契約
Λ
仕事の話がまとまると、私めは手元に持っていた一枚の紙と羽ペンをフィオナーレに差し出しました。
「フィオ、これにサインをお願いします。今回の仕事の契約書になります!」
「ん。」
彼女はたいして内容を確認する様子もなく、すらすらと羽ペンを走らせます。
とても綺麗な大陸の共通文字でした。
あの散らかり尽くした部屋の主とは思えないほどです。
「さて、実地調査は明朝から出発だ。フィオナーレ君もそれで構わないかな?」
分隊長殿は立ち上がりながら話しをします。
この後も別の予定があるのでしょう。
「問題ないわ。しっかりした調査には準備も必要だものね。」
つられて立ち上がるフィオナーレの返答に頷くと、座ったままの私めに振り向きました。
「ベルファミーユ、後は任せた。準備完了の報告は必要ない。」
「承知であります!」
そうして部屋には私めとフィオナーレの二人だけとなります。
彼女は大きくため息をついたかと思うと、身を投げ出すようにソファーに座り込みました。
「はぁああ……気を使って疲れた……ベル、お茶を頂戴。」
そう言って、腰ほどの綺麗な金髪を払って靴を脱ぎ、だらしなく寝転がって脚も伸ばします。
二人分のお茶を淹れながら目を向けてひと言。
「見えてますよ、フィオ。」
彼女はすぐに気づいたのか、寝転がるそのままに短いスカートを直そうとします。
けれど片方の太ももを立てているので、どうやっても捲れてしまい、黒の下着が丸見えでした。
「お茶を飲んだら明日の準備をしましょう。私めも手伝いますので!」
とうとう諦めたのか、見える紐の下着をそのままにお茶へ手を伸ばすフィオナーレ。
全くもって花も恥じらう乙女のする格好じゃありません。
「調査仕事の支度なら、別に一人で十分よ。これを飲んだら帰るから。今日はもう早々に寝たい気分だわ。」
気怠げに喉を潤す美少女に、私めは言葉を続けました。
「違いますよ。手伝うのはフィオの部屋の掃除です。一緒にご飯も用意してあげますから!」
ψ
わたしはベルファミーユとともに自分の家へと戻ってきていた。
部屋の掃除を買って出る彼女に何度も断るも、結局ついてこられてしまったのだ。
今すぐベッドに潜りたいけれど、放っておくわけにもいかない。
「机の上には触らないで。研究に使うものを揃えてあるから。」
興味津々に部屋の中を眺めている友人に釘を刺しておく。
そして、ベルファミーユは床に開かれたままの本へ手を伸ばす。
「これは……錬金術の本でしょうか?見たことのない絵がたくさんありますね。文字もこの国のものではないようであります。」
「それは、わたしの書いている錬金術書よ。まだ完成はしていないわ。」
彼女は頁をめくりながら、不思議そうな顔でわたしを見る。
「フィオが執筆しているのですか?なぜ、このように不可解に書いているのでありますか?」
錬金術に関する知識や技術は、一朝一夕で得られるものではない。
研究者が実験をしながら羊皮紙を片手に走り書き、本の形にまとめたりする。
その内容はとても独特なもの。
書いた本人にしか分からないように、創作言語や実際の物とは似ても似つかない空想の挿し絵、抽象的表現や暗号ばかりで書き記す。
これは、他の錬金術師や世間一般に知識が盗まれたり広まらないようにするため。
錬金術書はわざとわかりにくく書かれているのが普通なのだ。
「後世に名を残す錬金術書は総じて難解であるものよ。」
簡潔に答えて、使わない薬品を棚に戻していく。
彼女は納得したようなそうでないような曖昧な表情で、床に積まれている本の山を抱えた。
その日の夕食はベルファミーユが得意だというビーフシチューを作ってもらった。
所属する騎士団の中でも好評らしく、自信に裏付けされた味に舌鼓を打ったのだった――