自信の一歩⑥
今回後書きでいくつか用語解説入れていきます。間違っていたらごめんなさい。
甲高いホイッスルの音が体育館に響き、ボールがトスアップされる。竜之介は少なくとも自分なりに精一杯跳んだつもりだった。けれど、自分より10cmも低い選手になんとか競り勝つのが関の山という有様だ。
自分にできること。自分が持つアドバンテージ。そんなものがどこにある。走っている間も自問自答は止まらない。自分にできて、他人にできないこと。その逆はいくらでも見つかるのに、このコートで、いや生まれてこの方どこでだってそんなものを見つけたことがない。
(それでも、それなのになんで……俺はまだ)
体力は尽きた。無力は痛感した。それでもみっともなく走り続ける理由がどこにある。何度目かの攻守の切り替わり。最低限マークマンに速攻を決められないよう、搾りカスの体力となけなしのプライドを引きずって竜之介は走る。
速攻を防ぎ、ペイントエリアの中心に突っ立って、マークマンとボールマンの両方を視界に捉える。次の瞬間。
「あっ!」
3ptラインの外、トップからコーナーへのボールの受け渡しでボールがインターセプトされる。ターンオーバーした先輩が思わず声を上げる。
ボールを奪ったのは誰か。それを確認するよりも早く、竜之介の右足は無意識に一歩目を踏み出している。自分の位置、ボールの位置、そして相手ディフェンス全員の位置。染みついた癖で竜之介はそれを即座に把握する。竜之介は決して視野の広い選手ではなかったが、積極的に速攻を出すという中学3年間のチームスタイルが、殊更にこの瞬間の判断だけは成長させていた。
竜之介はチームでは一番味方のリング側にいた。つまり最後尾にいることになる。だが経験はこう告げていた。
(今ならフリーになれる……!)
思わず動き出している足。けれどコンマ数秒にさえ満たない時間の中、竜之介は自身の体に反することを考えていた。
(ここで走れば俺の体力はいよいよ終わりだ。それに俺が走らなくても、速攻が完成する可能性は高い。それなら……)
頑張らなくてもいい理由。諦めてもいい理由。時間と経験は竜之介の判断力を成長させたが、同じように諦め癖も膨張させていた。
自分じゃなくてもいい。誰かがやってくれる。誰かが自分を諦めた。だから俺も自分を諦める。そんな時間の積み重ねが、動き出した足を刹那の間、躊躇させる。
しかし、次の瞬間。前を向いていた竜之介の視線を最も強く捉えたのは、ボールでもなく、相手ディフェンスでも自分が走るルートでもなく、たった一人。三国辰馬の目だった。辰馬の手にはボールがある。ボールをスティールしたのは辰馬だった。
なぜ辰馬がこちらを見ているのか。速攻の始動役である辰馬こそ前を見ていなきゃいけないはずではないのか。そんな困惑が首をもたげようとするが、それを即座に押さえつけるように辰馬の言葉が届く。
「リュウ!!!」
名前を呼んだ。それだけだった。けれど、それだけで全て分かった。辰馬のメッセージはシンプルだった。
『走れ!!』
更に次の刹那には、左足が勝手に2歩目を踏み出していた。今日、ここに至るまで誰の意図も汲めなかった。自分に何ができるのか、自分がどうすればいいかなんて分からなかった。けれど不思議とこの瞬間、『世界はこんなにも単純だったのか』と竜之介の頭の中を埋め尽くしていたアレやコレやは紐解かれ、消え去った。
走れ。ただ、走れ。一陣の風のように。ただ、走れ。
辰馬から受け取ったメッセージが竜之介の背中を押す。あまりに突然、機敏に動き出した竜之介にマークマンの先輩は反応が遅れる。左サイドの辰馬からパスコースが通るよう、右サイドのサイドライン沿い、大外を目指して走る。一歩、また一歩。踏み出す度に、踏みしめる度に、自信が強まっていく。
マークマンは振り切った。他の相手選手もよもやこれほどの速さで速攻を狙ってくるとは思っていない。竜之介の脚の長さ、そしてセルフイメージすら含んだ普段のイメージからは想像がつかない意外な瞬発力が、今やコート上の誰も追いつけないほどの爆発的な速さを生む。
バックコートからフロントコートに入る。最早、竜之介とゴールを結ぶ線上には誰もいない。竜之介は視線だけを改めて辰馬に強く向ける。竜之介のやや後方、ハーフライン付近。辰馬はそこまでボールを押し上げていた。
目と目が合う。瞬間、辰馬の手から竜之介の前方に、完璧な速度、完璧なタイミングでリードパスが放たれる。ボールはやや弧を描き、空中で竜之介の両手に収まる。そのパスに込められたメッセージに、竜之介は自分の力が引き出されているのを感じる。
続いて踏み出す右足。この一歩が確信の一歩だ。更にもう一歩。踏み出した瞬間に左後方から迫る影に気づく。
(あの位置から間に合うのか……!)
