とあるボディビルダーの悩み
柴野いずみ様主催のガチムチ❤️企画参加作品です。
鍛え上げられた筋肉を持つ男達の集うボディビルジムの一角、一人の細身ながらも鍛え上げられムキっとした男が両手にダンベルを持ってそれを上げ下げしていた。他の男達が全員、笑顔であったり真剣な顔である中、その男はどこか浮かない顔をしており、ダンベル運動にもどこか身の入っていない様子で、今にもダンベルを落としてしまいそうな雰囲気を漂わせ……そしてやはりというべきか、片手のダンベルを上げた瞬間にぽろっと落としてしまった。
「ふんっ……ふんっ……ふぅっ……ふ……あっ!」
落ちていくダンベルが足の上に落ちそうになり、危ないと思った瞬間、後ろから太い腕が伸びてきてガシっとダンベルを掴み軽々と持ち上げていく。男が振り返ればそこには男より二回りは躰の大きい、鋼のように鍛え上げられた黒光りする筋肉をした男が笑顔で立っていた。
「どうした、兄弟。浮かない顔でトレーニングなんかして。そんな顔でトレーニングをしていたら身に入らないだろうし、筋肉にも失礼だぞ?」
「す、すみません、兄貴。ちょっと考え事をしてしまって……」
「そうか。ふむ、それならば私で良ければその考え事とやらを聞かせて貰えないか? 今のままトレーニングをしたら本当に怪我をしてしまいかねないし、鍛えられている筋肉も悲しむからな」
そう言ってすまなさそうに頭を下げる彼を見て、兄貴と呼ばれた男はしばし考え、彼の肩をポンと叩いて親指で、安心させるような優しい笑顔を浮かべて休憩室を指差す。
ちなみにこのジムでは先輩の事を兄貴と呼び、同期や後輩を兄弟と呼ぶ習慣があり、それがジムの一体感を増す一助となっていた。
「そ、そんな。兄貴のトレーニングの邪魔をしてしまうなんて申し訳ないです」
「いやいや、いいんだよ。私達は兄弟じゃないか。悩み事があるなら共有したい、解決したいと思うのは当たり前だろう? さぁさぁ、遠慮はいらない、行こうではないか兄弟」
「兄貴……すいません、ありがとうございます」
優しい笑顔ながらも有無を言わせぬ力強さで、彼を休憩室へと連れていく兄貴。申し訳なさそうにしながらも、やはり誰かに話を聞いて欲しかったのか、彼もまた素直に休憩室へと向かっていく。
そして、休憩室に入り、二人並んで空気椅子の体勢を取り、まずは兄貴から口火を切る。
「それで? 悩みと言うのは何なのかな?」
「はい、実は……その、僕はこのままで良いのかな、と」
ぽつりぽつりと話しだす彼を、急かすでもなく優しい笑顔で頷きながら聞いている兄貴に、躊躇いながらも、彼は悩みを吐露し始める。
「このままで、というのは?」
「僕は、最初は凄く細くて筋肉が全然ついてなくて。弱弱しい自分を変えたいと思ってこのジムのドアを叩いたんです」
「ああ、確かに入会当時の兄弟は細かった。しかし、今では鍛えられてだいぶ筋肉も付いてきて、誰も君を弱弱しいだなんて思わなくなったのではないかな?」
「ありがとうございます、それもこれも指導してくれた兄貴と、兄貴達のおかげです」
元々は身体の線も細く、貧弱と言うほど力が弱かったわけでもやせ過ぎていたわけでもなかったが、自分の身体と言うものに自信がなく、それがそのまま普段の生活においても彼が自信を持てない要因になっていた。どこかおどおどとしていて、仕事でも人の目を気にしすぎて、そんな自分にストレスを抱えていたのである。
そんな彼がある日、テレビでボディビルのジムを紹介する番組をたまたま見て、笑顔で鍛え上げられた筋肉を披露するナイスガイ達に憧れ、自分もこうなりたいとジムに入会したのだ。
