巨人号の事件50
「……まさか、おい。海獣ってやつか?」
船底から自分たちのいる階まで突き破って上がってきた巨大な軟体動物の触手を見て、リーは呆れた。
クラーケンは、伝承としてはダイオウイカや巨大タコの類のように描かれることが多いが、実際の生態は魔道関係者にもよくわかっていない伝説的魔獣である。ただ確かなこととして、その危険性は特級……人間側からは手を出してはいけない階級に指定されている。
(なぜ、この船にクラーケンが?先程の違和感がらみか?いや、今そんなことはどうでもよい)
襲いかかる触手を避けながら
(けっして手を出してはいけない魔獣と言われても、むこうから襲ってこられてはそりゃ反撃するしかあるまいよ)
不敵に笑みを浮かべる。
彼、リー・イーファンが自らの特殊能力に気づいたのは幼少期である。
不幸にもその能力初発現時、リーのそばにいた彼の弟は力の影響で激しい凍傷を負ってしまう。
かの有名なアニメ映画に出てくる王女ならば、妹を傷つけたことが心の傷となってそのまま塞ぎこんでしまうところだが、リー少年が凍傷の痛みに泣き叫ぶ弟のすがたをみとめたとき感じたのは、興奮と解放感だった。それはどんな快楽よりもまさった愉悦を彼に与えた。
リーは、そのまま弟を凍死にまで追い込んだ。弟を死に追いこんだことに呵責や葛藤を感じることはなかった。
この事件のあと、彼はとある中華系魔道組織に接収……ひらたく言えば、攫われた。後天的でも魔能を手に入れた者は希少かつ貴重なので、関係者が放っておかない。
こうして急に家族と引き離され、得体のしれぬ組織の一員にさせられることになってしまったリー少年だが、意外にも幼い彼はその生活に特に不満を感じなかったようである。
組織は強力な能力者であるリーを厚遇し、彼がその待遇に不満を述べることは(成人を迎えるまで)無かったからである。少年の心の内まではわからないが、接収のあと彼は一度も両親と接触する意思を表していない。
リー・イーファンは組織の与えるミッションを忠実にこなす有能な魔道者だった。相棒となるロイドと出会うまでは。
いっぽう、ロイド・ハバロッティはアメリカ生まれのイタリア系移民4世だ。彼女の能力発現はリーの場合とは異なり、やや遅かった。ハイ・スクールのフレッシュ期、いじめを受けた彼女はそのストレスから拒食障害を患い、食べては吐くを繰り返した。そして、最終的には吐中に吐瀉物を喉につまらせて窒息、そのまま意識を失った。
そんな少女が、救護班の措置により生死の境から蘇った後に備えていた能力が「吐き戻し」である。
自分の身体をはるかに超える容積の物体を飲みこみ、その重さに関わらず体内に納め歩き、また自由に吐き出すことができるようになっていた。
その収納能力は、実に5000立法メートルにおよぶ。大型の体育館ほどの収容能力だ。
実際、退院後に登校したロイドは、体内にあらかじめ納めていた大量の水を一斉に吐出することによって、自らをいじめていた者をふくむ学校関係者35名を溺死させている。
ロイドもこの事件後、情報を入手した魔道組織に接収された。そこには、先輩としてリーが所属していた。年齢の近かった彼らはその後、コンビを組むことになり多くの任務をこなすことになる。
ロイドとリーがなにを意図して組織を抜けようとしたのかは、よくわからない。上層部に不満があったとも、ただ飽きたからだとも言われている。
ただ事実として彼らふたりが組織から離脱しようとしたとき、ゆるさなかった魔道組織のほうが壊滅してしまったことは確かだ。




