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Best of You  作者: 貴理山 映帆
再会編
2/18

自信の一歩②

 久々に実家で過ごす土曜の朝。やたらと早起きの父親に起こされ、竜之介は食パンを牛乳で流し込んでいた。ふと食卓越しに、キッチンで皿洗いをしている父親を見る。


(昔は兄貴たちと叩き起こしに行かなきゃ、土日の朝は起きなかったのにな)


 そろそろ50代に差し掛かろうかという父親は、「老いた」と表現するには流石に少し若いが、それでも如実に変化は現れていた。一方の竜之介はそんな事実に対し感傷に浸るには若すぎた。事実をただ事実として確認し、さりとて何を思うでもなく再びパンに齧り付く。

 今頃、俺が引き払った後の寮の部屋では、同室の長島が卒業までの束の間、一人部屋を満喫しているのだろう。そんなことにまで思いを馳せているとチャイムが鳴った。「はーい」と高い声で返事をしながら、別室にいた母親が玄関に向かう。しばらくしてドアが開く音と、喜色に溢れる母の声が聞こえてくる。

 こんな朝早くの来客とは誰だろう。まず間違いなく遠方からの客ではない。それにしては来訪が早すぎる。そして父の客ではない。相原家に父の客が来ることはない。父はプライベートでの社交性が高い方ではないし、来たとしても車検等を手配してくれる車屋の知り合いくらいだ。客が車で来た気配はない。

 考えたところで意味はない。敢えて予想するなら三国のおばちゃんとか、その辺の近所のおばちゃんだろう。竜之介は数日前に再会した幼馴染の母親あたりと見当をつけて、思考を切り上げる。

 しかし、母親の声の合間にうっすら聞こえてくるのが若い女性の声だと気づいた瞬間に、竜之介はその正体にすぐに思い至ってしまった。あと数秒もすれば、母親がドタドタと廊下を走り、自分を呼びつけに来るはずだ。そう確信した竜之介は、未だ口の中に重たく残る炭水化物の塊を改めて牛乳で飲み下す。

 果たして数秒後、予想通りに母の呼びつけにあった竜之介が玄関に向かうと、そこには見覚えのある小柄な少女がしゃんと立っていた。


「あんた、そんな格好で出てきて」


「朝飯中なんだから仕方ないだろ。それに今更三国家の人間の前でちゃんとする必要なんてないって」


 キッとしたキツい目つきと短く切り揃えた兄とお揃いのクセのある茶髪。記憶の中の姿よりも幾分か成長しているものの、十二分に識別できる。そこにいたのは案の定、三国晴(みくにはる)。三国辰馬の妹にして、竜之介の1学年下の幼馴染だった。今は竜之介の物言いに、一層眼光を鋭くしている。


「久しぶりに会った幼馴染にその言い草はないんじゃない?まぁ、確かに今更リュウにちゃんとしたとこなんて期待してないけど」


「お前も大概だな。いつぶりだ?」


「多分、まともに話すのは3年ぶり」


 そんな会話をしているうちに母は奥に下がっていた。どうやら母とは積もる話がない程度には、これまでもそれなりに話す機会があったようだ。


「晴が変わってないようで少し安心した。ほら、たまにいるだろ?中学で再会したら急に敬称つき、敬語で話してくる後輩」


「正直、そういうの考えないでもなかったんだ。でも他の言い方、相原さん?竜之介くん?しっくり来ないでしょ」


「やめてくれ、虫唾が走る」


「……『こそばゆい』とか、もっと他に言い方あるでしょ」


竜之介の言葉に元から高くない晴のテンションは更に一段と下がる。


「で、何の用?俺に用があるんだろ?」


 旧交を温めたところで本題を切り出す。晴は竜之介が帰ってきたからと言って用もないのに会いに来るようなタイプではないし、母が部屋に戻って行った時点で自分に用があるのだと竜之介は察していた。


