ワゴンセールの幸せ
信号を曲がると、目的のガソリンスタンドが見えてきた。幸い、スタンドに入れないで道路に止まっている車は見えない。
このガソリンスタンドは、一般的なガソリン価格より、一リットルあたり十円くらい安いのだ。そのためいつも混んでいる。
純三は、商用軽自動車を運転しながら、スムーズにスタンド内に入れるだろうと安堵した。しかしスタンドの入り口に来ると、大きな黒塗りの乗用車があり、敷地内に純三の車は入れそうにない。
その黒塗りの大きい乗用車の前には、十分な余裕があり、この野郎、前に行けよと思い、純三は車を降り黒塗り乗用車の運転席のガラス窓を叩いた。
すると音もなくガラス窓が降りて、顔に傷ある縦縞スーツの男の真っ黒いサングラスが光り、
「なんか用かよ」とドスの効いた低音で、純三を睨みつけた。
――というのは妄想で、実際には黒い車が動くのを、根気よく黙って待つ彼だった。
このスタンドの要領が分かっている人は、前の車との間を適度に詰めてくれるが、お気楽なドライバーは間隔を十分すぎるほど空ける。
ところで、車の給油口の向きで、給油ホースと給油口が向かい合わなくても、純三はホースを延ばし給油をしている。しかし時たま、車自体が邪魔をして、給油出来ないだろうと思い込み、じっと良い位置が空 くのを待っている人がいる。
そんなアンポンタンを見る度、純三は、こんなに混むスタンドじゃなく、店員が給油してくれるところに行ってくれと思い、そいつの車にケリを入れたくなるのを抑えているのだ。
純三は、なんとかスタンドの敷地内に入れて、ひと息つく。こんな些細な出来事に彼は、なんともいえない幸せを感じるのだ。
自分の順番を待つ間、彼は買い物のメモを見ながら、今日の行動を確認する。これから二カ所スーパーにより、それぞれの目玉商品を買い、今日の主な目的である趣味の同人誌の受け取りを済ませたあと、どうしようかと思う。
純三は、下手な物しか書けないのに、若い頃からこの文章同人誌に入っていて、今日はその本の配布なのだ。この本を受け取るのも、彼の幸せの一つだ。
給油を済ませスタンドを出ると、行きつけの格安スーパーに寄る。ここでは醤油、マヨネーズ、トマトケチャップ等の調味料を買う。
レジに並んでいると、前の客がクレジットカードや現金を使い、支払っているが見える。
純三は、ポイントが楽しみで、クレジットカードを使い支払いを心がけている。だから現金で支払っているのを見ると、ポイントがもらえずもったいないなとか、小銭を探して財布をのぞき込んだり、金額にあわせるように硬貨を数える様子に、お疲れ様です、と言いたくなる。と同時に、トロトロやってんな、後ろで待っている他の客の迷惑も考えろ、と思ってしまうのだ。(当然、彼自身でも支払時にカードが見つからず、手間取ることはあるのだが。この時はそんな事は頭にない)
最近、支払いを機械で行うスーパーが増えてきて、機械慣れしてない人は、戸惑う時もあるだろう。だからなおさら、現金を使わないカード払いの方が楽だ、と純三は感じる。
この格安スーパーを出て、同人誌の会場近くにあるスーパーに行く。ここはカードが使えず、可能な支払いが現金のみだ。カード会社への手数料がないせいか、多くの商品が他の店より安く思える。
純三のこのスーパーでのお目当ては、一食ずつ包装されている生麺だ。この生麺は一袋二十円くらいだ。昨今の物価高でなにもかも値上がりしている。そんな中で、二十円の生麺はありがたく、彼はまとめ買いをしている。
純三は店に入ると、とりあえず半額や割引された商品が集められたワゴンに向かう。そのワゴンの中に割引された生麺等を見つけると買い物かごに入れる。このささやかな行為が彼を幸せにする。
細かいことを気にしない人から見れば、彼の行動はセコい奴と取られるだろう。だが当人にしてみれば、大きな幸せを求めないで、これくらいの幸運が、身の丈に合っているように思えるのだ。
買い物を済ませると、同人誌の会場に向かう。集合時間よりだいぶ早く着いたが、すでに多くの人達が来ていた。皆、完成した本を早く手にしたいのだろう。
同人誌は到着し、配り始めている。
本を手に取ると、早速読み始める人もいる。今から読んで、どうするんだと純三は思う。自分の作品の誤字脱字を確認するために、読むのだろうか。同人誌なんだし間違いはご愛敬だろう、純三はいつもそう考えている。彼は目次をちらっと見て、自作を確認する。
当たり前だが、ああっ、掲載されていて良かったなと思う。
純三は、今まで掲載されるつもりで、編集部に送った作品が、掲載されなかった事はない。しかし毎回、パッとしない、日記だかボヤキだか分からない、文章ばかり書いている彼は、いつも心配しているのだ。
