シーン1
ゆれる視界に舞い落ちるは、六花。
「ここは……」
雪月に染まりし森に、夜鴉たちの鳴き声がこだますさなか、
「そうだ、僕は――」
己が撃たれたことを思い出した鳴海は、慌てて体へと視線をめぐらす。
「……ある」
されど吹き飛ばされたはずの四肢は無事に残っていた。
「折れていたはずの足の指が……」
不思議なことに完治していた。――自傷行為の痕はそのままだったが。
「僕は、殺されたはずなのに……」
不可解なる現象。
あの非日常的な出来事は、はたして夢であったのか?
それとも、これは悪夢の続きなのか?
燭台に揺らめく炎をみつめながら、しばし鳴海は思考をめぐらせていたが……。
「ひづめの音?」
木枝にとまっていたカラスたちが、一斉に灰色の空へと飛び立ち、
「ラ・エジェロ・イクシュ」
ドクロの馬鎧をまとった八脚の黒馬、そして紅のコートに身を包んだ銀髪の少女が瞠目する彼の前へと現れた。
× 第一話 消えてしまった鼓動 ×
「エルク・ラ・イスム?」
異形の馬から降りた少女は、未知の言語で鳴海に語りかけるが、
「エスラ……」
奇妙なことに、自然と彼の口から返答はつむがれてゆく。
「ワシの名はアリア。赤竜のアリア」
取り払われたフードの下に隠されていた、エメラルド色の瞳。
さりとて鳴海が動揺したのは、人間離れしたアリアの美貌にだけではない。
「その……君のこめかみから生えているものは?」
「この角は竜族の証。……なんじゃ、そのようなことまで忘れてしもうたのか」
アリアはさびしげに苦笑し、
「竜族って……」
厨二病めいた発言に、鳴海は口元をひくつかせてしまう。
「くふふ……」
アリアと名乗った少女の年齢は、鳴海と同じくらいであろうか。
端正な顔立ちと白皙の肌。大人の色香を漂わせながらも、少女子のようなあどけなさが表情には残されている。
無論、奇形の馬は別として、二対の朱色の角も、近未来的なボディースーツもコスプレ用のものではあろうが……いずれにせよ現状を把握せねばなるまい。
「ここは、どこですか?」
鳴海はためらいながらも問い、
「うむ。レスタニア王国の北東にある死霊たちの森じゃな」
目の前にいる対象とコミュニケーションを図ることは、困難であることを知る。
「……とりあえず僕は、家に戻ります」
嘆息した鳴海は、雪に埋もれかけた石畳へと素足で降りるが、
「ワシらに戻れる場所など……もはやどこにもないのじゃよ」
聞こえてきたつぶやきに、思わず身をかたくしてしまう。
「どういう――」
「鳴海よ。おぬしはこれから死ぬための旅をはじめねばならぬ。その手助けをするために、ワシはおぬしを迎えに来たのじゃ」
そして鳴海の左腕に手を添えたアリアは、
「あ……」
まるで騎士が忠誠を誓うかのように、そっと自傷行為の痕に口付けを行い、
「いずれ嫌でも知ることになる。それまではワシが、全力でおぬしを悪意から守る」
呆然となった少年の顔をみつめながら……。
「ひょっとして、女子にキスをされたのは初めてじゃったか?」
「えっ!? ち、ちが……っ!」
白い八重歯を見せ、ふたたび黒馬へと騎乗し、
「くふふ、愛いやつじゃな。――ほれ、受け取るがよい」
「うわっ!? え、えっと……これは?」
鳴海は投げ渡された皮袋の重さによろめく。
「食料と水、そしておぬしの大事なものが入っておる。
ワシは結界のほころびを修復するがゆえ、いましばらくは休んでおくがよい」
森の奥へと去りゆくアリアを、言葉なく見送っていたが……。
「白い息が、出ない……」
パーカー一枚という薄着姿にもかかわらず、肌寒さを感じぬ違和感にようやく気付き、
「心臓が……止まっている」
己の鼓動が消えてしまっていることに、たとえようもない恐怖をおぼえた。