、そして余と余の同胞が大地と空の声として聞いた。他の神々も、やはり危惧するほどではないようだ。むしろ歓迎している。ヤヌアフにおいて余の国に次ぐ歴史を持つフィルラント王国は、良い方向へ向かおうとしていると。エンケルダ、トルパトルの神もこの態度なのだから、関わり薄い遠くの国々などは問題にもなるまい。・・・天使の名を伺ってもよいかね?」

 そうですか、とリィエルはよく分からないまま頷いた。いや、言葉の意味するところは理解できるのだが、どうもムルエルファスは何か言葉の裏に含むところがありそうで、それがリィエルには見えてこない。

 なのでリィエルはとりあえず言葉の額面通りに受け取ることにして、素直に喜びながら相槌を打った。

「はい。大天使インリュークです。優しい方でした」

 天使のことを聞くのは理由があるのだろうか。リィエルは先日の戴冠式を思い出して答えた。あの日受けた言葉を。

 なんと、とムルエルファスは口を半開きにして驚いた。リィエルは他の天使を知らないのでよく分かっていないのだが、やはり珍しいことだったのだろう。特にセス教の関係者らは口を揃えて前例の無い栄誉だと言う。

「大天使の顕現など何千年ぶりか・・・イゥスィーリアの国家全てを見渡してもそうそうあることではない。なるほど、余が伝えるまでもなくリィエル陛下は神々の保証を授かっていたか」

「どういうことなのかよく分からないのですが・・・」

 だがムルエルファスはリィエルの疑問に答えてはくれなかった。またしばらく彼女の愛らしい顔をじっと見つめていたかと思うと、フイとその視線を逸らす。そして深く考えるように目を閉じた。

「・・・・・・巡りあわせよなあ」

「?」

 ふん、と自嘲的に、あるいは単に短く笑ったムルエルファス。再び、右の翼の付け根をクチバシでつついた。

 面白い。果たして巻き込んだのはどちらか。

 密やかな呟き声は誰にも届かなかった。

「そういえば」

 リィエルもまた呟くように言ったが、玉座からの声はよく響いた。

「ムルエルファス様の天使様はどういったお方なのですか?神殿の管理者と仰っていましたが、何か違いがあるのでしょうか」

「うん?うん。そうだな、違う。余に守護天使はいない」

「え?でも・・・」

「代わりにユクティラ神が余の守護者だ。故に、余は他国の王よりも託宣を受け取ることが容易なのだよ」

「・・・・・・・・・なる、ほど」

 やっと、リィエルは様々なことを理解した。そして、それは再びほとんどリィエルにしか理解できないことだった。

 傍らに立つシュナはリィエルが唖然とする理由がわからない。

さとい子だ、素晴らしい。何故、余が貴君を警戒したか、これで理解できたね?」

「は・・・はい。そういうことですか・・・確かに、ムルエルファス様だけはわたしのことを危険だとお思いになられても仕方ありませんね」

「杞憂であったよ。それは確信した。君は、良い子だ」

 ムルエルファスは慈しむ様に言った。

 リィエルは彼の小さな双眸を見つめ、ゆっくりと、深く一礼を送った。


「さて、と。要件はこれで済んだ。火急に伝えるべき用向きは以上だ。余を含めユクティラの者はフィルラント王国に友好的であろうし、神々もまたリィエル陛下をどうこうしようとする向きは無いし、他国はこの国をどう扱うべきか警戒も無く熟考中だな」

「本当に、お伝えくださって感謝申し上げます」

「よいよい。それで・・・だが」

 ムルエルファスが神妙にするので、リィエルもはたと気構えてみる。これら以上に重大な事案でもあるのだろうか。

「以上のものは建前だ。本当は観光に来た。いや、ここのところ暇でな」

「・・・・・・・・・・・・はあ、そうなのですか」

 シュナの片膝から急に力が抜けてがくりと姿勢が崩れた。

「伝えるべきは伝えたし、後は世間話でもしたいところだ。どうだね、今日のところは陛下のためにも休むとして、明日以降共にフィルラント観光と洒落込まないかね。市井の様子を見るのもよいことだぞ?」

 笑いを誘っているのだとリィエルにも理解できたが、あまり面白くない。いや、笑いながら答えるところなのだろう。それは分かる。

 しかしながら、やや緊張は解けた。

「そうですね・・・どうでしょう、シュナさん」

「あ・・・ああ、はい。よいのではないでしょうか。侍従長らとも相談するとして、馬車は出させますがよろしいですね?」

「歩くのは駄目です?」

「駄目です。ご自愛くださいませ。レアに怒られますよ」

「あう、それは嫌です。じゃあ、馬車をお願いしますね」

「はい」

 ムルエルファスはこのやり取りを微笑ましそうに見ていた。常にどこか遠慮がちに話すリィエルと、それを分かって愛情を注ぎながら受け答える臣下という関係は、彼の目にも和やかに映るのだろうか。

 では、とリィエルは振り向く。

「明日はフィルラントを案内しますね。わたしも国内の全てに詳しいわけではないので、お勉強ができます。是非よろしくおねがいします」

「うむ。楽しみにしていよう」

「それじゃあ、お休みに・・・・・・あっ!?」

 と、リィエルは何かに気づいて素っ頓狂な声を上げた。あまり聞くことのないリィエルの声にシュナも少々びっくりする。

「どうなさいました陛下?」

 が、これに答えたのは愉快そうに笑うムルエルファスだった。

「フハハハハハハ!一本取ったぞ!いやあ、先程の溜飲が下がった思いだ」

「あう・・・・・・忘れてました。申し訳ありません・・・」

「何がですか?」

 はふ、とリィエルはため息を吐いた。珍しくしょげている。が、それは何か政務などで重大な過失をしたというよりも、おつかいを任された子供がうっかり一品目の野菜を買い忘れた時のような反応だった。

「聖獣の方々は眠らないんです、シュナさん。眠るとしても、もの凄く長い周期にそれぞれ決まった時間だけ眠るんです」

「左様である。よく勉強しているね」

 なるほど、とシュナは納得した。そういえばどこかで聞いたこともあったはずだ。西の守護聖獣アールカイン、東の守護聖獣クシャタラナトについて隊士の上官から講義を受けた時だろうか。

 聖獣は非常に長い年月を一睡もせず活動できるが、定期的に個体差に応じて一定の期間を眠るために費やす。その間のみ彼らは無防備になるため、いつ眠るのかを明かすことは無いのだとか。アールカインも三千年、この国に生きるのだからいつかは眠っているはず。が、その記録が得られたことは無い。そのために彼はあの巨大な塀の上に日頃からじっと座り込んでいるのだから。眠っていても起きていても姿勢が変わらなければ、睡眠の期間がいつなのか判別しようもない。それに彼らは基本的に無口だ。

「まだ余の休眠期では無いからな。まあ、今日は長旅で少々足もくたびれたことだし、のんびり羽の毛づくろいでもさせてもらうよ」

「気が回らず・・・申し訳ありません」

「ふっふっふ。一本取れたからよいのだ。それでは陛下、明日に、また」

「はい。お休みなさいませ、陛下」

 兵士の数名がムルエルファスを竜舎へ案内して行った。ムルエルファスはまだ高らかに笑っていたが。

 そして先ほどと同じく、兵士らはニワトリを護衛して送り届けるという異様な状況に戸惑いながら。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「面白い方ですねえ」

「そうお思いになることのできる陛下をお見それ致します」

 そんなこんなで、急に慌ただしくなった今日が終わった。

 雪はもう、振り止んでいた。



 翌日。


 城の北側、軍人の家系が軒を連ねる方角は、城内も同様に軍関連の施設が集中している。馬舎や軍備倉庫、秘術士隊の書庫まであり、大小勝手の違う建造物は見た目に賑やかである。中でも目を引くのは、城内にありながら牧場のような巨大な敷地を擁する竜舎だった。

 北の内門を出て東。常緑樹の並木の途中に、竜舎への門はある。

「いかんいかん・・・ああ、何事もないとよいが・・・」

 騎竜飼育の責任者、竜舎長のペルル・テッセは焦りながら門の鍵を開けた。急いで来たためか吐く息は白が濃い。早朝で気温が低く寒いというのもあって、テッセ竜舎長は鼻をすすり上げた。

 昨夜のことである。

『・・・というわけで、こちらのムルエルファス陛下を竜舎にお泊めすることになりました。用意は先ほど伝えた通りです』

『一つよろしくたのむよ。やあ、中々立派な建物だ。陸竜が六頭ばかり入るな』

『・・・・・・ええ!?』

 と、つまりろくな説明も無く件のニワトリの聖獣、ムルエルファス公を竜舎に泊めることになってしまった。無論、何かあればテッセの責任となるのは当然のこと。

 だから焦るのだ。

 今、竜舎には騎竜として飼育するゲマトルダット竜種が三頭、内一頭は雌が繋がれている。基本的におとなしい性格のゲマトルダット種だが、ある時期は別だ。即ち、春先から夏前にかけての発情期間。言うまでもなく、今は春先にあたる時期である。

 発情期のゲマトルダット種の雄は、体の一回り小さな雌竜を求め、また外敵から守ろうとするためにかなり短気になる。竜舎長としてゲマトルダットを飼育できるのはテッセにとって天職と言えたが、熟練の域に達した飼育技法をもってしても油断すれば命の危険もある仕事だ。

