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ハイドジャスティスフライ  作者: 麻呂ワッサン


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1/3

第一話 正義の警官

「えほっ、こほっ」


 僕は小さく咳をした。


「おい、なんだよ。俺の煙草が臭ぇってか? 嫌味な伝え方すんなぁおい?」


「けほっ………違いますよ。……わかってるでしょ……」


「あぁ?」


 睨めつけてきた中年の先輩警官から逃げるように、視線をパトカーの窓の外に向けた。

 今日も空気はひどく濁っていて、街行く人間の顔も明瞭には見えない。


「あ゙ぁ゙~~そろそろ行っか~、ほれ早よ車だして」


「……はい」


 お前のヤニ休憩を待っていたんだろうが、と僕は言わなかった。

 へらへらと情けない笑みを浮かべるだけだ。


「剣坊町一丁目な。新築ホヤホヤだから見りゃわかる」


 中年警官は車の灰皿に煙草のカスを落としながら言った。


「どうしてその家にガサ入れするんです?」


「はぁ~?俺言ってたろぉ~。ちゃんと聴いとけよ」


 絶対に言われていない。

 僕は、容疑者宅を捜索すること以外、何の説明も無しに彼に襟首を掴まれて連れてこられている。

 しかし、僕は口答えしなかった。


「そいつの宅の前で瀕死のコバエが見っかったんだと。それも三匹。そいつは所謂『小蝿(こばえ)ディーラー』の疑いがあるって話だ」


「え………結構大事(おおごと)じゃないですか! まさか僕らだけですか?」


「んなワケねぇだろ。特別捜査官の方が来るから、俺らはそのサポートだ」


「なるほど……!」


 僕の心は沸き立っていた。

 手柄を立てるチャンスだからだ。

 手柄を挙げれば昇進して、高い役職に就けるだろう。

 そうすればもっと重要な事件に関わらせてもらえる。

 沢山の悪魔契約者を捕まえられる。


「あそこですかね?」


「そうだ。近くに停めんなよ?」


 車内で待ち始めて数分もせず、軽自動車がパトカーの近くに停車した。

 二人はパトカーから降りる。

 続いて、軽自動車から二人の捜査官が降りる。

 僕と先輩警官は敬礼した。


「お疲れ様です! 私は盾原警察署剣坊町交番の渡利(わたり)ゲンモクです!」


「同じく、長縄(ながなわ)ヒロムシです!」


 二人の挨拶に会釈で返した女性捜査官が口を開いた。


「特別捜査官の(ひいらぎ)です。非番の日にも関わらず、お手伝いいただきありがとうございます」


萩刈(はぎがり)だ。早速、家宅捜索について簡単に説明させてもらう」


 もう一人の男性捜査官は女性捜査官と打って変わって仏頂面で、手短に自己紹介を終えた。


「お前らには容疑者宅に野次馬が入らないよう制限と彼らに状況の説明をしていただきたい。戦闘になる可能性があるからな」


 僕————長縄に僅かな緊張が走る。

 何となく捜査官が上の立場で、一方的に蹂躙するので危ないものではないと心の何処かで思っていたから、大船に乗ったつもりでいた。

 相手が悪魔契約者であるなら、当然抵抗されて殺し合いに発展することはありうる。


 今回のガサ入れは害虫駆除ではなく、熊駆除なのだ。


 僕は緊張感を改めて抱くと、捜査官たちと共に件の家宅に向かった。


「では、よろしくお願いしますね」


 柊は我々に一言告げると、家宅の玄関のインターホンを鳴らした。



 ◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇



 その家の主はインターホンに応答することなく、唐突に玄関のドアを開けた。

 ドアチェーンは掛けず、無警戒で人畜無害な顔つき。

 弱々しい痩身の坊主男だった。


「何でしょう?」


「剣坊町の一丁目付近で瀕死の小蝿が三匹見つかりまして、近くのお宅の中を少しだけ調べさせていただけないかと思いまして」


 柊は警察手帳を見せながら、相手を刺激しないための愛想の良い笑顔を浮かべた。

 眼窩がくぼんでギョロッとした目で手帳をまじまじと見た男は、すんなりと柊を室内に入れた。


 玄関は整頓されているとは言えず、家電や生活用品がところ狭しと置かれていて、所々にレジ袋が生えている様は人工の獣道である。

 もともと白色であっただろう壁はアニメか何かのタペストリーやポストカード、缶バッチなどが埋め尽くしている。


