自信の一歩⑨
「リュウの感じてたことはわかったよ。話してくれてありがと」
「全くだ。人の暴かれたくない部分を暴きやがって。幼馴染を“年下の女子に全ての秘密を握られている惨めな男”に変えた気分はどうだ?」
「またそういうことを……」
二人は体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下に立っていた。ちなみに竜之介の側からは窓から夜の学校の廊下や教室が見えるが、晴は頑として振り返ろうとはしない。理由は聞かないほうがいいだろう。
「流石に寒いだろ。ほら、そろそろ帰ろうぜ?」
一通り話し終えた竜之介は帰路に着こうと歩き出す。しかし、一歩目を踏み出したタイミングで左袖をツンと引っ張られる感覚に振り返る。見れば案の定、晴が袖を摘んでいた。
「まだ何か」
「私がまだ話してない。他人の話はちゃんと聞いて」
晴は不満そうな目つきで竜之介を睨んでいた。訊かれたからとは言え、先程まで長話をした手前、晴の言葉に反論する気は起きなかった。
「わかったよ」
竜之介は晴に向き直り、話を促す。晴は先程の竜之介と同様にどこから話したものかと頭を悩ませていたが、竜之介と違い自分で答えを出したようだった。
「あのさ、リュウは私は特別だって言ってくれたよね?自分で選んでここにいるって」
「ああ」
「確かに私は純粋にバスケが好きで、ずっと昔にここで、この道を選んだ。でも、全部自分の意志や力だけで走ってきたわけじゃない」
「え?」
その言葉は竜之介には少し意外だった。晴はいつだって周りになんと言われようと、自分で決めた自分が好きな道を走る。そういう人間だと思っていたからだ。
「ここで初めてバスケに出会った時。まだ周りの誰もバスケを始めてなくて、自分だけがシュートを決められた時。この場所で経験したいろんなことが、私にとってバスケを特別にしたんだ」
今から9年近く前のことだというのに、懐かしむようなその顔はしっかりと当時のことを覚えているようだった。
「周りより先に始めて、周りより一生懸命にやって。そうやって周りと違うことを積み重ねて、そんな自分に気づいた時、私もバスケの特別なんじゃないかって思うようになった」
それは竜之介には決定的に欠けている自信で、そして竜之介にとって三国兄妹が特別な理由だった。それが羨ましくて、妬ましくて、何より眩しくて憧れだった。
でも、だからこそ分からない。そんな晴が、自分の意志や力だけで走り続けられないと言うことの意味が。その答えは続く言葉が教えてくれた。
「でもね、それだけじゃ走り続けられなかったんだよ」
「それって……」
「私だってね、自分が特別じゃないって思うことはあるんだよ。辰馬みたいに自分の力をいつだって信じられるわけじゃない。それこそ辰馬や他のチームの選手とか、自分より後に始めた選手たちに追い抜かされて、置いて行かれる度に自分は特別じゃないのかって思うよ」
晴は伏目がちに語る。こんな晴は初めて見た。こんなに年相応に弱みを見せる彼女は、きっと誰も見たことがないだろう。無論、辰馬にさえ、寧ろ辰馬にこそ見せたことはないはずだ。
「晴にも、そんな瞬間があるんだな」
「リュウが私のことをどう思ってるかは知らないけどね。私だって、多分周りのみんなだって、きっと皆んな普通の人間なんだよ。辰馬はわかんないけど……」
「確かにアイツはわかんねぇな」
そんな冗談とも本気ともつかない言葉に、二人して笑い合う。
「でもね、リュウやチームメイトがそういう風に思ってくれていること。それが走ることに疲れた時、もう一度私が走り出す理由になってるんだ」
「俺がお前に理由を?」
「うん。私と同じくらいバスケが好きで、私より才能がある人がいて、そんな時『烏滸がましい』とまでは思わないけど、バスケは私のモン!なんて顔をしていいのかわからない時があるの。でも、そういう時はリュウやチームメイトのことを思い出す」
晴は自分の掌を見つめて、そしてそこに大切な何かを浮かべて握りしめる。
「私のバスケへのスタンスをリュウが凄く尊重してくれてるのはわかってて、そして私はリュウや皆んなにそう思われている私のことが好きなんだ。だからリュウや皆んなに恥ずかしくない自分でいたいって気持ちが、倒れかけた時に力をくれる」
今度は手元に落としていた視線を上げ、竜之介を見上げて晴は続ける。
「リュウが特別だと思う私を、特別にしてるのはリュウなんだよ」
いつになく柔らかく微笑む晴に、竜之介の頬は思わず薄く染まる。幼馴染の顔立ちが見慣れていたものとは少し違うことを今更になって思い出す。数秒後、呆けている場合ではないと首を振って竜之介は意識を取り戻した。
「誰かに理由をもらったっていいんだよ。一人で走り続けられる選手なんて、きっとほとんどいないから」
その言葉は竜之介にほんの少し勇気をくれる。その言葉の温もりは凝り固まった竜之介の心を少しだけほぐしたが、それでも竜之介は疑念を捨てることはできなかった。
「晴と俺は違う。晴は自分の心が折れそうな時に支えとして他人からもらった理由が必要だった。けど、俺は最初から誰かに理由って杖をもらわなきゃ前に進むことさえできなかった」
