空にふれたよ
「遅い!」
ソラは図書館に着くなりそう叱責を受けた。
「何ページだ?」
「もう読み終わったわよ」
「うそつけ。まだ放課後になって一時間弱だぞ」
本一冊を読み終わるには些か早い時間だとソラは感じた。
「一時間も人を待たせておいて……。まあいいわ。座って」
ソラは言われた通り楓の向かいに座った。
「まず、ありがとう」
楓は座ったままだが、深く頭を下げた。
ソラはたじろうだ。自分に向けて頭を下げる楓の姿は普段の態度からは全く想像できなかったからだ。
「らしくないぞ」
「ほんとに、感謝してるのよ」
「いいから顔上げろって」
ソラがそう言ってようやく楓は上半身を起こした。
顔をあげた楓はまっすぐにソラを見つめて言った。
「最初は、ただやっつけ、というか、気まぐれのつもりだったんだ。ソラとアスカを合わせようと思ったのは。君の報告を聴いている限りではやっぱりだめかなとも思ったけど、最終的にアスカは君のおかげで救われた」
真剣な口調でそういう楓に対し「おおげさだなあ」とソラは小さくため息をついた。
「仲直りはできたのか?」
「うん、あのあとアスカと色んな話をしたよ。最初、アスカは泣きじゃくって、謝ってばかりで大変だったけど……。その後は、今までの溝を埋めるようにずっと話しこんだよ。そして、もうアスカは大丈夫だって思った。ずっと心配してたから、ほんとに安心した。だから、私も救われたと思う、ありがとう」
そう何度もお礼を言われてはさすがに気恥ずかしくなりソラは楓から視線を少し外した。
「まあ、よかったな」
気のきいた言葉が浮かばず、ソラの口から出たのはそんなぶっきらぼうな言葉だった。
「そうだ、ほら」
楓が取り出したのは一つのカギだった。
「それは?」
「アスカが持ってた屋上のカギ。もう必要ないからって」
もうフェンスの向こうにいる彼女を見てひやひやする必要がないと分かってソラも一安心した。
「そうか、じゃあ俺も返すよ」
ソラはポケットから青いリボンのストラップの着いたカギを机の上に置いた。
「ううん、お礼ってわけじゃないけど、それはあげる。安心して一服できるでしょ」
悪戯な笑顔を浮かべて楓は言った。
「そうだな」
ソラは素直に甘えることにして再びカギをポケットにしまった。
「そうだ、お礼ばかりじゃなく説教もしなくては」
「うん?」
「いくらアスカを説得するためだからって飛び降りようとするなんて……、あのとき私がこなかったらどうするつもりだったの!」
怒気を込めて声をあげる楓に、ソラは口の前で人差し指を立てた。
周りにいた生徒からは痛い視線を受けた。
「落ちたら落ちたで、人は空なんて飛べないって、あいつもわかっただろ」
ソラはまるで他人事のように言った。
「はあー……」アスカは大きな溜め息をついた。「呆れた、君はアスカのために死ぬつもりだったの?」
「あれぐらいの高さじゃ中々死なないって、下は田んぼだったし」
「それでも! 無傷では済まないでしょ!」
「……静まれって」
図書館司書の先生がわざとらしく大きな咳払いをした。
「……やっぱカギ返して」
「やだ」
一瞬二人の間に険呑な雰囲気が流れた。
「まあでも、ヒロインを救うために自分を犠牲にする主人公みたいでなんか恰好いいとも思ったよ。うん、あれは大抵の女は惚れるね、まったく」
「何がまったくだ、まったく」
「私はどこにでもいる『大抵の女』の子だよ」
「……?」
楓の言葉の意味が分からずソラは首をかしげた。
「……気づいてよ」
「え、何?」
「だから!」さすがに学習したのか楓は途中で声を抑えた。「遠まわしに告白してるの……」
消え入りそうな声で楓はそうつぶやいた。
「えーと……」
目の前に座る楓にふざけた様子はない。顔を少し赤らめて視線は下に向いている。
予想もしなかった展開にソラの思考はめちゃくちゃだった。そして無意識に辺りを見回し助けを求めた。
「あ」
幸運にも助けは現れた。
いつの間にかアスカが図書館にいて、こちらに向かってくるところだった。
「よう」
ソラがそう声をかけると、
「よ、よう」とアスカはたどたどしく返した。
「アスカ? どうしたの?」
「ちょっと、ソラに話があるんだけど、いい?」
アスカはソラにではなく楓に許可を求めた。
「だめ」
「え?」
そんなすぐに拒否されるとは思いもしなかったアスカは目を見開いた。
「いま、ちょっと大事な話をしてるの」
楓はどこか含みのなる言い方をした。
アスカは楓の言葉に何かを感じ取ったようで焦りを見せた。
「私も大事な話がある。ソラ、来て」
そう言ってソラの腕を掴み強引に連れ出そうとした。
「だからだめだって」
楓はもう片方の腕を堅く掴んだ。
どうしたものか、とソラは黙ってされるがままにされていた。
あーだこーだと、アスカと楓はもはや此処が図書館だと言うことは忘れて大声で言いあっていた。
「あなたたち、いい加減にしなさい!」
さすがに見過ごせなくなった司書はそう言って場所を治めた。
大人しくなった二人はソラの向かいに並んで座った。
「仲直りしたんじゃないのかよ」
二人は険しい表情でにらみ合っている。
「今から敵になった」
「敵」
そう口にしては視線の間で火花をちらつかせた。
「はあ……」
ソラは大きくため息をつき、ふと窓の外を見た。
いつもの癖だ。




