入学①
晴と話した晩以降、春休みは何事もなく過ぎていった。翌日には、ちゃんと辰馬にも決意を伝え和解した……といきたいところだったが、あの寒さの中で外出したせいで竜之介は体調を崩し、快復したのは翌々日の昼だった。ちなみに晴は何事もなかったかのように翌日も朝練に出掛けて行ったという。
出鼻こそ挫かれたが、今更竜之介と辰馬の関係に気まずさも何もない。
「俺さ、一度全部捨てることにした。年の割に物分かりがいい自分も、諦めがいいお利口な自分も。そういう“大人”のフリした全部を捨てることにした」
晴と話した2日後、いつもの駐車場で竜之介は辰馬に告げた。それを聞いた辰馬はポカンとした後、こう言った。
「お前……そういう自己評価だったのな」
「やかましいわ!!真面目な話してんだよ!」
「いや、おふざけナシの真面目な感想だけど」
「じゃあ胸の奥にしまっといてくれないか?俺は高校入学を目前に控えた多感な時期なんだ。そういうのマジで致命傷になるんだよ」
コイツにはそろそろオブラートとか諸々覚えて欲しいと切に願う竜之介だったが、頭の中の晴に
『辰馬にそんなの期待するだけ無駄だよ』
と諭されて諦めのため息をつく。“大人”ぶった自分を捨てるとは言ったものの、辰馬が変わらない限り、こういう立ち位置や仕草は変わらないらしかった。
とにかく、そんな一幕もありつつ、竜之介の決意に辰馬は誰よりも喜んでいた。そして、これまで以上に熱の入った指導が始まった。
大層な決意をしたとはいえ、やること、やれることにそれほど大きな変化はない。毎朝のランニング(辰馬が同伴)で体力を作り、その後は黙々とシュートフォームの修正である。辰馬が部の練習に参加している間、竜之介は顔を出さず、一人でメニューを続けた。
練習メニューは依然変わらず、いたって地味だ。ひたすら片手でシューティング。徐々に距離を伸ばし、ミドルレンジ以上の距離でも同じ感覚で撃てるように慣らしていく。
その他にも気分転換を兼ねて、ハンドリングの練習や、竜之介が比較的得意とするポストプレーの練習等も行いつつ日々は進んだ。
シュート練習については毎日欠かさず続けた結果、4月に入るような頃には、フリースローラインからでも片手で再現性の高いリリースができるようになっていた。
一方で、動きの多い実戦では中距離以上を左手だけで撃てることはほぼない。動きの中でそんな不安定な形でリリースまで持っていけるわけはないし、相手ディフェンスもいるからだ。そのため、次なる課題はこれまで封印していた右手を如何に使うかというところである。
かの有名な『添えるだけ』という感覚が理想だが、その感覚が竜之介には中々掴めない。どうしても右手をボールに添えてしまうと、右手からも力を伝えようとしてしまう。逆に本当に言葉通り『添えるだけ』ではリリースの形が安定しない。ある程度はしっかり支えなければならない。
あの漫画の主人公も納得のいくジャンプシュートを会得したのは最後の場面だった。何事も一朝一夕にはいかない。
『とにかく反復だよ、リュウ。バスケは習慣のスポーツだから』
晴の言葉を思い出しながら、竜之介は地道に練習を続けている。それに付き合う辰馬は、春休みの間いつになく上機嫌だった。
そんなこんなで4月を迎え、竜之介と辰馬は晴れて県立鳳城西高校、通称『鳳西』に入学した。
入学式の日、制服に袖を通して鏡を見た竜之介は思わず苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。
(マジで3年間この姿なのか?)
