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第一話・「王として」

『王として』


 すぐに、とリィエルは指示していたが実際に会議が開かれたのはそれから三日後だった。先日の謁見の際に出席していた面々は揃ったが、半数近くの者が何やら気乗りしない表情である。

 まずリィエルは状況を説明した。シュエレー神山が大規模な雪崩と崩落を起こす可能性が高い、と。

『シュエレー神山の状態は例年通り変わりなく、問題ない』

 会議の多数派を占めた意見がこれである。リィエルは驚き、焦って説明を続けた。

「次に雪崩が起きれば防壁も役に立ちません。いえ、防壁もろとも崩れ落ちるのでより危険が増します。一刻の猶予もないのです。対処を打たなければ」

 懸念する声もあるにはあった。状況を理解しているヒーム・エンデル王立学院長や雪崩が起きないのを懸念していた国土大臣ビーレッテ・パストゥ・ラタレイ女史がそれにあたる。特にラタレイ大臣は驚愕し、早急に対応をと声高に言うのだがどうしても場の空気は渋い。

 宰相ハンネル・オードネイが納得しなかったのも大きかった。彼は優れた政治家であり頭も柔らかいほうだが、実際に塔の上から眺めても例年通りの山肌と同じにしか見えないというのだ。彼をあてにもしていただけに、リィエルは愕然としていた。

 来月から始まる王立議会、そしてリィエルの戴冠式のことで彼らは頭が一杯だったのだ。特に議会では法案の改正や各庁の予算も決定されるだけに、政治家である彼らとしてはどうしても手を抜けない。ハンネル宰相は逆で、実際に見てしまった結果として「問題なし」という方向に考えが固まってしまった。これはもうどうしようもない。

 学術的な分野に説明内容が偏ったのもまずかった。臣下の多くは秘術学を専門として学んだことが無いため、ある一定以上の知識を要求されても理解できないのだ。それに気付いたリィエルが上手く説明しようとしたが、彼女には噛み砕いて彼らに教えるだけの応用力が足りなかった。むしろ余計混乱した者もいただろう。

「陛下、どうしても気になるというのであれば我々が調査を手配しておきますので、どうか来月の行事に集中していただければ・・・」

 これを言ったのはペリューク・ヤカラボ財務長官である。同様のことを騎士団長セイル・フォガリが口にしたが、こちらは調査団を編成し派遣するのが軍部の仕事になるためだろう。内心の「そんな仕事はどうでもいい」という考えが透けて見えるようで、リィエルの隣に立つシュナは無表情のまま心中で怒りを膨らませていた。

 結局、彼らは定例行事以外に関心を持たないのである。やるべきことだけをやり、税金から給料をもらい、どうせならこの権力を少々応用してほんのちょっぴり小遣いを稼ぎたい。大半の臣がこの文面に相当してしまっていた。

「陛下のたっての希望だというのに、何故聞き届けようとしないのです!」

 シュナの強い口調にも彼らは微妙な反応だった。薄くせせら笑う者すらあった。

 激昂しかけたシュナをリィエルが「待って」と呟いて止めなければこの場で抜剣していたかもしれない。それほど大臣らの態度は目に余った。

「・・・・・・では騎士団長、わたしに兵隊を貸してください。秘術士隊を中心に百名ほどを」

 誰かが「私情である」と言った。呟く程度の声だったが、リィエルの言葉の直後で場が静まっていたため議場に響いてしまったのだろう。シュナが再び歯軋りし、議員らもこの発言にはいい顔をしなかった。

「滅多なことは言わぬように。次に似た発言があれば査問も辞さない」

 じろりとハンネル宰相が睨むので、皆は口をつぐんだ。が、リィエルの要望はまだ一つも通っていない。

「それは・・・王命であれば隊を編成致しますが、先ほどの不遜な言葉に倣うのもいかがとは存じ上げるとも、やはり私には納得のいかないもので・・・であれば隊士を出すのも・・・その」

 フォガリ騎士団長も歯切れ悪く。リィエルはそろそろ途方に暮れそうだった。謁見の日、面会の時にはあれほど忠義を自ら示さんと主張し仕事ぶりについても懇切丁寧に説明してきた彼らが、今や別人のようだ。

