入学②
入学後のあれやこれは瞬く間に過ぎていった。県外の中学出身という来歴と人目を引く長身は、クラスでも一際注目を集めたが、竜之介の決して人気者向きではない気質が徐々にその熱を鎮静化させた。
竜之介は望まぬ視線に鬱陶しさを覚えないではなかったが、今はそれどころではなかった。入学と同時に改めて参加するようになった練習がハード過ぎるのである。正式な入部は、もうしばらくしてからだったが、竜之介と辰馬をはじめ何人かの新入生は既に参加していた。
練習に初めて参加した春休みのあの日から、早数週間。あれから体力作りのランニングを始めた竜之介だったが、数週間程度で改善するほど基礎体力というものは甘くない。入学早々、4月2週目の週末には春の地方大会予選があるため、チームに慣れていない新入生は別メニューを課されることも多かったが、それでも1日を乗り切るのがやっとという有様だった。
ちなみに地方大会予選は3年生と2年生の既存戦力だけで地力を試すというチーム方針のため、辰馬でさえベンチに入っていない。
そして大会と前後して正式入部の手続きが終わり、いよいよ新入生が勢揃いした。
「北中出身の金井将暉です。ポジションはポイントガードです」
「同じく北中出身の森島優人です。ポジションはフォワードです」
妙にニヤけ顔の天パ男金井と、目が細く柔和な顔立ちをした森島が自己紹介をする。『北中』とは『鳳城北中学』のことであり、竜之介の記憶では確か地方大会で一度だけ対戦したことがある。つまり県下では強い中学出身ということだ。ちなみに二人とも高1の平均程度の身長である。金井は細身だが、森島は筋肉で身体に厚みがある。
続いて、辰馬と同じ180cmくらいの長身だがえらく頼りなさそうな色白の少年と、その隣に立つ、こちらはかなり背が低いにも関わらずえらく気が強そうでがっしりとした体格の少年が自己紹介をする。
「……附属中出身の、雨宮一意です。中学の時は……一応センターでした」
雨宮の挨拶は見た目通り、ローテンションなものだった。とても体育会系とは思えない気迫のなさに、先輩たちの顔に不安や困惑が滲むのが竜之介には見て取れた。ちなみにこの辺りでは『附属中』と言えば、専ら『鳳城大学附属中学』のことを指す。
一方、隣の男はこちらも見た目通りに、雨宮と対照的だった。
「同じく附属中出身の猿渡円ッス!中学の時はポジションはありませんでした!ディフェンス専門でした!」
猿渡のやたらに元気な挨拶と、そのすっとぼけた内容(本人的には真剣である)に先輩たちは思わず吹き出してしまっているし、あの村木先生でさえ笑っている。唯一、隣に立つ雨宮だけが居心地が悪そうな顔で、小さくため息をついている。
(俺も辰馬が隣で話している時、あんな感じなんだろうか)
そんな雨宮に竜之介が親近感を覚えていると、何人かを挟んで気づけば隣に立つ辰馬の番が来ていた。
「宮ノ里中出身、三国辰馬。ポジションはどこでも!」
猿渡と真逆の内容だが、同じベクトルにすっとぼけて聞こえる発言。けれど、それを笑うものはこの場にはおらず、代わりに新入生組から僅かにどよめきが起こる。
当然ながら、新入生も全員が三国辰馬という名前とその実績を知っている。いや、この県で、この地方でバスケをしている男子中高生で辰馬の名前を知らない者の方が少ないだろう。竜之介も最近知ったが、中学のチームメイトに聞けば、辰馬がバスケでは無名の公立校に行ったことは、県外でもそれなりに話題らしかった。
(んで、コイツの後に締めが俺かよ)
雨宮のそれとは違うため息を、誰にもバレないよう静かに吐いて、竜之介は先輩たちの方に向き直る。
「虎陵学園中出身、相原竜之介です。ポジションはセンターです」
挨拶にそれほど反応はなかったが、竜之介は一つだけ気になる反応を見つけた。けれど、きっと気のせいだろうと流すことにした。
そんなこんなで日々は過ぎた。4月の地方大会予選で3位に滑り込んだ鳳西は無事地方大会出場の切符を手に入れた。GW明けに地方大会が行われるはずで、そこが1年生にとっては最初のベンチ入りの機会になるはずだ。
現在のチームは村木先生改め村木監督の指導の下、県No. 1の堅守を誇るチームだった。
一方で才能≒個人の打開力には欠けていた。そのため、チームが求めているのは停滞した戦局を変える力を持った選手であり、それが1年生から現れるということも十分に考えられた。それこそ、辰馬のように。
もう二度と自分を諦めないという誓いと併せて、密かにもう一つの誓いを立てた竜之介としては、辰馬が当然そうしているように、ここで早くもアピールしてベンチ入りを狙うべきであることは理解していた。
頭ではそうしなければならないと理解している。けれど、監督や周囲に自分がどんな選手かアピールするどころか、自分自身がどんな選手か把握している余裕すらないというのが現状だった。体力と思考速度の不足はそれほどまでに深刻だった。
辰馬も含め1年は全員が基礎体力の向上と、チームで共有されているバスケに関する基礎知識の徹底をまず課される。それはスキルや個性以前の問題で、チームの一部として機能するために必要な条件だった。とは言え、いずれの問題も難なくパスした辰馬は、既に実戦的なメニューに参加し、馴染んでいるのだが。
