邂逅_5
「一依……?」
そこにいたのは一依だった。昨日よりも随分と透けていて、多分もう、消えてなくなってしまう。
駆け寄りたいのに、僕は今の場所から動けないでいた。その横を、悲しそうな顔をして一依が通り過ぎる。その前には第七不思議の紙。ちょっとだけその前にいたかと思うと、彼女は僕の隣へやってきた。思わず、第七不思議と彼女の顔を交互に見た。
「あ」
『ありがとう』と書かれた文字の横に、また一言書かれていた。
『私も大好き』
――と。そして、【浦々一依】の名前。
「バイバイ刹那。とっても楽しかった。死んじゃったのを思い出せないくらいに」
「一依!」
「いつかまた人間になれたら、その時は刹那ともう一度友達になりたいな。私、今度は頑張って生きるから。ずっと、隣にいられるように」
「一依!!」
こんなところまで入り込んでくるはずがないのに、ビュゥゥと僕を風が包んだ。多分一依は泣いていた。泣きながら笑っていた。そして僕も泣いた。結局、僕には何もできなかった。一緒に七不思議を作って、お互いがお互い一人にならないよう話をして、ただ、それだけだった。もっと沢山話をすればよかった。僕のことを話して、一依のことも聞けばよかった。他にも何か作ればよかった。色んなものを見せてあげればよかった。学校の外へ出られるか、試してみればよかった。……後悔が尽きない。
僕は薄っすらと、一依が自分の存在が何たるか気が付くように、わざと話をする時もあった。一依のためだった。今僕の目の前から消えた一依は、きっと成仏したんだと思う。良い子だったから、成仏してほしかった。恨みつらみを持たないでほしかった。……でもそれは僕のエゴで、一依もそう思っていたのかは、今ではもう知りようがない。
動けるようになったころ、まだ一依の言葉が残っている紙を剥がして、僕はバッグへしまった。なくさないように、とられないように。
――この日から、二度と一依を見ることはなかった。でも、彼女のいたことを示すように、第七不思議の紙に書かれた文字は消えていない。あの日監視カメラは機能していなくて、最後に会った僕と一依の姿も映っていなかった。だから、今でもあの七不思議が誰の手で掲示されたのか、みんなわからないでいる。
彼女と初めて会った日、僕は死ぬつもりであの文化棟へ行った。一依ほど、辛い毎日だったわけじゃない。でも、無気力で何もしたくなくて、生きていることに価値を見出せなかったのは確かだ。どうせ取り壊すのだから、死体の一体出たとして構わないだろうと、自分勝手な考えをしていた。
そこで、彼女と出会った。大体文化棟へやってくるのは男子ばかりで、女子は珍しかった。その物珍しさと、誰かがいる場所で死んでしまっては、その人に迷惑がかかってしまうという思いから、僕はその日死ぬのをやめた。そこから文化棟へ行く度、彼女はそこにいた。まさか自分が幽霊に幽霊と思われるなんて思ってもみなかったが、彼女の存在は僕の中で日に日に存在感を増していった。
結果、彼女がいたから今自分はここにいる。僕は彼女に救われた。僕は死を選ぶことをやめて、生きることを選んだ。彼女が消えた今もそうだ。責務なのだ。彼女の迎えられなかった未来を、僕が迎えようと藻掻くことは。
彼女の載った新聞は残してあるし、彼女の作った六不思議も、僕の不思議と合わせて保管してある。たまにそれを取り出して眺めては、確かに彼女がいたことを思い出した。
……きっと、彼女の声から僕は忘れてしまうだろう。もう話すことができないのに、彼女の声は残されていないから。思い出せなくなっても、聞き直すことができないのだ。だから、僕は彼女の声を忘れないように、いつも彼女との会話を思い出す。情景や言葉だけじゃなくて、その音を。
そして、僕は一枚の写真を勉強机に飾ってある。僕の自撮りだと言うと恥ずかしいが、僕越しに一依が写っているのだ。一依の写真を撮りたくて、でも、もう死んでいることはわかっていて、写らないことが怖いと思ったあの日。言い訳のために自分にカメラを向けて、こっそりと一依を撮った。……こっそり撮ったと思っていたのに、一依はそれに気付いていて、ちょっとだけ怒ってたっけ。
僕の後ろに、一依の姿はあった。窓の向こうを見つめる一依と、下手くそな笑顔でピースサインをする僕。『見せて』と言われて、僕は渋々彼女に見せた。『消して』と言われなくて心底ホッとした。写真の中にいる彼女を、消したくなかったから。……彼女は写真には写っていたけど、目の前の窓に映っていなかった。本人がその両方に気が付いたかどうかは、聞いていないからわからない。
「いってきます」
僕は僕の写真に写った一依に挨拶をして、学校へ向かった。朝からゴミを荒らすカラスも、サラリーマンの多い満員電車も、ハイテンションで友達に抱きつく女子生徒も、今までだったら見向きもしなかったのに。今じゃあ僕の日常に彩りを与えてくれる。
一依がいなかったら、きっと僕もこの世から消えていた。彼女と友達になる前に。僕はこれから、彼女の存在を消さないように、生きていくだろう。