プロローグ(5)
入学式から六日後の四月八日、やっとのことで始業式がやってきた。那賀小出身屈指の不良、雄一はたった今家を出たところだった。
途中、近くにいたおじいさんに肩が当たった。おじいさんは痛そうにしているが、雄一は全く反応していない。それがおじいさんの逆鱗に触れたようだ。
「おい!くそがき!」
「なんだよくそじじい」
「・・・全く、今時のがきはけしからん。今、わしに肩を当てただろう!」
「当てたよ。それが何か」
「謝れ!」
「うるせえな」
「なんじゃこいつは。将来ろくな大人にならんな」
「お前もろくな大人じゃねえよ」
「とりあえず、聞け!今から七十年程前、わしはまだがきじゃった・・・そのころはいつも勉強していて、成績がよかったんじゃ。先生の言うことも聞いたしな。こんなに偉いわしに痛い思いをさせたくそがきは、謝るのが当たり前じゃ!」
「勉強できて、何が偉いんだよ」
「勉強出来る人は努力家なんだ。君も、勉強するために、早く学校へ行きなさい!」
「お前は早くあの世へ行きなさい」
「な、なんて不謹慎なこと言うんじゃ!早く行けえ!」
「なんだよ、じじいのくせに。ふん。」
雄一はいらいらしながら学校へ向かった。
今日、八郎は、旧友の正樹と一緒に登校することにしていた。正樹の家のインターホンを押す。
「正樹君居ますかあ?」
「おう、居るぜ」
「おう正樹。行こうぜ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「何で?」
「あの・・・実は・・・今『大』中なんだ」
「そうか。じゃあ待っておくよ」
「オーケー」
五分程すると、再び正樹の声が流れ始めた。
「おっす。『大』は終わったぜ」
「じゃあ早く降りてきてくれよ」
「わかった。じゃあ、ドアから離れておいてくれよ。いきなり開くから当たると痛いぞ」
正樹が出てきた。口の周りに糸がついている。
「あ、お前今日納豆食ったな。」
「へへ、当ったりい。納豆ごはん、五杯も食べちゃった」
「よく食うなあ。俺の父ちゃんでも、三杯くらいしか食わねえぞ」
途端に、正樹の顔が暗くなった。
「お、おい、どうしたんだよ。」
「父ちゃん・・・はあ・・・いいなあ・・・」
「あ、そうか、お前には父ちゃん居ないんだな。ごめんよ・・・」
「い、いいよ、別に・・・」
「じゃあ、行こうぜ」
「うん・・・」
八郎はとっさに話題を変えた。
「あ、そういえばさあ、あの教師の長田って手術したらしいぜ。傷が深くて」
「なんだって?それはよかった」
正樹の表情が、急ににこやかになった。
(よかったぜ、元気を取り戻してくれて・・・)
「なんでそんなことがわかったんだ?」
「メール配信さ。もう早速、メールが配信されたんだ。『今日、体育の長田先生が傷をお作りになり、手術で縫うことになりました。ある生徒によって、怪我をされたそうです。』なんて内容だった」
「あんな馬鹿相手なのに、いやに丁寧な言葉遣いだな。『今日、体育の長田が怪我をして、手術することになったらしいぜ。ざまみろってんだ』とかでいいだろ」
「ははは。そんなメールを送ったら、馬鹿親から抗議のメールがいっぱい届くぜ」
「ほんっと、大人って馬鹿ばっかだな」
「あ、それだじゃれだな」
「え、何が?」
「『馬鹿ばっか』んとこ。」
「ちょっと無理があるねえ・・・」
「そうかなあ?俺は面白いと思うけれど。」
「まあ、どうでもいいや。」
「正樹がどうでもいいって言うんなら、俺もどうでもいいや。お、あそこに信号無視ばばあ発見。おうい、信号無視ばばあ。」
「信号無視しちゃいけないのにい」
「子供には注意して、自分だけはオッケーなんですかあ」
「おうい、信号無視ばばあ」
「行っちゃったな」
「そうだな」
「『なんなのよこのくそがき!』とか言ってこっち来たら面白かったのにな」
「その辺の奴らに喧嘩を売りまくれば、いつかそんな事言われそうだね。やってみようよ」
