第8話:一泊移住 一日目(2)『ハイキング』
バスが、突然急停車した。そして、殆どUターンしたかのように曲がって、広い野原に入っていく。ここが、目的地のようだ。横に、「渋川高原青少年の家」と書かれた大きな看板がある。
生徒たちがバスから吐き出されると、まず整列させられ、入所式が始まる。最初は、校歌を歌うのだ。それが終わったら、青少年の家の管理人の話となる。
「ええ、仲中学校のみなさん、こんにちは!」
「こんにちはあ」
管理人は、まさか返事されるとは思ってもみなかったようで、生徒たちの声と殆ど重なるようにして喋り始めた。
「私は、ここ『渋川高原青少年の家』の管理人の、窪田新平といいます。これからよろしく願いします。ええ、ここ、渋川高原は、大変素晴らしいところです。景色も美しく、標高も高いので、空気が綺麗です。また、杉の木がたくさん植えられていて、目の保養にもなります。この近辺の山には生えていませんが、青少年の家のまわりにたくさんあります。」
(おいおい、冗談だろ・・・)
花粉症の生徒全員がそう思った。醍醐や侑也、翔太もそうだった。
「また、先ほどこの近辺の山には杉が無いといいましたが、杉だけでなく、殆どの木がありません。頂上付近には、少し生えていますが。ですので、後でみなさんに歩いてもらいますが、ハイキング道は、とても眺望がいいんです。」
「ハイキング道を歩くってことは、ハイキングするのかよ。面倒くせえ。」
「文句が佃煮にしたいほど考えられるよ。なんじゃこりゃ。」
「大体、『入所式』とか刑務所みたいじゃんか。実際、建物も刑務所みたいだし。」
「それに、杉が目の保養だなんて、嫌味としか思えないよ。」
「俺は、花粉症じゃないからその苦しみはわからないけれど、やっぱり酷いと思うぜ。だって、花粉症の奴ら、みんな怪訝な顔をしてたもの。」
「では、話を終わります。校長先生、どうぞ。」
(短いな。適当なんだな)
翔太が、心の中で言った。
「一年生のみなさん、こんにちは。一泊移住、如何でしょうか。バスの中でゲームをしたり、友達と喋ったり、窪田さんの素晴らしい話を聞いたりして、さぞかしご満喫だろうと思います。」
「あれが『素晴らしい話』だって?ゴミ未満のカス話じゃねえか。」
「こら!そこ!喋らない!」
(いっけね、聞こえてた)
「ええ、先ほど窪田さんが言ったように、これからみなさんにハイキングをしてもらいます。頂上までの道のりは長く、かなり疲れるだろうと思いますが、それを乗り越えて、頂上に到達することに、意味があるのだと思います。そのあかつきには、達成感と満足感で心がいっぱいになって、お弁当も更においしく感じるでしょう。」
「お弁当、今食べないの?頂上まで行くのに、時間がかかるんだろ。今十一時なのに、お腹すいちゃうじゃないか。」
雄一は、こっそり持ってきた腕時計を見て、そう呟いた。
「喋るなって言ってるだろうこのアホは!ボケ!」
(アホかボケかどっちだよ。それにアホはお前だろ。)
「ええ、すみません。バカのせいでね。ええ、じゃあ、今からハイキングなので、並んで。背の順だ。」
「着いたばっかりなのに・・・疲れるよ。」
「外でお弁当食べるの、やだなあ。虫とか入りそう。」
生徒たちは散々文句を言いながらハイキング道を上っていく。最初は緩やかだったが、どんどんきつくなっていき、終いには崖のようにきつくなった。階段のように、段差がついているので、滑ることなく辛うじて上られる。だが、体が疲れて、思うように進まない。
「おいお前ら、もっと速く上れ!」
一番前で、八郎が叫んでいる。何故一番前に居るのかというと、一泊移住の、ハイキングリーダーになったからだ。やけに不思議なネーミングだが、八郎はこの役割が気に入った。何故なら、「大量の奴隷を引き連れて俺、つまり神様が歩いていらっしゃる」ような気がするからだ。
三十分ほどで、一つ目の頂上にたどり着いた。殆どの生徒はこれで終わりだと思っていたので、さっさと弁当を出すが、長田が茶々を入れる。
「おい、お前ら。何してんだ。まだ終わりじゃないぞ。途中で、分かれ道があっただろう。あそこからまた違う頂上へ行くんだ。早く弁当をリュックに戻せ。行くぞ。」
ろくに景色を見る間もなく、上ってきた道を暫く戻る。分かれ道は、確かにあった。そこから、また別の頂上へ行く。
途中で、教師たちが言っていた「難関ゾーン」の一つがやってきた。崖のようになっているところを、ロープを使って、登ったり降りたりするのだ。更に、ここだけ森になっているので、先が見渡しづらい。ロープはしっかり持っておけと長田は言っていたが、雄一はもちろんそんなことは聞かない。ロープを持たずに、ロッククライミングのように登ろうとする。が、しかし。
「危ない!」
長田がそう叫んだ瞬間、雄一の体が落ちてきた。結構な高さだ。よくそこまで登れたもんだが、今はそんなどころではない。背中と頭、それに下半身を強く打ちつけた。大丈夫なのだろうか。長田が体をさすると、雄一はむっくりと起き上がり、「うぇ?」とだけ言った。何が起きたのかよくわかっていないらしい。
長田は、突然雄一をビンタした。
「ロープを持っておけと言っただろう!お前が自分のせいで怪我をするのは自業自得だが、もしそうなると先生たちが迷惑するんだ!人のことも考えろ!ボケ!」
長田は、もう一度雄一をビンタした。
「先生、俺は身長が高いから、背の順後ろのほうでしょ。だから、先生の声聞こえなかったの。」
「本当か?!じゃあ、他のお前の近くの奴らに聞いてやる。おい、お前は先生の声聞こえたか。」
「いいえ、聞こえませんでした。」
「私も。」
「ふん!聞こえてなくても、前の人を見本にして、ちゃんとやるものだ。そうだろう?」
だが、三人は首をかしげるばかり。
「もういい!さっさと登れ!」
長田が、雄一のお尻を蹴った。痛そうにしながら、いやいや登る。
二度目のロープゾーンがやってきた。降りで、やはりここも森である。八郎が、ロープに何か細工を施す。長田が、ロープを持ったその瞬間、ロープが切れ、長田の体が下に落ちた。
「あれれ、先生、さっき森山君にロープを持ちなさいと注意してませんでしたっけ。」
「先生だって、ちゃんと持っていないじゃないか。」
「いい、いい、いや、今のはロープが切れただけだ!」
長田は、震えた手でロープがあった方向を指差す。
「なくなっていますね。ロープを取り付けたのって、先生たちでしょ。先生たちが悪いんじゃないんですか?」
「ううむ、だが、俺はロープを取り付けては・・・」
「いますよね?だって、力のある体育教師ですし。」
「ろ、ろ、ロープは、元からこのハイキング道にあったものだ!」
「違いますよ。さっきの頂上で、白井先生が、ロープを取り付けるのが大変だったっておっしゃってましたしね。」
「もう、わるがきどもの相手なんかしてられない!」
長田が小走りで先へと向かった。八郎は、声を出さないようにして、必死に笑いを堪えている。
「ほんと、体育教師ってバカなのが多いぜ。長田は、脳みそも筋肉で出来ているんじゃないのか。」
八郎が、長田に向かって中指を立てた。
「次も、何か仕掛けてやろう。そのためには、先回りしなくちゃ。」
八郎は、ハイキング道から外れて、道なき道を走っていった。