 気象観測官と秘術隊士の報告はほぼリィエルの主張と同じで、対策すべしという意見が全てだった。にも関わらず、今回の件の全ての出所がリィエルだったというだけで、その信憑性はいかがなものか、と判定されてしまった。それは「たかだか10歳の少女の主張が信頼できるものか」という不信の証明に他ならない。

 先王を見て王に憂いたか、リィエルを見て未熟と判断したか、あるいはその両方か。リィエル・タナック・フィルラントという名はこの場においてほとんど飾り以上の意味合いを持たなかったのだ。

 今ここでやっとリィエルはその事実に気付き、青ざめた。ならば彼らは自分を王と祭り上げてどうしようというのか。彼らが欲しかったのは王座に納まる置物だったのか。リィエルという少女はこの場にあって不要に近しいのではないか。

 与えられた居場所が自分を拒絶した。

「・・・・・・で、では・・・宰相、騎士団長、親衛隊長、お願いです。わたしの指揮で動かせる兵隊の人ををいくらか都合していただけますか。ほんの少しでかまいません、後は・・・わたしがやります」

 窮して発した言葉は余りに卑屈だった。流石に一人の少女を大の大人達が寄ってたかって虐めているように思え、一様に息を詰まらせる気配がある。だが、ここで空気を読まない者もやはり居る。

「陛下は王位を軽んじておいででないか。私物化して許されるものでないことぐらいお解かりでしょう。とてもではありませんが陛下のお願いとやらには賛成し難いですな」

 ペリューク・ヤカラボだった。リィエルは反論しようとしたが、彼の言葉がこの場では圧倒的に支持を受けるものであることが明白であるため、開きかけた唇は閉ざされてしまった。

 更にリィエルに追い討ちをかけたのは、あろうにハンネル宰相がこれに追従したことである。

「まあ、財務長官ほどに言うつもりはありませんが、時期が時期です。調査は派遣するのですから、それで良しとしてはいただけますまいか?」

 レアとシュナが玉座の左右で顔から血の気を失せさせ、真っ青になった。ハンネル宰相を頼れとつい先日言い含めたのは他ならぬ自分達ではないか。ならばこの諫言はレアとシュナが言ったものに等しい。頼りにされる身にあってこの言葉がどういう意味を持つのかを瞬時に理解し、二人は慌ててリィエルを見た。が、もう遅かった。

「・・・・・・・・・わかりました。では、わたしからはもう何もありません」

 ハンネル宰相としては公平かつ中立的な立場と意見を貫いたに過ぎない。だが、それが徒となった。

 もうリィエルは誰も見なかった。そのまま静かに玉座を降り、誰の手も借りず退出してしまった。レアがその後を追って議会場を出たが、シュナは呆然と立ち尽くしているのみ。背後では「やれやれ」だとか「やはり若すぎるな」という言葉が聞こえているが、咎める言葉は無かった。

 ヒーム・エンデルとシュナ・ミュテス・ルゼだけが絶望にも似た表情を浮かべて立ち尽くしていた。他の議員が全て退出し、静かになってやっと二人は目を合わせた。

「ど・・・・・・どうしましょう、学院長」

「・・・・・・親衛隊長は動かせる兵を集めてください。私は伝手を辿って出来る限り人員を用意します」

「横槍が入るでしょう。陛下の責任に転嫁されるかもしれない!」

「・・・止むを得まい。何よりも対策の実行が優先するのです。失敗すれば我々も死ぬのですからな」

「そう・・・ですが」

 最大の懸念はそれではない。

「・・・・・・・・・へ、陛下は私達を頼ってくれるでしょうか?」

「親衛隊長・・・・・・」

 エンデルにも言葉は無かった。あのハンネル宰相の言葉があった瞬間、リィエルは確実に様々なものを諦めた。そういうふうにしか見えなかった。少なくともエンデルには、リィエルの表情からそうとしか読み取れなかった。

 たった10歳の少女が何もかもを無くし、押し付けられ、また奪われた。

 我々は何をしている。一人の少女を王国という巨大な舞台の上に放り出して放置したようなものだ。哀れなことに、リィエルという少女は舞台で舞う方法だけは知ってしまっている。台本が無いだけに余計それは滑稽だった。