「最初は辛いこともあったけど、凄く楽しかったんです。正しい食事、正しい鍛え方、トレーニング後のマッサージの仕方、正しい笑顔の浮かべ方。直ぐに筋肉が付かなくても、筋肉痛になっても、兄貴達と一緒に鍛えていて楽しかった。そして徐々に筋肉が付いてきて、どんどん身体が仕上がっていくのが凄く嬉しかった……でも」
「兄弟にそう思って貰えたなら、私達も君に色々と教えた甲斐があったというものだよ。始めたばかりの頃は鍛えれば鍛えるほど身体は応えてくれるからね、楽しいのも良く分かる。それで? でも、どうしたのかな」
もちろん、トレーニングはただ楽しいだけではなく、きちんとした鍛え方をしてこなかったせいで色々と癖がついているのを矯正したり、普段使っていない筋肉を使うことで筋肉痛になることもあった。それでも、そういう鍛える辛さはあったものの周りの兄貴達が支えてくれて励ましてくれたからこそ、楽しく続けることが出来たのだ。ここまで鍛えることが出来たのだ。
しかし、彼はもうそれだけでは満足できなくなっていた。
「最初は嬉しかったんです。自分の身体が鍛えられていくのを見るのが、ジムの兄貴達に鍛えられてきたね、良い筋肉が付いてきたね、と言って貰えて。会社でも凄いですね、格好良いですねと褒めて貰えて家族にも変わったね、笑顔が素敵になったって言われて。でも、最近ではみんなそういうことを言ってくれなくなってきたんです。ダンベルの回数が増えたといっても、持ち上げられるバーベルの重量が上がってきても、凄いね、とは言って貰えても最初の頃のような喜びを得られなくなってしまったんです。もっと褒めて欲しい、もっと頑張りを認めて欲しいって」
顔を歪めて苦悩する彼に、兄貴はなるほどというように頷き、優しく彼の肩をぽんぽんと叩く。
それだけで一瞬、彼は空気椅子の体勢が崩れそうになるがどうにか堪えて体勢を維持してみせた。
「それは、君が一人の益荒男として成長をしてきた、ということだね。益荒男として、表現者として一皮剥けた、とも」
「益荒男として、表現者として一皮剥けた、ですか?」
彼の不思議そうな言葉に兄貴はイイ笑顔で頷く。
そしてどこか昔を懐かしむような表情を浮かべ、語り始める。
「誰だって努力をすれば認められたいし、頑張れば褒めてもらいたい、そう思うのは自然なことだよ。そしてそれは鍛えるのが楽しい、自分が変わっていくのが楽しい、そこから次のステップに兄弟が進んだことの表れなんだ。そしてそこからが踏ん張りどころとも言えるね。それこそこのまま鍛えることを続けていけるかどうか、それが決まるくらいに大切な時だ」
「そんなに大切な時期に、僕は差し掛かっているんですね。僕に踏ん張りきれるでしょうか……」
兄貴の言葉に不安そうに俯く彼。そんな彼の肩に兄貴はそっと優しく、大きな手を置く。
「大丈夫、なんと言っても君は一人じゃないからね。僕もいるしジムの兄弟もいる。兄弟達が通って来た道だから、サポートだって出来るよ。そして、僕が君に提示できる道が三つある」
「ありがとうございます、兄貴。それで、三つの道というのは? 僕でも行ける道なんでしょうか」
指を三本立てる兄貴へと、不安そうに彼が問いかければもちろん、と兄貴は大きく頷く。
「一つは気の合う兄弟を見つけて和気藹々と楽しむこと。鍛えることよりも楽しむことに主眼を置くことだね。そうすればその兄弟達の間で承認欲求や自己肯定感は満たされるから不安も和らぐと思う。
もう一つは、逆にストイックに己が道を行くこと。他人の評価は気にしない、ただただ自分の道を行き己を高め続ける。そうすれば褒めて欲しいや認めて欲しいって思うこともなくなる。ただ、モチベーションの維持が難しい、そういう意味では茨の道だね。
