第一話・「閉幕」
『閉幕』
気持ちの良い晴れた日になった。例年より一週間ほど遅らせて実施される王国議会の開催日である。
「ああ、やっと終わった・・・間に合った・・・」
「本当・・・疲れたわ・・・」
シュナとレアが狭苦しい部屋で書類をまとめ終えた所に、扉をノックもせずサエラが入ってくる。
「お茶ですよお二人ー。あーあー徹夜なんかしちゃって、肌荒れますよ」
『・・・・・・・・・もう、どうでもいい』
「女捨ててますね・・・」
サエラすら呆れた口ぶりだったが、実際の所二人にとって女だの結婚などという話は・・・まあ少しは心残りだが、本当にどうでもいいことに思えた。
リィエルのために働く。これほどの喜びが他に無いから。
「う・・・そうだ、副長を呼ばねば・・・」
「ああはい、いってらっしゃいシュナ」
「・・・レア、寝るなよ・・・?」
「当然でしょ・・・・・・・・・・・・」
「寝るなって」
シュナが立ち上がり、のろのろと部屋を出て行く。そもそもこの執務室はシュナのものだったはずだが、レアは私用の寝室以外に専用の執務室を持たないので会議用の書類を作成するにあたり、シュナに頼み込んで共に一夜漬けとなった。メイド長としての執務室ならあるが、あそこは他のメイドが頻繁に出入りするので集中できないのだ。
「サエラ、座っていいわよ」
「はい、それじゃお言葉に甘えて」
座れとは言ったが勝手に茶を飲み菓子を食えとは言ってない。そう言おうとしたが、レアは精根尽き果てて机に突っ伏してしまった。
「ほんとに大丈夫ですか?会議中にぶっ倒れたりしないでしょうね」
「・・・しないわよ。たぶん」
「これじゃリィエル様のほうがお元気ですよ」
「それは大変結構なことじゃないの・・・」
駄目だこりゃ、とサエラはため息をついた。
「・・・何か目が覚めるものでも作ってきます。辛いスープと苦いハーブティー、どっちがいいです?」
「・・・好きにして」
そうですか、とサエラが立ち上がり、同時にレアはがばっと顔を上げた。
「あっ、や、やっぱりハーブティーだけで!」
「・・・・・・ちっ、そうですか。分かりました」
「両方持って来るつもりだったでしょ?」
「そんで両方無理矢理にでも詰め込んでやるつもりでした」
「・・・・・・・・・」
面白半分でこういうことをするから頭の固い議員や兵士に煙たがられるのよ、と言おうとしたがどうせ聞く耳を持つはずもない。それにあれはもうサエラの性格というか、味だ。今更変えられても逆に気持ち悪いだろう。
サエラが部屋を出て、レアは一人書類をめくりながらため息を吐いた。
「・・・・・・シュナの癖が移ったわね」
などと一人ごちてもう一度ため息。
しかしまあ、仕方ない。これも仕事だし、少なくとも予算決議に必要な資料くらいは自分の手で最終稿を作らないと、下手をすれば一年間予算不足で城内管理に必要な備品が確保できない場合もある。この部分だけは先代からも徹底的に教え込まれたので、気合は抜いても手は抜けない。
それにリィエルがここに来て初めての会議だ。十分用意をして彼女の補佐をしなければいけない。
気を揉んでいると部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
入ってきたのはサエラだった。
「・・・早いわね?」
「もう時間だそうですよ。大臣さん達も集まって来てます」
「あら、もうそんな・・・何故貴女はそんな残念そうな顔を?」
「・・・特製激苦ハーブティー、飲ませそこねました」
「・・・・・・・・・」
年に一度、これから一年間の政府の行動などを決議する場がこの王国議会である。ここで前年の税収を元に各大臣らは各々の部署の予算をどれだけもぎ取れるかを競い合うことになる。その他にも大臣らの査問会議や人事、税率の変更なども含まれており、会期は初日の朝から短くても三日後の夜あたりまでみっちりと話し合うのが通例だった。
会議場には既に宰相以下多数の議員らが集まっており、他にも副長官位や書記官などが入るため総人数百名以上が一堂に会していた。
シュナは親衛隊長としてリィエルを連れてくるため、レアは一人入室する。彼女の存在など気にも留めないのか、部屋中に満ちた喧騒は止みそうにない。
宛がわれた席に着いて辺りを見回すと、ほんの数名ほど姿が見えなかった。財務長官、以下副官。外務長官、以下副官。この面々だ。人数にして六人。
