巨人号の事件55
縛られて身動き取れない奇多郎の前には、腰から下が肉片と化した蠏呪十鬼太郎の遺体が転がっている。
十鬼太郎が奇多郎を刺そうとしたその瞬間、凄まじい衝撃が下から来たかと思うと、床から天井を信じられないぐらい大きな触手が貫いたのだ。そして同時に、十鬼太郎の下半身が裂かれた。
「……ああぁ、死んじまいやがった」
十鬼太郎と奇多郎の生死を分けたのは、たまたまの位置取りのみである。
「おらは運が良かった……とも言えねぇか?」
なにせ今も、奇多郎は捕縛されて身動きの取れぬ身である。触手の大きさから見てもとんでもない大きさの魔獣がこの船にからんでいると思われる。大穴が開き、船体が傾げ、海水も上がってきている。まちがいなく、今この豪華客船は沈んでいっているのだ。身動きの取れない自分は、このまま沈む船に押しつぶされるか溺れるかだろう。
(こんなところで、おらも死ぬかぁ……『好奇心は猫を殺す』ってのは、ほんとうだな。 おらもちょっと「やつ」に興味引かれてこの船に来たから、えらい目にあった。おらが死んでもだれもこまらねぇから後腐れはねぇけども、たいした作品をひとつも残すことなく死ぬのは職人としてちょっと口惜しいなぁ……ああ、それとやはり、あの女ん子のことは気にかかる……)
瞼の裏に浮かぶのは、優美な令嬢のすがたである。
(まあ、しかたあんべぇ……)
体を濡らし上がる海水に死を覚悟した、職人の耳に
「き……だ……ろ……」
かすかだが、声がする。
水音にまぎれての幻聴と思ったが……いや、たしかにその声は大きくなって
「奇多郎さま!」
今にも崩れんとする部屋に入って来たのは、いま奇多郎が思い浮かべていた女性である。
「おじょうさん!?なしてこんなところに!?」
あきれさけぶ職人に対して、
令嬢……崩子は
「女性にみなまで言わせるおつもり?」
おもはゆげに顔を隠す。そのいかにも奥ゆかしき態度に、
奇多郎は
(……ああ。やっぱりこの女性は、おらの思ったとおりだ)
今までの人生で感じたことのない、なんともいえぬ感覚が背筋を駆け上がるのを感じた。
救命艇めざして階段を降りる陽城家ふたりと老ラビの目に映ったのは、船底から突き破りぬたくる巨大な触手をよける志魔家の主従だった。
「ひぇぇっ!」
蘭子……志魔家の生き残りは触手の強力さになすすべもなく従者・キャリバンを前に押し出して逃げ惑う。
「キャリバン、ちゃんとあたしを守れ!」
「ギュフイィィッ!」
忠実な従者がわが身を盾にして主を守る。しかし、丈夫らしい従者も巨大な触手の圧力に弱っている。
「無茶だ。あんな衝撃を受け続けては、とてもじゃないが躰が保たんぞ」
蘭子は、うずくまる従者を見て
「よし、キャリバン!そのままじっとしてるんだよ。あたしの壁になっておき!」
キャリバンを見捨てて、スタコラサッサと逃げだす。
(なんてひどいひとだ!あんな忠実な従者をあっさり見捨てて逃げるなんて!)
なんとかキャリバンを助けたいところだが、すでに四方八方に伸びる触手はこちらにも迫って来ていて、魔美子やラビもそれを受け流すので精一杯だ。
少年にはどうすることもできない。
ついにはキャリバンの頭部を、うなる触手が襲う!