 その危険な竜舎を訪れたムルエルファスは、構わないから休ませてもらうよ、と軽く言って三頭の騎竜の並ぶ横で積まれた藁束に乗るとそのまま一息ついてしまった。

 他でもない、伝説に謳われた聖獣の言葉とあって信頼しないわけにもいかず、テッセは了承したのだった。が、その後がいけなかった。

「ああもう、よりによってこんな時に」

 念のためにとテッセは竜舎に併設されている宿舎で一晩過ごすつもりで居た。そこへ夜も更けた頃、馬舎番の男が駆けこんで来たのだ。

 馬が二頭、産気づいた。とても手が足りないのでどうか手伝って欲しい。

 三十代半ばながらテッセはゲマトルダットの飼育に関して熟達するほどで、当然、馬や他の動物も診ることは容易い。北部の農村で牧畜を営んできた一家の出ということで、馬など子供の頃から出産に立ち会うこともあった。が、それが徒となった。獣医のテッセといえば同業者からは一目置かれる人物なのだ。頼りたくもなろう。

 そうしてつい先刻まで馬舎に居た。産気づいた牝馬は二頭とも無事で、一頭が双子を産み三頭の仔馬を取り上げての大仕事を終えた余韻もそこそこに、早朝の小鳥のさえずりに急かされて来たのだ。

「ムルエルファス様、ご無事ですか!」

 カンテラ片手に広く薄暗い竜舎に入ると、すぐに状況を検めた。一応呼んでみたが、木造の広い建物では声があまり響かない。それに、騎竜のいびきは五月蝿いのだ。

 ぐるるるるる・・・ぷするるるるる・・・と、いつもの可愛らしい竜のいびきが聞こえて、どうやら興奮した様子は無いものと見た。が、肝心のムルエルファスが鎮座していたはずの房が空になっているではないか。

 いかん、とテッセは竜が眠っている房を順に覗く。

 手前にある二頭の雄の房には居ないようだった。暴れた形跡も無い。

 そして、問題の雌竜の房。

「・・・・・・?」

 テッセは我が目を疑った。

「む?ああ、もう出迎えかね。まだ早くはないか?」

 昨夜も聞いたあの渋い声音が聞こえた先には、毎日見ている雌竜の巨体。だが、様子がいつもと違う。まるで子供を抱くように体を丸めた円の中心に、あのニワトリ王が居た。

 テッセはその異様な光景に一しきり硬直した後、はたと思い出したように房へ駆け寄った。

「あの・・・そこでお休みに?」

「うむ、そうだが」

「・・・・・・」

 基本的に温厚で人に慣れるのも早い陸竜ゲマトルダット種だが、それでも竜種なのだ。つまり、肉食なのである。ニワトリの肉なら毎日与えるほどでも問題ない、好物なのだが。

 今のムルエルファス公のように間近に餌(失礼ながら)が置いてあれば、ほんのおやつ感覚で食してしまうだろう。

「ええと・・・その、何事もなかったようで何よりです」

「うん?ああ、ははっは。そういうことか。うん、心配いらない。竜ごときに食われるムルエルファスではないのだよ」

「左様で・・・」

「それよりこやつ、余に色目を使ってきおったぞ。雄竜の二頭がさかっておったようだが、まるで無視だ」

 色目とはどういう意味だろう。雄より小さいとはいえ、雌竜でも馬の二倍近い体高を持つ巨体で、それが一見するとただ少々派手なニワトリを誘惑したというのか。さすがは聖獣の中の聖獣。意味がわからない。

「繁殖期は房を移して互いの姿を見せぬようにするといいぞ。この陸竜種は余はあまり見ないものだが、見たところレムダット飛竜種の改良種だろう?あれを参考にしたくもなるだろうが、こちらの竜種のほうが体臭が強いようだ。慣れすぎると欲求が薄れるのだよ」

「え・・・ああ!そういうことでしたか!なるほど、道理で・・・」

 そもそも、ゲマトルダットは繁殖期になっても交尾頻度が少ないものだと勘違いしていた。春先からの興奮のわりに妙な習性だとばかり思っていたが、実際は違っていたのだ。単に見慣れた相手を嫌がっていたというだけ。

「ご助力に感謝します、ムルエルファス様」

「他は良いようだな。いい飼育番と見える。相変わらずこの国は人材に恵まれているなあ」

「あ、ありがとうございます」

 ふ、とムルエルファスが宙空を見つめた。

「・・・・・・んん、まだリィエル陛下も眠っているようだ。もうしばらくここに居るとしよう。また呼びに来てくれたまえ」

「は、はい。畏まりました」

「それとな」

「はい?」

 ムルエルファスは、驚いたことに、ごほんと咳払いをしてテッセの顔を見つめて言った。

「男女の寝所を不躾に覗くものではないよ。そうだろう?」

「・・・・・・ええと」

「フフン、言っただろう。色目を使われた、と。そういうことさ。さあ、行った行った」

「・・・・・・・・・・・・」

 無言で。テッセは蝶番ちょうつがいのようにお辞儀をすると、そのまま静かに竜舎を後にした。

 さすがは聖獣の中の聖獣。理解を超える。そう胸の内で呟いて。



「おお・・・・・・お疲れの様子ですな、親衛隊長」

「あ、宰相閣下。ええ、まあ・・・」

「ふむ」

 所変わって城内の一室。城務めの者が食事などをする小食堂。

 城に務める者は一日中何かしらの仕事で入れ替わり、誰も居なくなるということが無い。そのため、こういった休憩所は必須となる。食事や喫茶、あるいはほんの少しだけと仕事を放置して休みに来たり。

 給仕に立つ数名のコックと女中らは一日の半分をここで過ごして交代するのだが、地味に辛い仕事だともっぱらの噂だった。

 その小食堂の部屋の隅のテーブルにはシュナが座っていたが、ハンネルが見たところやたらと不景気な表情である。そもそも顔色が悪い。目の下のクマが濃く、一目見て徹夜したのだと知れる。

「浮き足立っていたようで・・・」

「ムルエルファス公のことか。私も昨晩遅くに聞かされて仰天したよ。ご苦労だった・・・とはまだ言えぬのかな」

「はは、そうですね・・・」

 と、温かいスープと白パンと干し肉入りサラダを不味そうに食べながらのシュナであった。せっかくの朝食なのに栄養になっている雰囲気が全く無い。相当疲れているのは間違いないらしい。

「馬車での移動ですし遊覧ですので、このような日程になりました。各所への通達は今朝付けで、滞り無ければもう連絡を終えた頃かと」

「どれ、拝見しよう」

 シュナの向かいにハンネルは座り、給仕係の女中に薬茶を一杯、と伝える。歳相応に朝が早く、朝食は既に済ませたとのことだった。

 シュナは軽甲冑に毛皮のガウンを着込んで、朝も早くから仕事を始めている、といった風情。一方のハンネルは適当なローブと厚手のコートを着ており、どうもゆったりとしている。宰相もこの頃は忙しくしていたはずだが、とシュナは気だるげに思うが、そういえばそもそも宰相ハンネルの私生活について詳しいわけでもなし。朝はこんな風体なのかな、などとスープをすすりながら、つらつら考える。

 実のところ、シュナと同様に城内に執務室を持つ宰相はこの日、ムルエルファスの急な来訪を受けて未明に急ぎ城へとやって来るや、部下の秘書官らとも連携して各部所各庁の仕事を少しずつ自分の所へ持って来させるよう通達していたのだった。

 宰相と言えば要するに総理大臣である。各庁の長に国王リィエルからの命令を整理して通達するのが彼の本来の仕事であり、各庁から上がってくる書類を整理して国王リィエルに渡すのも仕事。同時に王国軍軍団長も兼任するとはいえ、こちらはほぼフォガリ騎士団長と折半して動かせる。

 つまり。宰相ハンネルは優秀なので、書類の決済など本来数時間を要するところを、ものの数十分で終えさせることが出来る。というわけで与えられた秘書官、書記官らは手持ち無沙汰になり気味なのだ。

 まとめると、宰相ハンネルは暇なので、シュナ始め各部所長の予定に穴が空きそうな今日は、皆の仕事を肩代わりしてくれたのだった。

 無論、シュナはこれに気づいていない。

「一晩でこれだけ練ったのなら疲れるのも当然か。うむ、陛下の城下見学も兼ねてのことであるし、この日程表に沿ってよいと思う。フォガリ騎士団長あたりにも通達は済んでいるのかね?」

「ええ、もちろん」

「ならいいだろう。どうせだ、親衛隊長も羽を伸ばして来なさい。城のことを含め、こちらに任せてな」

「お言葉に甘えさせていただきます、閣下。ありがとうございます」

 日程表をシュナに返し、ハンネルは運ばれてきた薬茶に口をつける。滋養に富む温かい茶で、初老の皺が目立つ顔にも赤みが差す。

 城内では高価な紅茶を飲むことが自由に許可されているが、ハンネル始め老齢の者は逆に薬茶を好んだ。これは石造りの城の中がほぼ常に寒く、ことに長時間の執務で血の巡りが悪くなった体を癒すには薬湯や薬茶が望ましいためである。よって、若い議員や侍従らにはこの習慣をじじ臭いと笑う者も居る。

「ああ、私にも薬茶を」

「かしこまりました」

 以前はシュナもその若者の一人に近かったが、最近では考えが変わっている。言うまでもなく、リィエルの影響だった。

 勤勉であろうとするリィエルは、昼下がりの猛烈な睡魔に耐えるためには紅茶を飲むことにしている。しかし平時は薬茶を求めることが多い。聞くところによると、ずっと椅子に腰掛けているのは体に良くないから、とのこと。どんな因果があるのかと思っていたら、リィエル曰く「薬茶を飲んでいると疲れが取れるのです。肩も凝らないです」らしい。真似をしてみると本当だったので、以来シュナもそれに倣っている。

 ことにリィエルに付き合っていると、机仕事がこの数ヶ月でもの凄く増えた。それはリィエルがあまり外出しないからで、その護衛を第一の任務とする親衛隊長としては机仕事くらいしかやることがないのだ。無論、軍人として体を鍛えることも忘れてはいないが。

