表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼は、私がいなくても輝けると思っていた。 私は、照らす役をやめただけ。  作者: そらのことのは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/8

第7話|遅すぎた理解

「神崎さん、来期の主任昇格候補から外れました」


 人事部長の冷たい宣告が、会議室に響いた。


 レオの顔が青ざめる。手に持った資料が、小刻みに震えていた。


 私は、その光景を廊下から偶然見てしまった。


 以前なら、胸が痛んだだろう。彼を慰め、励まし、挽回策を一緒に考えただろう。


 でも今は、何も感じなかった。


 ——当然の結果だ。


 私という「見えない支柱」が消えて、彼の本当の実力が露呈しただけ。


 そして今夜、その事実を彼も理解することになる。



 ◇ その夜、午後十時 ◇


 インターホンが鳴った。


 モニターに映ったのは、見る影もないレオだった。


 髪はボサボサで、目の下には深い隈。スーツはシワだらけで、いつもの自信に満ちた笑顔はどこにもない。


 ——ここまで追い詰められるのに、どれだけ時間がかかったんだろう。


「雨音……話を、聞いてほしい」


 モニター越しの掠れた声。


 私は、数秒間画面を見つめた。


 ——これが、最後の対話になるだろう。


 チェーンをかけたまま、ドアを少しだけ開けた。


「どうしたの」


 冷静な声が出た。自分でも驚くほど、感情の色が薄かった。


「ごめん。本当に、ごめん」


 レオは、ドアの隙間に向かって深く頭を下げた。


「最近、本当にダメでさ……仕事、全然うまくいかないんだ」


 ——やっぱり。


 最初の言葉が「君は大丈夫?」ではなく、「俺が大変」であることに、すぐ気づいた。


「ミスばっかりで、昇格も見送られて。クライアントにもきついこと言われて……」


 彼は、震える声で続けた。


「前はさ、こんなじゃなかったんだよ。もっとできてたはずなんだ」


「それ、多分違うよ」


 思わず、口を挟んでいた。


「……え?」


「前と今で変わったのは、レオくんじゃない。私が、支えなくなっただけだよ」


 レオの表情が、凍りついた。


「……分かってる。分かってるんだよ」


 しばらく沈黙した後、彼が絞り出すように言った。


「雨音が、どれだけ俺を支えてくれてたか。どれだけ助けてもらってたか。

最近になって、やっと分かった」


 ——最近になって。やっと。


「データも、スケジュールも、資料チェックも……。全部、雨音がやってくれてたんだよな」


 ようやく、そこに気づいたらしい。


「今、自分でやろうとしても、全然回らなくてさ。

俺、思ってたほど仕事できなかったんだって、痛感した」


 ——思ってたほど、仕事できなかった。


 その通りだ。


「だから、その……戻ってきてほしい」


 来た。予想していた言葉。


「俺には、雨音が必要なんだ。君がいないと、ダメなんだ」


 ——君がいないと、ダメ。


 一見、愛情深く聞こえるフレーズ。


 でも、今の私には別の意味にしか聞こえなかった。


「自分が困るから、戻ってきてほしい」


 言葉の中心にあるのは、やっぱり彼自身だけだった。


「レオくん、聞いてもいい?」


 私は、チェーン越しに静かに質問した。


「私の誕生日、覚えてる?」


「え?誕生日?」


 明らかに動揺している。


「えっと……」


 ——覚えていない。


「私の好きな食べ物は?」


「好きな食べ物……和食?」


 ——違う。イタリアンだ。


「私が今、どんなプロジェクトに参加してるか知ってる?」


「プロジェクト?えっと……」


 ——何も知らない。私のことを、何一つ知らない。


「レオくん、あなたは私のことを愛してない」


「そんなことない!」


「愛してるのは、『便利な私』だけ。『人間としての私』には、興味がなかった」


 レオは、反論できなかった。


 全てが、事実だったから。


「雨音、もう一度チャンスをくれないか?」


 彼は必死に続けた。


「これからはもっとちゃんとするから。感謝もちゃんと伝えるし、雨音のことも大事にする」


「『ちゃんと』って、具体的にどうするの」


「えっと……その、もっと『ありがとう』って言うとか?」


 ——表面だけ。


「今までみたいに頼りっぱなしじゃなくて、雨音の愚痴とかも聞くしさ」


 彼の中での「改善」は、全部上っ面だった。


「レオくん」


 私は、彼の目を見た。


「私が欲しかったのは、『ありがとう』の回数じゃないよ」


「……え?」