「リュウは細かいね。そういうところだと思うよ。何がとは言わないけど」
「言えよ」
「いいよ」
「よくねぇよ」
頑なに自分自身の在り方を認めない竜之介に徐々に晴の応対が雑になってくる。
「リュウは自分に求める理想が高すぎるんだよ。でも、今はそれはいいや。大事なことをあと二つだけ言うね」
「まだ結構あんのな」
竜之介のツッコミも無視し、晴は指を2本立てる。その姿はさながら、幼児を叱る先生のようである。
「まず一つ。確かに辰馬の言い方は最悪だけど、多分考えてることは私と同じ。辰馬は自分のチームの駒としてリュウが欲しいんじゃない。例え別のチームだとしても、純粋にリュウに自分が持っているものを諦めたまま生きて欲しくないんだと思う」
「そういやアイツ、そんなこと言ってたような」
昨日、駐車場でそんなことを聞いた気がする。
『確かに俺の計画にお前は必要だけど、仮にお前と別の高校になっても、俺はお前にバスケをさせてたぞ』
とかなんとか。その理由を尋ねたら、不服そうな顔をされたのだった。
「辰馬はああいう性格だからさ、周りの勝手な言葉でリュウが全部諦めて生きるなんて許せないんだよ。それは信じてあげて」
「まぁ、そうだな。それに関しちゃ最初から気づけた話だな。今日の言葉は後で謝っとくよ」
昼間に辰馬にぶつけた言葉を思い出して竜之介はバツの悪そうな顔をする。
「私も幼馴染として、何も試そうとしないで諦めるリュウなんて見たくない。私は辰馬の言うリュウの才能とかよくわかんないけど、でも辰馬の隣で一緒に頑張ってる選手がリュウだったら嬉しい」
「お、おう」
今日の晴はいやに素直で竜之介はやりづらかった。まともに話すのがそれなりに久しぶりというのもあるだろうか。
そんな竜之介の様子に気づいた感じもなく、彼女は立てた指を一本減らし、人差し指だけ立てる。
「それと最後に一つ。リュウ自身が多分見落としてる、凄くシンプルなことを教えてあげる。感謝して」
「先に内容を聞いていて、最後の一言がなければ感謝したかもな」
そして竜之介を無視して質問を始める。
「リュウはさ、中学では責任感だけでバスケをやってたって言ったけど、じゃあなんでバスケを辞めなかったの?チームの足を引っ張りたくないってさ、それって少なくともチームにいたいって思ってたってことでしょ?」
「それは辞めるタイミングが……」
「今日の練習もなんで途中で投げ出さなかったの?」
「投げ出すなんて無責任な……」
「なんで一人だけ置いてかれることを惨めに感じたの?最初から自分の全部を諦めてるなら、『やっぱ俺は違うな』って笑って終わりじゃん」
「それは……」
「なんで悔しかったの?なんで食らいつこうとしたの?」
矢継ぎ早の質問に竜之介は徐々に答えられなくなる。それは質問の速さのせいでないことは誰より竜之介自身が自覚していた。
「辰馬とのプレーで、自分の能力を引き出された時、どう感じた?」
「楽し……かった」
竜之介が渋々認めると、その回答に満足したのか、晴は質問を止めて笑った。
「ほら、もう気づいたでしょ」
その言葉は竜之介の心の奥深くに緩やかに染み込み、心の中の灰汁のような何かに水没していた大切な気持ちを救い出した。
中学の時も、今日の練習でも、何故そんなになってまでコートにしがみついてきたのか。いろんなことを諦めても、それでもコートには残り続けた理由。責任感とか、そんなのとは別に、もう一つ大きな理由が存在した。ずっと気づかずにいた。無自覚でいた。その理由は単純だった。
「自分のことは諦めてるつもりだった。それで上手く折り合いをつけてるつもりだった。でも……諦めきれてなかったんだな」
傷つかないために、弁えたつもりだった。自分は程々でいいなんて、そんな自分を受け入れたつもりでいた。けれど、相原竜之介という男は、バスケで負ければどうしようもなく悔しくて、バスケでうまくいけば堪らなく嬉しくて、それはきっとつまり……『バスケが好き』ということなんだろう。
「リュウがそんな器用に生きられるわけないじゃん。私たち3人は多分、器用になんか生きられないよ」
「それはそうかもな」
カラッと笑う晴に竜之介も自然と釣られて笑う。
「でも、私はそんな私が嫌いじゃない。こんな生き方を絶対に嘲笑わない辰馬とリュウがいるから怖くない。リュウはどう?まだ自分を信じるのが怖い?」
晴は窘めるでもなく、責めるでもなく、ただ純粋に尋ねてくる。その真っ直ぐな視線に対し、もはや後ろめたさは感じなかった。
「……正直、まだ怖い。けど」
竜之介は晴の瞳を真っ直ぐに捉える。今日コートを出てから一度も、誰とも合わせなかった視線を合わせて、竜之介はようやく手にした覚悟を口にする。
「俺のことを知らない誰かより、辰馬と晴を信じるって決めた。俺に才能があるかはわからない。でも、まだ全部を諦めたくはないから、俺は、俺の意志でこの道を選ぶ」
その言葉を聞いた晴は
「そっか」
とだけ呟いた。そのそっけなさが、今はありがたかった。