相手チームの先輩の一人が既にゴール付近に到達していた竜之介に迫っている。横目で捉えた顔は先ほどパスミスをした選手と同じで、どうやらブロックする気満々の表情だ。
その顔を見た瞬間、竜之介の中に小さく灯っていた火が大きく燃え上がる。左足を踏み出すと同時に、リングへ向かって思い切り踏み切る。
誰より速く走れるわけでもない。誰より高く跳べるわけでもない。自分より速い奴や高い奴はいくらでもいて、その中には自分より背が低い選手や、自分より頑張っている選手なんてごまんといて。それでも、それでもまだ。今は、今だけは……。
(負けたくない!!!)
ダンクなんてできやしない。そんな跳躍力もハンドリングも持ち合わせちゃいない。それでも精一杯の速さで、高さで、今ある全部で、竜之介はボールをゴールへと持っていく。そのレイアップは迫り来るディフェンスの圧力に惑わされることはなく、リングの近くでリリースされ、そして綺麗にバックボードで跳ねた後にリングに吸い込まれた。
着地と同時に小さく息をつく。全力で走ったことが一番の理由だろう。けれど、確かにそれ以外の理由、高揚に胸が高鳴っているのを竜之介は感じた。
だが、たかがレイアップ一本。たかが2点だ。まだゲームは続いているし、悦に浸っている暇はない。
急いでバックコートにいる、自分のマークマンのところへと戻る。その途中、すれ違った辰馬が声をかけてくる。それは労いや賞賛などではなく、
「まだまだいくぞ」
という言葉だった。
その言葉に竜之介は心臓が凍るような思いだ。何せ今の全力疾走でさえ、ほとんどゼロに等しい体力から絞り出した体力を使ってのものだったのだ。もう一本、同じように走れと言われても『はい、ただいま!』と了承できるものか。
しかし、竜之介は言葉の解釈を間違えたようで、辰馬は積極的に攻守の切り替わりで速攻を繰り出すつもりではなさそうだった。既に先輩たちの信頼を勝ち取った辰馬は、次のポゼッションでは悠々とバックコートからボールを運んでいる。このゲームの間はハンドラーを任せてもらっているようだ。
すると辰馬が、ローポストにいる竜之介に軽い身振りでサインを出す。そのサインを『ハイポストに上がって来い』と解釈した竜之介は攻撃の中心部へと駆け上がる。
(こんなところで無力な俺にボールを渡して何を……)
勿論、ハイポストにボールを入れてからの展開など無数にある。だが『まだまだいくぞ』と言った辰馬が、敢えてこの形を次に選んだ理由が分からない。
そんなことを考えながら辰馬からのパスを受け取ろうと構えた瞬間。辰馬が強烈なアイコンタクトを送ってくる。その瞬間、竜之介は辰馬の意思を理解する。竜之介がボールを受け取ると同時に、辰馬は竜之介が来たのとは逆方向、辰馬から見て右手側からゴールに向かって切り込む。
(ギブ&ゴー、だろ?)
