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第一話・「リィエル・タナック」

『リィエル・タナック』


 三ヵ月後。フィルラント王国暦3191年、初春。

 国土の西に延びる平原はどこまでも白く、丘陵の起伏と降り止まぬ雪によって果てしなく地平の果てまで続くかのような景色を見せている。周囲に民家は無く、右手に見えるシュエレー神山とたまに雪原に顔を出す灌木、そして標として植樹された等間隔の杉並木だけが道行く者を迷わせずに居させている。

 歩く三人の男はどれも疲れた顔で、朝からかけて既に昼下がりまで休むことなく足を運んで来たらしいが時折、その歩みが止まりがちになっている。先導する二人は兵士か、帯剣しており後方でぜいぜいと喘ぐいま一人の男は錆びた(とはいえ高価であることは変わらぬ)眼鏡をかけている。医者か、学者か。

「まだ・・・着かない・・・のですか・・・」

「・・・この雪ですからな、先生。レムダットを飛ばせれば良かったのですがね」

「何を言う。この天候で飛竜を飛ばしてみろ、諸共に凍死して落ちるぞ」

「なら、騎鳥は・・・」

「・・・・・・新兵、お前移民から入隊したな?」

「ええ、そうですが」

「フィルラントに騎鳥は居ない。西門の守護聖獣アールカインが巨大鳥だから、敬意のため使わんのだ」

「なるほど・・・」

 二人の背後で眼鏡の男が笑った。

「色々と決まりがあるものですな」

「・・・一応、今のは機密です。公然ですがね」

「なるほどねぇ」

「先生も典医免状を持つ医者なら同じくするものもおありでは?」

「まあ、そうですな。もっとも医術の秘密などあってもよろしくは無いと考えているもんですよ」

 これには兵士二人が笑った。さもありなんと頷く二人は、丁度一つの丘を乗り越えて足を止めた。僅かに遅れて医者の男もそれに追いつく。

「見えましたな」

 年かさの兵士が息を吐いて眺める先、黒く広がる雑木林の手前に一軒の小さな家が見て取れた。振り向くとフィルラント城下町は細部を見出せず、雪原に落ちた一枚の巨大な影のようにしか見えない。それほど街から遠い場所になる。

 もう一度三人は林に寄り添うようにして建つ家を見た。周囲は平原とはいえ起伏の多い丘陵地で、雪が降れば直ちに道も閉ざされ馬も走らせられない。陸の孤島のような場所だった。が、証言によれば確かにあそこには人が住んでいるらしい。

 そう、彼らは探していたのだ。

「教会の名簿に名前の無い子供・・・いると思いますか」

「三ヶ月を費やして全国民を調査した。もはや可能性があるならば名簿に記載のない私生児くらいだ」

 国王、シャルテ・フィルラントは若干32歳にして王妃と共に事故のため逝去。放蕩王と呼ばれた国王の死を悼む声は哀れなことに少なかったが、それ以上に懸念の声が大きかった。二人には子がいなかったのだ。

 フィルラント王家は代々直系の血筋が王位を受け継ぎ、慎ましくも三千年という長き歴史を支えてきた。これはここフィルラント王国のあるヤヌアフ大陸においては2番目に長く、天体イゥスィーリアにおいては歴史上3番目の長さを誇ることになる、稀有な国家としての証であった。軽々に断絶を受け入れるには余りに惜しい。

 シャルテ・フィルラントの先代は高齢でシャルテを授かったこともあり既に鬼籍に入っており、他に血縁も無い。だが始めは後継者の存在を危ぶむ気配も薄かったのだ。それは何より、シャルテ国王の放蕩ぶりがそうさせた。

 まず王国政府の大臣らは、かつて王と関係のあった女性の内から所在の明らかな者全てを訪ね、隠し子の存在があるはずと踏んで彼女らに問うた。だがその考えは外れる。

「陛下との秘め事の際、必ずこうお尋ねになられておりました。月のものはあるか、と」

 下品な言葉故に頬を染める彼女らを前に、使いの者と血統を判別する秘術士らは愕然としたという。あれほど政務を放棄し王族としての義務を疎んだと思われた先王も、超えてはならぬ一線だけは守ったのだ。