「そうだね。ええっと・・・お、今度は金髪ピアス兄ちゃん発見。至急、挑発を始めます。」
「わかりました、隊長!」
「おうい、金髪ピアス馬鹿あ。」
「なんでそんな色の髪の毛してるのお?馬鹿なのお?」
「ああら、ピアスとかしちゃって。オカマさんかしら?」
「なんだよてめえら!」
金髪が怒った。声からして、恐らく二十歳くらいだろう。八郎が小声で言う。
「お、おい、やばくねえか、本物のヤクザさんだぜ。」
「どうやら、そのようだな。」
「ちょっとこっち来な」
金髪が屋内駐車場の中へと手招きする。
「どうする、行ってみるか」
「行ってみようぜ。面白い変なアジトがあるかもしれねえ」
八郎たちは金髪の言うとおりに駐車場へ入った。中には、他にも同じような金髪がたくさん居る。
「悪いな兄ちゃん、ウチでは喧嘩売ったモンにはオトシマエつけさせてもうとるねん。」
金髪がシャッターを閉めた。外から中は、もう完全に見えない。駐車場の中は、真っ暗になった。
「おい、まじでやばいぜえ・・・」
正樹が涙声で言う。
「サンドバッグ持ってきたぜ。思う存分殴りな」
「いええい!」
「やっちまええ」
「いけえ!」
「ぼっこぼこにしてやるぜ」
正樹の頭が混乱している。何が何だか、わからなくなった。体中が痛い、それだけはわかる。頭がぼうっとしてきた。
「もう、駄目だ・・・」
その頃、仲中では殆どの生徒が終結していた。一年二組も、二名を除いて・・・。
「ええ、みなさんおはようございます!」
「おはようございます。」
「今日は始業式です。居ない者は手を挙げて」
「先生。大橋君が居ません」
「そういえば、日比谷も居ねえなあ」
「はあい。あいつらは、休みかあ。そりゃあ、よかった。では、体育館にて始業式を行いますので、みなさん廊下に並んでくださあい。」
生徒たちは、旧友とのお喋りを楽しみながら廊下に出た。
「男子は、ホックが留まっているかあ。ボタンがちゃんと留められているかあ。確認せえ。女子は、ネクタイがちゃんと生徒手帳くらいの長さになっているかあ、だぞ。」
何人かが、服をいじくった。
「整えたなあ。じゃあいくぞ。」
体育館の中には、二年生と三年生の生徒が座っていた。一年生は、舞台の目の前に座る。体育座りと決まっているため、お尻が痛い。
「ええ、始業式を始めます。全員、起立!座れえ。校長先生の話です。」
「みなさん、おはようございます!寒かった冬も過ぎ、桜も咲いて、春の兆しが見えてきました。」
「見えてきましたって、もう見えているじゃん。はちゃめちゃ言いすぎにも程があるぜ」
「難しい言葉を使おうとして、必死なんだろ」
隣同士の隆太と創が喋っている。
「お、先生来たぞ」
二人に先生が近づいたときだけ、喋らずにちゃんと体育座りをする。
「さて、一年生のみなさん、新しい学生服、詰襟、セーラー服、着心地は如何でしょう?」
「最悪でえす」
「入学式と同じこと言っているぜ、本当に適当なんだな」
「恐らく、とてもいいことと思います。特に女子の人、似合っていて、とても可愛いですよ。」
体育館内が、ざわついた。
「うわっ、きも」
「すけべ校長だね」
「静粛に!静粛に!こんなに偉い校長先生が喋っておられるんだぞ!」
すぐに静かになった。喋ったのが長田だったので、みんな怖気づいているのだ。
「では、校長先生、続きをどうぞ。」
「ウオッホン。ところで、昨日、一年のとあるクラスで、とんでもない事が起きたのを、知っていますか。勿論、知っている人は少ないですよね。実は、ある生徒が先生方に反抗して、暴言を吐き、更には怪我をもさせたのです。ここでは名前は出しませんが、これは、仲中の不名誉です!仲中は、仲良く、楽しく、スポーツが出来る学校を目指しています。」
(ふん、くだらない。勉強はどうしたんだよ)
クラスの優等生、高山侑也が心の中で思った。
