先輩と後輩④
「相原、遠征参加することにしたんだってな」
話は戻って、火曜の夕方。練習終わりのダウン中、ペアを組んだ田島さんが尋ねてきた。寝転んだ竜之介が見上げたその顔は少し嬉しそうだった。
「ええ、まぁ」
「それでいいと思うよ。準備についてはマネージャーから連絡入ると思うけど、それ以外で気になることあれば何でも聞いてくれよ」
そう言って田島さんは穏やかな笑顔を浮かべる。竜之介からすれば、たった2歳年上の彼がこんな風に振る舞えることが不思議で仕方がない。
とても兄と同い年とは思えない。もしかすると兄も部活中はこんな風なのだろうか。竜之介は想像を巡らせてみたが、その姿は妙に気色悪かった。
「ありがとうございます。迷惑をかけないよう頑張ります」
「そう固くなるなよ。やることは同じバスケだ」
そして練習後、今日も自主練が始まる。やることは今日も変わらない……かと思いきや、今日は違う。
今日はチームとして対外試合初参加の竜之介と辰馬のために、先輩たちがセットプレーを教えてくれることになっていた。
「で、これがハーフコートオフェンスでの二つ目のセット。『A』ってコールしたら、この動きな。このセットの確認は練習中たまにやってるし、もう覚えてるか?」
「トーゼン!」
「まぁ……大体は」
主将の確認に二者二様のリアクションを返す。それぞれどちらのリアクションかは言うまでもない。
「まずは自分の動きだけを型通りに覚える……ってのが早いだろうが、セットってのはあくまで『点を取るための動き』だ。漫然と決まった動きを消化してれば、自然と点が取れるわけでもない」
主将はなんとも主将然とした堂々とした振る舞いで二人に指導する。田島さんとはまた違った意味で、竜之介には2年経ってもあんな姿になっている自分が想像できない。
「勿論、チーム全体で共有しているシュートを狙うポイントってのは幾つかある。だが、相手は県予選で何度も対戦するチームだ。その全てをある程度把握してくる。だからと言って全てを止められてちゃセットプレーの意味がないが、少なくとも型通りにすればいいって頭じゃダメってことだな」
セットプレー、それ自体はある程度読まれていたって有効な戦術で、そうであるからこそセットプレー足り得ている。同じ相手に一度しか通用しないようではセットの意味がないからだ。
しかし一方で、相手にここで“しか”点を狙わないとバレてしまえば、その効果は半減、いやそれ以上に減退する。
「よーするに、点を狙う意識……嗅覚?みたいなヤツを失わないようにプレーしろってことッスよね?」
「そういうことだ、辰馬。常に虎視眈々とチャンスを狙え。そのためにチーム全体がどう動いてるか、事前知識として頭に入れろ。そしてそれに対応して相手DFがどう動いてるかを、実際にコートで見て判断しろ。そしてチャンスと見たら型を外れても攻めろ」
「型を外れても……?それって」
簡単に言えば『臨機応変にやれ』ということだ。だが、口で言うほど簡単なことではない。それは曲がりなりにも小学生の頃からバスケを続けてきたからこそ、竜之介にも理解できる。
「相原の言いたいことはわかるぞ。セット通りのシュートチャンスに加え、自分からチャンスを見つける、なんならチャンスを作る意識が必要。そのためにはコート全体を常に把握しておく必要がある」
「それに加えて、周りにその閃きを伝えることも必要だし、逆に周りの閃きを“感じ取る”ことも必要。求められてるハードルは高いよな」
主将の言葉を引き継いだのは田島さんだった。面倒見の良い彼は、この居残りコーチングにも当然のように付き合ってくれている。
「だが、それが村木先生の教えだ。そして、俺はそう指導してくれることが、村木先生から俺たちへの期待だと思ってる」
「「期待……?」」
主将の言葉に首を傾げる後輩二人。一方、主将と田島さんをはじめ先輩たちは皆一様に誇らしげな顔をしていた。
「ああ、期待だ。だってそうだろ?初めから俺たちのことを諦めていたら、無駄なことはせず、とにかく型通りにやれって求めるだけだ」
「鳳西はスポーツ推薦もない進学校。だから勝とうと思えば、個々人の能力に頼らない極端なまでにシステマチックな統制が、一番合理的だと思うんだ。実際、村木先生の采配や指導の中には多分そういう面もある。俺は指導に詳しいわけじゃないから、どの程度とは言えないけど」
「だな。そんで、それは少なくとも100%じゃない。なんて言うかな。先生の指示には俺たちが考えて、選ぶ余地……“余白”がある」
主将と田島さんは代わる代わる言葉を紡ぐ。自分たちの中にある考えを確かめ合うように、共通認識を形にしていくように。