 長い治世を敷く王族の義務として最たるものの一つはやはり世継ぎを残すことにある。それもなるべく家柄や品格というものがあればそれに越したことは無いが、やはり妾腹に後継を依存する場合もある。放蕩で名の知れたシャルテ王であれば何処かにそういった子供があってもおかしくはないと思われていただけに、遺された国民としては彼の最後の意地が嬉しくもあり、かえって有り難迷惑な話でもあった。

 居ないものなら仕方あるまいと、政府は人員を動じて教会と協力し、国民であれば必ず登記のあるはずの生誕名簿のリストに沿ってしらみつぶしに探した。が、見つからない。ここにきて焦りを覚えた政府は王の世継ぎに限らず、あるいは過去の王族から枝分かれした血族の存在を疑い、全ての国民に対して調査を義務付けすらしたのだ。

 王も王なら臣や民も似たものだったというべきか、はたまたあの王に感化されていたのか。調査の結果が示されるに至って彼らの焦りはやっと頂点に達した。王族の血統は名簿に記載された、王国三万の民の中からは見つからなかったために。

 王の血統はこのフィルラント王国の守護神シュエレーによって保障されている。故にその判別のための秘術が存在し、偽ることも有り得なければ判別を違えることも無い。

 無論、教会の名簿に籍の無い者、例えば浮浪者や孤児などについても徹底的に調査は行われた。だがやはり見つからず、諦めの声すら出始めていた所に一つの情報が入る。曰く、西の国境門に程近い林の近くに、優れた秘術使いの母子が住んでいる。素性は知れず名前も誰も知らないその親子は、しかしここ三ヶ月ほどは姿を見ていない、と。

 話の出所は複数で、街外れに住む人々ほど彼女らと出会った、あるいは何かしらの仕事などで関わったことがあるという。ともあれ、調査団は雪降る西の平原に人員を割くことにしたのだった。

「火が点いていないな・・・?」

 そうして調べに来たこの家だが、人が生活している気配がどうにも希薄である。門扉の前に部下と医師を残して、年かさの兵士は小さな家の周囲をぐるりと歩いてみることにした。

 雪がやや窪んだ一帯は畑か何かだろう。薪が積んであったが、手斧は半ば錆びていた。鶏小屋が一つあったものの、中は空。家は頑丈そうな作りに見えるが、雪かきを行った形跡も無いために、屋根が破損する寸前にも見える。

 一見すれば廃墟である。が、年かさの兵士は家の裏であるものを見つけた。

「・・・墓か」

 コの字を立てたような形は教会のシンボル。太い木の枝で組まれたそれが雪から突き出していた。地面は雪に埋もれて見えないが、兵士は自然とその場所を迂回して歩いていた。

「・・・・・・」

 胸騒ぎを覚え、彼は急いで家の正面に戻る。部下と医師が寒そうに待っていたところに出くわすやいなや声をかけ、正面の扉を塞ぐ雪をどかすべく指示を出した。

「どうしたんです」

「中に誰か居るかもしれん。それもかなりマズい状態で」

 道具が無いため、庭を囲む塀板を失敬して雪をどかしていく。背後に控えた医師は持参した鞄を開き、一枚ずつ丁寧に丸められた小さな紙筒を幾つも取り出した。そうこうする内に雪が取り除かれ、扉が動くようになる。

 年かさの兵士はノックもせずに扉を開け、中へ入っていった。部下の兵士、医師もそれに続く。

「どなたかおられますか!」

 問いかけに返事は無い。家の中は真っ暗で、暖炉にも火が灯っていないため酷く寒い。医師は持ってきた紙筒の一つを開くと、小さいがしっかりした石造りの暖炉にまだ薪が残っていることを確認し、それを放り込んだ。

「アル・アンク(燃えよ)」

 短いが秘術の公式を唱えると、紙に記された秘術の陣公式の紋様が反応して瞬時に炎と高熱を発した。暖炉に火が入り、部屋に暖かな光が満ちる。

「奥にもう二つ部屋がありますな」

 寒そうにしながら医師は兵士に告げた。明かりに照らされ、二つの扉が見える。今居る場所は玄関兼台所のようで、暖炉の脇にはかまどと鍋など調理器具が置いてあった。ただし、食料は一切見当たらなかったが。

