第7話:一泊移住 一日目(1)『渋川高原へ』
五月十二日。
「はい、今日も六時間授業が終わりましたね。じゃあ、プリントを配ります。」
大きなプリントが配られる。
「ええと、一泊移住っていうのが五月十五日にあるんですよね。その、説明会のプリントです。説明会は、絶対に参加してください。あさっての放課後にあります。体育館でな。どうせだから、今ちょっとしたことを説明するぞ。」
「一泊移住・・・入学そうそう、宿泊行事があるんだね。なんか楽しみだ。」
「早く行きたい!それで友達と喋ったり、一緒に寝たり・・・」
醍醐が興奮して言う。
「泊まりか・・・面倒くせえ。」
「一泊移住は、運動を主にするぞお。」
「面倒くさくない!めちゃくちゃ楽しそうだ!」
(運動かあ・・・嫌だなあ。どうせなら、勉強合宿みたいにすればいいのに。)
侑也と翔太が、殆ど同じようなことを考えている。
「宿舎の周りでマラソンをしたり、川で泳いだり・・・行くところは群馬の長閑なところだ。」
「長閑・・・絶対、虫がいっぱいいるだろうな。嫌だなあ・・・蜂とかに刺されたり、カメムシが居たりしたらどうしよう。」
「長閑ってことは、田舎なんでしょ。田舎って素敵だわあ。行きたいわあ。」
「これ以上詳しいことは、説明会で聞くように。では、号令。」
「起立!礼!さようなら!」
「さようなら!」
「おい、一泊移住、運動をいっぱいするんだってよお。」
創もそんなことはわかりきっているのに、八郎はすぐに飛びつく。
「どうせ、ラジオ体操とかのつまんないやつだろ。ドッチボールとかじゃなくて。」
「いい子にしていたら、サービスでやらせてくれるかもよ。」
「ふうん。じゃあ、いい子ぶっておこ。」
五月十四日の放課後、予定通り体育館で一泊移住の説明が行われた。行く場所や、持ち物、行事などのことを長田が言い、、去年の一泊移住のようすを映した動画を白井のナレーションつきで見た。殆どどうでもいいようなことで、必要に感じたのは持ち物程度だった。
その次の日、八郎は家で大慌てをしていた。七時三十分に家を出ねばならないのに、寝坊をしてその十分前に起きてしまったからだ。普段、これくらいの時間に起きているので、なかなか早く起きられなかったのだ。
入学式の時のように急いで朝食を口に詰め込み、牛乳で流すと、体操服に着替えた。動きやすいようにと、制服では行かないのだ。大きなゼッケンが前後についているので、苗字が他の人にばれてしまう。そのことを恐れた園子は、ゼッケンを両腕で隠して歩くようにと八郎に言っておいた。だが、大人の言うことにことごとく従わない八郎は、園子の前でだけゼッケンを隠して、家を出た後は腕を自由にして歩いた。
それにしても、このような姿で外を歩くのは格好悪い。なんとなく、この服を着てはいけないような気がする。正樹と行けばよかった。八郎はそう思ったが、寝坊をした八郎に正樹が付き合ってくれるわけがない。
学校へつくと、やっと安心する。小さなホワイトボードが玄関前に立てられていて、「一年生は体育館へ」と書いてある。体育館の中には、もう殆どの生徒が集結していた。後ろの方には、保護者が。時刻は八時をまわっており、とっくに遅刻だ。
「遅いぞお、大橋。さっさと走って、並ぶ。」
「はい、じゃあ、起立!」
八郎が座ったのとほぼ同時に長田がこう言う。なんとなくいらいらした。
「全員、回れ右!」
保護者たちと目があう。色んな人にこちらを見られて、不快だ。恐らく、「これがあの不良児か」とでも思われているのだろう。
「始まりの言葉!前へ。」
「私たち一年生、百六十名は・・・」
(また始まった。こんなことやっても、意味が無いだろう。)
殆どの生徒は、そう思っていた。やっている本人も、多数決で決められてしまったため、心なしかやる気がなさそうだ。
「ええ、それでは、行ってきます。」
「行ってらっしゃあい!」
驚くほど大きな、保護者の声が響き渡る。そして、長田に続いて、生徒たちが外に出て行く。
校門からだいぶ歩いた。国道まで出ると、四台のバスが。それぞれ、四、三、二、一と番号が振られている。クラス番号と号車は同じであるようだ。動画用のカメラがこちらを向いているので、とりあえず手を振っておいた。
