先輩と後輩③
Best of You 17
GW。多くの人々が旅行に帰省にと存分に休暇を満喫するそんな大型連休。鳳西高校男子バスケ部は、翌週に控える地方大会、ひいてはその先にあるIH予選に向けた県外遠征の予定を組んでいる。
そんな連休を控えた4月4週……から更に時は遡って、1週間前の放課後。まだ田島さんが、卑屈で部活中は口数の少ない後輩二人に声をかける前のことである。
その長身を頼りなく僅かに左右に揺らしながら、竜之介は廊下を進んでいた。目的地は1年の教室とは別の棟にある職員室、その前に並ぶ教材室の一つ。次の古典の授業で使う教材を教室に運ぶことが目的である。
4月2週のホームルーム。放課後の時間を束縛される委員会を避けるべく、竜之介が希望したのは古典を担当する係だった。古典を選んだことに理由はない。取り敢えず授業準備の係を希望し、
「教科はなんでもいい」
と宣った結果である。
一つ誤算だったのは、古典の授業が週に一度、午後の一発目に組まれていたことだろう。5限の準備をするためには昼休みを削って活動する必要があった。
(昼寝の時間が……。午後の授業、耐えられるか?)
朝練を始める際に村木先生に釘を刺された手前、授業を疎かにするわけにはいかない。そのような状況下で、昼休みは生命線と言えた。
とは言え、悪いことばかりではない。教科によっては二人で係の仕事を分担することもあるのだが、古典は一人仕事だった。
分担の調整などをせず、自分の領分を自分で取り仕切るというやり方は、物臭な竜之介の性に合っていた。
そんなわけで渡り廊下を通り抜け、隣の校舎へと渡り、2階へと向かうべく階段を登っている最中の踊り場。
「あ、見つけた!」
「ッ!?」
竜之介は『見つかった』らしかった。竜之介は頭上、それなりに近くから放たれた、やたらと通る声に驚いて反射的に肩をすくめる。
明らかに女子生徒のものと思われる高い声。身に覚えがなさすぎる。ここは1年生の教室がある棟ではなく、そもそも学年を限定せずとも自分を探している女子生徒など思いつかない。せいぜい昨日話しかけてきた木崎さんくらいだ。
(ははん、これはアレだ、俺の後ろに誰かいて、ソイツに用があるってパターンだな)
豊富な人生経験を根拠に、そう判断した竜之介は声のした左前方に視線を向けず、何事もなかったかのように階段を登ろうとする。
「あれ?相原くん……で合ってるよね?」
今度は真横から名前を明言される。『見つかった』対象は間違いなく竜之介だった。
「あ、はい。相原です」
「だよね。そのサイズで相原くんじゃないわけないよね」
不安そうな声に慌てて左を向くと、そこにはボブカットの女子生徒がいた。当然の如く冴えない制服に身包んだ彼女は、温和そうな、それでいて大人びた顔つきをしていた。今はホッとした表情をしている。
制服姿を見るのが初めてなのでパッと見では分からなかったが、よく見ればそれは3年生の志島桜子。3人いるバスケ部のマネージャーの一人であった。
「こんちはス」
「うわっ!」
そうと分かれば行動は早い。竜之介は長い体を折り曲げて挨拶する。必然、壁側に立つ桜子さんは竜之介に追い詰められる形となる。
その姿を目撃した階段の上、廊下を歩く生徒からはざわめきが起きる。
(マズッた……)
奇異の視線に気づいた竜之介は、一歩下がって桜子さんから距離を取る。
「す、すみません」
「いやいや!別に相原くん悪いことしてないし」
「ちょっと〜、志島センパ〜イ。後輩にビビんないでよ」
改めて廊下を見上げれば、職員室前の廊下を通る数人の女子生徒がニヤニヤとこちらを見ていた。
「ちょっと、揶揄わないでよ!あっち行ってて、センパイするのに忙しいんだから」
「「はーい」」
どうやら桜子さんの友人と思しき彼女らは、変わらず何が楽しいのか、その顔にニヤニヤと笑みを湛えながら去って行った。
さて、問題はなぜ桜子さんが竜之介の下に『センパイ』しに来たか。なぜ竜之介を探していたか、であるが。