 若い兵士が玄関に近い扉を開けたが、そこは物置だったらしい。医師も目を通したが、珍しいことに多量の書物や秘術に用いる器具なども保管されていた。

「秘術士・・・?」

「ですかね」

 これほど貧しいのに?という思いがその感想には含まれる。これだけの書物や器具、金額に換算すればこの家が庭付きのままもう2、3軒は建つのではないだろうか。

 疑問は年かさの兵士の声で掻き消えた。

「おい、君っ!」

 隣の部屋に入った兵士が声を上げた。驚いた部下の兵士と医師が駆けつけると、そこはやはり薄暗いがベッドが置いてあることから寝室だと判別できた。

 問題は、二つあるベッドの一つに少女が寝ていたことだ。それもかなり衰弱している。

「!!」

 医師は無言のまま兵士二人を押しのけるように少女の傍らへ動くと、布団の中からその細すぎる腕を取り出し脈を取る。

「・・・湯と、明かりを!」

「承知した。おい、鍋に雪を放り込んで火にかけるんだ」

「はいっ!」

「ランプが無い・・・ああ、これか?」

 ばたばたと走り出ていった部下とは違い冷静な年かさの兵士は、部屋の壁に設置された四角い箱のようなものを見つけた。秘術を利用した照明器具である。その下部にある文字盤らしきものに触れると、柔らかな光が箱の内部から現れた。

「これはいかん、重度の栄養失調だ」

「どうします」

「固形物は受け付けまい。これを・・・」

 医師が鞄から紙の包みを取り出す。やや厚みのあるそれは、濃い緑色の薬草等の塊だった。よく乾燥しており、端からぽろぽろと欠片が落ちてくる。

「半分ほどをコップに入れてぬるま湯でよく溶かしてください」

「わかった。そちらはどうする」

 用意のいいことにコップも持参していた医師は、薬草を包みと一緒に兵士に渡すとすぐに次の行動に移っている。取り出したのは小さなガラス瓶に入った、やや赤みがかった液体だった。

「こう衰弱していては秘術でもどうにもなりません。これは竜の肝油です。これを少量飲ませ、後は体に塗ってやれば体温と血行が維持できる。が、一刻を争います」

「・・・よし、任せます」

 おそらくかなり高価な薬品だろう。年かさの兵士も竜の肝油などというものを見たのは今が初めてだったし、聞いたことも無かった。それを医師は惜しげもなく使っていく。

 数滴を飲ませた際、少女は小さく咳き込んだ。その時僅かに、彼女の目が開く。

「・・・・・・」

「大丈夫、大丈夫だよ」

 医師は優しく声をかけ、無残に痩せ衰えた少女の体に赤い油をすり込む様に塗っていく。少女の体に体温が戻り、赤みと水気がほんの少しだが戻る。

 服を着せなおし安静にさせていると、少女は落ち着いたのか薄く目を開き、健気にも力なく小さく微笑んでみせた。どうやら礼を言っているらしい。医師は胸が詰まったような気分で笑みを返す。丁度その時、扉が開いて兵士二人が戻ってきた。大きな鍋と湯気のたつコップを持って。

「さあ、飲んで。苦いけれど元気が出るよ」

 コップの中はとろりとした濃緑色の液体で、見た目も匂いもかなりのシロモノである。が、少女はさほど抵抗も無くこれに口をつけ・・・流石に眉をしかめてはいたが、ゆっくりと飲み干した。

「湯にこれを」

 医師が取り出したのは固いパンだった。ああ、と得心のいったらしい年かさの兵士も、自前の荷物を開いて同じようなパンを一つ、それと干し肉のようなものを取り出す。

 共に携行食料だ。栄養バランスを考えて王立病院直属の工場で製造されるため兵士も医師も同じものを持っていた。そのまま食べることもできるが、こうして水などに溶かして粥のようにすることもできる。見た目や舌触りはシチューに近い。

 鍋が出来上がると部屋にほんのりと温かみのある湿気とよい香りが充満し、少女は空腹を思い出したのか起き上がろうとした。医師と若い兵士がその背を支え、ベッドの上に座らせる。