「ともかく、私は陛下と話をします。学院長はそのように手配をお願いします」

「了解した。陛下のことを頼みます、親衛隊長」

 言われるまでも無い。笑みでそう語ってシュナは颯爽と部屋を後にした。空元気のように見えたが、エンデルはそれでもシュナを見直した。若さ故か、落ち込んでいるばかりではない。打たれ強さはあるようだと。

 あの少女の信頼を取り戻さねば。まずはそう誓い、エンデルも部屋を後にした。


 リィエルがとぼとぼと、余りにも寂しそうな後姿で歩くのでレアはかける言葉を見失い、表情を硬直させたままその後ろに付き従うしかなかった。こんな時に何を言えばいいのか。自分は働いてさえいれば気が紛れ、嫌なことを考えずに済むのだがリィエルは「働くな」と言われたようなものなのだ。

 何度かリィエルは歩みを緩めて中庭へ向かいたそうな素振りを見せた。母の墓所へ行きたいのだろう。だが、今それをして何になるのか。それを分かっている。無為に生きていられない、リィエルらしい苦労性が滲み出ていた。だがその度に首を小さく振り、執務室へと向かうらしい。やはり彼女はまだ諦めていない。

 そうして無言のまま執務室の前まで来た時、扉を開けてひょっこりとサエラが顔を出した。

「ありゃリィエル様。丁度今掃除が終わって・・・って、どうしたんです暗い顔で」

「サエラ・・・」

 リィエルは縋るような面持ちでサエラを見たが、すぐに顔を下げてしまった。怪訝に思ったサエラがレアを見て、どうやら何か察したらしい。

「はっはあ、さては会議で何か言われましたね。そうでしょう?」

「・・・・・・・・・」

「分かりますよ言わなくても。侍従長も侍従長になった時の会議だか何かで同じような顔してたことがありますからね!」

「・・・・・・え?」

「ちょっと、サエラ」

 意表をつかれてレアがサエラに詰め寄る。リィエルが顔を上げて見ている。

「あの時は何でしたっけ、えーと・・・そうそう、まだ侍従長なり立てで生意気言うなとかなんとか・・・うわあ侍従長そんな怖い顔しなくても」

「・・・そ、そうなの?レアさん」

 リィエルに問われては答えないわけにはいかない。レアはぷるぷると小刻みに体を震わせていたが、キッとサエラを睨み据えると観念したようにため息をついた。

「ええ、そういうこともありました。昔のことです」

「あの時は大変だったんですよもう。ねちねち八つ当たりするもんだから他のメイド達も雰囲気悪くて、新人が二人止めましたね、あれで」

「・・・・・・そ、そんなことが」

「言わないでちょうだいサエラ。忘れたいことなのよ」

 サエラはからからと豪快に笑い飛ばしてみせた。レアは変わらずむすっとしていたが、リィエルはほんの少しだけ面白そうな顔になっている。

「んで、リィエル様は何があったんですか?」

「そ、それは・・・・・・」

 もごもごとリィエルが口ごもっていると、サエラは眉間に指を当ててしばらく唸り声を出し、リィエルの肩に手を置いて口を開いた。

「どうせ大したことじゃないんです、そんなの。リィエル様より偉い人なんていないんだから、好きに振舞っていいんですよ。だから悩みなんかも溜め込まないで、ばーっと当たり散らしゃいいんです。ほら、どうぞ!」

「どうぞって言われても、そのぅ・・・」

「言わなきゃリィエル様のこともっかい陛下って呼ぶようにしますよ!凄い嫌ですけど」

「それは・・・それはわたしも嫌です。名前で呼んでください・・・」

 レアはサエラの持ち前の感性に感心していた。これは自分には真似できない。

「でしょうねぇ。私もリィエル様に今更サエラさんなんて呼ばれたら不敬罪覚悟できついゲンコツお見舞いしますよ、その可愛らしい頭に」

「そ、それも嫌です」

「ああ、親衛隊長さんが来ましたよ。ついでだからシュナさんの過去も暴露しますか」

 考え事をしていたのか険しい表情だったシュナがいつの間にかレアの背後まで来ていたが、サエラの大声でこんなことを言われて黙ってはいられまい。はっと顔を上げると、慌てて怒鳴り始めた。