 父が見れば何と言うだろう。お転婆が過ぎて縁談も無く、兄弟に続いてたった一人の娘まで家業の軍人になり、親衛隊長にまで出世した。が、今は机と戦う毎日。情けなしとは言うまいが、受け継いだ無表情にも珍しく苦笑いくらいは見せてくれそうだ。

「誰か、騎士団長と相談して騎士団あるいは国軍から優秀な者を護衛に回そう。親衛隊長、羽を伸ばすのはいいが、休養も兼ねなさい」

「え・・・あっ」

 どうやらシュナはうとうととしていたらしい。道理で父のことなど思い出すわけだ。目の前でハンネルが朗らかに笑いながら薬茶のおかわりを頼んでいるところで、シュナは赤面して慌てて顔をまさぐった。よだれなど流していてはたまらない。

「・・・そうします」

「それがいい。誰がいいだろうな・・・・・・ああ、そうだ、彼だ」

 と、ハンネルは懐中から小さな紙束を取り出し、一枚を机に置いた。そしてどこに持っていたのか、小箱を取り出す。筆記用具を収納したもので、ペンとインク壺などが収められている。こういったものはかなり高価でありこのように気軽に持ち歩けるものではないのだが、どんなに着流し姿でも文官の心意気を忘れないあたりにシュナは内心で敬服する思いだった。

「弓兵隊に一人、私とも懇意の優秀な兵士がいる。騎士団長や何人かの兵団長らとも知り合いで、能力でなら騎士団長と同等と言われる男だ。陛下もご存知の方だから、要請してみよう」

「それは・・・いいのですか、そんな凄い方を」

「なに、本人は喜ぶだろう。階級は五十人長だし、気負うこともないよ。そう、当人が言うのだからそうしておくといい」

「はあ」

 そう言いながら紙片にペンで簡単な命令書を記し、サインをして、最後に筆記用具入れの中から小さな印鑑を取り出して捺す。宰相の印である。これで、この小さな紙は正式な命令書となった。

「名前はゼルガ・ハバト。弓隊士五十人長で、騎士団長と・・・そうだな、レーレン千人長とも同期の男だ。二人とは今でも仲良く酒など同席する間柄と聞く。一度弓の腕前を見せてもらったが、レーレン子爵をして敵わないと言わしめるだけはあったな。凄まじいものだったよ、あれは」

「あ、それで陛下もご存知と。なるほど、陛下を救助した方でしたね」

「そうだな。陛下も安心するだろうし、私から強く推すものとして伝えてくれたまえ」

「ご助力に感謝します」

 宰相兼軍団長という権限をもってすれば、複雑な命令系統を経ることも雑多な処理を行う必要もない。その利点を最大限利用して、ハンネルは常日頃からこのように機転を利かせてくれる。このような、ほんのちょっと立ち寄ってみた休憩の一時でも、だ。

 時に誰となく言うが、フィルラントの財産は人材である、という言葉がある。まったく敵わないな、とシュナは内心で苦笑めいたため息をついた。リィエルあたりに言わせれば自分もまた、その人材の一人としてくれるだろう。しかし相対的に見ればハンネルやリィエルは突出して優秀だ。

「・・・その、ハバト五十人長ですか。能力でなら騎士団長やレーレン子爵に並ぶとおっしゃいましたが、何故五十人長のままなのですか?それほど優秀ならもっと・・・」

 複雑な面持ちが顔に出ていたか、ハンネルはシュナの顔をじっと見つめた後に柔らかく微笑んだ。顔に刻まれた皺が深くなり、年輪を重ねる樹木の印象を見せる。こういう顔をするときのハンネルは柔和な態度ながら、どこか諌めるような言葉を発する。思い出してシュナは気詰まりし、やや身構えた。

「まあ、これは君のような若者にはまだ分かるまいかな。そう、要するにだ・・・巡り合わせが無かった、といったところか。運が悪いと言うとレーレン子爵の例において先々代陛下に対し失礼が過ぎるので言わぬが、そういう機会が彼には無かったのだね。運命は求めて切り拓くものと言うが、それでも予期せず訪れる機会というものもある。子爵や騎士団長はそれを掴んだ。五十人長には無かった。無いままに、しかし彼はそれでもよいと言っている。騎士団長や子爵も、まあ騎士団長は本心が解り辛い御仁だが、彼らもまたその機会が無くともよかったと言うだろう。この三人が入隊した頃から知っているが、彼らはそういう人物だ。機会があれば会って話すといい。彼らは君たち軍人にとって良い手本と思える」

「・・・生粋の武人、ということですか?」

「それは一面において言えることだが、全てではない」

 空になった木のコップを持って、ハンネルは立ち上がった。

 笑みはまだ深いまま。

「いずれ君にも理解できよう。恐らくその機会は多く、そして早く訪れると思われる。きっかけは君の手の届く場所に居てくれるのだからね。その時になれば君にも選択肢は与えられるだろうが、どう選ぶかは君次第だ。なに、気負うことも心配することもない。今のままで居れば、今の気構えを保ち続けてさえ居ればよいことだ」

「・・・・・・分かるような気は、します」

「そうか、ならよかった」

 ではお先に、とハンネルは小食堂を後にした。

 シュナは一人、機会、と呟く。そして目の前のスープを匙でつつく。

「なるようになる、ということか。今のところは」

 冷めたスープには汁気は残っておらず、具材が少々皿の端に転がっているのみ。野菜の欠片と、あの縞マメがいくつか。

 まとめて匙ですくい取ると、躊躇わず口に放り込んだ。



 公務との兼ね合いもあり、身支度を整えたリィエル一行が馬車で城門をくぐったのは昼をややまわった頃になった。

 天候は晴れ。昨日の雪もすっかり止んで、陽光が気持よく降り注ぐ日となっている。


「馬車は知っていたが乗るのは始めてだ。ほほう、こういうものか」

「わたしもあんまり乗ったことが無いです。便利ですねぇ」

 開いたのは東門。

 城下の人々は先日の戴冠式以来に姿を見せた王族専用の飾り馬車に、喜びの歓声をもって迎える。あの可愛らしい小さな女王陛下がどこかへお出かけするらしい。あまりに姿を見せないので、人々はそろそろ女王の体調を心配していた程だった。

 背が低く敷地の広い建物が広がる東部市街。前方に目をやれば、その中で一際大きく目立つ黒っぽい建物、王立学院。

 今日最初の目的地に向けて、馬車は軽やかにのんびりと走り始めた。


 他国からの客を迎えて最初にどこへ招待するか。諸国に悩みを同じくする者は必ず居るだろう。そういった意味で、シュナは外務大臣のウィバルに夜遅くにもかかわらず相談してみた。そこで返ってきたのは、簡単な返答。

『学院でしょう。職人街もいいが、まずは学院だ。この国の最も誇る施設ですからな』

 それはそうだ、とシュナは頷いた。そもそも、この程度のことを外務大臣に相談する必要も無いくらいだった。

 派手ではなく、地味でもなく。そんな味のある黒さが全体を覆う王立学院の建物。城下に住む者なら誰でも目にしたことがある、この国では王城よりも長い歴史を持つと言われる施設。フィルラントを訪れてこの場所を訪れない手はあるまい。

 シュナの立てた予定に従い、既に学院にも通達は行き届いていた。

 正面の巨大な門扉から伸びる遠大な金属柵に囲まれる建造物を見上げ、馬車はその門前に待つヒーム・エンデル学院長に出迎えられた。

「降りてもよいものかな?」

「大丈夫です、ここは。むしろ学術的な好奇心旺盛な人々の居る場所ですから、そういう点では多少問題があるかもしれませんが」

 人々が怖がったりしないだろうか、とムルエルファスは気遣った。それに対しシュナは問題ないと答える。これは、早朝にエンデル学院長からの通告で知らされていたことだ。彼は学院の面々に今日のことを既に伝えたが、怖がるどころか興奮気味に早くお会いしてみたいという声が相次いでいるとのこと。

 そういった内容を、リィエルの横で籠に布団を敷き詰めて丸く座っているムルエルファスに告げる。

「大人気なのですね」

「いやぁ、まいったな」

 掴みどころのない性格ながら、リィエルはムルエルファスと意気投合しているらしい。シュナもそれほど知識は無いが、このムルエルファスという聖獣は、多くの聖獣の中でも特筆に値する変わり種なのではないか、そう思えてならない。

 それはともかく、シュナは二人(一人と一羽)が思った以上にくつろぎ楽しんでくれている様子なので、今日の遊覧は問題なさそうだと今から安堵していた。

「では、両陛下」

「はい」

「うむ」

 シュナに手を引かれてリィエル。そのリィエルの手に抱えられてムルエルファス。なんとも言い様のし難い一行が馬車から降りた。

 なおムルエルファスを両手に抱えているのは特に理由も無く、つい今しがた籠から出ようとしてつまずいたムルエルファスをリィエルが慌てて受け止めてそのまま、ということ。やけに収まりがいいのでリィエルはそのまま手を放さず、ムルエルファスも愉快そうにされるがままである。シュナもぎょっとしたが、リィエルは特に重くなさそうであるし、ムルエルファスも了承している風なので口を出さなかった。

 そんな一国の王と伝説の王。さしものヒーム・エンデル王立学院院長も噴き出すのを堪えきれず、ごまかそうとして失敗し呼気が妙な所に入ったのかゲホゲホとむせ込んでしまっていた。さもありなんとシュナも頷く。