「はい、じゃあ、入ったらすぐ指定の席へ座ってえ。前の二列は、酔った人用のだから座っちゃだめだぞお。もちろん、補助席もだ。」
生徒たちが全員が乗り終えると、早速バスは走り出した。ハイデッキなので、まわりの車が見下ろせる。雄一は、なんとなく神様になったような気分になった。
「いええい、下僕どもお、俺たちにひれ伏せえ。」
「こら、何を言っているんだ、森山。他の車の人に、迷惑をかけちゃいかんぞ。」
「はいはいわかってます。」
「はいは一回。」
「はい!」
「それでいいんだ。カーテンを閉めておけ。」
雄一はしぶしぶカーテンを閉めた。すると、やることが無くなる。隣にいるのが、優等生の翔太なので、会話など出来ないのだ。お互い、嫌いあっている。
「しかたねえ。カーテンの隙間からのぞいてみるか。」
すると、横に有名なアニメのキャラクターがたくさん描かれているトラックが通った。他にも見ていた人が居たらしく、バスの中が騒々しくなる。
「あ!タヌキえもんだ!」
「お牡蠣さんも居るぞ!」
「なんじゃこりゃあ。」
「あ、あ、あ、危ない!」
そのトラックにのっていた荷物が道路に落ちた。後ろを通っていた車が、どんどん弾いていく。荷物に大きく「大阪行き」と書かれていた。
「ああ、あの運転手、クビだな。」
「いいや、悪いのは運転手じゃなくて、あの荷物を支えた人。」
八郎はこのような会話を聞いて凍りついた。なぜなら、その運転手は、八郎の父だったからである。
「あのじじい、クビになったら困るな・・・」
「ん?何故クビになったら困るんだ?」
後ろから光男が顔をひょいっと出す。
「ん、あ、いや、あの人がクビになったら、生活に困るかなって・・・」
「ふうん。でも、どうでもいいじゃん。あんな他人。」
(それが、他人じゃないんだってば・・・)
「おい、糠山。立つな。椅子にお尻をくっつけろ。」
「はあい。」
光男はしぶしぶ顔を引っ込める。
「おい光男、日岡って奴と俺の椅子の間から顔出せよ。ばれないぜ。」
「おう、そうだな。」
まだろくに会話したこともない八郎に「日岡って奴」呼ばわりされた翔太は、腹立たしかった。こんな不良に、こんな呼ばれ方をしたくない。
光男が顔を椅子の間に入れると、翔太の椅子が歪んだ。つくづく不快な奴である。
「なあなあ、ゲームの話しようぜ。」
「おう、いいぜ。」
「『ニュースーパーハウロ兄弟』って持ってる?」
「もちろんだ。初代から持ってるぜ。」
「え、じゃあ『スーパーハウロ銀河』は?」
「当たり前。あれ面白いよな」
「ニューハウのさあ、裏面って知ってる?」
「ああ、ディーの一とかディーの四とかだろ。やったことあるぜ。」
二人のマニアックなゲーム話が始まる。頭の中で考え事をしていた翔太は、さらにいらいらがつのる。
「先生、酔ってきたので前に座ってもいいですか?」
「酔うの、早いな。お前、健康カードに『酔わない』って書いていたくせに。」
「なんとなく、酔ってきたんです。」
翔太は、仮病ならぬ仮酔いを使って、なんとかこのうるさいところから逃げ出した。
高速道路に入ると、バスはスピードを上げる。乗り物が好きな醍醐は、興奮してきた。
「おお、結構速いな。八十キロくらい出ているかな?ねえねえ、恭一郎。」
醍醐は、旧友、恭一郎に話しかけた。
「ん?何?」
「このバス速いよねえ。」
「うん、速いねえ。」
特に乗り物に興味がない恭一郎は、適当に返事をした。
「これさあ、八十キロくらい・・・」
醍醐がそこまで言ったとき、バスが大きく揺れた。
「う、うわ、なんだ?!」
前を見てみると、急カーブの壁ぎりぎりを通っている。今にも事故が起きそうだ。ゲームの話で盛り上がっていた八郎たちも、会話をやめ、カーブを曲がるのを見守っていた。
一分程すると、やっとカーブが終わった。急な山にのぼるための、ループ線だったらしい。
「ああ、びっくりした。事故が起きたのかと思ったぜ。」
「それでさ、五の四の最後の方の緑ブクブクってさ・・・」
光男はすぐに会話を始めた。大丈夫だとわかって、安心したようだ。
バスは、急カーブと坂だらけの道をのぼっていく。もう少しで、目的地だ。