「サエラ!お前、何を・・・!!」

「言いなさいサエラ。私も聞きたいです」

「レア!?や、止めなさい!」

「ええと、傑作なのはあれですね。シュナさんが地図を失くして・・・」

「うわあぁーっ!やめろ!やめろ!馬鹿やめろサエラ!!」

 いつもの無表情をどこかに忘れて来たかのように耳まで真っ赤に染め上げてサエラに掴みかかるシュナ。見たことの無い親衛隊長の醜態にレアは唖然とし、リィエルも呆気に取られていた。

「一体何があったというの・・・」

「聞くな!陛下も聞かないでください!」

「は、はあ。そこまで言うなら聞きません」

「サエラ、お前が不敬罪を恐れないように私はお前の口を封じるためなら如何なる手段も辞さん!分かったか!?」

「そこまで言いますか。は、はい分かりました」

 いつの間にかシュナは腰の剣を半ばまで抜いていた。余りの早業にレアもリィエルもシュナが手を剣の柄にかけたことにも気付かず、サエラは予想以上の反応に恐怖で引きつった顔をしていた。

「・・・・・・とんだ所をお見せしました。申し訳ありません、陛下」

「い、いえ」

 騒ぎを聞きつけた衛士が遠くから顔を覗かせるので、とりあえず部屋へ、と一行はリィエルの執務室に入った。

 シュナとレアはサエラの一件で頭を抱えていたが、リィエルの気が紛れたこともあって気を取り直すことにしらしい。レアなどは眉をひそめてはいたが、感謝の意を込めてサエラの肩を叩いていた。

「それで、陛下。親衛隊からは必ず兵を出します。学院長も協力を惜しまぬと」

「それは・・・ありがたいのですけど、土木工事のできる兵隊さんが居てくれたらと思ってて・・・」

「足しにはなりましょう。いざとなれば部下に命じて直接隊士を説得させることもできます。会議で同意を得られなかったとはいえ、状況を考えると形振り構ってはいられない、でしょう?」

「・・・そうです。ありがとう、シュナさん」

 リィエルの悩みの内容が聞きたいサエラが興味深そうに聞き耳を立てるのも構わず、シュナとリィエルは話し込んだ。シュナは内心でリィエルが普通に話してくれるので喜んでいたが。

「とりあえず必要なのは、大きな公式陣と水路です」

「水路?」

「はい。術で大きな炎を出して雪と氷を溶かして、無理やり小規模の雪崩を起こさせます。その際に多量の水が出来るので、これが街に流れ込まないように水路が要るんです」

「わかりました。手配します」

「あ、これを」

 そう言ってリィエルが取り出したのは大きめの羊皮紙に描かれた図面だった。詳細な土木工事の図面を見て、シュナはまさかと思う。

「こ、これも陛下が?」

「はい、昨晩描きました。この辺りの地形図が資料室にあったので簡単でした。この通りに水路を掘ればいいはずです。印をつけてあるものは必須で、それ以外は間に合わなければ作らなくても構いません」

 よく見ると図面に引かれた水路のラインの幾つかにはバツ印が付けられている。シンプルで分かりやすいが、やはり驚きは隠せない。水路の詳細には深さの指定や必要人員の試算まで記してあるのだ。

「流石ですね・・・」

「小規模の土砂崩れが発生する可能性が高いのですが、これは術で防壁を作って防ぎます。ですから土石流を逃がすための大きめの水路もそこに記してあります。これは絶対に作ってください、お願いします」

「承知しました」

 リィエルは一枚の模様が描かれた紙を取り出した。シュナも秘術の知識は乏しいため、描かれたものは理解できない。

「学院長先生とも相談しますけど、そこに描いた部分は公式の共通部分なので大丈夫です。少なくともその陣が引かれていれば術が使えますから」

「は、はい」

「工事の部分は以上です。後は、秘術隊士の方が居れば居るほど良いのですが・・・」

「・・・・・・そこは、なんとか騎士団を説得してみましょう」

「ごめんなさい、たくさん仕事を押し付けて」

「お気になさらず。軽いものですよ」

 指示を聞き終えたシュナが早速この手配を行うべく、執務室を後にした。次はレアだ。

「目録を読んだのですが、レアさん、このお城の宝物庫には一角馬の角があるのですか?」

「ええ、あるはずです。直接見たことはございませんが」

「出してもらえるでしょうか?」

「陛下の御物ですので、陛下のサインがあれば基本的にどうなさろうと自由です。ただ・・・」

「・・・・・・・・・」

 急に口を閉ざしたレアが何を言いたいのかは分かっている。高価な品物、二つと無い宝が収められた宝物庫を開き、その一つを持ち出そうとすれば必ず他の大臣らが文句を付けてくるだろう。

