シーン4
木枝から木枝へと、猿のように宙を舞いながら。
おぞましい咆哮を放つ灰褐色の怪物が、すさまじい速度で鳴海を追い詰めていく。
「このままじゃ……!」
狼の脚力は、時速五十~七十キロメートル以上。
最高速度ならおよそ二十分間、時速三十キロメートル前後ならば、七時間以上も獲物を追い回すことが可能といわれている。
されど人狼の追撃速度は、明らかにそれ以上であり――数百メートルのハンデを与えられようと、人の足で逃げ切れる相手ではなかった。
「ハァ、ハァッ!」
追い詰められた鳴海は袋から銃を取り出し、本能的に危険を察した人狼は血色の輝線を虚空に描きながら跳躍。――両者は大岩をはさみ、膠着状態へとおちいる。
「こんな……」
明確なる死の予感に、鳴海の視界は歪んでいく。
なにかのために生き延びる、という確たる意志はなく、支えとなっているのは苦痛から逃れたいという恐怖だけ。
それ以外の感情は、彼が窮地に追い込まれた途端に素足で逃げ出してしまった。
そんな孤独な少年を嘲笑うかのように、
「ウオオォォッ!」
聴く者の魂を凍てつかせるかのようなハウリングが大気を震わせ、
「――撃てない!?」
反射的に構えた銃の引き金は一ミリたりとて後方に動かず。
あっというまに巨躯に押し倒された鳴海は左肩に灼熱の激痛を覚える。
「あ、あァァ――ッ!」
冷たい夜気を震わすは、絶叫。
されど血肉を食らった人狼は、まるで高圧電流に触れたかのように跳びすさり、
「ガ、グガァァァッ!」
顔面をかきむしりながら膨張をはじめ……無数の眼球と口器、無脊椎動物のヒドラのような触手がうごめく怪物へと変貌した異形の影が、腰を抜かした鳴海を覆い尽くしていく。
“痛イ……。
苦シイ……。
……モット食ベタイ……”
「ひっ……」
うめき声や金切り声を上げる怪物は、環状の牙が並んだ触手を獲物へと伸ばすが、
「鳴海!」
紫電を放つ黒馬に乗り現れた人物に対し、一斉に殺意を向ける。
刹那、
「アリア!?」
鳴海の叫びに応じるかのように、八脚の馬から飛び降りしは銀髪の少女。
『推力偏向機能、同調完了!』
肉体各部に生体スラスターを形成したアリアは噴炎をひらめかせ、襲いくる触手を飛び石に、
『召』
右手に喚んだ炎の太刀にて、上空からの兜割りをバケモノ――肉塊に半身をうずめた人狼の頭部へと叩き込む。
「すごい……」
紅蓮の炎に包まれ、灰となりゆく怪物。
鳴海はアリアの凄まじい剣技に、あまりにも現実離れした光景に感嘆の声をもらす。
「――――」
が、足元に転がっていた、白い布がほどけた物体を認識し、
「……なんじゃ、まだ食事をしておらんかったのか」
骨ごとえぐられたはずの左肩が復元していたことにも気付かず、
「……腹がすいたじゃろ?
遠慮せずに食ってよいのじゃぞ?」
恐怖に染まりし彼のまなこは、あらわとなった物体に釘付けとなってしまう。
そう――。
芳醇な香りで、彼の食欲を刺激していた、
「あ、ぁ……」
手首からバッサリと切り落とされた、幼子の右腕に……。