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踊る雲母虫  作者: 伊勢谷照


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遥か星よりの焔 第五話


「ない、ない、ない……すいません、一回新しいカード出しますね」


 夕刻。白銀の座の光は弱まり、カンテラの中に収まった火守がゆらゆらと浮かんで図書館を柔らかく照らし出す。

 俺は一向に見つからない貸し出しカードの捜索を諦めて、新品を取り出した。


「これ、そんなに長い間誰も借りてないのかしら」

「みたいっすねー。もしかしてそもそもカード出来てないのかも……あ、すみません、これどこから取りました?」

「あっちの棚よ」

「オッケーです。F-13、2の……8……よし、シールだけ貼りますね〜」


 本日最後の来観客は常連の老婦人。擦り切れた背表紙にロケーションシールを貼り付け、新しい貸し出しカードに名前を記入してもらい、俺は笑顔で彼女を送り出した。


「あー……終わった」

「もう終業か?」

「ちげーよ。三ノ宮さん、カーテン閉めてください」


 それが、この街に図書館の閉館を告げる合図だ。今ごろ、他の階でも続々と同じように遮光カーテン

を閉めていることだろう。


「えーっと、返却処理して、火守に夜分の餌やって……」 

「お前はいつも忙しないな」

「ふたりで分担したらすぐ終わるんですけどね」

「わたしは今日、窓の掃除をした。本を片付け、火守をカンテラに入れた。実に勤めびとらしい振る舞いだ」


 得意げな笑みとともに、瞳の中の魚が踊る。

 今日の三ノ宮さんは、普段が1だとすれば1.001程度の仕事はしていた。もう俺の評価基準も地の底で固定されているので、そう言われれば、確かによくやっていたように感じてしまう。いつも通りソファで2時間ほどたっぷり昼寝して、ボールペンから直接インクを吸い込んでいたが。


「確かにそうかも?……そうかも。したっけ、三ノ宮さん帰っていいですよ。餌やりは俺がして」

「いけませんよ、白縫くん」


 張りのあるテノールが空気を震わせる。階段のほうを見れば、青いケープを羽織ったアケビンが、じっとこちらを睨んでいた。


「あなたがそうやって甘やかすから、この虫がつけあがるんです。勤めびとだというのなら、僕たちの半分程度の仕事はして頂かなくては」

「半分でいいんだ」

「僕だって、逆立ちしてもこなせないような無理強いはしません。しかし理無き者とはいえ、ひとの理の型に収まって生活している以上、多少なりとも適応してくださらないと」

「……」

「あなたに言ってるんですよ、三ノ宮くん」

「お前は善き勤めびとだが、お前が言うことはとても複雑だ」


 ぐるぐると、銀の魚が回った。その姿はスマホのローディングアイコンによく似ている。


「では簡単に言って差し上げます。あなたは火守に餌をあげなさい。返却処理は白縫くんと僕でやっておきますから」

「え、手伝ってくれんの?」

「今日、僕たちの階は貸し出しも返却も少なかったですよ。それに3階と違って、僕たちはきちんと分担していますからね」

「神!マジ神!ありがと!」


 ケープを椅子に掛け、荷物を置いたアケビンの背には後光が差して見える。

 俺は返却処理が終わって、あとは棚に戻すだけの本が積まれた台車を差した。


「したっけさ、これ返してくれっとありがたい!」

「あらまあ、随分溜め込みましたね」

「今日来館者多くてさ……」

「では、本は片付けて置きますから、あなたはお掃除と日誌を」


 アケビンはダンスでもするかのような洗練された仕草で、掃除用具入れを指差す。


「掃除かー……たまには明日で良くない?」

「良くない。そうやってひとつ崩すと、次から次へと崩れて倒れていくのが習慣というものなんですよ。大体、一日の終わりに掃除しないという選択があることが僕からしたら」

「分かった、分かった、悪かった!掃除します!させていただきます!」

「よろしい」


 ほうきやちりとりを引っ張り出しながら、ふと視界の端に三ノ宮さんをとらえた。

 壺に入った白粉を匙ですくい、心底気だるそうにカンテラの中に突っ込んでいる。

 その瞳の中、普段は優雅に、時に忙しなく踊る魚が瞳孔の周りをするりと一周して、そして、身をもたげて一斉に火守の方にその頭を向けた。

 あの魚たちは、泳ぐばかりで一度たりとも外の世界を見つめ返して来たことはない。それが、三ノ宮さんの瞳を破らんばかりに火守を見つめているような気がした。


 じっと、じっと。



 

 ラーメン「遊星」。王城そばの橋の下、この店には仕事帰りの勤めびとが多く訪れる。

 豚骨と脂と肉の濃厚な匂いが、今日も店に入る前から辺りに漂っていた。


「豚骨ラーメンと唐揚げセット、あと炒飯」

「僕は豚骨ラーメン大盛りと唐揚げのセットをひとう、あと唐揚げを単品でもうひとつ追加、それと炒飯大盛りでお願いします」


 カウンター席に隣り合って座ったアケビンの注文は相変わらず長い。俺はそれを横目に、掌の中で革張りの手帳を広げた。左側にはタイプライターのキーボードを小さくしたような部品が、右側には歯車と青い石を組み合わせた機械が納められている。そして、石から放たれる光は手帳の上で小さな像を結び、辞書サイトの画面を映し出した。