「手は打っておきましょう。見せびらかさなければ口さがない者も出ないでしょうし」

「では、お願いします・・・これくらいでしょうか、最低限の準備は」

 黙っていたサエラが口を開いた。何が起ころうとしているのか、彼女も察したらしい。いつに無く真剣な顔をしており、リィエルの目をひたと見つめた。

「・・・大雪崩が起こるんですね?」

「それを防ぐんです。みんなが無事でいられるよう、わたしもがんばりますよ」

「・・・・・・・・・リィエル様」

 サエラはレアを見た。悔しそうな目で。

「サエラ、あなたは陛下のお付きとして、ね」

「・・・はい」

 殊勝な態度だったので、レアは目を細めてサエラを見つめ返した。レアはサエラが幼い頃から、サエラはレアがこの城で働き始めた時からの仲だ。互いのことはよく分かっている。

 サエラに後を任せ、レアも部屋を出た。宝物を持って来るだけでは済まない。彼女もリィエルの言外を把握し、動こうとしている。リィエルがそれを意図したかは別として。

 これから彼女らがやろうとしていることは、他の臣下の意思を完全に無視したものだ。反発があることは絶対に覚悟しなければならない。だが、反発があろうがなかろうがやらねばならない。母が遺した励ましの言葉に従って、力を惜しまず恐れることなく、諦めず、逃げ出さず、全身全霊を尽くして。


 その翌日から、城の北方では予定に無い兵士達の行動が見られるようになった。防寒着を着こんでいるため所属は分からないが、農夫や民間の工夫も交えて広い区域で何か作業をしている。そのほとんどが農牧地帯の雪を掻き分け、地面に溝を掘る工事に見えた。が、その他に広大な平原部分を占有して降り積もった雪をどかし、地面に杭を打ち込んだり浅い線を引いていったりと、一見して統一性の無い作業に見えるものだった。

 彼らは黙々と作業を続け、時として極寒の雪降る夜を通してまでそれは続けられた。事情を知らない者がふと尋ねたりすると、一様に彼らは明らかに焦り殺気立った必死の顔を見せ「この付近に住む者なら、できるだけ南方に退避したほうがいいだろう。騒ぎが起きると絶対に怪我人が出るから、この忠告を忘れず他の者にもそれとなく伝えてくれ」と言うのだ。しかし北方に住む農民らは、これで十分だった。長年この地で、この大地と山と気候を相手に仕事をし、生きてきたのだ。そろそろあの山は危ないのではないか、と心のどこかで感じ取っていた。

 一週間後には北部農牧地帯に住んでいた民は全て南部に移動し、姿を消していた。


「これはどういうことですかな」

「どういう、とは?お話が解かりかねます」

「白々しい・・・!我々の目を節穴とでもお思いか、親衛隊長」

「言いたくは無いが、だからこそ我々も行動しているのです、財務長官」

「なんだと!」

 既に来週に迫る王立議会の開催日を目前に、シュナとペリュークは城内の通路で激しく火花を散らせていた。

 流石に一週間も経てばリィエル女王が腹心と共に兵を使って何かやっているという話は公然のものとなっており、不満を唱える声もあちこちで聞こえて来る頃になっていたのだ。

「王としてなさるべき第一のことをお忘れなのだ、あの方は!何故お止めしないのか、仮にも親衛隊長が!」

「仮にもとは心外な。私は親衛隊を任されたその日から、己の職責を弁えなかったことなどない」

「・・・・・・!!」

 シュナは冷ややかな目でペリュークを見た。今やシュナにとってリィエルの予測は疑いようもないものだったからだ。先日、工事中の部下からの報告で「防雪壁の一部が破損。雪崩は発生しなかったが、植樹が根元から倒れる」という事故が起きていたことを知らされた。いくらなんでもこれは異様だろう。雪を防ぐはずの壁は鉄芯を埋め込んだもので、地下深くまで差し込まれている。簡単に破損するものではないし、倒木まであったのに雪は落ちてこなかった。雪中で巨大な氷が形成され、重量に耐えかねたために防壁は折れたのだ。