「うおっほん。あー、ようこそおいでくださいました」

 なんとか取り繕ったエンデルに、二人の陛下は丁寧に礼を送る。

「急なことでごめんなさい、院長先生。今日はよろしくお願いします」

「秘術の学び舎か。ふーむ、なるほど、こう利用したか」

 どうぞとエンデルの招きに従って一同は門の中へ。正面に広がる学院の庭は広く、芝生や木々が均等に植えられており爽やかな光景となる。まだ肌寒い季節でも、青々と茂る緑が風の冷たさも忘れさせてくれそうだった。

 左右を兵士らに固められての一行は目立ち、敷地に居た学徒らはこれに気付いて歓声を上げている。

「創立2500年以上。ムルエルファス陛下はこの学院の由来をご存知なのですか?」

 先程のムルエルファスの言葉に、懐かしさのような響きを聞いてエンデルは問うた。

 ムルエルファスはリィエルの腕の中でしみじみと頷く。

「うむ。かつてここは黒の砦と呼ばれる場所だった。記憶も曖昧なほど昔になってしまったが、形は違うようだ。恐らく一度壊して建て直したのだろう。黒色を基調とした部分だけは引き継いだのだな」

「黒の砦・・・」

 リィエルは学院の建物を見た。石材そのものの色が黒色に近く、これが全体の壁面を覆うために黒一色に染まる巨大な建造物。

 建物の印象そのものは国内の他の屋敷とそう違わない。木組みに煉瓦と土とで構成されるのはここも同じだが、色だけが異彩を放つ。

 正面玄関から、これまた広いロビーに入ったところでムルエルファスは再びクチバシを開く。

「シュエレー神が教会を授け、次に作られたのがここだ。黒の砦は初代フィルラント王の住居であり、同時に当時の高名な秘術使い達が集う場所でもあったため、我々はこの場所を”黒の要塞”とも呼んだ」

「要塞?誰かと戦っていたのですか?」

「そうだ。当時は戦乱が絶えなかったからな。人間達の間での諍いは無論、我ら獣王の血族とも戦っていた。・・・・・・余は、この国を叩こうとしたことがあるのだよ」

 一瞬、リィエルとシュナ、エンデルも色めき立った。しかし一瞬である。

 もはや考えるのも馬鹿らしいほどの遠大な過去の出来事。その時代と今とで、情勢などいくらでも変わる。現にムルエルファス王は目の前でリィエルの腕に抱かれて安穏とした口調のままだ。動揺するほどのことではないのだろう。

「まあ、難しかったがね。結局、この国とは争うよりも盟約を結ぶほうが良いと気付いて手のひらを返したよ。余に土をつけたのはユクティラ神のみだが、余が侵攻を諦めたのはこの国だけだ」

「そんなに、凄い王様だったのですか」

 ロビーに入った一行はひとまずその場で待たされることになった。

 前もって通常の業務を行うよう指示してあるので、特別な企画などがあるわけではない。が、リィエル達の訪問自体が特殊なイベントでもあることなので、生徒や教員らは浮き足立って気もそぞろといったところ。昼過ぎまでの学徒用授業はじきに始まるはずだが、ロビーを見にやって来る若者は見渡す限りでも100人近く居ようか。

 ざわざわと騒がしくなる中、ムルエルファスはその喧騒こそを微笑ましく眺めた。遠い目をして。

「そんなに凄い王だったのだよ、初代フィルラント国王は。あれが人間とは思えないほどだった。知略に長け、計略と謀略を指先で用い、秘術を使わせれば我らの威力に匹敵し、不屈の精神は我が同胞の矜持をも叩き折ってくれた。いざとなれば国土もろとも吹き飛ばしてやろうかとも思ったが、それよりも直に話してみたかった。人の身で聖獣に比肩した者などあの時初めて見たのだから」

 言いつつムルエルファスはリィエルの腕からひょいと降りた。

「見てまわってもいいかね?昔と違って今のほうが面白そうだ、ここは。秘術の学舎というのは術導機の研究もやっているのだろう?」

 術導機とは、秘術を応用して生物の霊力で作動する道具のことである。市街地に敷設された街灯などもこの術導機の一つ。

 エンデルは少し考えてから、近くにいた教員の男性を呼びつけて何かを小声で話していた。その後、頷く。

「いいでしょう、案内します。安全面に配慮したいので、できればこちらが指定した場所以外には立ち入らないようにお願いしてもよろしいでしょうか?知識無く触れると危険な機材などもありますので」

「ふむ・・・・・・うむ、よかろう」

 エンデルの表情を窺うムルエルファスは、彼が真剣に言っていることを汲んで了承したようだった。

 部外秘の研究や軍事目的の研究は基本的に他国の者には絶対に知られてはならない。が、現状フィルラントでそのようなものはほとんど無い。単に、本当に危険だという理由があっての指示であり、エンデルも一切含むところなど無かった。

 とはいえ、エンデルの目の前に居るのは地上最強の聖獣と称されるムルエルファス王である。彼にとっての危険などそうそう遭うことも無いだろうが、と思ったところでリィエルの存在を思い出す。なるほど、過保護なことだ、と胸中で呟いて。

 ちょこちょこと尾羽根を振りながら歩くムルエルファスを追い越すように、エンデルは先に立って歩き始めた。

「ではリィエル陛下、一緒に行こうか」

「はい、ムルエルファス様」

 と、リィエルも。

 先程から続々と集まって来ていた生徒や教員らは、既に広いロビーにも収まりきれないほどの人数になってしまっていた。先んじて通達していたため動揺する風でもないが、まさかこれほど歓迎されるとは思わず、誤算だった。

 前を見ればリィエルが握手を求められたり、ムルエルファスにおっかなびっくり話しかける生徒の姿もあり、シュナは少々気が気で無い。一応その周りを部下の兵士らが固めているし、問題は無いのだが。

「では、我々も」

「あ、ええ。ハバト五十人長」

 シュナの補佐官に任命されたゼルガ・ハバト五十人長はリラックスしているようだった。聞けば王族の警護などの任務は今回が初めてだそうだが、その割に馬車の通る道路や訪れる建物の構造についての把握など、シュナも舌を巻くほどてきぱきと動いてくれる。

 口調は穏やか。行動は無駄なく。機転が利き、ユーモアもある。上級士官としては破格の能力ではあるまいか、とシュナは驚いていた。流石にハンネル宰相が推挙するだけはある。

「ハバト殿はどちらのご出身で?弓兵というには若い頃から鍛えていたのでしょうか」

 なんとなくするには不躾な質問だったかと思ったが、ハバトはこだわる様子も見せなかった。

「北部の、農家ですよ。狩猟を代々やっとる一家です。家は弟達に預けましてね、それで入隊を」

「預けた?何故です、ご長男だったのでしょう?」

 目線で常にリィエル達とその周辺を捉えつつ、ハバトは苦笑した。

「あ~、っと、あまり女性に言う話ではないのですがね。その、以前一度結婚はしていたのですが、なんというか、子供が出来なかったもので」

「え・・・」

「原因が自分にあるのは医者に知らされて、離縁して・・・で、家督を継げないのも仕方が無いので、軍に」

 仏頂面を常とするシュナも、流石に赤面した。

 小声で失礼を、と頭を下げる。

「いや、いや。申し訳ない、下品な話で」

「下品というか、仕方のない話だと・・・」

「・・・父はいいと言ったのですがね。私は根が頑固だったようだと、その時知りましたよ。家を出てこちらへ移って、もう二十年以上経ちますか・・・たまに帰ると家長のように扱われるもので、弟夫婦の手前、逆に肩身が狭い」

 ふと、今朝思ったことを再び思い出した。

 父には勘当を言い渡されたわけではない。が、あまり実家に帰りたくもない。

 しかし父は何と思っていることか。

「弓が得意で良かった。元々これ一つで食っていけるものと思い上がった若造だったのが幸いしました。妙な意地で、弓だけは誰にも負けまいと訓練にも熱が入ったし、自信も確かになりつつある。塵も積もるものです」

 その腰に吊られるのは短剣と、折り畳み式の弓という珍しい装備。自作したという一品は小弓より少し長いくらいだそうだが、室内など狭い空間ではこれで十分らしい。

 シュナは、殊に馬術は誰にも負けない自信があった。しかし武器のほうは凡庸より少し上という程度だ。訓練は欠かさないが、それでも剣術で少しばかり伸びて、弓など他の武器ではからっきしだった。ハバトのような才能あって努力できる持つ者を羨望することもある。

 現に今、ハバトの視線はリィエル達の周囲を警戒するに留まらず、常に一定の距離、一定の空間を保つように動き、体を移動させている。建物の構造も完全に頭に入っているのだろう。

 王国軍弓兵隊には、こういった特殊任務向きの人材が多い。中でもハバトは五十人長で、精鋭揃いと言われる四番弓術隊の訓練担当官だ。彼の実力の全容は想像だにできない。そもそも王の目に留まっただけで親衛隊長になれた自分とは、練度も経験も全く違う。想像しないほうが精神衛生上良い。すれば鬱屈してしまうだけだろう。

「弓兵隊ですね・・・」

 声なきため息はハバトに聞こえたか。彼はもう一度苦笑した。

「親衛隊長は、まだお若い。これからです」

「はい・・・」

 朝と似たようなことを言われて、シュナは逆に気落ちしてしまった。女性ながらに早く歳を重ねたいものだなどと、複雑に想う。

 しばらくそのままリィエルの後を歩いて、ハバトの仕事ぶりを見て。

 エンデルに案内され、一行は学院の奥、研究棟へ向かう。先ほどまで騒がしくしていた学生らも、教員達に叱られて授業室へ飛び込んだらしい。今は静かなものだ。その、午後のとろりと流れる時間が穏やかで、シュナはエンデル院長に連れられて歩くリィエルを眩しく見る。