「相変わらず察しがいいね。そ、リュウに用があるって……辰馬が」


「……そんな気はした」


 よくよく考えれば、竜之介が帰郷していることを知っているのは家族以外では辰馬だけだ。


「で、その辰馬さんが俺に何の用だって?」


 竜之介が尋ねると、晴はしばらく視線を宙に彷徨わせ、さらにしばらくうんうんと唸った後、諦めたようにため息をついた。全てを悟ったような顔で晴が絞り出したのは


「『リュウ、バスケしようぜ。焼肉屋の裏の屋外リング集合な』だってさ」


というあまりに簡潔な伝言だった。


「小学生か、アイツは」


「だね。3年間で特に成長してないよ。妹の私が言うんだから間違いない」


 二人して額に手を当て、ため息を吐く。その脳裏には屈託のない笑顔の辰馬が浮かんでいることだろう。どうやら辰馬の人をやたらに振り回す性分も、振り回されるのが専ら竜之介と晴であるという現実も、そう簡単には変わらないらしかった。


「帰郷早々、変なのに目をつけられたな……」


 さらにもう一度ため息を吐く竜之介に晴は


「違うよ。リュウが目をつけられたのは12年前だよ」


とさらに嫌な現実を突きつけるのだった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「よう、遅かったな」


 竜之介と晴が朝9時前の山道を自転車で駆け抜け、目的地『焼肉屋裏の屋外リング』に着いた時、3月だと言うのに辰馬は既に汗だくだった。この屋外リングは日当たりの悪い駐車場の隅にあるにも関わらずだ。


「コイツ、何時からここにいたんだ?」


隣の晴に視線をよこすが、晴は呆れて首を振るだけだ。


「遅かったな、じゃねえよ。何時だと思ってんだ」


「やっぱり俺の読み通り、この週末もこっちにいたな。お前、もう向こうには戻らないのか?」


「いや、卒業式にだけは出るけど寮は引き払った……って、ちょっと待て。お前、俺がいる確証もないのに晴をよこしたのか?」


 今一度隣を見ても、やはり全てを諦めて首を振る少女がいるだけだ。その姿を見ているとだんだんと哀れになってきた。だから竜之介は隣にいる幼馴染を一度そっとしておき、目の前にいる諸悪の根源こともう一人の幼馴染に向き合うことにした。


「で、なんでこんな朝一番からバスケなんだよ」


「なんでって決まってんだろ。去年の春に見てからほぼ一年。お前がどこまで成長したか確かめたいんだ」


(決まってるって…お前の思考回路の中でだけだろ)


 強引で無茶苦茶な辰馬のあれやこれやに最早嘆息も底をつきそうな竜之介だったが、しかし一つだけ正さなければならないことがあることを思い出した。辰馬は一つ、大きな思い違いをしている。

 それを正すべく、口を開こうとした竜之介だったが、その前に辰馬がボールを投げてよこしてきた。


「ほら、アップは十分だ。やろうぜ」


「十分なのはお前だけだろ」


「お前のオフェンスからでいいぞ」


「いや、だから……まぁ、いいや」


文句を垂れつつ、竜之介は構える。どうせ今のコイツは聞く耳を持たないだろう。ならば、やることをやるしかない。俺はただ、やれることをやるしかない。その結果、失望されたとしても、その時はその時だ。

 かくして数秒後、みっともなくアスファルトに倒れ臥す190cmの少年がそこにいた。ぜぇぜぇと全身で酸素を取り込もうとする姿は、見るものの哀れみを誘うことだろう。


「おいおい、まだ10本だぜ?」


「ハァ……起き抜けに……ハァ、1 on 1を10本だぞ?んなもん無理に決まってんだろ……」


 辰馬の方に顔はおろか視線すら向ける余裕もなく、竜之介は愚痴、というより至極真っ当な文句を垂れる。そうこうしていると、5本目辺りから姿を消していた晴が戻ってきて、竜之介の腹に何かを投げて落とす。