 それとなくだが、ペリュークにも何度も説明はしてある。だが彼は一向に話を理解しない。それどころか近日に迫った重要な行事に執心であり、これに専念せよとシュナとレアはおろかリィエルにまで強く言ってくる。レアは既にうんざりしたようで、露骨にペリュークらを避けるように城内の目立たぬ順路を使って歩き回っている。会わないで済む道があるのならとシュナもこれを教わりたがったが、常日頃城内を歩き回っていないと道を覚えられない、として拒否された。おかげで今ではペリューク始めリィエルに否定的な意見の受け役はシュナが一手に引き受けるはめになっている。

「何が言いたいのか!こうして面と向かっているのだから、含まず言えばよろしかろう!」

「・・・・・・失礼ながら、財務長官殿におかれましてはどうやら被害妄想が過ぎるのではありませんか?」

「何だとぉっ!?」

 ハンネル宰相はあくまで中立を通すらしい。是非を問う議論には参加せず、最初こそリィエルを抑える意見も出たが今では黙認状態にある。これは非常にありがたい。少なくとも宰相はリィエル女王に完全に否定的ではないというだけで、他の大臣らへの牽制になっているからだ。

 とはいえ、一方で発生しているシュナとペリュークの激しい確執についてまで黙認しなくてもいいだろうに、と若い議員の面々はうんざりしていた。こう毎日のように城内で気焔を吐かれては自分達の所在がどうにも薄くなってしまう。同調すべきペリュークも相変わらず空気を読まずに感情的になるので、元々リィエルに反対的だった者達も付き合いきれないとばかりに好き勝手に振舞ったり、もう支離滅裂だった。

「貴公の言動は目に余る!王立議会では査問も覚悟しておくことだな!」

「恫喝とは文官らしくないことを。別に正々堂々正面からおいでにならずともよいのですよ」

「ああ言えばこう言う・・・!!」

「査問・・・査問ですか。よいでしょう、次の王立議会が楽しみです」

「その言葉忘れぬことだ!」

 双方捨て台詞を残して決別。これをほぼ毎日やっているのだから彼らもよく飽きないものだ。

 シュナは親衛隊隊長として与えられた執務室に向かった。広い部屋ではないが、あそこが今一番くつろいでいられる。とりあえず王立議会に向けての準備があるのはシュナも同じだし、最低限の用意が無ければ部下の給料も賄えなくなる。それにそろそろ工事が終わる。突貫だったが農夫らが協力的で、思いのほか計画は早く進んだようだ。

 あてがわれた部屋はリィエルの執務室の丁度真下にある。居住性も装飾も乏しい事務的な部屋は、リィエルをして「お仕事がはかどりそうですね」と言わしめたが、事実この部屋の隙の無い空気はシュナの堅苦しい性格に合っていた。ささくれ立った今の気分を落ち着けるには向かないが、ベクトルを変えてやることはできる。

 シュナが部下に命じ、自身も歩き回って騎士団の兵士を勧誘したリストに目を通す。紙束にしてやっと五十枚を超えたが、肝心の秘術隊士はまだ二十人程しか集まらない。

「そんなにあの団長が怖いものか・・・?」

 騎士団の職務を一時放棄して親衛隊に、ひいては陛下に協力してほしい。こう言われて協力しない者のほうが普通は少ないだろうに、彼らは妙に拒みがちだった。特に多いのが「団長を裏切れない」という意見だ。

 セイル・フォガリ騎士団長は自他共に認めるナルシストだが、そもそもどういう来歴なのかシュナは知らない。外見年齢は異様に若く見え、青年と言っても通じるが実際は40代に近かったはずだ。むしろ若い頃の彼はどれほどの美貌の持ち主だったのか、想像すると寒気すら覚える。

 騎士としての腕は悪くないと聞いた。外見に反して壮年に差し掛かっているらしいが、その年齢でも団長位には早いというのが普通の考えだろう。それはシュナもだが、彼女の場合はまた特殊である。ともあれ、地位に相応しいものがあると思うのが自然であり、それこそが彼の部下の忠義を磐石たらしめているのか。シュナには今一つ分からなかった。