自分が持ち帰る本だけ受け取ると、純三は会場をあとにする。これから牛丼屋に寄るつもりだ。この牛丼屋のおばちゃん店員は、純三の顔を覚えていて、彼が行くと通常提供してくれる水の他に、客が頼むと出してくれる温かいお茶を気を利かして、
「お茶いりますか」と言ってくれ、純三がお願いしますというと、持ってきてくれる。そんなサービスが嬉しくて、時たまこの牛丼屋に行く。そんな些細な店員とのやりとりも、彼を幸せにする一つだ。
牛丼を頬張りながら、さっきもらってきた同人誌をどうするか考える。一冊は保存と合評用をかねる。あとは誰がに読んでもらえたら、と思う。すると以前、同級会の際、希望者に配ったのを思い出すのだ。
純三は、同級会で同人誌を紹介してもらい、受け取ってくれる人を募った。するとクラスのムードメーカ―の男が欲しいと言ってくれ、持ってきた同人誌を、彼に渡した。その後、何人かに読んでみたいと言って頂いた。
本を渡しはしたものの、実際、どれだけの人が読んでくれるかというと、純三の今までの経験から察すると、二割くらいかなと思う。大概は読みもせずもらいっぱなし。感想を聞かせてくれるのが、一割いるかどうか。
同級会で本を渡した中に、真理恵がいた。
真理恵は、真面目な女性で努力家の印象がある。だから純三は、自作が彼女の好みに合うかなと思ったが、喜んで一冊進呈した。
しばらくすると、真理恵からお礼と感想のラインをもらった。純三は、彼女がちゃんと読んでくれたのが嬉しくなり、いつか飯でもご馳走しなきゃと思った。
書いた人の感性が受取手(読者)に理解されない場合、その作品は価値がないと、純三は思う。彼はほとんどの人が、文章を読んで感想を言ってくれるとは考えてない。
だから純三は、感想をくれた真理恵に感謝し、素敵な読者を得たことに、良かったなあと思った。
それからしばらくして、地区のお祭りがあった。そこで同級会以来、久しぶりに真理恵に会う機会があった。
純三は、読んで感想をくれたことを、真理恵に感謝の気持ちを伝えた。そしてお礼としてお茶でもいかがと言おうかなと思っていたら、
「これ、本のお礼」と言って、
彼女は、お礼と書いてあるのし袋を差し出した。
「そんなあ、いいよ。読んでくれて感想を教えてくれただけで十分だよ」と純三は言ったものの、ありがたく頂いた。
しばらくして新しい本が出来たので、真理恵に送った。すると彼女はラインでお礼と感想を述べ、
「本のお金、どう渡したら良いかな」と書いてきた。
「いいよ。読んでもらい感想を教えてもらえるだけで、感謝なんだから。お金はいらないよ」と純三。
「そうーー」
純三は、本のやりとりを通じて、人って十人十色だなと思う。こちらから自発的に本を差し上げて、何も言わない人。(これがほとんどの場合)本を所望され渡して渡して、読んだよとか分からないなど、簡単な感想を言ってくれる人。中には、読みたいと言ったから本を差し上げたのに、感想はおろかお礼の言葉もない人。(街頭で配っているテッシュくらいの感覚なのか)。それらが世間の反応なのだ、と純三は考えている。
本を差し上げ、実際読まないと言えない感想を、言ってくれるのは、本当に僅かでありがたい存在で、それだけで十分だと純三は思う。
だから彼にとって真理恵は、ワゴンセール以上の幸せをくれる大切な人になった。
純三のもう一つの小さな楽しみは投資だ。元金が少ない彼は、儲かったと言えるほどの金額はない。だが毎日の値動きを見ていると、予測不能で飽きない。
投資なんて、金持ちがすることだという考えもあるが、純三は金のない人が無理のない範囲で、投資すべきだと思う。実際、株価平均に連動する投信などは、長い年月の間には値上がっている。これを分からないとか下がるのが嫌だとか言って、傍観しているのはもったいないと思う。人工知能(AI)に聞いたら、投資をしないのは損だと言ってきた。
例え値が下がったとしても、値動きの動向を見させてもらっている鑑賞料のような気もするのだ。
そんなある日、前日の日経平均の終値を確認しようと、新聞を取りに玄関へ出ると、ポストの下に何やら贈り物のような箱が置いてあった。持つと重量感があり、送り主は真理恵だった。
包み紙を取ると、ビールのセットが出てきた。
驚いた純三だったが、すぐに真理恵に感謝のラインを送った。そして缶ビールの数本を冷蔵庫に入れる。
今日は出かける用事がないと確認しつつ、一本を常温のまま缶を開けコップに注ぐ。
ありがたいな、そう理恵に感謝して、下手な物でも続けて書いていれば評価し、大きな幸福をくれる人もいるもんだなとしみじみ思い、生ぬるいが最高に美味しいビールを味わう純三だった。
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