英雄の娘(1)
煌びやかな装飾が施されているホールを、少女は優雅な足取りで歩いていた。
紅いドレスは少女の黄金の髪を引き立て、真珠のような肌と細い腰は、すれ違う人の目を釘付けにしてやまない。
ふと、少女をエスコートしていた少年が足を止め、隣にいる少女を見上げた。
「──さすが姉様。皆虜になってますよ」
「興味ないわ」
今や会場中の人たちが、少女に見入っている。それほどまでに美しい顔立ちをしている少女の名は、ティターニア。この国の辺境伯の娘だ。
艶やかな金色の髪と大きな緑色の瞳を持つティターニアは、今年で十六歳になる。
「もう、姉様ったら。今日は主役も同然なんですから、少しは笑ってください」
二つ下の弟であるマルセルに嗜められたティターニアは、無表情のまま首を傾げた。
「主役は父上よ。今宵は西との戦に勝利した父上を讃える祝賀会なのだから」
「それはそうですけど、僕は姉上を心配しているんです。今年でもう十六になられるのに、姉上は剣術と戦術書にしか興味がないのですから」
「少しは女らしいことをしろと言いたいの? マルセル」
ティターニアには小さなため息を漏らすと、頭ひとつ分背が低いマルセルを見下ろす。すると、マルセルは怖気付いたのか、段々と声を小さくしながら顔を逸らした。
「姉様はお綺麗で頭も良くて武芸にも秀でていて、素敵な方なのに…」
なのに、何故縁談がひとつも舞い込んでこないのか。そんなマルセルの心の声が聞こえた気がしたティターニアは、今もぶつぶつと何かを言っているマルセルを見ながら溜め息を吐いた。
「もう少し大きい声で言ってくれる?」
「なんでもないです」
どこぞの親戚のように年中小言を言うマルセルに、こうして溜め息を返すのはいつものことだ。余計なお世話だ、黙っていろなどと言って突き放すのは簡単なことだが、ティターニアはそれをしない。
マルセルは小言が多いけれど、姉想いで心優しい弟なのだ。いずれ父の跡を継いで、立派な領主となるその日まで──家族の傍にいたいとティターニアは思っている。
ふたりは給仕から飲み物が入ったグラスを受け取ると、話しかけてくる貴族たちに適当に会釈をしながら、父の到着を待っていた。
ほどなくして、ホールの奥にある短い階段の先にある大きな扉が開かれた。
「───皇妃殿下と皇子殿下の御成であるッ!!」
一堂に皇族の会場入りを告げたのは、宰相であるギュランダルという男だ。ティターニアらの父と同じくらいの年である彼は、皇妃の父親である。すなわち、皇子の祖父だ。
やって来たのが皇妃と“第二”皇子だけであることに疑問を持ったのはティターニアだけではなかったのか、周囲からどよめきの声がひそやかに上がる。
だがそれは、皇子の咳払いによってすぐさま静まり返った。
「皆の衆、我が国の辺境伯であるセルマーニ将軍が西を打ち破った!今宵は父である皇帝陛下に代わり、将軍を讃える!セルマーニ将軍、こちらへ!!」
第二皇子・カイロス。皇妃の子である皇子が、皇太子を差し置いて、皇帝代理の挨拶をした。
皇帝は何故祝賀会にいないのか。なぜ皇太子もいないのか。目の前の異様な光景を見つめながら、ティターニアは無表情でそんなことを考えていた。
そこへ、威風堂々たる足運びでやって来た一人の男が、皇子の足下で膝をついた。その瞬間、深い海の色のマントがばさりと扇のように広がる。
「オルフェウス・セルマーニ。参上仕りました」
滅多に帝都ではお目にかかれない男の姿を見て、人々は拍手とともに称賛の声を上げた。西側の国々からの侵攻を何度も打ち破り、この国の平和を守り続けている英雄へ。
「セルマーニ辺境伯、此度の働きも見事であった!」
「有り難きお言葉」
皇子に肩を触れられ、男──セルマーニ辺境伯であるオルフェウスは顔を上げる。その目は力強い光を宿している翠色で、髪は黄金色で緩くウェーブがかっている。
まるで獅子のように凛々しく強いオルフェウスは国土の西一帯を領地とする、セルマーニ辺境伯領の領主だ。そして、ティターニアとマルセルの父親でもある。
西の国境を守る辺境伯であり、英雄と呼ばれている父のことを、ティターニアは誇りに思っている。
皇族からの挨拶と賛辞が終わり、各々が談笑やダンスを楽しみ始めた頃。ひっきりなしに挨拶をされていた父がようやく解放されたのを見て、ティターニアはマルセルと共に駆け寄った。
「父様!」
「──ティターニア、マルセル。良い時に来たな」
父オルフェウスはニッと笑うと、後を着いてくるよう手招きをした。それを見てマルセルは嬉しそうに着いて行ったが、父からの手招きにいい思い出がなかったティターニアは、今日で何度目か分からない溜め息を吐いてから後に続いた。
(……嫌な予感がするわ)
オルフェウスの後を追うと、その先には銀髪の父子がいた。父親の方はオルフェウスと同じく軍人なのか騎士の格好をしており、子の方はただの招待客なのか、ごく普通の礼装をしている。
だが身につけているものはどれも一級品だ。思わずじっと見入ってしまうほどに、美しく繊細なデザインを前に、ティターニアの目は釘付けだった。無論、装飾品の形や宝石に、だ。
「………コホン」
息子である青年が、いつまで見ているんだと言わんばかりに咳払いをしたのを気に、ティターニアは我に返った。
(──はッ!私としたことが)
趣味は剣術と乗馬と戦術書を読むこと。そう公言している令嬢が、実は綺麗で煌びやかなものを眺めるのも好きであることを、悟られてはいけないのだ。自分は敵が多い英雄の娘なのだから。
ティターニアは何事もなかったかのようにドレスの裾を持つと、優雅にお辞儀をした。