シーン1
「……もう逃げないから、縄をといてほしい」
「い~や、ダメじゃ。――もうワシはだまされんぞ」
死霊の森を抜けるまで、幾度となく繰り返されてきた鳴海とアリアの問答。
「……おしっこがしたい」
雪化粧された稜線から陽が昇るさなか、
「うむ、遠慮なく馬上からするがよい。……ついでにおぬしのナニを覗いてやるのじゃ」
「うぅ……」
墨染めのローブをまとい、両手をしばられた鳴海は、異形の馬に揺らされ半べそをかく。
そんな彼の姿に、
「それにもっと喜ばぬか。こんな美人なお姉さんの胸にはさまれ、おぬしは悠々と旅をしておるのじゃからな?」
と、アリアは陽気にうそぶき、
「……貧乳のくせに」
ぼそりと聞こえてきた言に、思わず口元をひくつかせていたが……。
「な、なかなかに口が達者じゃのぅ。……ちなみにワシはまだ成長期じゃ。無論、胸も大きくなるし――」
「……あんなでっかい鳥、僕の世界では飛んでいなかったよ」
呆れ顔となった鳴海は、虚空を旋回する孤影へと視線を転じ、
「鳥というか、あれは野生の飛竜なのじゃが。捕まったら巣に運ばれ突かれるぞ?」
そんな物騒な怪物がうろつく世界で、のんきに旅をしている自分たちに嘆息する。
そう、彼が死ぬための旅を……。
「……腹がすいてはおらぬのか?」
まぶたを伏せたアリアは、静かに問い、
「あんなの、絶対に食べるもんか」
ふて顔となった鳴海は、かたくなに本来の食事を摂ることを拒む。
「……僕は、人間なのだから」
「違う。おぬしはもうヒトではない」
されど、背後から聞こえてきた否定の声に思わず身をかたくし、
「もはやヒトの血肉以外、おぬしの体は受け付けぬ。無論、おぬしが餓死することはないが、その苦しみは想像を絶するであろう。……それが不死となった者の宿業なのじゃ」
まるで救いを見い出せぬ言葉に、声を震わせ反駁する。
「……アリアは僕を殺しにきたんだろ?」
「否。おぬしが成仏する方法、あるいは生きるための希望を見つけることがワシの望み。――それが四百年前に、おぬしと交わした約束なのじゃ」
「不死の王と呼ばれていた、僕との?」
「そう。友であり、世界を滅ぼしかけた……おぬしの切なる願いなのじゃよ」
「……」
「おぬしが埋葬した腕は、貴族たちに焼き払われた村から調達したもの。ヒトを殺めることには抵抗があるのじゃろうが……やはり死肉でも食うてはくれぬのか?」
「……いや、そういう問題じゃないでしょ」
ふたたび嘆息した鳴海は、かすかに見えはじめた町へと視線を向ける。
不死の王?
人肉以外は、受け付けない?
「……馬鹿げている」
そう。なにもかもすべて彼女の妄言に過ぎない。
「そんなウソ、僕は絶対に信じないから」
されど鳴海の体は、すでに変調をきたしていた。
「……」
数時間前から視界がかすみ、頭痛がおさまらない。
喉をうるおそうとした水など、腐った魚のような臭いがした。
木の実をかじっても肉体が受けつけぬことは……もはや学習済み。
「やはりつらそうじゃな」
そんな彼の苦しみに馬を停止させたアリアは、左手の人差し指の腹を噛み切り、
「あ……」
雪肌を流れる赤いしずくに、鳴海の喉は大きく動く。
「ワシにはヒトの血が半分ほど混ざっておる。おぬしの口にはあわぬやもしれぬが、これで喉をうるおすがよい」
「アリアは僕に……人肉をたべさせたいから、こんな真似をするんだろ?」
疑心暗鬼となった鳴海は視線を逸らし、
「おぬしが苦しむ姿を……みたくないだけじゃよ」
悲しげに聴こえてきたアリアの声に、ローブの端を強く握り締める。
「町についたら、僕にも食べられるものがきっとある。……だから、いまは我慢をする」
そして唇をかみしめた鳴海は沈黙し、
「そうか……。では今しばらくの間、辛抱しておくれ」
そっとつぶやいたアリアは、城壁に囲まれた町に向けて馬を進めた。