やれやれだ、とレアは渋面を作った。先日財務長官、ペリューク・ヤカラボはそれまでの陛下への言動に対し死罪も厭わぬと覚悟を示したという。その意志も二週間ほどで挫けたのだろうか。
そんなことを考えていると、当のペリュークが入室して来た。その瞬間、室内の喧騒が止まり急に静寂が訪れる。ペリュークはいきなり静かになった室内に戸惑ったようだが、急ぎ足で自分の席に座った。やがてゆっくりと喧騒が元に戻る。
その内に外務長官らも姿を表した。見渡すと欠員は無さそうだ。
レアは書類を開き、書記官らが配って回った会議のしおりにも目を通す。
「・・・・・・さて、どうなるかしら」
「医師の診断では健康状態は良好。ただし疲労状態が長時間続くようなことはなるべく避けるように、と」
「そうですか。なら大丈夫ですね」
「・・・会期はなるべく陛下のご負担にならないよう調整します。それだけはお許しください」
「はい、ありがとう」
「・・・・・・では、参りましょう」
むしろシュナのほうが大丈夫かなあ、とリィエルは怪訝そうな顔をしていた。目の下のくまが酷い。
手を引かれて立ち上がると、シュナが少しふらついて二人とも倒れそうになってしまった。リィエルはシュナに支えられて事無きを得る。
「だ、大丈夫ですか陛下」
「は、はい・・・・・・あの、シュナさん?」
「・・・・・・分かっています。お恥ずかしいことで」
「ふふ・・・じゃあ、今日はしっかり手をつないで行きましょう。わたしもシュナさんを支えますね」
「いえそんな・・・」
固辞しようとしたが、リィエルはしっかりとシュナの手を握って離さなかった。
「で、では・・・よろしくお願いします」
「はいっ」
サエラが姿を見せたら口を封じよう。そんなことを考えながらシュナはリィエルの手を引き、控え室を後にした。
フィルラント王国女王、リィエル・タナック・フィルラント陛下ご入場。
号令と盛大な拍手にリィエルは迎えられる。やけにシュナとしっかり手を繋いでいるのがおかしくてレアは微笑んだ。
リィエルが玉座に着き、シュナが隣に控える。それを待って司会が一同に着席を命じた。
まず、議長であるハンネル宰相の挨拶がある。年相応に長ったらしい挨拶もリィエルには新鮮なのか、じっと耳を澄ませているようだった。レアも今回ばかりはハンネルも例年と違うことを言いはしないかと期待したが、流石は完全中立主義者だと言うべきか、去年とほとんど同じ内容だった。
そしてリィエルの挨拶。体調を考慮して着席したままの挨拶だが、誰も異を唱えなかった。
むしろ感嘆の声すら聞こえた。リィエルは先週まで心神耗弱による昏睡状態にあり、今期の王国議会は王抜きで開催しようかという意見すらあったのだから。
「おはようございます、皆さん。気持ちよい朝になってよかったですね」
眩しい笑顔で言うので、つられてレアも、あるいは他にも数名表情が緩んだかもしれない。
「わたしは初めて参加する王国議会なので、不慣れなところもあるでしょう。ですから、皆さんに助けてもらえると嬉しいです。わたしも早くお役目を覚えて皆さんの力になれるように頑張ります」
拍手に包まれて短い挨拶が終わる。彼女がこの言葉を単なる挨拶ではなく本心から言っていることが想像できて、レアも袖を捲くり上げる思いだった。遠くではフォガリ騎士団長がまだ拍手を続けている。
さて、本番か。とレアが身構えるとどうも様子がおかしい。司会とシュナが何かを話し合い、頷きあっている。
次に発言したのはシュナだった。
「会に先駆けて、陛下の発案により査問審議会を行います。異議のある者はここで申し出るように」
場内が騒然となった。唐突に何を、と誰かが言いかけて言葉を切る。理由など一つしかない。
ペリューク・ヤカラボは青ざめてはいたが、どこか吹っ切れた様子だった。
異議が無いためシュナは司会と共同して進行を務め、査問会を開く。
「・・・ペリューク・ヤカラボ財務長官。お立ちなさい」
きっぱりと言い放ったのはリィエルだった。シュナも驚いたようでリィエルを見上げたが、直接言われたペリュークの驚愕はそれ以上だったらしい。何より、今日のリィエルはどこか超然としたものを感じてならない。
「陛下・・・お、おっしゃりたいことは全て承知しています。わ、わ、私は陛下のご采配とあらば、どんな裁定が下ろうとも構わぬ覚悟です」