「・・・仕方が無い。残りは学院長殿に任せるか」

 シュナは執務机の引き出しを開け、忍ばせてあった酒瓶を出した。中身は麦から作った火酒である。それを同じく引き出しの中にあったショットグラスに少量注ぐと、勢いよく飲み干してしまった。その一杯だけで、瓶は再び引き出しの奥に戻される。

 城内でも場所によっては氷点下を下回るこの北国で、臣下でも執務中の飲酒は咎められてはいない。むしろ体を温める行為として、適量であれば推奨されることもある。シュナの場合はそれが問題なのではない。

「・・・いやいや、まだ執務中だぞ」

 酒豪だからだ。こうして引き出しの奥にしまい込んで自らを律しなければこの瓶一本程度、即座に飲み干してしまう。流石に酩酊してしまっては処罰は免れない。

 名残惜しそうな右手をぴしゃりと打って、シュナは書類を携えて立ち上がった。リィエルへの報告へ行かねば。

 部屋の外に出るとサエラが居た。

「・・・・・・どこにでも居るなあ、サエラは」

「へっへん、お城の中で鬼ごっこでもしてみます?絶対負けないですよ」

「それはおっかないな。で・・・用は」

「あらせっかち。ってお酒の匂い。また飲みすぎてないでしょーね」

「・・・お前には勝てる気がしないな」

 一体サエラは城内の者達の弱みをどれだけ握っているのか。サエラに悪意が無いのが救いだろう。

 シュナとサエラは連れ立って部屋を出ると、サエラの先導に従って人目の少ない通路を歩いた。こういう時彼女の経験は非常に便利である。

「やっぱリィエル様思いつめてるみたいですねー。私達にも内緒で何かやろうとしてるみたいです」

「そうか・・・」

「・・・止めなくていいんですか?」

「いざとなれば。だけど陛下が何をなさろうと、私はそれを手助けするだけだ」

「そりゃあそうですね。ああ、そうだこれこれ、忘れてた」

 サエラが手渡した数枚の書類には、先日リィエルが作った秘術の公式と似た模様や、様々な指示が記されていた。

「・・・・・・ふむ、この通りにすればいいのだな?」

「そう言ってました。学院長と二人で根つめて頭ひねってましたからねえ。今はちょっとお昼寝させてますよ」

「そうか。わざわざすまんな」

「はいはい。それじゃ私はリィエル様に子守唄でも披露してきます」

「・・・・・・ほどほどにな」

 昼寝なら仕方が無い。集めた隊士のリストは保留し、シュナは指示書に素早く目を通した。なるほどさっぱりわからないが、ともかくやるしかない。


 シュナは外套を羽織ると、城の外へ向かった。厩舎から馬を一頭借りて北部市街へ出たのは昼を回った頃だが、曇天が続いているため正確に時間が測り辛い。

 北部市街は士族街である。軍人の名門などはほとんどこの北部に集中して居を構えており、軍部の兵舎なども大半が北部に設置されている。広い土地が確保できるため演習をやりやすいから、というのが最たる理由だが、更に北部に住む農民らとはあまり折り合いが取れていないのも旧来の事実であった。とはいえ長い歴史の中で双方ともこうやって共存しているのだから、ある意味折り合いは取れているのだろうか。

 シュナもこの北部の出身である。綺麗に区画整備が施された街並みを馬で駆け抜けるのも幼い頃から数えて何度目になるだろうか。昔はお転婆でよく父に叱り飛ばされた。

 石畳の街並みが途切れ、黒土と雪の道に入る。春になれば緑鮮やかな草原の道も、まだ雪に閉ざされたままだ。

 重い馬の足音を聞きながら走る内に、前方から別の馬が走り寄って来るのが見えた。乗っているのは兵士か。

 シュナは胸騒ぎを覚えた。何故あの兵士はあんなに馬を飛ばすのだ、必死な形相で。工事はじきに終わるはずだ。喜ばしいことではないのか。

「親衛隊長ーっ!!」

 兵士が叫んだ。シュナは馬を止め、彼を出迎える。

「どうした!」

「大変です、陣が!」

「!!」

 また、雪が降り始める。


「・・・・・・ここまで、やるのか」

 シュナは完成間近だったはずの巨大な秘術の公式陣を前に呆然とした。

 街の一区画にも匹敵する巨大な陣は、ほぼ完全な真円を基準に作られる。これほど巨大なものは大抵が軍事目的の術になるが、ともかくその作成は極めて難しいものとされる。円の中心点を決め、同一半径に杭を打ち込み、乱れなく線を引き、内部に複雑な模様を描き込み、それらが公式として成立するよう白砂を用いて線を明確にし、雪や風で線が消えないように枯れ草などで保護する。前回リィエルに指示されたものを作るだけでも今日まで、約一週間を費やした。水路の作業との並行だったが、この難解な図面を正確に地面に再現するのは至難の業で、予定より遅れた程なのに。