ギブ&ゴー。パサーがボールを味方に受け渡すと同時に自分のディフェンスを振り切り、フリーになって今度は自分がリターンパスをもらう動きだ。それを感じ取った竜之介はボールを受け取った姿勢のまま、ボールを即座に腰の左辺りからバウンズパスで送り出す。振り返ることもなく竜之介が左手で放ったボールは、コートの上で軽やかに跳ね、辰馬のマークマンの手と辰馬の手、その間に綺麗に吸い込まれる。ボールをキャッチした辰馬は鮮やかにレイアップを決めて見せた。
一瞬の連携に周囲からは「おお……」というざわめきが聞こえる。そんな反応に満足したのか、シュートを決めた辰馬は満面の笑みで竜之介を見ながら、自陣に戻っていく。そんな彼に対して思わずニヤリと笑顔を返していることに、竜之介は後になって気づいた。
その後も、辰馬は竜之介を中心に攻撃を組み立てた。フラッシュからの展開だけでなく、トップで竜之介にボールを預けてからのハンドオフ、ピック&ロール(PnR)など、竜之介のどこに引き出しがあるのか完全に理解しているように次々と開けていく。
(3年間一緒にプレーしたことなんてないのに、なんで……)
なんでコイツはこんなにも俺を、俺のバスケを理解している。そんな驚きと同時に、竜之介が感じていたのは
(なんでこんなにもバスケが楽しい)
という困惑だった。
しかし、合間合間に辰馬が先輩を使ったプレーも挟んでいたとはいえ、僅か数分間で何度もコンビプレーを見せたことで相手チームの先輩たちも気づいている。あくまで攻撃の主体は辰馬であり、竜之介は意外とパスやスクリーンなどのチームプレーができるだけの引き立て役であることに。
故にラスト1分で迎えたポゼッションでは、先輩たちは辰馬に重点的に意識を向けていた。中坊にいつまでも好き勝手やられるのは彼らの沽券にも関わるのだろう。一方の辰馬はそんなことなど知るものかといった顔で、今度も他の先輩に攻撃を託すでもなく、彼らを使うでもなく、竜之介を選択する。
今度のプレーはハイポストより少し高い位置でのハンドオフ。先程も一度見せていたプレーだ。だが今回は様子が違った。
(これって……)
ローポストから上がって来た竜之介がボールを受けるとマークマンも、コーナーにいる味方のマークマンも意識的に、ハンドオフをした後に辰馬がドライブを仕掛けるコースを閉じるように寄っている。
(ディフェンスが歪んだ)
視野の広くない竜之介にも分かった。そしてこの瞬間を辰馬が見逃しているとも思えない。正面からボールを受け取るべく走ってくる辰馬に視線をよこすと、辰馬はその視線から目を逸らし、ニヤリと笑った。これはつまり。
(行けってことだろ)
表情を見るまでもなく、状況が竜之介に確信を与える。そしてリングとは逆側の左手で辰馬にボールを受け渡す……フリをして、竜之介は左手でリングの左側へとドライブを仕掛ける。
「「なっ……!?」」
ボールサイドにいた全てのディフェンスが裏をかかれる。これでレイアップに至るレーンはガラ空き……とまでは行かず、コーナーにいる味方のマークマンが慌てずヘルプに駆けつけている。流石にチーム力が高い。
ここで竜之介に打てる手はいくつかある。ストップジャンプシュート……は今の竜之介の技術では確率が低いので候補から外し、素直に体格差を活かしてレイアップでフィニッシュ、或いは届かない高さからフローターを撃つ。いずれにしても、自ら決めに行くというのが一つ。もう一つはコーナーにいるフリーの味方にパスを捌き、コーナースリーをお膳立てすること。
恐らく大体の場合チームとしての正解は後者だ。ギャップを作り、アタックを仕掛け、相手がカバーに入ったところでパスを捌き、更にギャップを大きく広げ、より確実なチャンスで仕留める。それがバスケットボールの基本だ。
だが、フリーの先輩のコーナースリーと、サイズ差のある竜之介のインサイドでのフィニッシュ、どちらが確実か竜之介には判断しかねる。ケースバイケースだが、どのみち決断は急がねばならない。左前方には相手が迫っている。