 学院に来る機会は、一般人にはほとんど無い。上流階級の子弟でも秘術を専門に学ばない者が訪れることも無い。シュナは軍人の家系で、幼い頃は親が指定した家庭教師に学んだ。社会生活を送る上での一般教養は、大抵の場合は私塾や家庭教師に教わる。親が代わることもある。教会が運営する少年学校というものが国内数カ所にあるが、これは庶民の中でも上昇志向を持った親が子供を通わせる場所だと聞いている。内容は他と変わらないが、13~4歳ほどまでの子供たちはここで社会を学び、親の手伝いをして、よく働くようになる。

 秘術を学ぼうとする者は稀有だ。だが、総人数で言えば少なくない。国外からも志願して来るほどのフィルラント王立学院は、秘術を修めんとする若者、修めて更なる高みを目指す学芸員らにとって、秘術の聖地とも言える。志がある者が集うのだ。

 こうやって大勢の人間が集まって教育を施し施される場所というものは、シュナにもなんだか面白そうに思えた。自分には無かった環境だ。が、総じて秘術士らが変わり者と言われるように、シュナが望んでも親は許さなかっただろう。いや、望みはしないが。

 ただ、違う目線に少し憧れるだけだ。

「・・・・・・」

 シュナは不意に顔を強ばらせるようにして軽く笑い出しそうになった。

(任務中に私一人だけ勝手に一喜一憂して、馬鹿だな)

 それで気を取り直す。結局、ゼルガ・ハバトが五十人長という地位に甘んじている理由は聞き損ねたが、まあいいだろう。

 些事を考えてもしょうがない、とシュナは頭を振ってリィエルへ近寄っていった。今は術導機の試作研究をエンデル院長の案内で見せてもらったりしており、シュナに気づいたリィエルが手招きしている。机の上に乗るムルエルファスは物珍しそうにリィエルが持つ道具を見つめていた。


「こういうものは、特に必ず必要というわけではないのだろう?ほら、この熱量を発する板など、火を起こせば済むことではないのかね?」

「火を起こせば火事になるかもしれず、また火を起こす作業自体が面倒である場合には有効だということです」

「人間は物ぐさだな・・・」

「いえいえ。その分、空いた時間に他のことが出来るでしょう?」

「ああ、なるほど」

「聖獣であるムルエルファス王であれば逆に理解し易いのではないでしょうか。我々人間の時間は有限であり、その中で最大限の成果を求めたがる生き物だということに」

「なるほど、ふむ・・・なるほどな」

「はあ、なるほどです」

 ん、とエンデルとムルエルファスとシュナがリィエルへと振り返った。

「え?あ、えっと・・・そんなこと考えたことなかったです。便利だとは思ってましたけど・・・」

 ムルエルファスはしばし黙って、エンデルを見た。

「若者の意見として重く受け止めておきたまえ」

「染み入りました・・・」

 シュナと、遠くでゼルガ・ハバトがくすりと笑う。時間の有限性を想うのは総じて大人であり、子供にとって時間も世界も無限に等しいものであるから、リィエルはエンデルの言うことに目を開かされたのだった。

「しかしまあ術導機と言っても色々あるものだな。ここまで多様化する技術になろうとは思わなんだ」

「それは常に世間でも言われているようですよ。術導機の発明は本当に早い。今日作ったものが明日には過去のものです」

「ふむふむ」

 この研究棟の一室は、エンデルが私室としても使用している部屋だとのこと。私室というには、やたらと大掛かりな実験器具が所狭しと配置されており、言うなれば工房という雰囲気だった。

 学院の運営を任される身にあって学生らと共に研究に没頭することも多いという彼らしく、部屋にある術導機の数々は一般には出まわっていないものばかり。それも、新しい試みが施されているものが多かった。

 エンデルの説明にムルエルファスは食い入るようにして聞き入り、リィエルは説明よりも現物の構造に興味を持った。知識の寄る所によって好奇心の対象が明確なのが分かりやすい両者である。

「こんなに軽量化できたのですか。お台所に使う加熱板は、もっと大きいものが主流では?」

「ふふふ、さすがと言って欲しいものです。一見地味ですが、生徒らもこの出来には満足していましたよ」

「素材は・・・軽銀ですか?何か混じってます?」

「軽銀と鉄と石炭粉です。この薄さと面積で秘術を織り込むのは苦心しましたよ」

「でしょうねぇ・・・すごいです」

 リィエルが持ち上げてみたり裏返してみたりしているのは、先ほどムルエルファスが全否定しようとしていた金属板。熱量を発して調理などに用いる加熱板という道具は一般的だが、リィエルの言うように普通はかなり大きく、重い。

 物体に秘術を織り込んで記録させる技術は、秘術の応用形として現在では広く研究されている。これを術導機と呼び、スイッチのように刻まれた起動公式の文章などに触れることで、内包された秘術が起動する仕組みになっている。

「誰でも秘術を、か。うむ、それはいい考え方だと思う。我ら超越種は生まれながらに己の領域に親しむから、秘術という概念は持たぬ。そもそも秘術というものが、誰でも我らのような力を持ち得る可能性そのものだな。それを更に、とは。ううむ、やりおるな」

 感心しきりのムルエルファスだったが、言葉の端々から得られる聖獣の生態のほうがエンデルやリィエルにも興味深いものだった。聖獣アールカインと親しいリィエルも、彼しか知らないのだから聖獣全体の在り方というものを直接耳にするのは初めてだ。

「それ以前に道具を使わぬからな・・・手があるのは面白そうだな」

「翼があるのも面白そうですよ?」

 と、リィエル。相手がニワトリの聖獣と知っての言葉だったが、失念していたわけではあるまい。

「飛べぬ翼でもか?」

「人間の手も飛べませんよ?」

「物を掴むこともできぬぞ」

「大気を掴むことはできるのでしょう?わたしの手では無理です」

「文字を・・・ああ、うん、止めよう。ふふん、褒め殺しだな」

「?」

 要するに、根本的な進化の結果であるということをリィエルは言いたかったようだ。えらく言葉が足りないのは彼女の癖か。

 各々の適した体の形があるので、差異を比較することは無意味だということ。

 エンデルとシュナが噴き出し、ハバトや他の護衛兵も可笑しそうな顔だった。リィエルは、大人たちが何を可笑しがっているのかは分からず、しかしつられて笑顔になる。

「物事の道理とは、まさしくリィエル陛下の言う通りだ。より根源的であるほど良い。より単純であるほど良いのだな。くっくっ・・・余としたことが、まったく敵わぬな」

 言って、飛び乗るようにリィエルの腕に抱かれるムルエルファス王。

「敵わぬので、リィエル陛下の掌中に収まって居るとしよう」

 固いクチバシを斜めに向けて、ムルエルファスはこうやって笑い顔を表現する。

 リィエルはままごとをする子供のように笑った。

「あら、わたしの好きにしていいのですか」

「なにせ抵抗したくとも、余は羽ばたいて逃げられぬ」

「うふふ。でも、ムルエルファス様のお体を掴んでいるから、わたしは他のものを掴めません」

「そうなれば余が助けてしんぜよう」

「じゃあ、しっかり掴んでいますね」

 そうやって二人で笑い合う。

「ではエンデル殿、次はどこを見せてくれるのかな?」

「は・・・では、授業風景などを。ちょうど大講堂で講義中です」

「よろしい。さあ行こうか、リィエル陛下」

「はい、ムルエルファス様」

 少なくとも、リィエルは見せた。信頼は一夜で生まれることもある、と。ムルエルファスも全幅の信頼をこの少女に置いたようだった。

 何か、傍からでは計り知れない意思疎通があるのだろう。リィエルとムルエルファスは共に王であり、特殊な力によって地位を際立たせているという部分も共通する。この二人にしか分からない共感があるのかもしれない。

 初対面から一日でこれほど仲良くなった二人の王。特殊な立場や条件があるとはいえ、こんなにも急に親しくなれるものかと皆は怪訝にしたが、それでもリィエルならと思えた。それに、両者は誰にも別け隔てなく気安いという共通点がある。別段不思議なことでもないのだろう。

「・・・すごいですね」

「です、な。王の資質というやつでしょう」

 僅かなやり取りに感動するシュナとハバト。目の前で二人の王が交わした会話の意味は、両者の立場が影響して幾重にも形を変える。それを、二人はあっさりと飲み込んで話している。

「・・・・・・行きましょうか」

「・・・・・・です、な」

 考えた挙句、二人に言葉は無かった。


 王立学院の見学は、2時間ほどで終わった。

 リィエルはエンデルから母の思い出なども多少聞いたが、詳しくはもっと時間のある日にでも、とエンデルが言うので了承していた。他に学術的な質問を中心にエンデル含め学院の誇る学芸員、教員らに行っていたが、やはりこの少女の年齢という点を加味すると誰もが驚愕していた。そもそもリィエルは学院で秘術を学んだわけではないのに、平均的な秘術士はもとよりエンデルと比較しても遜色ない知識と応用力を持つのだ。皆は舌を巻いて、逆にリィエルに質問を返す場面もあった。それほどリィエルの知識は、学院にとっても新鮮なものだったのだ。

 ムルエルファスはというと、終始この見学を楽しんでいる様子だった。しきりにあれはなんだ、これはどう使うものなのだ、と皆に聞いては答えに満足し、人間とは面白いものだと何度も言う。

 広い大講堂での講義を見学していると、ムルエルファスが授業をしていた教員に質問を投げかける場面があった。

「それで、霊力を増大して補填する秘術はいつになったら作られるのかね?」

 秘術の命題の一つであり、難題であり、悲願である。リィエルやエンデルが苦笑していた。

 質問された教員は、フレティ・メテュエ・クロージャッハという女性教員だったが、彼女が「人が神になる日か、神が人になる日に出来るでしょうね」と返すと、ムルエルファスは驚いたようになって頷いた。