そして最後の一つは、大会に挑戦すること。つまり、大会に出て賞を取ることで承認欲求や自己肯定感を満たすことだね。ただし、これにはもちろん競争相手がいるし、ジムの兄弟達もライバルになるだろう。それになかなか大会に出られなかったり、大会に出ても入賞出来ないストレスもあるかも知れない。賞が取れたら次は優勝したいって欲が広まっていくし、更に一度頂点を極めれば落ちたくないと言う恐怖が産まれてしまう、これもまた茨の道だ。
他にも探せば色々な道はあると思う、でも僕が提示出来て、ジムの兄弟達がサポート出来るのは今の三つかな」
「兄弟達と楽しむこと、一人孤高に鍛えること、大会に挑戦すること。最初以外はどちらを選んでも茨の道があるんですね。兄貴は、どの道を選んだんですか」
兄貴の提示した三つを聞いて二つの茨の道がある方を自分は選べるだろうか、と考える。
そんな彼の頭を優しく兄貴は撫で、直ぐに答えを出す必要はないというように首を振り、質問には笑顔を浮かべて答える。
「ゆっくり考えるといいよ。どの道を選んでも僕もジムの兄弟達も君の選んだ道を尊重するし、応援する。手伝えることがあるならもちろん手伝うからね。僕かい? 僕はね、みんなを支えてサポートすることに悦びを見出したんだよ。でも、これはまだ兄弟には出来ない道だからね、選択肢には出さなかったんだ」
「僕は未熟だから、兄貴みたいにサポートしたりするのはまだ出来ないですもんね。ありがとうございます、話を聞いてくれて。話を聞いて貰えたおかげでなんだか心が軽くなりましたし、自分が進んでみたいって道も、見えてきた気がします」
「そうかい? それなら僕も嬉しいよ。さぁ、それじゃあトレーニングルームへ戻ろうか。あんまり長話をすると筋肉が鍛えて貰えなくて寂しがるからね。おっと、大丈夫かい?」
そう言って空気椅子の姿勢から立ち上がる兄貴。それに続いて立ち上がろうとした彼がふらっとしてしまったのを、兄貴は危なげなく腕を掴んで引き寄せ、その胸に抱きとめて倒れるのを防いでくれる。
「あ、兄貴、すみません、ちょっと足元がふらついてしまって……その、ありがとうございます」
「ふふ、どういたしまして。でも、これくらい気にしなくていいよ。少し長く空気椅子をし過ぎたかな? 良かったら少し休んでいってもいいけど、どうする? 付き添うよ?」
兄貴の鍛え上げられた逞しい大胸筋に抱かれ、彼は少し頬を赤らめていたものの流石にそこまで迷惑はかけられないと彼の腕の中で首をふり、自分は少し休んで行くので先にトレーニングルームへ戻って欲しいと頼む。
「分かった、それじゃあ先に戻らさせて貰うけど、無理はしたら駄目だからね?」
「はい、ありがとうございます。兄貴」
彼の感謝の言葉にポージングを決めてから、笑顔で兄貴は休憩室を去っていく。その兄貴の僧帽筋を見送りつつ、彼は休憩室に置かれた椅子へと腰かける。
「やっぱり兄貴は格好良いなぁ……いつか、僕も兄貴みたいに格好良くて兄弟達から頼りにされるようになりたい。その為には、もっともっと鍛えないと駄目だよな」
兄貴のように格好良い、包容力のある頼り甲斐のある漢になりたいと、彼はそう思った。
この日、一人の男が一人の漢に憧れ、同じ道を歩むことを夢想した。
兄貴のようになるにはそれこそ数多の茨の道を歩まなければならないだろう。
それでも、彼はその漢に近づくことを誓う。
その為に、彼は自らをますます鍛えることを決めた。
こうしてまた一人の男が真の益荒男を目指すことを決意した
例えその道が困難な道だと分かっていても、その先に果てがないと気付いていても、その道を征くと決めたのだった。
そう決めた彼の瞳にはもう迷いはなく、光を放たんばかりに輝いていたという。
ここはボディビルジム、マッスルになろう! あなたも鍛えて新たな世界へ続く扉を開きましょう。
初心者さんも大歓迎! 優しい仲間が笑顔で皆さんを待っています!