第8話|支えなくなった人の未来
「雨宮主任、おめでとうございます」
春の陽射しが差し込むオフィスで、私は昇進の辞令を受け取った。
『新商品マーケティング戦略プロジェクト 主任:雨宮 雨音』
かつて、レオの名前があった場所に、今度は私の名前がある。
「雨宮さんの分析力と、チームをまとめる力を高く評価しています。今後も期待していますよ」
部長の言葉が、心地よく響いた。
——私は、ようやく自分の実力で評価された。
誰かの影でも、誰かの補助でもなく。一人の人間として。
◇ 同じ頃、別の場所では ◇
「神崎、このデータまた間違ってるぞ」
上司の怒鳴り声が、薄暗いオフィスに響いた。
「す、すみません!すぐ直します!」
レオは、小さくなって謝った。
かつての「太陽」の面影は、もうどこにもない。
髪は少し伸びたままで、スーツもヨレている。
目の下には深い隈があり、以前のように周囲を盛り上げる余裕もない。
昇格は見送られ、重要なプロジェクトからも外され、今は補助的な業務ばかりを任されている。
「神崎さん、最近ミス多いよね」
「昔はあんなにデキる人だったのに」
「あの頃は雨宮さんがフォローしてたからかな」
同僚たちの噂話が、彼の耳にも届いている。
——彼は、全てを失った。
仕事の愚痴を聞いてくれる人もいない。資料を代わりに作ってくれる人もいない。
彼を「すごい!」と無条件に褒めてくれる人もいない。
彼は、孤独だった。
◇ 夏の夕暮れ・新しい関係 ◇
「雨宮さん、今日もお疲れ様でした」
定時後のオフィスで、同じチームの佐藤さんが声をかけてきた。
「佐藤さんもお疲れ様。今日のプレゼン、とても良かったです」
「ありがとうございます。雨宮さんのアドバイスのおかげです」
彼は、私の意見をちゃんと聞いてくれる。私の時間を尊重してくれる。
そして何より、私を「人間」として大切にしてくれる。
「今度の週末、よろしければお食事でも」
「はい、ぜひ」
——これが、対等な関係。
お互いを高め合いながら、でも相手に依存しすぎない。健全で、温かい関係。
こんなにも人は軽やかに愛し合えるんだと、私は初めて知った。
◇ ある夜の偶然 ◇
駅前のカフェで、佐藤さんと楽しい時間を過ごしていた。
「このパスタ、本当に美味しいですね」
「雨宮さんがイタリアンがお好きだと聞いて、探してきました」
——私の好みを、覚えていてくれた。
私が「イタリアンが好き」と言ったことを、ちゃんと覚えていてくれた。
ふと、窓の外に視線を向けた時——
見覚えのある背中が通り過ぎた。
レオだった。
コンビニの袋を下げて、一人で歩いている。疲れた足取りで、どこか小さく見えた。
彼は店内に気づいているようだったが、立ち止まることはしなかった。
ガラス越しに一瞬だけ私たちを見て、そして静かに去っていった。
——ああ、そうか。
私は理解した。
彼は、ようやく気づいたのかもしれない。
自分がいない方が、私は輝いているということに。
「どうかしましたか?」
佐藤さんが、心配そうに声をかけてきた。
「ううん、なんでもない」
私は微笑んで首を振った。
外には、もう誰もいなかった。
過去の幻影は、夜の向こうに消えていった。
「このワイン、とても美味しいですね」
「ええ。雨宮さんに喜んでもらえて嬉しいです」
——喜んでもらえて、嬉しい。
私の笑顔が、誰かの喜びになる。私の存在が、誰かの幸せになる。
それが、こんなにも温かいなんて。
◇ 深夜、一人の時間 ◇
家に帰り、鏡の前に立つ。
映っているのは、半年前よりもずっと顔色の良い私だった。
目の下の隈も消え、肌にはツヤがある。何より、表情が柔らかくなった。
——私は、レオを恨んでいない。
あの頃の経験があったからこそ、今の幸せの価値が分かる。
「自分の時間を大切にすること」 「対等な関係を築くこと」
「SOSを無視しないこと」
その大切さを、痛いほど学んだ。
だから、あの時間は無駄じゃなかった。
ただ、もう二度と戻らないだけ。
ベランダに出ると、満月が空に輝いていた。
かつて私は、レオという「太陽」の周りを回るだけの存在だと思っていた。
太陽がないと輝けない、小さな星だと。
でも違った。
私は、私自身の足で立ち、私自身の光で輝ける。
月は、太陽がなくても美しく光る。自分の光で、夜を照らしている。
私も、そうだった。
誰かを照らすための「照明係」は、もう卒業した。
スマホを見る。
着信履歴に、彼の名前はない。
あの日、着信拒否をしてから、一度も連絡はない。彼も、もう連絡してこないだろう。
それが、私たちの結末。
静かで、確実な、永遠の別れ。
風が吹く。
新しい季節の匂いがした。
明日も仕事がある。新しいプロジェクトが待っている。佐藤さんとのデートもある。
私の未来は、明るい。
誰かに照らしてもらう必要なんてない。
私が、私の人生を照らしていくのだから。
夜空を見上げながら、私は静かに呟いた。
「私は、彼を壊したわけじゃない」
満月が、優しく私を照らしている。
「ただ、照らす役をやめただけだ」
そう。ただ、それだけのこと。
そしてそれが——
最も完璧な、勝利だった。
これは、復讐の物語じゃない。
誰かを陥れる物語でもない。
ただ、一人の人間が自分の人生を取り戻した物語。
誰かの『便利なAI』でいることをやめて、誰かの『照明係』を降りて、
自分の人生の『主役』になった物語。
そして、それが何よりも美しい結末だった。
【完】
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
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