「なるほど、いい発想だ」

 他に、リィエルがエンデルに勧められて講壇の上で学生らに挨拶をしたり、秘術の知識を披露して教員と共に授業を行う場面もあった。若い学生らはこの幼い少女王を微笑ましそうに見ていたのが、その知識に触れて目を白黒させていた。少なくとも、この場の学生でリィエルに追随できる秘術士は一人も居なかったのだ。クロージャッハ女史も、リィエルが話す隣で驚嘆の眼差しを向けていた。

「以上が、アンクの動詞に類する発火術についてのわたしの見地です。基本形の合理化については今述べた内容で完成すると思いますけど、考察の余地はまだまだあると思います。それに、なんでも合理的にするより、間接動詞を加えて多様化するほうが面白いと、わたしは思います。ええと、以上です。ありがとうございました」

 箔板を置き、紙にリィエルの論を記録する者が続出していた。ほんの僅かな授業だが、今彼女が語ったものはちょっとした革新なのではないか。語りつくされた基礎的な秘術で、これほどの持論を展開するとは誰も思ってもみなかったようだ。

 歓声と盛大な拍手に見送られて、リィエルら一行は大講堂を後にした。

 その後は、学院の食堂で休憩を兼ねてお茶と菓子が振舞われた。ムルエルファスがリィエルの手のひらから菓子をついばんでいて、微笑ましいやら失礼に値しないのかと皆が動揺するやら、これも小さな騒動だったのはご愛嬌。一息つこうとしたシュナが紅茶を噴き出しそうになっていて、ハバトとエンデルに介抱されたりもした。

 予定を押し気味だったが、皆が満足しているのでシュナも一安心だった。

 一行はエンデルに見送られ、残る日程に従って移動した。


 次に向かった気象観測局では、リィエルは予想以上の歓迎を受けた。

「陛下には何とお礼を申せばよいか・・・」

 局長を務めるのは学院職から転向して就任したハッゼ・テステッタという男性である。気象観測官は彼のように秘術士出身の者が多い。

 先日の国難を省みて、リィエルが予測し気象観測局が同様の予測を立てた点は後になって高く評価された。そも、この気象観測局は平時はほとんど閑職のようなもので、誇りを持って働く局員らは税金を食いつぶすと非難されてもいたのだ。そこにあの事件で、リィエルに申し訳なく思い、また災害を喜ぶ不謹慎さもあれど、評価ががらりと変わって予算も優遇されているのが現状。

 局員らは一様に、日頃の働きが報われたと喜んでいるのだった。

「正当な働きに報いたまでです。これからも頑張ってくださいね」

「は・・・はいっ!」

 と、リィエルの労いの言葉に更に興奮して感動する始末。

 王立学院に隣接して建つ気象観測局は、一見するに何の建物なのか解り辛い。全八階建ての塔が三つくっついたような特徴的な局舎と、それを円形に取り囲む平屋。敷地いっぱいに建物が詰まっているため庭が無く、正面玄関に申し訳程度に「気象観測局」と小さな看板がある。

 リィエルら一行が立ち入ったのは、玄関から入った平屋、つまり気象情報を国府に提出するために文章化する施設。これが左程掃除も行き届いていない雑多な部屋が続くという見苦しいもので、所狭しと置かれた机には、これまた机狭しと膨大な量の紙束が載っている。聞けば、これほど紙を消費する部署はこの気象観測局くらいだという。箔板では得た大量の気象情報を記録しきれないらしい。

 統一された気象観測官の制服は、誰の着ているものを見てもくたびれてしまっているが、むしろそれが仕事に従事し没頭する彼らの働き振りを表している。シュナはこの制服を見ると、先日のあの雪の日の絶望を不意に思い出して暗い顔をしていたが。

 テステッタ局長に招かれ、一行は三本の塔にも登ってみた。

「狭いのでお気をつけて。一階は資料作成室と同じで、二階から四階が交信室。五階は編纂室。六階と七階が観測機や大気、雨、水質、土壌などの成分検出を行う試験室。八階は展望台となっております」

 細い階段をすいすい登りながら話すテステッタ局長。さすがに歩き慣れているようで、リィエルの健脚でも少々へばり気味なのに、中々過酷な仕事であることが窺えた。

「交信室?」

「ええ。ここ以外にも国内の端々に監視塔があるのはご存知ですか?規模はここより小さいですが、それらの塔とも秘術の念話を行って情報収集を行うのです。一室に一人、合計で九人が常時待機して、日に一度交代します」

「日に一度・・・大変なお仕事ですね」

「はは・・・いえ、まあ、強いて言えば座りっぱなしで退屈なくらいでしょう」

 言葉は濁したが、要するに一日中椅子に腰掛けて持ち込んだ本を読んだり茶を飲んだり菓子を食っているだけの仕事というわけだ。シュナやハバトはそれを知っていて、リィエルの後ろで苦笑する。

「編纂室とは得た気象情報をまとめて交信室に渡すのか。観測機とは?術導機にはそんなものもあるのか」

「ご覧に入れましょう。こちらへ」

 ムルエルファスが興味を示した観測機の置かれる六階の一室へ。

 秘術の灯りを廃して蝋燭に照らされる薄暗い部屋には、フィルラント全土を表す巨大な地形図と、その上にずしりと鎮座する透明な立方体の物体があった。

「ああ、望遠球なのですね」

「さすが陛下。その通りです」

 テステッタが立方体の一部に貼りつけられた金属板に触れると、透明な内部に球体の歪みが浮かび上がった。

「これは・・・初めて見ますが」

 シュナが驚くのも無理はない。これほど大掛かりな術導機は、一般的に用いられることはまず無いのだ。

 望遠球とは術導機の一種で、透明な球体に遠隔地の風景を描写する道具である。面白いのが素材で、純水のように澄んだ透明でありながら、実は全て金属で構成されているのだ。術を付すことで物質としての色彩を消失し、透明にして用いられている。

 ここに置かれた望遠球は巨大だが、リィエルの知るものは手に乗るサイズだった。王城の私室に持ち込んだが、自前の望遠球もある。母に教わって自分で作ったものだ。金属球の成型から秘術を用いて作られた高精度なもので、出来栄えに母は褒めてくれた。

「球?確かに球体が見えるが、どういう構造なのだ?」

 立方体の内部に球体。どうやって作られているものなのか、ムルエルファスは不思議がった。

「密度を変えてあるのですよ。真球を作るのは難しいのですが、この構造なら計算だけで簡単に構築できるのです」

「・・・!!」

 と、驚愕するリィエル。なるほど、と呟く。

 金属を溶かせば如何様にも成型できるとはいえ、確かに真球状に創り上げるのは非常に難しい。それが、今テステッタ局長が言ったやり方であれば、物体の内部に真球を構築するだけでよい。秘術の公式さえ緻密に仕上げれば、それがたとえどんなに不恰好な金属の塊であっても、内部に密度差で真球を作れる。発想の転換だ。

 一同の前で、球体に地図が投写された。横から球体を覗き込むと、このフィルラント王国の上空に目を置いたような風景が見える。今は、晴れ間に挿し込む陽光や、遠くの森、崩落したシュエレー神山などが映しだされている。

「すごいな。いくつもの術を同時に重ねているのか。この国のどこでも見られるのかね?」

「いいえ、そこまでは。下の地図は座標を確保するために公式に組み込んであるもので、要するに縮小模型のようなものです。都市の隅々まで詳細に覗き込むことはできませんが、このように球体の位置がフィルラントの上空にある形ですのでかなり遠くまでの空の様子なら見られます。地図の示す、フィルラント王国の国土の範囲なら視点を移動もできますよ」

「ほう・・・」

 そして、とテステッタが別の文字盤に触れる。すると、投写された風景の色彩が一瞬で大きく変化した。陸地が消え、雲だけが青く表示されている。更にテステッタが文字盤に触れると、その動きが巻き戻されたり現在の時点まで早送りされたりした。

「記録もできるのか。色が違うのは強調しているのだな。風速や風向も見るのか」

「ご名答です。色は温度も表していて、この青は平時の雲の温度ですな。雨雲など冷えた雲は、より青が深く黒っぽくなります」

 はぁー、と一同がため息を吐いた。

 これほど精巧であり、かつ多彩な機能を実用的な運用形式で実現する術導機は滅多にあるまい。リィエルはこの気象観測局という部署がいまいち重要視もされず軽視される傾向があるのが不思議でならなかった。

「他の国は、これは?」

「いいえ陛下、このフィルラントだけのようです。なにぶん作られて千年以上経つ術導機ですし、再現して製造することは可能ですが、金額が相応のものになるので・・・」

「おいくらほどなのです?」

「ええと、試算では確か、トルプ金貨7000枚ほどです。気安くは作れますまい」

『7000枚!?』

「高いのかね?」

 ムルエルファスだけが貨幣価値を知らず、きょとんとした。

 説明しておこう。

 フィルラント王国のあるヤヌアフ大陸では、複数の国家間で共通の通貨が用いられている。種類は三つ。セス木貨、フィル銀貨、トルプ金貨である。この内フィル銀貨はここ、フィルラント王国で製造管理が行われている。

 セス木貨はセス教の管理下で作られる木製の硬貨で、よく乾燥させた樫を型でくり抜き、教会の洗礼の炎と煙で燻して速乾性のにかわで固めたもの。偽造は容易だが、洗礼を受けたものを汚すと「神の目が閉じる」と言い、幸福を逃すとされている。それ以前に木貨の偽造は普通は赤字が発生する仕組みになっているため、やはり行われないもの。最低価値の硬貨であり、1枚あたりでパン一つほどの価値になる。