「遭難時用の装備が役に立つとは」

「備えあれば憂い無しですな。さあ、お飲みなさい。熱いからゆっくりと」

 器に取り分けた粥を医師が木のスプーンで一口ずつ少女に与えた。先ほどの薬草スープに比べると塩分や糖分が多いため飢えた体には重かったのだろうか、最初は上手く飲み込めずむせてしまうこともあった。それでもなんとか胃に流し込むようにして食べる内に、少女の肌には明らかに健康な赤みが差し始めた。


「今日はここに泊まりですな」

「はい。調査のほうは明日、あの子が元気になってからにしましょう。今日はもう無理です」

「了解した。して・・・しかし、どのくらい危険だったのです?」

「今が日暮れ時ですか。この時間まで持たなかったかもしれない。それくらいぎりぎりでしたよ」

「そうか・・・それは、間に合って良かった」

 若い兵士に暖炉の番を任せ、年かさの兵士と医師は台所の椅子に腰掛けて先ほどの粥を食べながら話した。

 少女は腹が満たされて安堵したらしく再び眠りにつき、それを見て安心した一同は日が暮れて雪も降っていることもあって外に出られず、この家で一夜を明かすことにしたのである。

 本来受けてきた任務である、少女の血統の調査もある程度の時間彼女が起きたまま拘束せねばならないため体力の消耗を鑑みて今は実行できない。

「・・・ここに、一人で暮らしてるんですかね、あの子」

 若い兵士がぽつりと言った。だがその中には哀惜よりも、不思議そうな響きが強く含まれている。

 ふむ、とその声に誘われて年かさの兵士と医師も部屋の中を見渡した。台所には大きな机と、椅子が二つ。食器や外出用のコートも二つずつのものばかり。あの少女以外にも誰かがここに住んでいる、あるいは住んでいた、のは間違いない。

「家の裏に墓が一つあった。誰のものか知らないが、教会の御印は恐らく彼女の手製だ。形が歪だったな」

「一体誰の・・・親はどうしているんだろうか」

「・・・・・・追って聞き出しましょう。先生、あの子についてやってくれますか」

「そりゃあもちろんだとも。ああ、だが君らは?」

「我々は交代で火の番をしますよ。ずっとここに居ます。何かあれば声をかけてください」

 わかった、と医師は寝室のほうへ移動した。一晩中脈を計ったり容態を診ることになるだろうから、交代で仮眠を取れる兵士よりむしろ医師のほうが過酷な一夜になる。それを考えると頭が下がる。年かさの兵士は口元をきっと引き締めると、若い兵士に交代の時刻を告げて早々に仮眠を取ることにした。眠くも無い時間から睡眠をとるコツを、若い兵士はまだ体得していないためである。

(あの墓は恐らく・・・・・・いや、どの道明日になればわかることか)

 屋根の雪が落ちる音が聞こえる。彼は机に突っ伏して体の力を抜いた。


 明け方、医師は徐々に朦朧としてきた意識をどうにか持ちこたえさせながら、もう何度目かになる脈取りを行った。少女の手首は余りにも細く、しかし確かな鼓動を指先で感じる度にどうにも居たたまれない気分になる。たった一人雪に閉ざされたこんな辺鄙な場所で飢えて死にかけるのは、一体どれほどの孤独と絶望だろうか。

 少女は、整った顔立ちをしていた。浅く銅色を帯びた金色の髪は肩まであるが、くせ毛なのかふわふわと肩口でカーブを描き踊っている。肌は多少陽に焼けているが子供らしいふっくらとした滑らかさがある。きちんと食事を取り体格が戻ればきっとかなりの美少女になるだろう。まるで過保護に育てられた貴族の娘のような・・・。

「・・・似て、いなくもないが」

 あの放蕩王に。少なくとも髪の色はほぼ同じ。前王は赤みの無い爽やかな金髪を持っていたが。

「・・・ん・・・・・・」

 少女が身じろぎをして、小さく息を吐いた。目が覚めてしまったか。重そうに瞼が上がり、濁りの無い美しいグリーンの瞳が医師を見つめた。

 唇が僅かに動き、かすれた吐息が音をたてる。少し待ちなさい、と言い置いて医師は傍らの机に置かれた水差しからコップに昨晩沸かした白湯の残りを注いでやる。室温ほどに冷めたとはいえ、かなり冷たい水で少女は喉を潤した。