辰馬の次点につけているのは金井だった。流石に県下随一の強豪で司令塔を務めていた男は、飄々としていながら、コート上でのあれこれは卒なくこなした。しかし、本人がヘラヘラと
『俺、三国に負けて引退してから、全然運動してなかったんだよね〜』
と言っていた通り、体力不足は否めなかった。ちなみに辰馬と対戦したのは中学総体県予選決勝だったらしい。辰馬のほぼワンマンを止められずに負けたそうだ。
一方体力面では森島と猿渡、特に猿渡が頭抜けていた。猿渡は竜之介でさえスキル面がからきしだと感じるほどで、バスケも中学から始めたという。しかし、気合と体力は凄まじいものがあり、本人が言う通りディフェンスは本物だった。
さて、では誰が最後尾につけているかと言うと……。
(ま、俺なんだけど)
校外を走るランメニューの最中、既に見飽きた景色を眺めながら竜之介は内心で呟く。
より正確には竜之介と雨宮の二人が体力面ではずば抜けて遅れを取っていた。今まさに、ランメニューで文字通りの最後尾につけているのも雨宮である。そして、その前を走っているのが竜之介だ。
(この……有様で……ベンチも何も……あったもんじゃねぇよな)
呼吸の合間合間に、漠然と考え事をしてみるが上手くまとまらない。この調子では、ハードな練習をひとしきりした後の実戦形式の練習で、適切な判断を下すなどできるわけがない。毎日がこんな有様だ。
とは言え、ここで
『疲れているのだから仕方ない』
と現状に甘んじていては中学時代の二の舞になることは分かりきっている。
だから竜之介は翌日の昼休み、村木先生に頼み事をするために、緊張しながらも体育教官室に赴いた。ノックをして部屋に入ると、一般的な『教師』という言葉から受ける印象に比べると些かラフでワイルドな人相が並んでいた。
「お、1組の相原じゃないか。どうした?」
「こんちはス、遠藤先生。あの、村木先生に用事が……」
教官室に入るなり、スキンヘッドの中年教師に話しかけられる。竜之介は体に染みついた体育会系の仕草で返事をする。具体的には簡素な挨拶と、それに少し見合わないくらい丁寧な一礼だ。
スキンヘッドの教師は竜之介のクラスを担当している遠藤先生だ。村木先生に負けず劣らずの強面だが、今も竜之介に向けている柔和な表情から分かる通り、人の良い男である。
「相原はバスケ部に入ったのか!お前のその身長を見た時から、何部に入るのか気になっていたんだ」
「は、はぁ……」
遠藤先生は座ったまま、竜之介を爪先から頭のてっぺんまで見て、ふむふむと何かに納得した様子だった。
そんな先生を見て、何故まだ数回しか授業を受けていないのにクラスと名前をバッチリ覚えられているのか、という竜之介の疑問は一瞬で解消した。そもそも、自分のような長身が印象に残らない方がおかしいのだと思い直す。
「おっと、村木先生だったな。そこだ。そこでバスケ部の1年と話してるぞ」
「ありがとうございます」
もう一度遠藤先生に一礼し、竜之介は遠藤先生が示した部屋の奥の方に目を向ける。狭い室内だ。すぐに村木先生の顔と、その前に立つ男の背中が見えた。その背中はひどく見慣れたものだ。
「相原か。何か用か?」
「こんちはス」
先に気づいたのは部屋の入り口の方を向いている村木先生だった。もしかすると、部屋に入った時点で気づいていたのかもしれない。
その声につられて、見慣れた背中が振り返る。案の定、その首には三国辰馬の無駄に爽やかな顔がついていた。
「よっ」
「おう」
幼馴染と簡素極まりない挨拶を交わし、竜之介は先生に向き直る。
「タツ……三国の話はもういいんですか?」
「ああ、その話なら今終わったところだ。それに、三国が言うにはお前も同じ用事らしいからな」
「同じ用事?」
竜之介は怪訝な顔をする。辰馬にここに来ることは言っていない。もちろん用事の内容も。
(ていうか、振り返る前から気づいてたのかコイツ。まぁ、遠藤先生の声デケェしな)
そんな辰馬に困惑しつつ、先生の手前、竜之介は声を潜めて問い詰める。
「俺、お前に何も言ってないよな……?」
「言わなくても分かる。今のお前ならこうするって。俺が思いつくことなら、お前もやるだろって。朝練か、居残り練のお願いだろ?」
「……当たってるけど」
「残念、俺が一足早かったな」
「幼馴染だと、そんなことまで分かるのか?」
「いやぁ……そんなもんじゃないと思いますけど」
「そんなもんっすね」
「どっちなんだ」
困惑する竜之介と、不思議なものを見たという表情をしている先生。そんな二人とは対照的に辰馬はニカッと笑う。幼馴染ながら、バスケが絡むこういう時は、思わず辰馬に不気味さを感じてしまう竜之介だった。
「で、相原も朝練か居残り練がしたいということで良かったな?」
「あ、はい」
自ら頼むこともなく、成り行きで話が進んでしまったことに竜之介は拍子抜けしている。慣れないことをすることへの不安と、先生に頼み事をすることへの緊張感。それらがまるでバカみたいだ。
しかし、いつまでも呆けてはいられない。
「三国にも言ったが、俺が校内にいる間は俺の責任で許可はする。が、まずは学業をおろそかにするな。入学したての今は授業や学校に慣れることを優先しろ。それができないなら、すぐにやめさせる。いいな?」
「「はい!!」」
辰馬と二人で返事をし、教官室を後にする。竜之介の胸中には妙な敗北感が残った。