「うぐっ……晴、お前……!」


「水。いるでしょ?」


 晴が投げてよこしたのは500mlペットボトルだった。どうやら早い段階で竜之介の限界を悟り、近くの自販機まで買いに行っていたようだ。


「は、晴さん……!!」


「お金は後でもらうから」


「は、晴さん……」


 晴はいつもの冷淡な応対で竜之介からの感激の眼差しをいなした。そんな彼女に目をつけたのが辰馬だ。『リュウが復活するまでやろうぜ』と晴にも1 on 1を仕掛ける。辰馬と同じくバスケットボールジャンキーの晴も、その誘いを快諾した。

 二人の対戦は当然の如く、竜之介の時と同じワンサイドゲームになった。辰馬は高校1年生を目前に控えているにしては身長が高い。180cmのサイズと、フォワードとしてのフィジカルとハンドリング。そもそもが県選抜など当然というレベルの選手である。

 一方の晴もキャリアは長く、実力は同世代と比べて非常に高い。しかし、いかんせん性差や遺伝の差に伴う先天的なサイズとフィジカルの差は覆し難かった。晴の長所はずば抜けたハンドリングと安定したシュート能力。それを以て中学ではチームのメインハンドラー、ポイントガードを務めているが、身長に関しては中2女子としては平均を少し下回るほどだった。彼女はサイズが理由でガードをしているわけではないという頑としたプライドを持っており、きっとこの敗戦も身長を言い訳にしたりはしないだろう。

 多分コイツらは特別なんだ。竜之介は二人を眺めながら考える。晴は出会った頃から特別だった。辰馬はいつの間にか特別になっていた。世間に言わせれば、きっと辰馬の方が最初から特別で、晴は多分特別じゃない。でも、そういうんじゃない。


「そういうんじゃ、ねぇんだよなぁ」


 俺はどうだろう。更に竜之介は考える。俺には才能がない、とまでは思わない。高校入学を控えた今の時点で190cmの長身がある。それだけのものを貰っておいて、増して晴の手前、『自分には才能がまるでない』なんて嘆くつもりなどなかった。

 けれど、それだけのものを貰っておきながら、貰っているからこそ、自分には決定的に足りないものがあるとわかっていた。0じゃない、でも100には程遠い。「ちょっと珍しいだけ」の凡庸な存在。多分、俺はあの二人のようにバスケでは特別になれないのだと、この3年でなんとなく線引きをしていた。

 そんな風に物思いに耽っていると、どうやら二人の対決は一通り終わったらしく、辰馬は『やってやったぜ』みたいな顔をして竜之介の方に歩いてきており、晴はブツクサと何かを呟きながら反省を始めていた。


「で、満足したのか?」


 竜之介が半身を起こし、かつての相棒に声をかけると


「まさか。さぁ、次やろうぜ」


と予想通りの返事。しかし、その誘いに乗る前に竜之介には言うべきことがあった。


「あのさ、一応言っときたいんだけど」


「おん」


「俺、高校でバスケを続けるつもりないぞ?」


 竜之介は誤解を解くべく、言いそびれていた言葉を告げる。太々しく聞いていた辰馬の表情が一瞬曇る。「何故?」その理由を問われることを予想して、竜之介は脳裏に浮かぶ回答をまとめる。しかし、そんな有体な予想は三国辰馬には通じない。



「はぁ……そんなことを言う気がしてた」


「勘づいていながら、無視して振り回してやがったのかお前。いや、お前はそういうやつだよな。とにかくまぁ、そういうことだから」


「ま、お前がなんと言おうとお前は俺とバスケをするんだけどな!」


「はぁ!?」


 辰馬は竜之介の言葉を丸切り無視して、勝手に幼馴染の進路を宣言した。あまりの傍若無人ぶりに、流石に竜之介は三度、晴に視線をよこして助けを求める。これまでは諦めたように呆れるだけだった晴も、流石にあまりにもあんまりな兄の口ぶりに眉間に皺を寄せていた。


