第2話|感謝されない努力
「神崎くんの企画力、本当に素晴らしいですね」
役員会議室に、満足そうな声が響いた。
新商品マーケティング戦略の最終プレゼン。
半年がかりの大型プロジェクトが、たった今、全会一致で承認された。
売上予測は目標の一二〇%。 クライアントの満足度も最高評価。 完璧な成功だった。
「ありがとうございます。チーム一丸となって取り組んだ結果です」
神崎レオは、会議室の中央で堂々と笑っていた。
スポットライトが彼を照らし、役員たちの視線が彼に注がれる。
私は、その後ろで静かに立っていた。
「雨宮さんも、サポートお疲れさまでした」
部長が軽く頭を下げる。
——サポート。
その言葉が、胸に小さな棘のように刺さった。
◇ 三週間前 ◇
「雨音、ちょっと相談があるんだけど」
プロジェクトが本格始動したのは、秋口だった。
「新商品のターゲット分析、手伝ってくれない?データ得意でしょ?」
彼の頼みは、いつも軽やかだ。
まるで「コンビニでお茶買ってきて」と同じトーンで、数十時間かかる作業を依頼してくる。
「どんな感じの分析?」
「うーん、年齢層とか購買パターンとか。あと競合他社の戦略も調べてほしいかな」
それは、マーケティングの根幹を成す作業だった。
「いつまでに?」
「できれば今週末までに欲しいかな。頼んだ!」
彼はそう言って、肩をポンと叩いた。その手の温もりが、少しだけ嬉しかった。
まだ、この時は。
その夜から、私の残業が始まった。
定時後のオフィスで、データと向き合う。
年齢別購買傾向。地域別の売上分析。SNSでの反応調査。競合十二社の戦略比較。
数字が踊り、グラフが形を変えていく。
夜の十一時。清掃のおばさんが心配そうに声をかけてくれた。
「雨宮さん、また遅いのね」
「大丈夫です。もう少しで終わります」
嘘だった。あと三時間はかかる。
でも、彼のためなら頑張れた。
金曜日の朝、六時。
完成したデータをメールで送信した。
グラフ十五枚。分析レポート十二ページ。参考資料二十八個。
彼が求めた以上のクオリティで仕上げた。
『雨音、マジ神!!!これ完璧じゃん!使わせてもらうね!』
返信は昼過ぎに来た。
彼は、私が徹夜したことを知らない。知っていても、それが「普通の努力」だと思っている。
◇ 二週間前 ◇
「神崎くん、このデータ分析すごいね!」
部長が、彼の資料を褒めていた。
それは、私が作ったグラフだった。彼は少し文言を変えて、自分の名前で提出していた。
「ありがとうございます!やっぱりデータに基づいた戦略が重要だと思うんです」
彼は自信満々に答える。
私は、その横で黙って頷いた。
「雨宮さんも協力してくれたんですよね?」
部長の視線が私に向く。
「はい、少しだけ」
——少しだけ、という言葉を選んだ。
本当は全部私が作った。でも、それを言えば彼の評価が下がる。
だから私は、黙った。
その日の帰り道。
「今日、部長に褒められちゃったよ。やっぱデータの見せ方って大事だよな」
「うん、そうだね」
「雨音のおかげで、いい資料になったよ。ありがとな」
——ありがとな。
軽い。あまりにも軽い。
まるで、自販機にお礼を言うような、そんな温度の感謝。
「どういたしまして」
私は笑顔で答えた。
本当は、もっと違う言葉が欲しかった。
◇ 一週間前 ◇
プレゼン資料の最終調整。
「雨音、このスライドもうちょっと華やかにできない?」
「どんな感じがいい?」
「うーん、なんか、パッと見て『おお!』ってなるやつ」
抽象的すぎる指示。でも私は分かっている。彼が求めているのは、「自分が輝いて見える」資料だ。
「分かった。今夜中に修正する」
「マジで?助かる!じゃ、俺は先に帰るわ」
彼は定時で帰った。
私は、その夜も残業した。
スライドのデザインを変え、フォントを調整し、色彩バランスを整える。
彼が「主役」に見えるように。
そして今日。
プレゼンは大成功だった。役員たちは拍手し、部長は満面の笑みで彼を褒めた。
「神崎くん、君のセンスは本当に素晴らしい」
「ありがとうございます!」
彼は、まるで全てを一人でやり遂げたかのように、堂々と胸を張った。
私は、その光の届かない場所で、静かに立っていた。
打ち上げの居酒屋。
「神崎さん、今回のプレゼン、本当に完璧でしたよ!」
同僚たちが彼を囲む。
「いやいや、まだまだですよ」
謙遜しながらも、彼は嬉しそうだ。
私は、その輪の外側にいた。
誰も、私が何をしたのか知らない。誰も、私がどれだけ時間をかけたのか知らない。
そして、彼も知らない。
帰り道、彼が言った。
「雨音、マジで助かったわ!」
上機嫌な彼が、ネクタイを緩めながら私の肩を叩く。
「君がいなかったら、ここまでうまくいかなかったと思う」
その言葉が、嬉しいはずだった。
でも、次に出た言葉で、全てが変わった。
「やっぱ雨音ってすげーよな。俺専用の『超高性能AI』って感じ?言わなくても答えが出てくるし、マジ便利!」
——便利。 ——AI。 ——俺専用。
私の足が止まった。
「……AI?」
「あ、褒め言葉だって!それくらい完璧ってこと!」
彼は悪気なく笑った。
その瞬間、何かが胸の奥で音を立てて壊れた。
その夜、一人になったとき。
スマホに彼からメッセージが届いていた。
『今日は本当にありがとう!雨音がいて助かった!ほんと便利!』
便利。
その文字を見つめながら、私は気づいた。
私は、彼にとって「人間」じゃないんだ。
高機能な道具。スイッチを入れれば動く、便利な機械。
私の感情も、疲れも、努力も、全部「当然の機能」として処理されている。
「……疲れた」
初めて、声に出して言った。
彼のために動くことを、初めて「疲れた」と認めた。
天井を見上げながら、今日一日を思い返す。
プレゼンの成功。彼の笑顔。役員たちの拍手。
その全てに、私の努力が詰まっていた。
でも、誰もそれを知らない。知る必要もないのかもしれない。
でも——
本当に、それでいいんだろうか。
私は、スマホの画面を閉じた。
『ほんと便利!』
その言葉が、頭の中で反響する。
便利。便利。便利——
翌朝、いつも通りに出社した。
彼は昨日の成功でまだ浮かれている。
「雨音、次のプロジェクトも頼むわ!」
「……うん」
私は笑顔で答えた。
でも、その笑顔の奥で。
何かが、少しずつ壊れ始めていた。
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