「1年生で相原くんだけが、まだGW遠征の出欠を回答してないんだけど……どう?」
単純な事務連絡の催促であった。
今回の遠征は先輩たちは当然参加を前提としているが、1年生は任意参加だった。それは部に入って日が浅く、金銭面等の保護者への説明など諸々の問題が片付いていないこと、そしてもう一つは戦力面での事情によるものだ。
要するに、現時点で戦力として期待できない1年生に、IH前最後の遠征でプレータイムを与えられない可能性が高いからだった。もっと言えば、大事な時期に貴重な練習試合に出て足を引っ張られても困る……なんて意図もあるのだろうと竜之介は察している。
だからこその任意参加。特に聞いていないが、勿論辰馬は参加するだろう。金井は確か法事が入っているとかで不参加。雨宮は当然の如く不参加だったはずだ。その他のメンバーもほぼ不参加と聞いている。
そして竜之介はと言うと、相も変わらず女々しく悩んでいた。
まず真っ先に頭に浮かぶのは、チームの大事な時期に迷惑をかけられないという考えである。
遠征に帯同しても、自分がプレータイムを貰えないのは仕方がない。この1ヶ月、自分の能力を監督に認めてもらえるだけのアピールをできていなかったというだけの話だ。
しかし、万が一出場機会をもらえたとして、いざ出場する段になって、右も左も分かりませんでは話にならない。一緒に出ている先輩に迷惑がかかるし、貴重な時間を割いてもらったチーム全体に申し訳が立たない。
では、「迷惑をかけない自信がないから」とすごすご引き下がるのか。それでは自らに立てた誓いはどうなる。「誰かの迷惑になる」、そんなのは体の良い言い訳だ。リスクを冒さずに逃げるための言い訳だ。「誰にも遠慮しない」と決めた自分はどこに行ったのだ。
そんな二つの相反する思考が竜之介の中でずっとせめぎ合っていた。
「すみません……。えーと……」
「急かしてるみたいでごめんね。どの道バスのサイズはもう決まってるし、来週の水曜までに教えてくれればいいから」
土曜の朝出発なのに、水曜に回答でいいのだろうか。先方がそう言うのだからいいのだろうけど。
「す、すみません。必ず水曜までには」
「そんなに萎縮しなくていいから」
三度謝る竜之介に桜子さんも苦笑している。そうこうしていると、こちらに近づく気配が一つ。
「何してるんだお前ら、こんなとこで」
今度は後ろから声をかけられ振り向くと、厳しい顔をした男子生徒が立っていた。どことなく見慣れた顔だが、いまいちピンとこない。
浅黒い肌に170cmそこそこながら肩幅の広い立派な体格。目が隠れない程度に下した前髪の下には強気そうな眼差し。足元を確認してみればスリッパの色は桜子さんと同じ緑。つまりは3年生。
数秒かけて頭の先から爪先まで眺め、そこまでして漸く竜之介は彼が誰なのか思い至る。
「キャプ……テン?」
「なんで疑問系なんだ相原」
その男は竜之介たち男子バスケ部の主将、永原大吾だった。
ここ1ヶ月、それなりに見慣れてきた顔に竜之介が即座に気づけなかった理由。それは……。
「いや、だって前髪……」
「プフッ……前髪……」
前髪だ。練習中はヘアバンドの上に前髪を上げて髪の毛を逆立てている主将だったが、今は前髪を下ろしている。
「桜子、何笑ってやがる」
「だって、前髪あると永原くんだと分かんないって。面白すぎでしょ」
「なんと言うか……普段よりワイルドさ控えめ?みたいな」
部活中と違う髪型は、その厳しい顔つきに反して進学校という鳳西の触れ込みに相応しい落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
「はははっ!」
「だから笑うなっつってんだろ桜子。てか相原よ、そんなに俺の前髪が面白いか?」
「いや、俺は笑ってないじゃないですか!」
「うるせぇ、キッカケはお前だ」
「そんな理不尽な!」
主将は本気で怒っているわけでも、気分を害したわけでもない。それぐらいは分かる竜之介だったが、こういう時あたふたしてばかりで、どうしたものか分からない。