「よい心がけだと思います。ですが聞いてください、ヤカラボさん」
リィエルは相変わらずあの微笑のみを浮かべていた。本心から世界の全てを慈しむような微笑。じっとそれを見ていて、レアは急に何か恐ろしい事実に気付いた気がしてならなくなった。
もしかしてあの微笑こそがリィエルの”真顔”なんじゃないか、と。いや、リィエル自身も恐らく心の中でも微笑を湛えているのは分かる。そうではなく、微笑と真顔に差が無いのでは・・・急にそんなことを思いついた。
「陛下、ここはまず私から」
「どうぞ、シュナさん」
シュナが引き継いで咳払いをする。彼女もどこか、何かが不自然だと感じているようだ。
「ペリューク・ヤカラボ財務長官。貴公はその地位と特権を利用し、不当に高額の金品を授受していた。そうですね」
「・・・はい」
「財務局内において不正を働き、記録を改ざんして特殊会計を利用し、特別予算を引き出していた」
「はい」
「先日の北部農耕地帯における一件、陛下直々の工事を妨害し陛下の御身を危険に晒す一因を作った」
「はい」
「・・・・・・外務長官、ウィバル・ランデミス。お立ちなさい」
「は、はい」
立ち上がった外務長官はペリュークにどこか似た禿頭の男だった。
「ペリューク・ヤカラボと共謀し税収の一部を不正搾取していた。これは事実ですか」
「・・・・・・じ、事実です」
「ではお二人とも、前へ」
ペリュークとウィバル・ランデミスが席を降り、円卓の中央、最も低い場所に並んで立つ。その横へシュナが歩いていくと、二人にその場で跪くように命じた。
リィエルは少し、眉を悲しそうに曲げたようだった。
「お二人は、民の幸福とは何だと考えますか?」
リィエルの言葉に、跪く二人は俯く。
「そうですねぇ、考えても分からないことです。みんなそれぞれ、幸福に思うことは違うはずですから」
場内はしんと静まりかえった。リィエルの言葉は子供の口調ながら、どこかに重いものを持つ。
「わたし、王さまのお役目って何だろうって考えてました。それはね、ええと・・・そう、ごはんがおいしくて、体が健康で、みんなが病気もしなくて、ちゃんとお仕事があって・・・」
ハンネル宰相が微笑を浮かべた。やはり、この陛下は本物だと確信したように。
「わたしは、わたしにとってはそれが幸せです。それで、王さまはね、その幸せをみんなにも共有してもらうのがお役目だと思うんです」
リィエルが言うのは最低限の幸福だ。全てを失ったことすらある少女の言葉には否定できる要素が無い。柔らかい口調ながら説得力の塊のような言葉だった。
「言うは易し、行うは難し、ですねえ。でもわたしはがんばってこれを実現したいです」
リィエルは分厚い紙束を傍らの机に置いて、これに手を乗せた。少しだけ目を閉じるのが見えるが、あれは一体何なのだろうか。あのような行動の後は決まってリィエルは様々なことを急に把握したようになる。
「・・・・・・今の、わたしの行動の意味がわかりますか?」
「い、いえ」
エンデルが椅子をがたりと鳴らした。何かを思い出すような顔だ。
「母から教わった秘術の一つにこんなものがあります。それは、物質の内部にある記録と記憶に触れ、それを読み取るという術です。今、ここにペリュークさんとウィバルさんがこれまで会議や公の場で発言した議事録を持って来ています。この内容を全て読み取りました」
『!?』
場内がまた騒然となった。そんな恐ろしいことまでできるのか、秘術とは。エンデル学院長が在りし日のミュシェ・タナックを思い出して全力で納得する様子がよく分かった。レアはこれまでのリィエルの行動の意味を察し、シュナもまた同じように理解して深いため息をつく。
「まず、お二人への判決を決めています。これを言い渡しますね」
「は、はひ」
「・・・・・・」
もう言い逃れなどどうあっても無駄だ。リィエルがこんなことで嘘を付くとは思えないし、嘘を言っている様子も無い。ならば二人の所業の全てはリィエルにとって隈なく明るみに出たと言える。
「ペリューク・ヤカラボ。ウィバル・ランデミス。二人は前述ならびに調書にある罪状により、法務庁及び裁判所の裁定においては死罪相当とされる」
『・・・・・・!』
「ですが、わたしの権限をもってこれを撤回。代わりの裁定として、まず二人は財産を没収すること。家宅を没収し、領地を剥奪すること。これを言い渡します」