「ちょっと、辰馬。リュウにも一応将来設計っぽい何かがあるかもしれないじゃん」


「おい、『一応』とか『っぽい何か』とか『しれない』とか余計な言葉が気にかかるんだが」


「私は今、リュウのフォローしてるんだから黙ってて。ていうか実際そんな大層なもんないでしょ?」


「……うす」


「でもね。そんなでもリュウにはリュウなりの考えがあるはずだよ。リュウはこんなだけど頭は良いから、きっと何か」


「だからもうちょい言葉を……」


「知ったことかよ、そんなの」


「辰馬!」


 当人をよそにヒートアップしていく兄妹に、竜之介は「そこまで暑苦しい話をするつもりもないんだけどな」と頬をかく。辰馬は自らの振る舞いを咎められたことなどまるで気にせず、柳に風と晴の言葉を受け流す。そして、晴の言葉が途切れたその一拍、その場の主導権を着実に握りしめる。

 辰馬は相変わらず、座り込んだままの竜之介にビシッと人差し指を突きつけ不敵に笑う。


「なぁ、リュウ。お前がバスケを続ける理由なんてたった一つだ。俺にしてみれば、このたった一つの理由だけで、お前が何百個並べ立てる理由を吹き飛ばすには十分だ」


 自信満々に告げる辰馬に対し、竜之介は幾分かの興味と最低限の愛想を理由に続きを促す。


「そんなに理由を並べるつもりはないけど……その理由ってのは?」


「決まってる、お前に才能があるからだ!」


 天才は確固たる自信を滲ませた視線で、自称凡庸な少年の目を貫く。数日前の廊下と同様に、余計なものばかりが詰まった胸が空くような、風が吹き抜けるような言葉だった。

 唖然としたままの幼馴染と妹に構わず、辰馬は言葉を続ける。


「お前には才能がある。もっと言えば俺がいる。それだけで十二分なんだよ」


「才能って身長のことか?だったらお前も知ってるだろ?俺みたいに『背が高いだけ』の選手は『ちょっと珍しい』だけだって。だから……」


自嘲気味な言葉を呟く竜之介だったが、なおも辰馬は止まらない。


「今更そんな程度のことで俺が才能なんて言葉を使うと思うか?……ってのはどうでもいいとしてだ。じゃあ聞くけど、お前何すんだよ」


「は?何って……」


「まさか勉強するために、鳳西(ほうせい)に行くわけじゃねぇだろ?それなら向こうに残った方がいいしな」


「お前にはデリカシーってもんがねぇのか」


「そんなもの辰馬に期待するだけ無駄でしょ。ついでにオブラートも持ってないよ」


「そうでした。解説どうも」


「てわけだ。で、どうなんだ」


 辰馬の目は相変わらず、竜之介の瞳の奥、核心を捉えていた。だから、しばらく黙り込んだ後、


「誰もがお前みたいに0か100かで生きてるわけじゃない。何かに本気で生きていくわけじゃない」


と少しだけ本音を吐き捨てる。土曜の朝、静かで、のどかながら未だ薄暗い駐車場に、その言葉だけが少し重たく漂った。

 その言葉を三国兄弟はそれぞれに受け止めた。今回は辰馬も切り捨てることはなく真剣な面持ちで、晴は全てを理解できないながらも心配そうに見つめる。


「あのさ、俺は励ますとかそういうの、得意じゃない」


「「知ってる」」


「お前らももうちょい反応選べよ…。まぁいいや。だからさ、俺は俺が言いたいことを言う」


「おう」


 この時ばかりは、辰馬の口元に笑みはなかった。


「相原竜之介は、バスケをするべき人間だ。バスケを続けるべき選手だ」


止まった時間の中、その表情と言葉は妙に脳裏に焼きついた。

 その言葉を100%信じたわけではなかった。やはり、どうしても自分の才能を信じる気にはなれなかった。それでも、どうせ何に賭けると決めたわけでもない人生なら、無根拠に突き進む傲慢な幼馴染に付き合って、バカを見るのも悪くないのかも知れない。

 そんなドラマチックでも何でもない理由で、竜之介は差し出された辰馬の手を取ることにした。

 その直後、握った手を強引に引っ張り上げた辰馬に1 on 1に付き合わされ、案の定ボコボコにされた竜之介は、早くも「やっぱ間違いじゃねぇかな、これ」と思うのだった。

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