「私の時間を、私の人生を、ちゃんと『人間のもの』として扱ってほしかっただけ」


 彼は、理解できない顔をしていた。


「私のSOSを、『大丈夫でしょ?』で潰さないでほしかった。

私が『距離を置きたい』って言ったとき、

『今それ言う?』『落ち着いたら話そう』って先送りしないでほしかった」


 ——あの夜のことを、私は忘れていない。


「それを、私が壊れそうだって伝えた、あの時に考えてほしかった」


 レオの表情が、絶望で染まっていく。


「あなたは今も、自分のことしか考えてない」


 私は、静かに告げた。


「さっきから、何度も『俺が』『俺には』『俺がダメ』って言ってるよ」


 レオは、はっとした表情になった。


 自分の口から出た主語に、初めて気づいたのだろう。


「私のこと、『いなくなって寂しかった』とか、『苦しませてごめん』とか、一度も言ってないよ」


「それは……」


「結局、レオくんが困ってるから、私に助けてほしいだけでしょ」


 図星だった。


 彼の表情が、崩れていく。


「あなたが求めているのは私じゃない。**『私という機能』**を求めているだけ」


 ——これが、核心だった。


「……俺、最低だな」


 レオは、顔を覆った。


「雨音のこと、全然見てなかった。本当に、最低だ」


 ——ようやく、理解したらしい。


 でも。


 遅すぎた。


「もう一回だけチャンスをくれないかな。今度こそ、ちゃんと向き合う」


「レオくん、それって普通のことだよ」


「え?」


「恋人なら、最初からそうあるべきだった。それを『これからやる』って言われても」


 私は、小さく息を吐いた。


「もう、疲れたの」


「雨音……」


「私、レオくんを照らす役を降りたの。もう、戻る気はない」


 ——静かな宣告。


「遅いよ」


 私は、はっきりと言った。


「今、レオくんが一番つらいのって、"自分が落ちていく"ことだよね」


 図星を刺された顔だった。


「私に謝ってるようで、一番つらいのは『自分がこんな状態にいること』っていう話ばかり」


「……」


「私のこと、心から心配してくれてるわけじゃない。自分の不便さを嘆いてるだけ」


 レオは、何も言い返せなかった。


 ——この人は、最後まで変わらない。


 私は、チェーンに手をかけた。


「レオくん、私ね、怒ってないんだ」


「え……?」


「本当に。恨んでもない」


 それは、嘘ではなかった。怒りも恨みも、とっくに通り過ぎていた。


「ただ、もう戻りたくないだけ」


 カチリ、と小さな音がして、チェーンが外れる。でも私は、ドアを開けない。


「レオくんが困ってるのも、つらいのも分かる。でも、それを助けるために、また私の時間と心を全部差し出すつもりはない」


「……雨音」


「もう、ここには戻らない」


 レオの肩が、目に見えて落ちた。


「……そう、だよな」


 彼の声は、ひどく小さかった。


「気づくの、遅すぎたよな」


 やっと、自分でそれを言えた。


「俺さ、ずっと"太陽"だと思ってたんだ。どこ行っても明るくて、場を回せて、評価されて」


 それは、確かにかつての彼の姿だった。


「でも違った。俺が光って見えてただけで、光を当ててくれてたのは、全部雨音だったんだ」


 ——やっと、その言葉が出てきた。


「でも、それに気づいたのが、"もう照らしてもらえなくなった後"っていうのが、俺らしいよな」


 彼は、自嘲気味に笑った。その笑い声が、妙に空しく響いた。


「さようなら、レオくん」


 私は、静かに告げた。


「元気でね」


「待って……雨音……」


 彼の手が、ドアに向かって伸びる。


 でも、私はもうドアを閉めていた。


 背後から、彼の泣き声が聞こえた。


 でも、振り返らなかった。


 部屋の中は、静かだった。


 胸の奥に、重たいものはなかった。涙も出なかった。


 ただ一つ、はっきりと分かったことがある。


 ——この人は、最後まで「自分の物語の主役」だった。


 そして私は、そこから静かに降りたのだ。


 誰かの物語の、都合のいい「照明係」でいることをやめた。


 窓を開けると、夜の風が吹き込んできた。


 不思議なくらい、心が軽かった。


 スマホを取り出し、設定画面を開く。


『着信拒否設定:神崎レオ』


 ——完了。


 私は、ようやく自分の人生を取り戻した。


 そして彼は——


 失ったものの大きさを、これから一生かけて理解するだろう。


 でも、もう遅い。


 手遅れだ

お読みいただきありがとうございます。よろしければ、ブックマークや評価をいただけると励みになります

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