財産を失って家も無くし領地も剥奪されればそれはもうそこらの貧民と大差無いのではなかろうか。
「で、では陛下、我々はこれからどうすれば・・・」
「あ、はい。えーっと、二人は城壁内の官舎に移住してください。税収からのお給料も一年間は九割を没収、ご家族がいるなら一緒に来てください。家族寮を用意します」
『はぁ!?』
「この条件でこの先一年間、城の官舎に住み込みで今の職務を継続していただきます。来年の王国会議で多数決を行い、その採決によって領地と家宅は返却するかどうかを決めます。ですが財産などは国庫の損失額の補填に充てるため、そのまま完全に没収となります。よろしいでしょうか」
ある意味社会的に抹殺されたようなものだと誰かが呟いた気がした。或いは自分の胸の内の呟きだろうか。
金も家も没収され城壁の内側で無賃労働。ほとんど奴隷みたいなものだ。
だが二人はそれでも、始めは当惑していたものの段々と納得したらしい。それはそうだろう、本来の裁判所の判決に従うなら死刑なのだ。彼らの行った罪は本来それほど重い。
「・・・他にも、後ろ暗い部分を持つ方がいると思います。ですが、名乗り出なくてもいいです」
リィエルの言葉にぎくりとした者が何人いるだろう。ちらりと見渡しても分からない。それほど少ないのではなく、それほどに多い。
そもそもリィエルの記録を覗く術があるなら、隠したところで既に完全にバレていると考えるのが自然だ。
「今回のお二人の採決は、つまり見せしめだと思ってくださって結構です。これからは行動を改め、真面目なお働きに期待することにしますが、それでよろしいでしょうか。嫌だと言うのなら、残りの裁定は法務長官と裁判所に委ねることになりますけど」
ここまで言われてはもうどうしようも無い。リィエルは「あなた達の罪は全て明らかになっています。死刑になりたくなかったらこれからはちゃんと働きなさい」と言ったようなものだ。
まさかここまで言うとは。シュナもレアも驚いていたが、ハンネル宰相も目を丸くしていた。
「裁定に従います。寛大なご処置に感謝致します!」
「右に同じく、裁定に従います・・・」
ペリュークとウィバルが疲れきった様子で、だがリィエルへの認識と忠誠を改めて礼を送った。これから二人は受難の道だろうが、自業自得だ。せいぜい頑張ってもらいたい。
城内の風紀はただこの一件で完全に片付いたと言ってもいい。もはや王の目を盗んで内職に精を出そうなどと考える者も無いだろう。第一リィエルの前では不可能だ。
誰ともなく、リィエルへの拍手が送られた。それは数を増し、やがて大きな拍手と歓声に変わる。
この国は真の王を迎えた。いずれ強い国へと、誰もが賞賛を送る王の下で生まれ変わるだろう。
リィエルが玉座で笑んだ。
フィルラント王国、万歳。女王陛下、万歳。リィエル様、万歳。
「では、王国議会を始めましょう」
後日、戴冠の儀が執り行われる。
リィエル・タナック・フィルラント、この儀をもって王位を継承。女王として認定を受ける。
戴冠式に際して王の御前に守護天使が現れるが、一つ騒ぎが起こる。
天使は七つの階級に分けられ、属する階級に応じて異なる性質を持つ。
第一天使は生命を司る。
第二天使は進化を司る。
第三天使は力を司る。
第四天使は戦を司る。
第五天使は統治を司る。
第六天使は繁栄を司る。
第七天使は運命を司る。
彼らは必ずしも人の姿を持つわけではなく、実に様々な動物の姿を持って人の目に映る。またこの上に大天使と呼ばれる階級があり、彼らもまた非常に稀有ではあるが守護天使として現れる場合がある。
先王シャルテの守護天使は第七天使ヘペルネ。純白の体毛に覆われた、兎に似た馬のような姿をしていたと伝えられる。
この日、リィエル新王の前に現れたのは大天使インリューク。真理を司る絶世の美女の姿を持つ天使であった。
大天使と聖獣の庇護の下、フィルラント王国の女王は幼いながらも圧倒的な声援を受けて民に迎えられた。その知性は紛れも無い本物であり、既に名君の片鱗は多く見られるという。
後の世に並ぶ者無き希代の名君、フィルラントの少女王の誕生である。
ここまでが第一話です。投稿に際して不慣れな点が多々あるため読み難い部分もあると思いますが、楽しんでいただければ幸いです。
感想など忌憚の無い意見を頂ければ嬉しく思います。