竜之介が採ったのは先輩へのパスだった。少なくとも頭はそのつもりだった。右足で踏み出しながら、左コーナーへのパスをリリース……しようとして竜之介の左足が咄嗟にパスターゲットと真逆のリングの方へと踏み出される。
「「……!?」」
完全にパスと読み切っていた先輩だけでなく、その一歩を踏み出した竜之介自身も驚いていた。バスケをしていると稀にこういうことがある。頭で考えていたステップとは違うステップを反射で踏み出してしまうことが。それは決まって相手の動きがよく見えていた時、それを躱すために起こる。
竜之介がパスを出すべく右足の着地と同時にボールを保持した時、ディフェンスは竜之介のボールの取り方と視線から、経験則による反射で竜之介の選択がパスだと読み切った。
だが竜之介側も、そんなディフェンスのリアクションがよく見えていた。そして、こちらも経験則による反射で左足がパスという選択を拒否した。結果、踏み出された左足は完全にディフェンスの虚を突いた。重心がコーナーの方に向いていた彼は竜之介の動きに対して半拍遅れた。
踏み切りはやや早く、踏み込みも浅く、レイアップも利き手とは逆の右手だったが、それでもフリーはフリー。外していい道理はない。最近のセットシュートの練習とは反対に、腕の力だけで、下手から手首のスナップを意識してボールを放る。ボールは綺麗な弧を描いてリングに吸い込まれた。
「お、おお……」
「アイツ、あんなプレーできたのか……」
コートの内外が思わず静まり返り、そんな呟きとボールがコートに跳ねる音だけが響く。これまでの練習が嘘のように充実感と高揚感に包まれ、竜之介の練習参加1日目は終わった。
マークマン:守備で自分が担当する相手を指します。
ボールマン:読んで字の如くボールを持っている人を指します。
ペイントエリア:ゴールから近い距離にある、コートによっては色が塗られているエリアを指します。ボールを持っている、いないに関わらず、オフェンス側はこのエリアに続けて3秒しかいられません。一般的に竜之介たちセンターの主戦場です。
インターセプト:所謂パスカット、スティール。相手のパス交換の途中でボールを奪うことを指します。ボールを奪うと奪った選手には「スティール」が一つ加算されます。
ターンオーバー:ボールが相手に渡るミスを指します。
トップ、コーナー:簡単に言えば、トップはバックコート(守る側のコート)に近い位置。コーナーは攻めるゴールに近く、コートの横の端っこを指します。
フリー:読んで字の如く、ディフェンスに守られていない、攻撃側が自由な状態を指します。
バックコート、フロントコート:前者が守る側のコート、後者が攻める側のコート。
リードパス:味方が目指す前方の空間に投げるパス。
ローポスト:大体ペイントエリアの横の長辺で、ゴールに近い方を指します。
ハイポスト:ペイントエリアの上底辺り(フリースローラインというラインの辺り)を指します。
フラッシュ:現在いる場所から、ディフェンスを振り切るように、急にパスがもらえるポジションに移動することを指します。
バウンズパス:読んで字の如く、床にバウンドさせるパスを指します。とても気持ちが良い。
ハンドオフ:ボールを手渡しするプレー。ボールをもらう側の守備がやりづらかったり、竜之介がやったような駆け引きが生まれたりします。
スクリーン:バスケに特有の基礎的な行為で、攻撃側の選手が壁として、味方のマークマンの後ろに立つ行為です。スクリーンをかけてもらった味方(ボールマンでもそうでなくても構わない)は、自分のマークマンをスクリーンに引っ掛けて、フリーを目指します。
ピックアンドロール:バスケの基本戦術の一つであり、ボールを持っている選手のディフェンスに味方がスクリーンをかけ(ピック)、ボールを持った選手がスクリーンを使いながらドライブを仕掛けたあと、スクリーンをかけた選手がゴールの方向に走ってパスをもらうことを狙う(ロール)行為を指します。略してPnR。