「公共の場で操作するときは、きちんと覗き見防止機能をつけなさい」


 隣を歩くアケビンが、神経質に注意してくる。


「誰も見てねーって」


 文句を言いつつ、手帳の左側のタイプライターを操作する。このスマホを100倍は不便にした機械にも、ようやく慣れてきた。


「えーっと、制度発足時の特例措置。それまでに火守の帰幽を請け負っていた人々は、身元調査、実績の確認、本人等を総合し、それぞれ1級〜3級の資格が割り当てられました……三ノ宮さんってあんな感じなのに1級なんだな」

「中天の相に生まれたのなら、まず、あれが90年前の制度発足時から生きていることに驚くべきでは?」

「今更だべ。んだって、アケビンいくつよ」


 アケビンは、夜になって少しアイメイクが薄れた目を瞬かせたあと、しばし考え込んだ。


「今ですか?32です」

「えーー、意外と若い」


 いや、見た目はどう見ても20代半ばといったところなのだが、もっと突き抜けた長寿であると予想していたので少しびっくりした。


「意外とはなんですか意外とは」

「違う違う、ほら、ホトオリってけっこう人間でも寿命の壁ぶち抜いてる人いるっちゃ。アケビンも色々弄ってんだべ?」

「弄ってるなんて俗物的な物言いはよしてください。私と兄は、人間の新たな可能性を追求しているだけに過ぎません」

「……モノは言いようだな」


 アケビンには瓜二つの双子の兄貴がいる。こっちもなかなか強烈なキャラクターだ。今日は早退して映画を観に行ったようだ。3階に降りてくるとき、「オレ映画見て来るわー!!!」とでかい声でアピールして去っていった。


「んで、明日って結局、俺何したら良いんだ?三ノ宮さんは、終業したらあとついてこいとしか言ってくんなかったけど」

「ならば、ついていけば良いのですよ」

「あの人、仕事終わりどこ行ってっか分かんねんだもん。なんかさ、本棚の隙間にスッと入って消えちゃうし。まさかあそこ住んでんの?」

「あなた、自分の家に出る虫が具体的にどこに住んでいるか分かりますか」


 髪を耳にかけ、リボンタイを外し、ラーメンを食べる準備を整えながら、アケビンは壁際に置かれた虫取りを一瞥する。


「え?まあどっかの隙間じゃね?具体的にどこって言われても分かんねけど……」

「そういうことです。あれは理なき者、すなわち我々の理で推し量ることはできない。ひとらしい見た目で惑わされることもあるでしょうが……あなたに分かりやすく例えれば、カローラとサニーのようなものです。同じ白いセダンでも……」

「……お前32って嘘だべ」

「何を言うんですか、突然」

「なんか例えがおっさん……」


 曽祖父が車を集めるのが趣味なので、俺もそれなりに知識がある。カローラとサニーはどちらも60年前に販売された、ライバル関係にあった車種だ。


「はあー?!誰がおっさんやクソガキ!」

「店内ではお静かにお願いしまーす」


 顔を真っ赤にして立ち上がったアケビンはしかし、店員の言葉に冷水をかけられて、ぴたりと動きをとめる。こうなったこいつは長い。ものすごく長い。


「ごめんて!えーと、白身フライとか奢るって。俺クーポンあるから」

「絶対な。今すぐ頼めよ!……とにかく、明日になれば僕の言葉の意味が分かりますよ」

「ふーん……あ、すんませーん、白身フライひとつ」

「足りるか!」

「ふたつでお願いしまーす」


 6本の触手を駆使して調理する店主に声をかければ、ひとつの触手が軽く持ち上がり、了承の合図をとった。

 そこでようやく、アケビンは席に座り直す。暴れなくて本当に良かった。


「ったく、なんて不躾なんでしょう」

「半端にサバ読むのやめたら良いのに」

「お子様には分からないでしょうね」

「そればっかり。日本もホトオリと変わんねえな」

「前も言ったでしょう?」


 愚痴ろうとした俺の目が、カウンターに這いつくばるようにして覗き込まれる。透き通るような青に驚く俺が映っていた。


「目で存在を知り、脳で知識を喰らう。それがこのヨトワで長く、楽しく、健やかに生きるコツですよ。座して抱く空想に意味はないのです。ここは、あなたが知る場所よりももっと曖昧で、透き通り、柔らかで、移り行く。同時に、雪が解け、星辰が動き、天が返っても変わることがない」


 そのとき、カウンターに2つのラーメンが載せられた。濁った豚骨スープに、鮮やかな金の星が散りばめられ、分厚いチャーシューは火が通ってもなお、自家製のタレに染められて血のように赤い。

 中天の相で修行した店主の珠玉の逸品、遊星豚骨ラーメンである。


「話はおしまい。速やかにいただきましょう」


 アケビンは自前の紙エプロンをさっと身につけると、先ほどの浮世離れした雰囲気が嘘のように、勢いよくラーメンを食べ始めた。続いて、唐揚げやチャーハンも続々とカウンターに並んでいく。

 口にあふれる唾液を飲み込んで、俺も箸を手に取った。

 




『いのち定められし者よ』


 銀の魚が踊る。


『ひとつの影を引きずり、ひとつのいのちを抱き、ひとつの道筋を歩み、そのたましいの全てを星屑のごとく散らす者よ』


 暗い闇の隙間で、白銀の光が差す丘の上で、そして青き光を宿す命の傍らで。


『ついて行け、この葬列に

 辿っていけ、この葬送を

 おまえがゆく道はただひとつ

 戻るも分かつもかなわない』



 

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