「・・・・・・あの・・・」

「事情があってね。城の使いとして来た。私は医者だ、安心していい」

「・・・・・・」

 少女は何かを考え、目を一度伏せた。

「わたし・・・お客様におもてなしもできず、申し訳ありません。今お茶を淹れますので・・・」

 医師は驚いた。病人も同然に痩せ細った子供が何を言うのか。

「そんなことはいい。今は体が持ち直すまでゆっくり休むんだ。後で話をしたいが、まだ朝早い。もう少し眠っていなさい、いいね?」

「・・・・・・はい」

 まだ何か言いたげだったが、言うとおり少女は目を閉じた。いい子だ、と呟いて医師は部屋を出る。若い兵士が机で寝息をたて、年かさの兵士は暖炉の前で薪の火をじっと見つめていた。

「一度目が覚めたようですな」

「ええ」

 医師も暖炉前の椅子に腰掛け、両手をかざした。じわりと温かな空気が両手を包む。

「客人をもてなせず申し訳ないと言われました」

「なん・・・そりゃあ、驚きですな」

「よほど育ちがいいのか、教育がいいのか。一端の貴族の令嬢のようだと」

「・・・・・・金髪でしたな」

「・・・・・・ええ」

 よもや、と思えもする。まるでおとぎ話にある亡国の王女のようだ。

「日が昇ったら食事を取らせましょう。その際に話などしてみるのも」

「そうします。そうそう、先ほど少しばかり外に出てみましたよ。雪は止んどりました。で、これを」

 そう言って彼は麻の袋を開いて見せた。中からは小ぶりだがよく太ったウサギが二羽と、樹の幹に生えるキノコ。

「狩りを?この雪の中?」

「出は北部の農村でしてな。雪中の狩猟なら子供の時分から。今でもたまにやっとるんですがね」

「大したものですよ。なら、今の内に捌いてしまいましょう。パンの残りと合わせてシチューにでも」

「いいですな」

 やはり滋養を摂るなら新鮮な食材と温かい料理に限る。あの薄いシチューでは足りまいと気を回したのだろう。兵士の行動力に医師は目を見張る思いだった。年齢ならそう変わらぬ、壮年の二人。

「名を、まだ伺っておりませんで。私は・・・ああ、そちらはご存知でしたな」

「ははは、そうですなペレッサ先生。自分はゼルガ・ハバト、弓隊五十人長です。あっちの若いのがリュゲル剣隊士」

「なんと!」

 フィルラント王国軍の部隊編成は十人長、五十人長、百人長、千人長を部隊のまとめ役に置くが、五十人長とはそれなりに実力を認められた者が就くことが多い。貴族が多いのはそれより上、百人長などになる。それはともかく、ペレッサ医師の持つ典医免状は城内組織においてそれなりの地位を確保するものでもあり、兵団で言えばまさしく五十人長と並ぶ。

「それは奇遇。言ってくださればいいものを」

「まあ、言うほどでも無いと思ったもので。さあ、それよりウサギを料理してしまいましょう」

 小皺の目立ち始めた男二人は談笑を交え、作業にとりかかった。若い兵士、リュゲル剣隊士がその気配に起き上がり手伝おうと立ち上がる。陽光が窓から差し込み始める時刻のことだった。


 ベッドに起き上がった少女は、年齢を10歳だと言った。同年代の少女と比べても、恐らく彼女は小柄なほうだろう。少なくとも訪れた男三人は7、8歳ほどだとすら見ていたため、やや驚きがあった。