 リビングも食卓や扉の周りが開けている程度で、床の汚さと壁の無秩序な装飾は玄関と大差ない。


「どうしましょう。お茶でも出したほうがよろしいかな」


「いえ、お構いなく………」


「戸棚に茶葉が…………あっ、痛っ、挟んじゃった…………中指」


 その言葉を告げた瞬間、柊が目を剥いてその男に向かって駆け出した。


「やめろ!!」


「ベルゼブブっ、その女を食い殺せ!!」


 今までのモスキートボイスから一転、目一杯に張り上げた声。

 その大口から一匹の小蝿が飛び立って男の中指に止まった。

 小蝿にぶちぐちと食いちぎられて、男の中指が床に落ちた。


 柊が男の顎に膝蹴りを食らわせ、彼の舌は歯に挟まれて千切れる。

 だが、一手遅れた。


 落ちた中指が不自然に蠢き、食い破って無数の小蝿が飛び出し、彼女の下へ。

 柊は太ももに数多の穴が開けられ、肉の中を蝿に食い泳がれる激痛を感じたが、歯を食いしばって男を拘束し続けた。


「柊っ!」


 萩刈が、待機していた裏口の扉を蹴破ってリビングにたどり着く。

 伏す男とそいつを取り押さえる柊、そして彼女に群がる夥しい数の小蝿。

 萩刈は刹那、苦虫を噛み潰したような顔をした。


「アズライル、小蝿に告死してくれ」


『ヨロシ』


 萩刈の声でも柊のそれでもない、お(りん)の如きうねる金属音。

 萩刈の鼓膜がじわ、と震えた。


 少しして、小蝿が動きを止めた。

 苦しみにもがくこともなく、ぽっくりと。


『コノ子、ギリ生キテルヨ』


 どこからか伸びてきた腕が柊を指さした。


「………」


 柊の下半身は食い破られていて既に無く、彼女の瞳には小蝿の死骸が乗っかている。

 唇がかすかに揺れているが、萩刈には何を告げようとしているか読み取ることはできない。

 だから、


「アズライル、柊も告死してやってくれ」


『カナシ、ヨロシ』


 できることは、介錯して苦しみを絶ってやるだけ。

 萩刈は彼女の死に浸ることはない。

 悪魔契約者を追っている身ならば、同僚の死は日常茶飯事だ。


「アズライル、この男から増殖した小蝿は全滅したか?」


『ン—、三匹逃ゲタヨ』


「っ!! なんで言わねぇ! 言ってくれてもいいだろ!」


『シツネーン』


 足元のガラクタを踏み越え、蹴り避けながら玄関の扉を開け放った。


「渡利ィ!! 長縄ァ!! 小蝿逃げていないか!? 見ていないか!?」


「あ、殺虫剤で殺しました」


「くそっ、見つけられるか…………」


「あの、倒しましたよ。蝿」


「わかってる!! 見てるわけ無いとわかっていながら聞かずには…………何?」


「殺虫剤で殺しましたよ。偶々目撃したので」


 長縄が握りこぶしを萩刈の目の前に差し出して、開いた。

 掌には三匹の小蝿の死骸。


「………アズライル、この蝿はあの男の飼っていたものか?」


『ソレハ、分カンナイヨ。デモ、命ガ緩ヤカニ、シボンデイッテイルヨ』


 室内ならまだしも、外気に触れている小蝿が瀕死であることは殆どない。

 基本、死んでいるのが常態だ。

 だから、瀕死の小蝿が見つかっただけで、その付近の家宅捜索に踏み切ったのだ。


「そうか……ありがとう……」


「いえ、とんでもありま……」


「わっ……私が貸しました……!その殺虫剤!私の私物です!こんなこともあろうかと!」


 渡利が突然、喚き出した。

 必死に唾を飛ばしながら、大金が目前にあるかのような強欲な俗物の眼球だった。

 その言葉の裏には、俺も活躍したから自分の昇進について上司に口添えしてくれないか、という要求が隠されている。


「あぁ……」


 萩刈はあからさまに呆れた様子を態度に示さなかったが、上の空であった。

 小蝿が外に逃げ出してしまう事態は、よほど緊急性の高いことだったのかもしれない。

 安堵したことだろう。


 しかし、唐突に萩刈の様子は一変した。

 何かを思い出した様子だ。

 慌てて家宅に戻っていった。


「……しまった……」


 柊の遺骸の下に「小蝿ディーラー」の男はいなくなっていた。

 裏口に走って戸を開け放ち、血の滴った痕跡を発見するが、途中で気づいて止血したのか、血の跡は絶えていた。


「何やってんだ……俺」


 萩刈は扉にもたれかかって、短く重い息を吐いた。

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