 フィル銀貨は1枚がおよそセス木貨100枚に相当。先述したようにフィルラント王国で製造される。教会と王国術士の共同で洗礼と秘術の刻印が施されており、偽造防止の機能を持つと同時に軽い魔除けの作用を持つと言われる。

 そしてトルプ金貨は1枚がおよそフィル銀貨20枚に相当。金貨1枚は一般市民の給金でほぼ一ヶ月分に値する。

 フィルラントの隣国トルパトルで製造される、恐ろしく精緻な装飾を持つ金貨。1枚あたりの重量もほぼ誤差無く完全に均一になっており、その偽造の困難さから通貨として最上の信頼性を持つ。装飾は製造された期間内の王の肖像であり、これによって製造時期が容易に判別できるようになっている。

 7000枚の金貨と言えば、一般市民の平均的な給金の7000ヶ月分に相当するわけで、換算すると600年分ほどの給金に匹敵する計算になる。はっきり言って非常識に高額な数字である。

 なお、蛇足ながら付け加えると、これほど高額の通貨を財布に入れて持ち歩く者は通常居らず、代わりに国立銀行が発行する為替が高額取引の際には一般的に活用される。富裕層の者でも金貨を所持する者はほとんど居ないという。

「おお・・・・・・高いな」

「それは・・・ちょっと、簡単には作れないですね・・・」

「打診されることもあるようですが、費用に効果がさほど見合わないのですよ。トルパトルが導入しようとして金額を聞き、逆に怒って諦めたという逸話もあるほどです」

「代替素材で作れないのでしょうか。これは何でできてるのですか?」

 見た目は水晶のようだが、その実は金属の塊。掘り出して鋳潰して成型するだけなら、それほど高額になるだろうか。

「秘術の挿入や構築期間が長いというのもありますが、素材は赤晶銀だそうです」

『赤晶銀!?』

 今度はムルエルファスも一同と同じく驚きの声を上げた。

 説明しておこう。

 赤晶銀せきしょうぎんとは非常に採掘量の少ない希少金属で、名の通り赤みを帯びた金属である。金属としての性質が銀に似るため、こう名付けられたとされている。

 最たる性質は、霊力との親和性が極めて高いこと。つまり、秘術の媒質として有効なのだ。これは術導機の基幹素材として非常に有用であることを意味している。

 一般に、そこらにある鉄で作った術導機よりも、この赤晶銀で作ったものの方が十倍以上の効率で作動すると言われている。

 同時に装飾用の貴金属としても取引されるため価格の上昇に拍車がかかるわけだが、過去にはこの金属の鉱脈を巡って戦争が起きたという話すらあるのだ。それがこれほどの量で、惜しげもなく使われるとなれば、なるほど非常識だった。

「こんな量を・・・」

 シュナが自分の着ている軽甲冑に触れる。先王シャルテから賜った秘術を織り込んだ甲冑は、まさにこの赤晶銀が各部に使われている。軽量化の秘術がかかった鎧は軽いが、価値を問うたことは無かった。聞けば畏れ多くなるだけだろうから。

「作られた当初は術導機の研究が今ほどでは無かった時代なのでしょうな。現代ほど赤晶銀も高価ではなかったからこそ、これだけの量を使うことができたのでしょう」

「はぁー・・・」

 リィエルは深くため息を吐いた。感心したか、あるいは呆けたか。

 今年のフィルラント王国の国家予算は、税収部分の概算では金貨3000枚ほど。先年までの税率はかなり高いとされるが、急に変えるのも難しいのでほぼそのまま引き継いでもその額となっている。数字だけ見ると分かり難いが、この国は現状でかなり貧しいのだ。国庫の貯蓄分と、貿易による収入を加えてもこの望遠球一つも作れない。

 税金を払わない民が多いというのもあるが、大半は払えないと言うのが正しいだろう。

 亡き父が遺した負債と、北部の復興。真綿で首を締めるような小さな搾取も積み重なれば巨大な歪みとなっている。国の中心に立って初めて見えた情勢を、こんな場で改めて見せられてリィエルは眉尻を下げざるを得なかった。

「ふぅん・・・ふむふむ。我々聖獣が自然界の声を聞き取る力を持つが、その模倣に近いものか。しかしこちらのほうが見た目も賑やかで面白いな。余の国にも一つ欲しいが、使う者が居らぬなぁ」

 もう少し東を、もう一度北を、視点を下げられないか、などとテステッタ局長に操作をさせてムルエルファスはつらつらと呟いていた。

 北のシュエレー神山あたりを隈なく眺めているのは、やはり気になるのだろう。リィエルもこの視点で見るのは新鮮だったので、ムルエルファスを抱えたまま覗き込んでいた。

「上から見ると一段と酷いな」

「そうですね・・・怪我をした人が居なくてよかったです」

「しかし、農牧地か。ふむ・・・急いでも今年の収穫は見込めまいな。備蓄はあるのかね?」

「ええ、一応。お野菜なんかが難しいのですけど、食いつなぐ分はあるみたいです」

「ならばよかろう。漁獲量は?」

「増やすように指示をするつもりです」

「北海は海獣が少ないのが幸いか。遠洋まで船を出せるな」

「お船は詳しいのですか?」

「人間と海は切っても切れぬものだ。海が無ければ湖や河だな。どれほど陸が飢えても、漁をすれば食い物にありつける。今も昔もそれは同じだろうと思うよ」

「そういうものですか」

 長い経験から語る言葉に偽りはあるまい。有り難い訓示としてリィエルはムルエルファスの言葉に耳を傾けた。

「天候の見通しはどうなっておる?」

「しばらくは晴れると予測しています。ただ、昨夜のような通り雨、通り雪は頻発するかと」

「雪解けは?」

「例年より遅れるはずです。気温が低いので」

 リィエルが首を傾げた。

「具体的に、どのくらいの時期になるのでしょう?」

 答えようとしたテステッタ局長は顔を曇らせる。

「・・・例年と比較して、半月から一月ほど遅れる見通しです」

 ハバトが眉を跳ね上げ、シュナとリィエルは小さく、えっ、と声を上げた。ムルエルファスはこの国の収穫期を知らないので、真上にあるリィエルの顔を見上げている。

「まずいのかね?」

「ええと・・・」

「耕作期の直前です、陛下。いえ、時期的に少し被るかもしれません」

 春になってもフィルラントでは完全には雪が溶け切らない。耕作期は雪解けが終わる頃の、川の増水が治まりつつある時期に行われるのだが、この時期が遅れると秋の収穫期を過ぎて冬になってしまう。夏の野菜類はともかく、穀物の収穫は大打撃を受けることになるのだった。

 ハバトは北部の農家の出だけに、この時期の重要性を身を持って知っている。一斉に種を巻き苗を植え、伸び始めた牧草地に冬越しさせた牛や豚などの家畜を放牧する耕作期は、毎年ほとんど同じ時期に来るものだった。たまに出遅れた農家などが居たが、彼らは大抵の場合秋や冬に収穫量を減らし、寒空の中出稼ぎに行くはめになる。その間、雪で埋まる北部の農村には一度も帰ることができない。

「ふむ、なるほど大変だ。しかし、季節の問題となれば長い歴史のあるこの国のことだ。対策はあるのだろう?」

「それが・・・あるにはあるのですが」

 天候の問題なら、三千年の歴史を持つフィルラントのこと。確かに対策はある。

 リィエルは目の前の望遠球に触れた。

 物質を透明化する秘術は、例えば布地などに使うこともできる。これを用いて巨大な透明の幕屋を作り、その中で作物を育てることをフィルラントでは古くから行っていた。これを温屋栽培という。

 温屋栽培は小規模な野菜の栽培などに使うのが一般的で、冬でも保温を行える幕屋の中に、更に透明な布地が日光を遮らず通すことで無理なく栽培ができる手法である。そして、稀に天候不順などの対策として国が巨大な温屋を建築させ、その中に田を敷くことで水温までも管理し冬でも稲作をすることがある。ただしこれで育つ麦はあまり肥えず、味が劣るため好まれない。

 それでも、温屋栽培ができれば食べ物も困らないはずだった。

「透過布の保管庫は農村地帯の共同倉庫でしたので・・・その、埋まってしまって」

「ああ・・・あの土の下か。今から作るのはどうなのだ?」

「透過布は植物の繊維の持つ霊力を使ってゆっくり透明にするものなので、完成まで時間がかかるのです。普通に布を透明にしただけだとすぐに元に戻ってしまうので。それに、それだけ大きな布を作るのも大変なことですから」

「しかし、ならばどうするのだ」

 リィエルはしょんぼりとうなだれた。先日からこの問題ばかりが彼女を悩ませる。

「掘り起こすのはどうなのだ。屋内に保管しているなら、埋まってもそうそう損傷していまい?」

「そうなのですが・・・東の、クシャタラナト様のお許しが出ないのです」

「・・・・・・・・・なに?」

 散々議論したことだが、瓦礫を撤去して農地をもう一度作るには、大量の水が要る。そのためには川から水路を引いてこなければならず、その際に大量の泥水が下流に流れていくのは避けようが無いことだ。クシャタラナトに迷惑をかけないで済む方法は無い。

「運河を作りたいのですけど、そうすれば東の湖に泥水が入ってしまうのです。クシャタラナト様には先日の、シュエレー神山の一件でもご迷惑をかけてしまったので、これ以上無理を強いるのはできません。それで、でも、どうしたらいいのか・・・」