「その“余白”で自分に何ができるか……。それが試されるってことですね」
「そういうことだ、相原。気負わずやろう」
田島さんは励ますように竜之介の肩を叩く。
「とは言えチーム全体で意識を共有しないことには何も始まらない。まずはセオリーとして決まってるシュートを狙うポイントを覚えろ」
「はい!」
「うす!」
主将の総括で二人はまた練習に戻った。
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帰り道。長い坂道を顔を顰めながら自転車で登り続ける。行きとは逆に快適さのカケラもない道のりを、故郷を出る前と同じく竜之介は好きになれなかった。
「お前、またウダウダと悩んでたのか?」
竜之介がやや俯きながら、やたらに重いペダルを踏み込んでいると、頭を押さえつけるように面倒な言葉が降ってくる。
「……なんの話だよ」
なんとか顔を上げて前方を睨みつけると、辰馬は特段疲れた様子もなく、前方を見据えたまま自転車を漕ぎ続けていた。
「言わなきゃダメか?」
「いや、いい」
「ま、お前なりに前に進んでるんだろ?それならいいけどさ」
自分で話を振っておいて辰馬はすぐに興味を失ったようだった。
「そう思うんなら、最初から何も言わないで欲しかったな」
「お前を見てると言いたくもなるさ。で、行くと決めたからには自分のやるべきことは分かってんだろ?」
「まずは足を引っ張んないように義務を果たすさ」
「おい」
ひどく消極的な竜之介の言葉に、辰馬は即座に振り返ってくる。キツい登り坂の最中に、よくそんな余裕があるものだと竜之介は感心する。
「なんてな。わかってるよ。そんな顔すんなよ。それだけじゃ中学までの俺と一緒だ。そんなことはわかってんだよ」
足を引っ張らないように……なんて、そんな小さな思いに縛られるのは、もうごめんだった。
(俺は……変わらなければならない)
そんな思いが、竜之介を突き動かしていた。
「ならいいよ。で、どうするんだ?」
「主将が言ってた“余白”ってやつ……。そこで先輩たちが何をしたいのか、逃さずに“意思を掴まえる”。特にセンターなら、その道は避けて通れない」
それが今の自分に必要なことだと、竜之介は判断した。
頭にあるのは今や1ヶ月前の、初めて練習に参加したあの日のこと。あの場にいた誰もが意志を共有していた中、自分だけが辰馬に導かれるまで誰の考えも感じ取ることができなかった、あの日のことだ。
あの疎外感や屈辱は、今でもまざまざと思い出せる。もう二度とあんな思いはしたくない。竜之介の胸中には耐え難い不快感と、それを今この瞬間にも振り切ってしまいたい衝動が未だに燻っていた。
「つっても……そのために何をすべきで、何ができるかわかんねぇのが……現状だけどっ!!」
一層厳しくなる傾斜に負けないように、絡まった何かを振り切るように、竜之介はサドルから立ち上がり強くペダルを踏み込む。
「んー……まぁ、間違っちゃないし……今はそれで……うーん、でもなぁ」
対する辰馬は釈然としない返事。サドルに腰をかけたまま中空を見据え、何かを考えているようで。けれど二つの脚だけは絶えずペダルを踏み込み続ける。
「なんだよ。なんか言いたいことでもあるのか?」
竜之介が問うても辰馬は「んー、あー」と間抜けな唸り声を上げるだけだった。しばらくして、辰馬はようやく日本語を発した。
「いや、なんでもない」
「なんでもない奴がそんな唸り声上げるかよ。そっちの方が問題だわ」
「じゃあ、なんかはある」
「なら言えよ」
「いいよ、別に」
「俺が良くねぇんだよ」
曖昧な辰馬の態度に竜之介は苛立つが、辰馬は相変わらずどこ吹く風といった態度だった。しかし無視を決め込んだわけではなく、最後にヒントだけは残してくれた。
「じゃあ言うけど、お前が歩いてる道は間違ってない。でも一つだけ思い違いをしてる気がする」
「思い違いって?」
「それは今、俺が、言っても仕方ないと思う。それに」
「それに?」
「最近先生にも言われたんだよ。なんでも俺が言葉にするのは、お前のためにならないってな」
辰馬の言葉はあまりに迂遠で、ヒントと呼ぶには些か頼りなかった。けれど、先生の言葉は竜之介にも理解できた。
結局のところ、自分の足で歩いて、試して、壁にぶつかるしかない。そういうことなのだろう。
「わかったよ。ま、何を知ったところで、今俺にできることなんて知れてるしな。やれることを、やれる限りやるさ」
竜之介の言葉に辰馬は相変わらず曖昧な表情を浮かべ、そして再び視線を前に戻したのだった。