「弱っていたところを助けてくださって、本当にありがとうございます」

 丁寧に指を揃えてお辞儀する少女の態度はむしろそれなりの教育を積み終えた一角の淑女にも思えたものだが。

「持ち直して本当に良かった。峠は越えたね」

 医師の言葉に、少女はもう一度恐縮したように頭を下げた。

「本当に、何とお礼を申せばいいか・・・」

 それを聞いてますます、彼らには少女の年齢が分からなくなる。少なくとも彼らの知る10歳の少女で、たった二言とはいえこれほど礼儀作法の習熟を覗かせる者がいない。

「ここに一人で?親か兄弟は」

「いえ、あのう・・・はい。今は」

「・・・・・・今は、とは」

 兵士ゼルガは既に察しつつも、任務の一環として質問するしかなかった。

「一人、母が。三ヶ月前に死んで、それからはわたし一人なんです」

 伏し目がちに話す少女の声には湿り気があった。たった三ヶ月で、唯一の肉親を亡くした10歳の少女がとても気持ちの整理がついているとは思えない。ゼルガはそれ以上の追及をせず、そうか、と一言漏らすのみだった。

「あのう、お城の使いとお聞きしました。どういうご用件でしょうか?その・・・見ての通りですから、税金を納めよというのであれば、隣の部屋のもので代えていただければ・・・」

「い、いや!そういうことではない。そもそも孤児であれば税金は免除されるはずだ」

「そうですか。よかった」

「・・・・・・・・・」

 男たちは目を合わせた。

「すまないが、名前を聞かせてもらえるだろうか。君と、君のご両親の名も」

 少女は再び、今度は少しだけ目を伏せたがすぐに顔を上げた。

「わたしはリィエルです。リィエル・タナック。母はミュシェ・タナックです。父は知りません。母姓が無いのも聞かされていないので、よくわかりません」

「タナック・・・?」

 反応したのは医師だった。

「ずっとここで?」

「はい。わたしが生まれてからはずっとここに住んでいたと、母が。母も孤児で、わたしが生まれる前は王立学院の寮で奨学金を受けて生活していたそうです。父とはそこで出会ったそうですけど・・・」

 今から10、または11年前といえば、シャルテ王は21、2歳になる。当時彼は王立学院の修士検定試験に単位が届かず、留年中だったはずだ。卒業時年齢は23歳と記録がある。なお、これはむしろ一般的な学院卒業生の中では比較的普通か、やや早く卒業できたことになる。入学も卒業も難度が高く、その後学芸員として残留する者となれば初期入学生の一割を遥かに下回る。途中退学者のほうが卒業生より多いくらいだ。あのシャルテ王は、決して愚鈍な王ではなかった。

 そして医師と、兵士ゼルガも思い出す名前があった。

「十年前・・・タナック・・・?」

「ミュシェ・タナック・・・ああ、やはり覚えがある!学院史上最高の頭脳と謳われた才媛だ。いつからか名を聞かなくなったが、こんな所に居たのか・・・」

「では、シャルテ王とは同期の・・・」

「そうなりますな」

 怪訝そうな顔で見上げてくる少女。その手をとり、医師と兵士はここに来た理由を告げた。

「三ヶ月前、国王陛下が崩御なされたことを知っているかい?」

「え・・・いいえ、そうなのですか」

「そう。それで、困ったことに陛下には御世継ぎがいらっしゃらなかった。だがその、陛下は方々に愛し合った女性が多くいてね、それでどこかに陛下の血を引くお子がいるのでは、と探しているのだよ」

「はぁ」

「これから君に秘術を用いて、その血統を調べたい。よいかね?」

 少女、リィエルは状況をよく飲み込めていないらしい。つまりどういうことなんだろう?と首を傾げるその姿。賢そうに見えて、俗世の些事に疎いとはまるで修験者のような子供だな、とゼルガは内心にて一人ごちた。

「隊長、ミュシェ・タナックとは?」

 リュゲル隊士の問いは素朴ながら当然のものだった。振り返ってゼルガは当時を思い出すようにしながら答える。

「知らなくて当然だが、当時・・・10年ほど前、王立学院にとんでもない天才がいると話題になったことがある。入学は18歳の成人を過ぎることも珍しくない難易度の試験を弱冠15歳で通過し、在学中既に知識量では教授の面々ですら足元にも及ばず、教育過程を早々に切り上げて学芸員並みの待遇で秘術の研究に参加していた、そういう女性だ」

「は・・・はあ。とんでもない人なんですね」

「だが入学から3年後、彼女は卒業検定試験を受け、その後学芸員になる道を捨てて姿を消した。入学試験も卒業試験も首席合格だったそうだよ。そんな女性が何故唐突に、それも前途ある将来を捨ててしまったのかが不思議でならなかった」

