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英雄の娘(3)

──ヴィクトル・オルシェ。

大貴族であるオルシェ公爵家の長男。兄弟は病弱な弟がひとり。母親は幼い頃に亡くなり、父親はこの帝国の軍組織の最高峰である帝国騎士団の長。


そうヴィクトルは語ると、ティターニアにも家族のことを尋ねてきた。


さらさらの銀の髪は左目が少し隠れるようにセットされていて、時折覗く左眼は右と同じ色をしているというのに、不思議と吸い込まれてしまいそうな魅力があった。


「改めまして、私の名はティターニア・ネルハ・セルマーニ。家族はニアと呼ぶわ。趣味は剣術と乗馬と戦術書を読むことよ」


「………一応聞いておくが、裁縫、絵、音楽の嗜みは?」

ティターニアはフンと鼻を鳴らした。


「芸術面はさっぱりよ」


「やはりな……」


ティターニアは肘でヴィクトルの脇を突いてから、テラスの柵に背を預けるようにして凭れかかった。今ここにマルセルがいたら、もっと上品でいろとお叱りの言葉が入ることだろう。


「……よろしく頼むわね、婚約者殿。こう見えて、剣の腕は中々なのよ」


「ほう。ならば今度手合わせをするとしよう」


その不敵な笑みに、ティターニアの胸の辺りではよく分からないむずむずした感覚が生まれていた。


挨拶をした時は胡散臭い笑顔を浮かべている令息だと思っていたが、その仮面が剥がれてからは印象がマシになったのだ。思ったことをはっきりと言ってくれる人間は、作り物の笑顔で本音を隠している人間よりも好ましい。 


「──これからよろしく頼む。ニア」


英雄の娘と、大貴族の令息。

──これが、のちに帝国史において大きな伝説を残す、ふたりの出逢いだった。



その日、ティターニアら辺境伯一家は、城に手配された客室で一晩を明かし、翌朝には領地への帰路についた。


もうあと何日か帝都を見て回りたかったが、辺境伯である父は長い間領地を空けるわけにはいかないのだ。その地位には国境の防衛という使命が課せられているのだから。

それに、とティターニアは心の中で呟く。


移ろい変わる窓の外の景色を眺めながら、祝賀会で会った婚約者のことを思い返していた。


セルマーニ領は国土の西の国境にあり、対するオルシェ領は東の国境にある。互いに最も遠い領地だが、いずれティターニアは中央貴族であるオルシェ家に嫁ぐのだ。帝都を見物する機会はこの先いくらでもあるだろう。


「──ろくに帝都を見せてやれず、すまないな」


「お気になさらず。また機会はあるでしょうから」


「……ほう?」


オルフェウスは目を見張りながら、ティターニアを見る。

基本的に無表情で、怒るか呆れるか諌めるか──いずれかの時しか表情を変えないティターニアが、少しだけ笑っていた。恐らく、家族しか分からないくらいの。


生涯は男ではなく領地に捧げるのだと言っていたティターニアが、また帝都に来る機会はあるから気にするなと言っている。それすなわち、領地を出る身であると言っているようなもので。


「ニアよ。オルシェの子息を気に入ってくれたか」


「……まあ、それなりには」


扱い難い娘の分かりづらい笑みに、オルフェウスは嬉しそうに笑った。



セルマーニ領へは帝都から馬車で三日の距離だ。国内の領地では帝都から一番遠い土地であることから、最後に皇帝が足を運んだのは五十年以上前だそうだ。


(…それはそうよね。だって、辺境の地だもの)


西側にある国々は、侵略と略奪を繰り返している。その刃は何度もこの国にも向けられたが、それを何度も弾き返してきたのがセルマーニ家だ。


祖父がその名と役目を賜ったので、まだ家の歴史は浅いものの、その軍事力は騎士団にも劣らないと言われている。

平民出身の一人の騎士から始まった、軍略に長けた一族。それがセルマーニ家だ。


「──もうすぐ領地ですね」


馬車を走らせてから三日目の夕方。窓の外の景色がすっかり見慣れたものへと変わってきた頃、ティターニアの向かいに座るマルセルがそわそわし始めた。


あれほど帝都行きを楽しみにしていたというのに、もしや本当は早く帰りたかったのだろうか。


「どうかしたの?落ち着きがないけど」


「ななななにも!何もないですよ!」


マルセルは明らかに何かあるような反応をすると、わざとらしく咳払いまでした。これでは何かあると言っているようなものだ。


「……何もないならいいのだけれど」


ティターニアは訝しげにマルセルを見遣る。こういう時は決まって変なことを企んでいる。マルセルもその隣に座るオルフェウスも噓がつけない性格だ。


今回ばかりは嫌な予感がしてならないティターニアは、深いため息を吐いてから再び窓の外を見た。


ティターニアの予感は、見事に的中した。



「────え?」


セルマーニ領の最大の特徴である巨大な城壁を越え、複数の鉄格子を潜った先にある住居スペースで、その男はまるで自分の家かのように寛いでいた。


ティーカップから漂う香りは、この辺境の地でも強かに育つ品種のものだ。その香りと味を楽しんでいたのか、ティターニアが帰ってきたにも関わらず、優雅に一口飲んでから立ち上がった。


「予想よりも遅かったな。婚約者殿」


ひらりと手を差し出されたが、ティターニアは華麗にその横を通り過ぎた。そして部屋の奥の壁に背を預け、何故か家の居間にいる婚約者を上から下まで眺める。


どこからどう見ても、目の前にいるのはティターニアの婚約者であるヴィクトルだ。つい三日前に会ったばかりの。


「……どうして貴方がここにいるのよ」


ヴィクトルはふっと笑うと、ティターニアの前まで歩み寄ってきた。そのまま何食わぬ顔でティターニアの手を取ると、慣れた手つきで手の甲に口付けを落とす。


「どうしてって…婚約者殿と親睦を深めるために決まっているだろう?」


濃灰色の瞳が艶やかに煌めく。形のいい唇はニッと横に引かれ、その麗しい顔をさらに輝かせている。


ティターニアはヴィクトルの手を退けると、両腕を組んで、何故か自分の家にいるヴィクトルを睨みつけた。


居るだけでも吃驚なのに、遅いとまで言われるとは訳が分からない。ティターニア達は馬車で真っ直ぐに帰ってきたのだ。早馬を飛ばしでもしない限り、ティターニア達より先に到着することなど出来ない。


(………もしかして)


ヴィクトルの笑みが深まる。どうやらティターニアの考えは当たっているようだ。


「……親睦を深めるために、馬を飛ばして来たというの?」


「その通りだ」


ヴィクトルは大きく頷きながら満足げに微笑むと、ソファへ戻っていった。そこへ腰を下ろすと同時に、オルフェウスとマルセルが嬉しそうな顔で部屋に入ってくる。


「よく来たな、ヴィクトル殿」


オルフェウスは両腕を広げ、ヴィクトルを歓迎するように軽く抱擁を交わす。マルセルもそれに倣うように同じことをすると、三人はティターニアを余所にソファに座った。 

「この度はお招きありがとうございます。セルマーニ領には一度来てみたいと思っていたので」


「砦と草原しかないが、ゆっくりしていってくれ」 


どうやらヴィクトルは父に招かれてこの館に来たようだ。

勝手に婚約を決められ、楽しみにしていた帝都行きで突然婚約者と引き合わされた挙句、これっぽっちも予定になかったダンスで恥をかかされた。


(……今度は内緒でお招き、ね)


ティターニアの怒りは過去最高潮だ。


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