先生に入学早々目をつけられないように短く切りそろえた特徴のない黒髪。覇気の感じられない顔立ち。そして細身の体格にまるで似合っていない兄のお下がりの学ラン。小学校は私服、中学校はブレザーだったため、竜之介にとっては人生初の学ランだ。
「成長期だし、そのうち似合うようになるわ」
とは母親の談であるが、スポーツマン然とした短髪と合わせて、どうにも馴染む気がしない竜之介だった。
そんな慣れない出立に妙に下がった気分のまま、竜之介は三国家に向かう。このまま辰馬と合流して高校まで三国父に送ってもらう予定だ。
竜之介が三国家に近づくと、家の前では三国家が勢揃いしていた。早くも式に参列できるよう正装に身を包んだ三国家の両親、そして登校時刻ギリギリであろう黒いセーラー服姿の晴。特にクセのない、恐らくは校則通りの着こなしが実に晴らしい。
(そういえば晴の制服姿って初めて見るな)
ぼんやりとそんなことを考えながら、竜之介は一家に近づいていく。
「おはようございます」
「おお、竜之介くん。久しぶりだな」
「あらリュウちゃん、また大きくなって」
相原父と5つくらいしか違わないはずだが、えらく爽やかで未だに30代中頃から後半程度に見える三国父。そして、こちらもまた相原母と実年齢は大差ないはずなのに、ド偉く若々しい美人の三国母。
辰馬の比較的柔らかめな顔立ちは母親似で、晴の凛々しい顔立ちは父親似だろう。3年前はわからなかったが、今の兄妹の顔を見れば如実に分かった。
「お久しぶり、です」
「そんな他人行儀な話し方はやめてくれ。俺たちは君が3歳の頃から知ってるんだぞ?」
「そうよ。リュウちゃんはうちの子みたいなもんなんだから。なんなら辰馬よりも可愛がってきたじゃない」
「母さん、それはどうなんだよ」
同じ制服を着た辰馬が珍しくツッコミに回っている。辰馬は中学も(晴と同じ)公立なので、ボタンを高校仕様に付け替えただけらしい。
「で、晴はなんでいるんだ?」
「ッ……ふふ」
「晴?」
「ごめん、ちょっと一通り笑わせて」
「おい」
竜之介が両親や兄を遠巻きに見ている晴に声を掛けると、近づいてきた竜之介を見て口に手をやって笑いを堪えようとしている。……一応形だけは。どう見ても、それほど堪える気も隠す気もなさそうだ。
「ごめんごめん、いや、ちょっとさ……ホント……」
「もういい。高校を卒業するまで、この家にもお前にも近づかない」
「ごめんって。慣れない格好だったからつい。笑い過ぎた、ごめん」
一応気にはしていることを、普段それほど笑わない晴に派手に笑われたことで、竜之介は完全にヘソを曲げたくなっていた。しかし、三国家の両親の手前である。晴から視線を逸らし、ため息を一つ吐くことで妥協しておいた。
「それで、なんで私がここにいるか、だっけ?家族写真撮るんだってさ。その後、私もついでに近くまで送ってもらって登校」
「なるほど。それで朝練もしてなかったと」
「そういうこと」
見慣れない晴の制服姿に、実は内心少し戸惑っていた竜之介だったが、こうして不満そうに口を尖らせた表情はいつも通りで安心する。
そうこうしている間に晴の登校時刻が近づき、写真撮影が始まった。ちょうど竜之介がいるので、家族4人での写真を撮影した他、辰馬と竜之介、ついでに晴も映った3人の写真を撮ってもらったりもした。
そんな一通りを済ませ、入学式に向かった。
「お前と同じクラスだと楽でいいんだけどな」
道中、辰馬が言う。
「教室までお前と一緒は勘弁だ。それに、クラス分けテストあったろ?お前、トップクラスに入るほど勉強したのか?」
「なんだっけ、それ」
「お前なぁ……」
車を降りて三国父と別れた後、二人は緊張感のない顔で校舎の方へと向かう。保護者たちは、この後しばらくしてから式の直前に来るはずである。
「合格発表のすぐ後に、もう一回学校行ってテスト受けたろ」
「ああ、あれね」
「それでクラス分けが決まるんだよ。お前はなんだと思って、あのテストを受けたんだよ」
「ハハハ、ホントにな」
「ハハハじゃねぇよ」
相変わらずの辰馬に呆れつつ、竜之介が指定の場所へ向かうと、そこには大きな紙が何枚か貼り出されていた。
「ていうか、リュウ。当たり前のように自分はトップクラス前提なのな」
「当たり前のように、じゃねぇよ。当たり前なんだよ」
「その自信が少しでもバスケに向いてくれたら話は早かったんだけどな」
「本当に口の減らないやつだな、お前は」
「お前ほどじゃないさ」
軽口を叩きながら見上げれば、当然のように相原竜之介の文字は1組の1番上(五十音順)にあった。そして、三国辰馬の文字は4組の下の方にあった。各学年8クラスあり、1組と8組がトップクラスという扱いである。
「ほら見ろ、クラスは別だ」
「なんだよ、つまんねぇな」
「俺はホッとしてる」
いやに背の高い二人は、同年代の群衆の中でも一際目を引いた。それが落ち着かなかった竜之介は
「じゃ、俺はクラス行くわ」
と辰馬を置いて歩き出す。一応片手をヒラヒラとさせて別れを告げる。
「おう、それじゃ後で」
辰馬も淡白な返事で答える。辰馬の言う『後で』が入学式を指しているのではなく、その会場で入学式が終わった後に行われる部活を指していることは、最早聞くまでもなく竜之介にはわかった。