 陣が、壊されていた。

「朝になって作業に入ろうとした時にはもうこの有様で・・・工夫らを動員して復元していますが・・・」

「馬鹿な・・・」

 杭は引き抜かれ、白砂はめちゃくちゃに乱され、無駄な線が書き足され、無意味な場所に穴が掘られ。

 これでは公式として全く機能しないではないか。

「・・・・・・誰か、これをやった者は」

「不明です。昨晩、雪が降った間にやられたようで・・・」

 明確な妨害行為だ。恐らくあのペリューク辺りか、誰かが兵を動かしたのだろう。騎士団長は知っているのか。宰相はどうなのだろう。二人に問い詰めなければならない。

 シュナは言葉を失い、しばし呆然としていた。余りの事態に頭が追いついてこない。隣で先ほどの兵士が何か言っているが、それすら耳に入ってこなかった。

 どうする。どうすればいい。山肌の雪はいつまで保つ。

 秘術のほんの基礎くらいなら知識はある。陣公式は秘術を発動する手順を大幅に簡略化するためのもので、特に複数人数で同一の術を行使する場合に効果を発揮する。公式の長文を読み上げる作業を加えると、いかな訓練を積んだ秘術隊士であろうと詠唱にズレが生じ、公式が正常に機能しなくなるからだ。だから集団で一つの術を用いる場合はほぼ必ずこのような巨大な公式を陣として作成する。

 陣は一度作ってしまえばそれでよかった。保護さえ出来ていれば線は雪の下でも機能するため、放置していようが問題ないはずだった。だがこのように破壊されてはどうしようも無い。そして、いくら秘術士をかき集めてもこれでは何の意味も無くなってしまった。

「す、水路は無事か?」

「はい、健在です。兵を一部回して警護につかせましたが・・・」

「・・・・・・・・・」

 雪が濃くなる。二人は天を仰いだ。

「ともかく復元作業だ。基本の線は残っているんだろう?」

「はい。ですが工夫らも疲弊して・・・」

「やるんだ。やらなければどの道先が無いのはわかるな」

「・・・・・・はい」

 自分も手伝おう、とシュナは馬を降りた。兵士も頷き、続こうとした。

 だがその時、二人の背後から蹄の足音が急ぎ近づいてきた。

 胸騒ぎが膨れ上がる。隣の兵士も似たようなもので、泣き出しそうな表情をしていた。馬を走らせ、陣を一目見るや絶望にも似た表情を浮かべていた男は気象観測官の制服を着ていたからだ。

「こ、これは・・・親衛隊長・・・」

 もはやシュナには言葉を発することができなかった。男の顔を見据え、言葉を待つ。

 状況は見れば分かる。観測官の男はわなわなと唇を震わせ、馬から降りた。

「・・・・・・ほ、報告です」

「・・・・・・・・・」

「吹雪が・・・吹雪になります。国内全域に警戒令が出されました。一両日は外出規制です。そ、それで・・・これは」

「・・・・・・見ての、通りだ」

「そんな・・・・・・」

 風が強く吹き始めた。工夫らも呆然として手を止め、天を仰いでいる。隣に立つ兵士と観測官は唇を真っ青に染め、それでも絶望が寒さを上回ったか身じろぎもできていなかった。

 シュナは急に体中から力が抜けたように感じた。膝を地に付き、焦点の合わない目で宙を見つめる。兵士と観測官が何か叫んで駆け寄るが、シュナはそのままぺたりと尻餅をついてしまった。

 吹雪になれば作業はできない。無理をしても凍死者が続出するだけで、作業が進むわけがない。

「天は・・・天は我々を見放した・・・」

 南海の湿った空気が空を包み、雪が更にひどくなる。

 あの山の雪は、この吹雪で限界を超える。



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