「・・・・・・あ、まさか・・・」

 やっとその可能性に気付いたリュゲルに、ゼルガはまだ言うな。と目で制した。まだ結果は出ていない。

 ペレッサ医師はリィエルの手に一枚の紙片を持たせた。秘術の公式を陣の紋様で記した符であり、この場合これから用いる術を簡略化するための小道具として使用する。そしてもう一つ、鞄から取り出したのは小さなガラスの瓶に入った何かの灰である。これも同じくリィエルの手に持たせる。紙片は左手、瓶は右手に。

「成分の検出を行う術に似ていますね」

「・・・よく、知ってるね。誰から?」

「母から・・・母は、色んなことを教えてくれましたから。秘術や、それ以外にもお勉強を」

「そうか・・・・・・」

 類似する術はあれど、今回の秘術を用いるのはたった一つの状況しかあり得ない。人間が己の根拠を確かめ安堵すべく神々から授かった術は、ある暗号的な改変ともう一つ、王の体の一部(今ここでは王の遺灰)を用いてその血統の所在を識別するためだけに機能する。荼毘に付された王の体はこの調査のために、遺灰だけは集めて分配された。

 ペレッサ医師の口から秘術の公式に用いる言語が流れる。万物それぞれに固有の、原初の名が。それら組み合わせをもって秘術の公式とし、術の完成をもって効果を発揮する。

 リィエルの手の中で紙片が熱を帯びたようだった。持てない程ではないが、リィエルは神妙な面持ちでそれを見つめた。

「熱くなった?」

「はい、少し」

「・・・これを。右手を出して」

「はい」

 医師の指示に従い、リィエルは右手を差し出す。その手首に、瓶の蓋を開け少量の灰を落とす。

 ぴくん、とリィエルの体が跳ねた。

「まだ、そのまま」

 見た目はただの灰にしか見えず、ただこの光景を眺めているだけの兵士二人には何が起こっているのかわからない。

 ペレッサ医師はリィエルの右手首の灰に自分の指を押し付け、手のひらの中央へまっすぐ白い線を引いた。更にリィエルが僅かに呻く。左手に持った紙片を思わず握り潰し、くしゃりと音がした。

 そのままの体勢で、医師は首に提げた教会のシンボルを外すとリィエルの右手に、灰に重ねて持たせた。

「イラ・メアロ・セス・カフ・シン(神の名において祖を明らかにすべし)」

 調査を始めて三ヶ月。医師も、兵士らもこの秘術の公式を何度耳にしたことか。その度に落胆し、焦りを募らせた。もう見つからないものと諦めていたのだ。

 その眼前で、リィエルの肌に引かれた灰の一線が血のように赤く染まった。リィエルはそれが熱湯であるかのように軽く悲鳴を上げ、呻いた。

 医師と、兵士らの驚愕はそれどころではなかったが。

「・・・・・・これは」

 丁寧に赤い灰を布で拭い取ったペレッサ医師は、目の前で起きた現象が何を意味するのか知っていて、だが信じられないという顔をしていた。

「・・・・・・リィエル、聞いてもいいだろうか」

「は、はい」

 灰が取れて熱さも無くなった手を不思議そうに見ながら、リィエルは急に怖い顔をし始めた医師にたじろぐ。

「君の母君が亡くなった日、その日にもしかして、雹が降らなかったかね。時刻は昼より少し前、雪も降っていた」

 リィエルは顔を上げ・・・そして、思わず涙を一粒落として下を向いた。

「・・・・・・はい。どうして御存知なのかわかりませんが、丁度その時に母は・・・息を引き取りました」

「・・・・・・・・・」

 すまない、と医師はリィエルの手を握る。彼女はこれまでにあくまで理性的な態度を見せたが、それでも今は年相応に感情の起伏も見せた。涙が溢れ始め、止まらない。

「雪が降っていて、あまり外に出られなかったんです。吹雪になると帰り道が分からなくなるから。お薬を買うお金が無かったから薬草を摘みに行くはずだったんです。裏の林は奥まで行くと沢があって、風邪にも効く草が生えているから。お母さんは無理をしないでいいと言ってたけど、もう起き上がることもできなくて。パンを買うお金もほとんど残ってなくて、木の実とキノコを食べていたんです。でもお母さんは、どんどん痩せていって」