「待て、待ってくれ、クシャタラナト?居るのか、国境に」

 ムルエルファスが食いついたのは別の部分だった。リィエルはきょとんとする。

「はぁ、はい。居ますよ、クシャタラナト様」

「水竜の?」

「そう伺ってます。わたしは実際にお会いしたことがまだ無いですから」

「・・・契約を結んで、何年ここに?」

「ええと、シュナさん、何年でしたっけ?」

「800年ほどだったかと、確か」

「・・・・・・・・・」

「?」

 ムルエルファスは唸り声を上げて、それきり黙った。顔を下に向けて何かぶつぶつ呟いている。端々から「こんな所に居たのか」などと聞こえるが、どういうことなのだろう。

「あの、面識がおありなのです?よろしければ後日、一緒に会いに行きませんか?」

「・・・直談判か」

「ええ。直接お伺いを立ててみようと思っていたので・・・」

 それで許してくれなければ方策は尽きる。最後の手段のはずだが、ほとんど唯一の手段でもあるので仕方がない。

 宰相ハンネルが日程を調整しているだろう。レアもリィエルの健康状態を逐一チェックして、それも日程の検討に取り入れているはずだ。東の国境のある湖は、それくらい念を入れなければならないほど距離がある。小国とはいえ、そこそこの国土はあるのだ。

 ムルエルファスが来てくれれば頼れるかもしれないが、それはしたくない。ただの客として同行してもらうつもりだが、どうなるだろう。そんなことをリィエルが思っていると、当のムルエルファスがリィエルの指をクチバシで軽くつついた。

「彼との対話を余も望もう。同行させてもらえるかね」

「・・・はい、もちろんです」

 なるようになるかな、とリィエルも腹をくくって息を吐いた。

 ハバトが状況を知らないのでシュナにそれとなく聞き、表情を険しくしている。テステッタ局長も事情を知らないが、彼なりに推測してリィエルを慰めるように眉を下げていた。

 ムルエルファスだけが、恐らく別のことを考えて押し黙る。


 気象観測局の見学を終え、時刻はまだ夕刻にも少し遠い。

 一行はそれから馬車に乗って東部市街地を移動し、ここからは本当にただの観光となった。

 美味しそうな匂いがする店に立ち寄ってみれば、そこは学院の生徒が頻繁に利用するパン屋で、シュナが兵士を数人引き連れて馬車を降りいくつかのパンを買って皆で食べたりもした。

 風光明媚とは言えない東部市街は王立学院を中心に成り立つため当然だが、それでもなかなか味のある風景だった。文具や学院で使用する精密機器などはこの辺りで製造するため、小さいがしっかりと営業し繁盛しているような工房や工場がそこかしこに見受けられる。

 紙の製造もこの近辺で行われていると聞き、政府直轄で運営される製紙工場の見学もしてみた。

 糊と樹木繊維と鉄の匂いが蒸気に乗って立ち込める工場で、ムルエルファスは嗅覚が鋭敏だと明かして苦悶の呻きを上げたため、慌ててリィエルが連れ出すという一面もあった。そのため結局ムルエルファスは工場に入らず、外でシュナの胸に抱かれて大人しくしていた。シュナはシュナでムルエルファスの扱いに困りつつ、柔らかな羽毛を思わず撫で付けようとしてしまい慌てて手を引っ込めたりもして。

 一日目はそんな風に過ぎて、終わった。



 翌日からも国内の見学は続いた。

 シュナの考えで、この遊覧はリィエルの社会勉強も兼ねていたため一日目は東部市街、二日目は南部市街、三日目は西部、四日目は北部ときっちりした動きで一行は国内を巡る。

 南部には何と言っても教会があり、華やかな上流階級の商人らが軒を連ねる大通りなど見た目も賑やかで、皆も退屈することは無かった。そして南部市街でシュナが懸念していたフォーダムレフテ職人街という場所についてだが、治安もよろしくない地域なので紹介はほんの触り程度に収め、リィエルが名残惜しむのをなだめて馬車はゆったりと走りまわった。


 西にあるのは国府関連の施設ばかりで、公文書館や王立図書館などはリィエルが特に喜んでいた。あれほど大量の紙の書物が保管されている場所は、諸国を比較してもフィルラントが有数と言えるだろう。多岐に渡る文書が保管された両施設で、リィエルはムルエルファスのことも一時忘れてはしゃぎまわってしまい、一同に呆れられていた。

 王立病院も西部である。国内の病院の元締めであり、千人近くの入院棟を持つ巨大な病院は壮観だった。中には医療関連の製品を製造する工場もあるというが、滅菌義務のある施設での見学は国王リィエルでも簡単に許可が降りず、しかし彼女もムルエルファスもそれは当然だろうと納得して引き下がっていた。代わりに、と工場で作られた加工食品を何種類か土産に貰い、シュナは反応に困り妙な顔だった。保存性のいい乾燥パンや瓶詰めの野菜は栄養価のみを考えられたもので、おやつ代わりになるほど味はよくないのだ。

 病院の責任者、シャンダイン・ハルザッハとは城内で面識があり、リィエルは多忙によって痩せこけた老齢の男性に丁寧に挨拶と、礼を述べた。一方のハルザッハ病院長は疲労した顔つきのまま、それでも満面の笑みでリィエルを迎えてくれた。と、そこで補佐医師の女性に呼ばれて慌ただしくその場を辞してしまったが、シュナによると病院長は非常に優れた外科医の腕を持つため休まる時間が無いのだとか。


 北部は、何度も述べたが軍関連の施設、そして軍人の家系が多く屋敷を構えるある種堅苦しい雰囲気の市街。

 シュナの実家に行ってみようかとリィエルが言うと、彼女は首をぶんぶん横に振ってこれを勘弁していただきたいと謝った。実家とは疎遠ぎみだそうで、リィエルはご家族と仲良くしましょうね、と言ってシュナがしゅんとする場面もあった。何故かムルエルファスも軽く気落ちしていたが。

 市街地そのものはほとんどが邸宅なので、主には城内にある軍事施設を回った。案内役は、フォガリ騎士団長。

 なにかにつけて美しく伸びた赤毛をかき上げながらの案内に一行はうんざりしながら(リィエルとムルエルファスはこれに対してほとんど無反応だった)、それでも兵団が準備していた軍事教練の模擬白兵戦や馬術戦などでは全員が目を丸くして感動し、手を叩いて喜んだ。フォガリによれば普段はもっと地味らしい。どう違うのかとリィエルが尋ねると、地味なほうが過酷です、とフォガリは笑って答える。

 ムルエルファスがここ数日の寝所として使っている竜舎は遠慮し、一行は多くの馬を管理する馬舎にも行った。先日生まれたばかりという仔馬が三頭、これを見たリィエルは思わず歓声を上げて駆け寄り、シュナも頬を上気させて仔馬に触りたそうにしていた。


 遊覧の間、リィエルとムルエルファスは多くの話をした。

 それはただの雑談であったり、政治に関することであったり、リィエルが知らぬ遠くの地の話であったり、聖獣にまつわる逸話であったり、ムルエルファスの過去の物語であったりと、本当に多くの内容だった。

 リィエルは必死にこれに耳を傾け、一言一句漏らさず聞いた。あまりに熱心に聞いてくれるので、ムルエルファスも時々照れたように翼をばたつかせて照れ隠しをすることもあった。

 真面目な声音で話す時は、王としての気構えやあるべき姿、教訓などについてだった。

「国家というものは小さくまとまっているほうがよい。それは国土、国勢の両方に言える。版図を無理に拡げて良い結果があった試しは無い。何故なら国土が拡大し国勢が肥大化しすぎると、端から国は脆く崩れやすくなるからだ」

「人間は国を作ると、その中枢は必ず一つと定める。故に、中枢の目が行き届かぬ遠く、または見落としがちな足下に反発が生まれるのだな。そう、国は拡げられた分だけ反動が生じる。まとまろうとする動きが生まれる。これは少なくとも余が見てきた歴史において確実に証明されている。例外は無かったよ」

 リィエルはふと思いついてムルエルファスに年齢を問うてみた。

 ムルエルファスは笑って、一万あたりまでは覚えているのだがな、と言った。

「王とは何か。その答えが出ることは昔から今も、これからも決して無い。しかし多くの結論は既に存在する」

「王とは孤高である。王以外の誰も王であってはならず、王が王以外であってはならない。その意味は己自身で考察し、探求していくがよろしかろう。どの王でも、最後にはそれを悟るものなのだからな」

「王と国は等しくあるのが正しい。王の一人は国家の重みと釣り合い、国家の重みは王のただ一人が支えるものである。その均衡がいつ如何なる時であっても釣り合っておれば国はそれでよい。あとは国もまた自ずと均衡を保つべく、王を支えるだろう」

「王は信頼し、信頼されねばならない。信頼を得るのは難しく、失うのは容易いものだ。信とは力足りうるもので、不信とは衰退の一因成り得る。不信の下に与えられた命令では不信をもって応えられるのみだが、果敢に信頼を求めて他者と通じるのがよいだろう」

「王は民に尽くし、民に尽くされねばならない。それは命を賭けるに値するかどうかだ。民のために命を張れるなら、きっと民は王のために命を張るものだ。・・・リィエル陛下は、すでに民のために命を賭したな。その行動はいずれ必ずや報われるだろう」

「国家の誰もが諦めても、王だけは諦めてはならない。国土に最後まで、最期まで立ち残り続けねばならない。民の最後の一人までも守らねばならない。何故なら、国には王が必要であり、王には国が必要であるからだ」

 それが王である。そうムルエルファスは語った。

 ただし、と彼は言う。ただし、これでも王を語り尽くせぬ。訓戒としては一部だが、足しになればよいだろう、と。

 リィエルはただ頷き、言葉に感謝し、様々を想った。

 偉大な王という手本を眼前に、いや胸中に抱き、多くを学ぼうと。



 そして、東の国境へ訪れる日になった。




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