プロローグ(2)
チャイムがなった。黒い塊たちが、廊下に貼られたクラス表のとおりに教室に吸い込まれていく。教室の中には、黒板に座席表が貼ってあって、その通りに座らなければいけない。八郎は、一年二組の窓際の席になった。
暫くすると、小太りの中年が入ってきた。どうやら担任のようである。ここで、軽く自己紹介をした。
「はい、この度、ここ一年二組の担任になりました、白井祐慈です。」
白井は、黒板に漢字で名前を書き、振り仮名をうった。
「ちょっと難しいけど読めるかな?最後の漢字は、『じ』と読みます。ええ、先生は四人家族です。子供が二人な。それと、太っています。この間メタボ認定されてしまいました。」
ここで、生徒たちがどっと笑った。入学したてほやほやだというのにも関わらず、呑気なものだ。
「ははは、やっぱり笑われたか。では、ここでとても大事なことを言っておきます」
白井は、両手を勢いよく教卓に押し付けた。
「俺は、人がやられて嫌なことをする人は、大嫌いです!もし、やってしまったら、どうなるかわわかりませんよ。気をつけてください。」
「いきなりキレんなよな。アホ教師め」
八郎が、隣にいた顔見知りの山田紀夫に話しかけた。だが、紀夫は無視した。
「こら、そこ!喋るな!もう、全く・・・」
八郎は舌打ちをした。
「では、入学式へと向かいますので、体育館用のシューズを持って、下靴で体育館前まで行ってください。男女別で、出席番号順に並んで行くんだぞお。」
クラスメイトたちが、体育館用シューズを持って、白井の指示のとおりに並んだ。そして、白井についていく。まるで、金魚の糞のようだ。
体育館前の靴箱に、靴を入れ、体育館用シューズに履き替える。八郎は、紐を全部はずして履いた。
「おい、お前ちゃんと紐結べ。」
「うるせえ、デブ。黙っとけ」
「なんだとお。先生に向かってなんという口をきくんだ。お前、次言ったらどうなるか、わかってるよな。」
白井はにやりとした。
「うるせえな。結めばいいんでしょ?結べば。」
八郎は結んでいる真似をした。
「まったく、こいつは・・・」
白井は真似だということに気づいていないようだ。八郎は白井が体育館に入ったのを確認し、紐を結ぶ真似をやめた。
生徒達が、また、金魚の糞のようになって体育館へ入場していく。体育館には、既にたくさんの親御さんが居た。
国歌斉唱、来賓の話などの面倒くさいイベントが行われているとき、八郎は隣にいる中山創と教師達の悪口を言っていた。
「なあなあ、校長ってぶさいくじゃねえ?」
「顔も頭も性格も運動神経も悪そうだよな」
「白井もちょっとしたことですぐキレるしよお。デブなんだからおおらかにすればいいのに。」
「それより、あのハゲ見てみろよ」
創は、つるつるに禿げている中年の教師を指差した。
「ハゲすぎだろ」
「鏡みてえだ」
「まだジジイの歳じゃねえのにな」
「出家したのかもな」
「出家?何それ」
「坊さんになることだよ。うち、寺だから。よくあのクソババアが、『出家、出家』って言いやがってる。あ、念のために言っておくけど、クソババアは俺の母親のことな」
「ふうん。しかし、お前も親の悪口言うの好きなんだな」
「もちろんさ。大人は、汚い奴ばっかりだもの」
「俺のクソババアなんて中卒だぜ。そのくせして、馬鹿な男と結婚して子供作りまくってるんだから」
「そういえば、お前名前八郎だよな。言っちゃあ悪いけれど、数で名づけするだなんて安易だな」
「十一人目なんか十一郎だぜ。女が、一人もいないから」
「おいおい、何話してんだ」
ここで、石橋浩二が口をはさんできた。
「大人の悪口さ。お前、大人は嫌いか。」
「当たり前だよ。心と脳みそはちっちゃいくせに、『大きい人』なんて呼び名を自らにつけて威張っちゃってさ」
「で、俺達は『子供』だろ?子には『ども』づけかよ。態度でかいってレベルじゃねえ」
創が少々興奮気味に言った。
「おいおい、あまり大きな声を出すな。白井にバレるぞ」
「ごめん」
「話を元に戻すけれど、うちのババアは旦那に内緒で色んな男をホテルに誘っているらしい」
浩二が、小さな声で言った。
「まじかよ」
「子供は出来ないのか?」
「それは大丈夫みたいだが・・・」
「おい、子『供』って言うなよ」
「じゃあ、なんて言えばいいんだ?」
「『子』でよくないか」
「言いにくいよ。別に『子供』でもいいじゃんか」
「言いにくいのは確かだけれど・・・」
「では、在校生、退場!」
突然、司会の大きな声が響き渡った。会話に夢中だった三人は間違って立ってしまったが、すぐに気づいて、座る。
「ああびっくりした。」
「恥ずかしいよお」
「でも、もう入学したんだから、俺達も『在校生』でいいよな」
「そうだな」
「馬鹿な大人達だから、そんな発想がないんだよ。」
「では、新入生、退場!」
三人は立つのが遅れた。周りが一斉に立ってから、ようやく気づく。なんとなく、幼稚な感じがして恥ずかしいようなマーチが流れた。それにあわせて、生徒達が行進する。入場の時はだらだらだったのに、何故か退場だけはきっちりである。
体育館前で靴に履き替え、体育館用シューズを持って自分の教室へ行く。体育館から一年二組は、近いようで遠い。
八郎は詰襟の袖から手を出した。だが、詰襟を片付けようとはせずそのままである。他に例えると、羽織っているといった感じであろうか。やはり、本人はこういうのがかっこいいと思っているようだ。