 涙と一緒に言葉も溢れた。三か月分の孤独と悲しみを乗せた言葉が。

「雪が、降り止まなくて。でもお母さんは風邪をひいてて、だから、せめて何か食べさせてあげたくて。でも雹が降ってきて、そのせいで外に、出られなくて・・・雹が、どうして・・・そしたらお母さんが、おいでって、言って・・・頭を撫でてくれて、それで・・・それで・・・・・・」

 もう、それ以上言葉が出なかった。幼い嗚咽に肩を震わせ、ぼろぼろと涙をこぼして泣いていた。

 兵士らは粛然とし、ペレッサ医師も同情に目頭を熱くして少女を見守った。王国の目の行き届かぬ場所に、こんな不幸があるものだと理解した。少女の母がこんな場所に居を構えたのは恐らく理由あってのこと。それほど賢い人物が何もこんな不便な場所に暮らす必要性が他にあるまい。だが、それ故の悲劇だった。

 そしてそれは運命でもあった。

 まずゼルガ・ハバト五十人長がベッドの傍らに膝を着き、リュゲル隊士もそれに続いた。ペレッサ医師が丁寧に術の道具を片付け、それから兵士らと同じように、こちらは両膝を着いて拝礼する。慣例に従って。

 少女は三人の大人の様子に気付き、まだ流れる涙をそのままに怪訝そうに首を傾げた。何故この人達は自分に対して礼を送るのだろうか、と。震える唇が開くより前に、ペレッサ医師が口を開いた。

「血統は明らかになりました。フィルラント国王、リィエル・タナック・フィルラント女王陛下におかれましては、登城の後に旧来の義務に従い、神託をお受けになられますよう王立議会が計らいます。後日戴冠の儀を持ちまして陛下は正式にこのフィルラントの新王として王位を継承なされますよう御承知くださいませ」

「・・・・・・わたしが、何です?」

 同じ日、ほぼ同じ時刻に全く別の場所で両親を亡くした少女。この子の肩にこの国はどれほどの重さになるだろう。ペレッサ医師の口から伝えるには重すぎた。息を吐ききってしまうようにしなければ言葉は出なかった。

 引き継ぐようにしてゼルガが顔を上げた。

「貴女が、このフィルラントの、次の王です。リィエル女王陛下となられるのです。ご理解を、どうか」

 ゆっくりと分かりやすく、咀嚼させるように。

 流石に今度は理解できたのだろう。ぽかん、とリィエルは涙も止めて口を開けた。ゆっくりと首を回して、自分に礼拝する三者を見下ろす。冗談や嘘ではなさそうだった。

 そうしてしばらくリィエルは口も目も閉ざし、ベッドの布を掴んで何かを耐えるように黙り込んだ。

 次に彼女が言葉を発するまで、誰も何も言わなかった。

「・・・・・・わたしのお父さんも、亡くなってしまわれたんですねぇ」

 はっ、とペレッサ医師、ゼルガ、リュゲルの三名は顔を上げた。だが三人が何か言う前に、リィエルは言葉を繋いだ。

「確かに、承りました。お沙汰が下るまで待てばよろしいでしょうか。伝えてくださり、ありがとうございます」

 彼女が見せたのは笑顔だった。柔らかい、だがどこか寂しげな、何かを諦めたような笑顔。母を失い、見知らぬとはいえ残る肉親の父も亡くし、代わりに得たものがこの王国の全てとは皮肉だろう。だがこの10歳の少女は、己の運命を受け入れたらしい。それがどれほど難しい行為か、想像さえ必要あるまい。

「・・・今から城へ報告に向かいます。ペレッサ先生、リュゲル隊士はここで新王陛下のご看病と警護を」

 ゼルガは言い残し、玄関へ向かう。入り口の戸を開けようとして、ふと立ち止まって振り返った。

「これからは、この国の全てが貴女の家族です。どうか貴女の孤独が癒されんことを」

「あ・・・・・・はい」

 言葉を一度切って、出て行こうとするゼルガの背に言葉をかけた。

「お心遣いに感謝します。ありがとう、優しいおじさま」



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