竜之介がオロオロしていると、その様子を察したのか主将は話題を元に戻す。
「で、何してんの」
「あ、そうそう。相原くんにGW遠征の出欠訊いてたの」
「え?まだ回答してなかったのか?」
「……すみません」
「いや、怒ってるわけじゃねぇけど……。お前って本当に気が小さいのな。辰馬と幼馴染なんだろ?」
「え、ええまぁ。それが?」
「あの厚かましさと足して2で割ったら丁度いいくらいだと思って」
主将はズバズバと物を言う。歯に衣着せぬとは正にこのことだ。
「ちょっと、永原くん。言い方」
「あ、悪いな」
「いやまぁ、いいスよ。本当のことなんで」
しかし、その明け透けな物言いは存外に竜之介の気分を害さなかった。辰馬も同時に呆れられていたからかもしれない。竜之介はそう思った。
「で、遠征の話か」
「なんかキャップとしてアドバイスないの?」
「アドバイス?そんな大層なもんいることかぁ?」
「いいから、悩める後輩に経験談の一つでもね」
桜子さんは竜之介に柔らかく微笑む。先輩の気遣いに対して竜之介ができることはペコリと小さく頭を下げることだけだ。
頼まれた主将は云々と唸った後、考えがまとまったのか話し出す。
「まずは悩めてるってことは、今の立場が分かってるってことで、その認識は正解だと思うぜ。この時期の遠征に参加する以上、お前には潜在能力だけじゃなく、即戦力としての貢献が求められる」
主将の言葉は重たかった。竜之介が頭の中でこねくり回していた理屈は、他の誰かの言葉を介して空間に投げられることで、改めて実体を得て胸に突き刺さる。
「お前の姿勢は俺たち3年も評価してる。正直、初めての練習を見た時、もう来ないと思ったしな」
「……あ、ありがとうございます」
予想外に褒められ、僅かに竜之介の気分は上向く。だが、続く言葉が冷たい現実を突きつける。
「でも今だけは、求められるのは姿勢じゃない。コート上での結果だ」
「ちょっと、永原くん。言い方」
桜子さんは先程と全く同じセリフで主将を諌めるが、今度は謝ることはなかった。
「こういう話、誤魔化していいことないだろ?相原だって分かってることだし、誤魔化して現実が変わるわけじゃない」
その言葉は一見冷酷で、決して優しくはないもので、けれど竜之介のことを侮っていないが故の発言だった。
竜之介は永原大吾という男のことを知らない。少なくとも下の名前で呼ばれている辰馬よりも。けれど、もしかしたら、彼のこういう性格がチームを率いるに相応しいと評価されているのかもしれない。なんとなくそう思った。
いつもは俯いてばかりの竜之介だったが、ここで目の前の現実から目を逸らしたら、それこそ自らに立てた誓いに反する。だから、その眼差しはしっかりと主将の瞳を見据えている。
「ありがとうございます。俺、もう少し考えます。水曜までにセット覚えたり、できる限りのことをして……そんで自分で決めます。自分の進退を」
「進退って……大袈裟な。部活辞めるわけじゃないんでしょ?」
「それはそうです。別に辞めたりはしません」
「辰馬と比べてまともな奴だと思ってたけど……お前の度を越した真面目さも相当におかしいな……」
一方、先輩二人はやや引き気味の表情。呆れた表情の先輩二人と、それに困惑している後輩一人。
微妙な空気を破ったのは今度も桜子さんだった。
「ま、それはそれとしてさ。『現実がシビアだぞ』って教えるのはアドバイスじゃなくない?それをなんとかする方法を教えないと」
「って言われてもなぁ……。覚えられることを頭と体で覚えろ。あとはコートでの感覚を掴めるよう頑張れ。こんなもんだな」
頬を掻きながら主将が言った内容はやはり竜之介も知っていることだ。せっかくの助言だが、それほどありがたみはない。
が、そこで主将はポン!と手でも打ちそうな顔で何かを思い出したようだった。
「あ、そういえば俺も1年の時に遠征に参加したんだけど。当時は村木先生の就任前だから今ほど熱意ある選手は少なかったけど、それでもこの時期の遠征は少しピリついてたんだよ」
「そりゃまぁ、どこの高校もそんなもんスよね」