「そのような学校に、入学したばかりの生徒が、そんな事をしていいと思っているのですか!怪我をさせられた先生方の一人は、手術までなさったのですよ!」
再び、体育館内がざわついた。
「ざまあみろだよな」
「不名誉だなんて、嘘言っちゃって。素晴らしい事じゃないか。ほんと、大人って馬鹿だな。」
「俺たちは、凄いよな!」
隆太は、自らの胸を叩いた。
「ええ、これからは、こんなことの無いように、頑張っていってください。これは、教師全員からのお願いです。」
「教師からのお願い?そんなの、聞くわけねえよ。」
「校長先生、ありがとうございました。続いて、白井先生からの話です。」
「ええ、みなさんおはようございます。今週は、『学校に清潔にして、素晴らしい生活にしていこう週間』です。今日から一週間、放課後に一時間の大掃除がありますし、ごみを捨てた者には、体罰を下すということになっております。それから、『学校集会週間』でもあるので、暫く学校集会が続きます。ちょっとしんどいですが、頑張ってやりとおして、楽しい学校生活にしていきましょう!以上です。」
「白井先生、ありがとうございました。次は、新入生の喜びの言葉です。大橋八郎君、お願いします。」
しかし、誰も舞台に上がってこない。
「ええ、大橋八郎君はお休みだそうなので、喜びの言葉は見送ります。始業式はこれで終わりなので、行進して教室へ戻ってください。」
教室へ戻ると、白井が口を開いた。
「ええ、今から学校見学です。また、廊下に並んでください。」
白井に続き、学校中を周る。
「はい、ここが美術室です。中に入ります。」
「おい、すっげえうまい絵があるぜ」
「すげえ。どうせだからこの絵を台無しにしてやろう」
「ふふふ。お前の発想もすごいなあ」
雄一は、汚れた靴を絵に押し付けた。
「おお、足跡がいっぱい。すばらしいぜ、ああ、森山雄一様、あなたは素晴らしい。」
「何言ってんだよ、馬鹿じゃねえの」
(内申書に響くだけなのに、あいつ馬鹿か)
侑也は心の中で不良たちのことを嘲笑っている。
「ええ、次は美術準備室に入ります。中にいっぱい置物があるので、注意すること」
「へへへ、間違って落とした振りして壊しちゃお」
雄一は、傍にあった手作り花瓶を下に落とした。金属音が、準備室内に響く。
「おい、誰だよ割ったの。怒らないから手を挙げろ」
勿論、誰も手を挙げない。教師たちの『怒らないから』は全て嘘だということを、生徒たちは知っているからだ。
「誰が割ったかって聞いているんだよ、馬鹿ども!挙げろや!」
白井が怒鳴っても、誰も手を挙げない。
「決めた。もうお前らは、美術準備室立ち入り禁止な。他の生徒もだ。お前らのせいで、他の生徒たちも被害をこうむることになったんだぞ。」
「先生、それはおかしいです。だって、僕は割ってないもの。」
「うるさい!犯人が手を挙げないから悪いんだ!犯人、みんなの為にも手を挙げろ。今なら、立ち入り禁止は勘弁してやる。」
誰も手を挙げない。
「はい、立ち入り禁止な。入ったら生徒手帳の『犯行履歴』に追加、保護者に電話な。」
「ひっでえ」
「あたし、こんな美しい作品たちを割るわけないわ」
「ええ、もう見れないの。そんなの嫌だなあ」
「馬鹿げてるよ。」
生徒たちの愚痴が、狭い準備室内に響く。
「ええい、うるさい!もう学校見学は中止。お前らは、いくらなんでも、トラブルを起こしすぎだ。ああ、一年間、この馬鹿どもを教えねばならないと思うと、頭がくらくらする。教師辞めよっかな」
「どうぞどうぞ、辞めてください。」
「辞めてくれるんだ、よかったあ。」
「コホン。今のは、ちょっとした冗談だ。揚げ足を取るんじゃない。さあ、教室に戻るぞ」
白井は舌打ちをした。
手紙が配られ、白井が学校案内をする。殆どの生徒たちは、あくびをしたり自由帳に絵を描いたりしていた。四時間目の終わり、やっと帰ることが許される。
「ほんじゃあ、さようなら!」
「さようなら!」
トラブルだらけだった今日の授業が、やっと終わった。