第1話|静かに支える人
スポットライトの下で、彼は笑っていた。
「神崎さんのプレゼン、本当に素晴らしかったです!」
拍手の音が会議室に響く。取引先の担当者たちが、感嘆の表情で彼を見つめている。
神崎レオ——私の恋人であり、同じマーケティング部の同期。
華やかで、人を惹きつける魅力にあふれた人。
私は一番後ろの席で、その光景を見ていた。
彼の足元に散らばった付箋とメモ。あの提案書の裏付けデータ。
クライアントの好みを調べ上げた資料。すべて私が用意したものだ。
でも、それを知っているのは私だけ。
「雨宮さんも、サポートありがとうございました」
振り返った彼が、軽く手を振る。
まるで、コピー機に「お疲れさま」と言うような、そんな温度の感謝。
私は笑顔で頷いた。
——私は、彼を壊したわけじゃない。 ただ、照らす役をやめただけだ。
これは、その「やめる」と決めるまでの話。
◇ 三ヶ月前 ◇
「雨音、明日の資料どこだっけ?」
夜の十時過ぎ。スマホの着信音で目が覚めた。
雨宮雨音——それが私の名前。
地味で、目立たないけれど、細かいことによく気がつく。そんな人間だ。
「メールで送ったよ。件名に『明日の会議』って入れてある」
「あー、あった!サンキュー!やっぱ頼りになるわ」
電話はあっけなく切れた。
彼が「頼りになる」と言うとき、それは愛情ではなく、便利さへの評価だった。
「レオくん、今日のプレゼン最高でした!」
翌日の昼休み。同僚たちが彼を囲んで盛り上がっている。
「いやー、昨日徹夜で資料作り直したからさ」
彼は謙遜するように笑った。
私は自分のデスクで、その会話を聞いていた。
昨日彼が「徹夜で作り直した」資料は、実際には私が三日前から準備していたもの。
彼が「これじゃダメだ」と言い出したのは前日の夜で、
私が修正版を三パターン作って送ったのは深夜二時だった。
彼はその中から一つ選んで、少し文言を変えて、「自分が作った」と思い込んでいる。
悪気はない。
それがかえって、胸に刺さった。
「雨音、お疲れ!」
定時後、彼が私のデスクにやってきた。
「来週のクライアントとの会食、店の予約お願いできる?相手の好み、前に聞いてたよね?」
「うん、覚えてる。和食で個室希望、静かな場所がいいって」
「さすが!じゃあよろしく。あと、手土産も頼める?センスいいやつ」
「分かった」
彼はそのまま、別の同僚と飲みに行く約束をして、颯爽と帰っていった。
私は残業して、三軒の店に電話をかけ、手土産を選び、
アレルギー情報を確認し、当日の天気予報までチェックした。
これが、私たちの「普通」だった。
その夜、一人になったとき。
スマホにメッセージが届いた。
『今日もありがとー!雨音がいると安心するわ。マジで助かってる!』
スタンプは笑顔の犬。
私は画面を見つめて、小さく息を吐いた。
「助かってる、か」
ありがとう、ではなく。 愛してる、でもなく。 助かってる。
便利な道具に感謝するときの言葉だ。
いつから、こうなったんだろう。
付き合い始めた頃は違った。彼は私の話を聞いてくれたし、些細なことでも褒めてくれた。
「雨音って、すごく気が利くよね」 「そういうとこ、好きだよ」
その言葉が嬉しくて、もっと彼の役に立ちたいと思った。
でも気づけば、私は彼の予定を管理し、愚痴を聞き、仕事を陰で支える存在になっていた。
そして彼は、それを「当たり前」だと思っている。
私は、いつから彼の「秘書」になったんだろう。
「おかしいのかな、私」
ベッドに横になりながら、天井を見上げる。
不満を言うほどのことじゃない。彼は浮気もしないし、暴力も振るわない。
ただ、少しだけ——
少しだけ、疲れた。
でも、それを口にする勇気はなかった。彼を困らせたくないから。
関係を壊したくないから。
私は、そういう人間だから。
翌朝、いつも通りに目が覚めた。
彼からのメッセージ。
『おはよー!今日も頼りにしてるね!』
私は画面を見つめて、小さく笑った。
「うん、分かってる」
この関係が、どこに向かっているのか。
その答えに、私はまだ気づいていなかった。
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