「佐々木や新堂、あとは辰馬……はもっと規格外だけど。とにかく俺はアイツらみたいに中学時代から県選抜常連って訳じゃなかったから、意を決して参加したし、結構肩肘張ってたんだ」
佐々木さんは3年生のSF、鳳西のエースでもある。新堂さんは3人しかいない2年生の一人であり、PGとしてチームをまとめる県選抜の司令塔だ。そして辰馬は……説明不要であろう。
「主将にも、そんな時期が……」
「こう見えて永原くんも意外と空回ってた時期があるんだよ」
「やかましい。とにかくだ。そんな時、一人の先輩を頼った。偶々、なんかのメニューで組んだことがあるだけの先輩だったんだけどな。で、その先輩が俺を引き上げてくれたんだ」
主将曰く、コート内でもコート外でも、とにかくその先輩という唯一の寄る辺を頼った。その一本の糸を手繰り寄せた。先輩を通してチームを知り、先輩を通してチームに自分の存在を知らせた、ということだった。
「だから、お前が意を決して飛び込んだなら、その次は誰かの手を取れ。誰でもいい。あ、俺以外でな」
「それこそキャップの出番でしょ?」
「いや、俺はチーム全体を見なきゃいけないからな。これでも忙しいんだ。それに主将の俺以外、相原が見つけた繋がりってのが大事なんだよ」
主将は突き放したように言うが、やはりその言葉は真っ直ぐだった。
「特に最近のうちは向上心の強い奴が多い。だから取っ付きづらいかもしれないが、それでも自分を頼る後輩をあしらうような奴はいない。お前が半端をしない限りはな。主将としてそこは保証するよ」
ずっと難しい顔をしていた主将は、最後の一言だけは笑って言った。竜之介はどちらの道を選ぶか決めたわけではなかったが、その言葉には勇気をもらえた気がした。
「俺の話はここまで。なんだが……結局お前らはなんでこんなとこで話してんだ?」
「それは……相原くんの教室に行ったけど、いなかったから諦めて教室に戻った後、ブラブラしてたら偶然見つけて」
そう言えば、桜子さんが最初に『見つけた』と言っていたことを竜之介は今更思い出す。
「あ、教室まで来てくれてたんですね。すみません。でも、チームのグループチャットに俺のアカウントありますし、そこから連絡してくれれば……」
「あ!完全に忘れてた」
「奈美よりはマシだけど、お前も大概だな」
主将は呆れたように笑う。奈美とは桜子さん以外にもう一人だけいるマネージャー、3年の須藤奈美さんのことだ。
彼女のことも当然1ヶ月程度しか見ていない竜之介だったが、1年のメニューを見てくれることが多いので桜子さんよりはその人柄を知っている。
主将の語り口から分かるように、彼女はひどく忘れっぽい。比較的柔らかい雰囲気の桜子さんとは対照的に、とにかく元気で突っ走りがちな人だ。
(忘れっぽいって言やぁ、何かを忘れてるような)
「そういえば相原くんはなんでここに?」
「ああ、それは5限が古典の授業で、その準備……あ」
そこで竜之介は数分ぶりにその存在を思い出した。
「完全に忘れてた!!」
不覚にも桜子さんと全く同じリアクションを取りつつ、ポケットの携帯を取り出して時刻を見れば昼休みは残り5分だった。
「1年の古典って言えば、安西先生か?」
「はい、そうです」
安西先生。その響きだけを聞くと白いヒゲと眼鏡、太った体型が特徴的な教師を思い出すが、残念ながら鳳城西高校に勤務する安西先生は40過ぎの女性だ。
「じゃあ遠征の件、ついでに伝えとけよ。部費とかの支払い、あの人だからさ」
安西先生はバスケのことを知らないので、練習に顔を出さないが、一応村木先生と並んで顧問である。
「わかりました!じゃあ俺はこれで、失礼します!!」
そんな情報を話半分に頭に入れつつ、竜之介は素早く頭を下げ、次に顔を上げると同時に大股で階段を駆け上がっていった。
その躍動感溢れる姿は廊下を歩く3年生たちに恐怖感を与え、各所から悲鳴が起きた。同時に主将には別の印象を与えていた。
「前も思ったけど……アイツ、意外と走れんだよなぁ」




