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煙草

「こっちこい」

 そう言ってアスカをフェンスの向こうから呼び戻すことから始まった。

 何か言われる前にソラは後ろを向いた。

「また来たのか」

 軽やかに地面に降り立ったアスカは言った。

「頼まれたもんでね」

「暇なんだな」

「お前に言われたくない。毎日、毎日こんなとこで、一人で何やってんだ? 何を思ってるんだよ。……小町が心配してたぞ」

 楓の名前が出てアスカは表情を曇らせた。

「心配? どうせ私の相手が面倒になって、それでソラは私の監視を押しつけてられたんでしょ」

 その物言いにソラは顔をしかめた。

「そんな言い方すんなよ。……話は一応、全部聞いたよ。屋上から落ちた時から今までのこと」

「屋上から落ちたことなんてない。高く飛びすぎて、太陽に近づきすぎて、それで羽が燃えて来て落ちたんだよ」

 イカロスかよ、とソラは心中で思った。

「まだ空気が薄くなって呼吸困難になった、ってほうが信憑性があるぜ」

「結局、ソラも私のことは分かってくれないんだね」

「……そうじゃねえよ」

 心を閉ざされないようにソラはそう言ったが。その言葉に力はなかった。

 会話が無くなり、遠くの運動部の声が微かに耳に届いた。

 ソラは間を持たすようにポケットから煙草を取り出し、火を付けた。

「煙草なんか吸うの?」

 ソラが煙草に火を付けたのを見てアスカは露骨に顔を顰め、ソラから若干離れた。

「嫌いか?」

「嫌い、大嫌い。臭いじゃない。それに肺癌になるし」

 この様子じゃ楓が吸っていることは知らないんだろうとソラは思った。

「まあ、いいことはないな」

「……あれ、でもなんか、甘い匂い?」

「そういう煙草なんだよ」

「ふーん、これならいくらかはましね」

 そう言ってアスカは元の距離に戻った。

「ねえ、煙草って何がいいの? おいしいの?」

「俺も最初はそう思った。これは吸ってみないとわからないよ」

 ソラは苦笑いしながら答えた。 

「ふーん」

 ソラが吸い終わるまで楓は黙って宙に漂う紫煙を眺めていた。

(さて、次はどうやって話を切り出そう)

 ソラは会話の糸口を見つけるべくいつもよりゆっくりと煙草を吸った。

 結局何も浮かばないまま火はフィルター付近まで迫ってきた。

「部活とか、やってないのか?」

 苦し紛れに出たのはそんな、あたりさわりのない言葉だった。

「やってるように見える」

「見えないな」

 部活をやっていたら放課後にこんなところで油を売ってはいないだろう。

「そっちはどうなの?」

「部活してるように見えるか?」

「全然」

 もちろんソラのほうも部活なんてしていたら放課後にこんな所にいない。

「私達、何してるんだろうね」

 その問いにソラは少し考え、楓風に言うなら、

「青春してるんじゃない」

「……そんなこというキャラとは思わなかったな」

 ソラソ言葉に楓は冷めた目をしてそう言った。

「……」

 そこまで冷めた反応をされるとは思わず、ソラはその言葉を自分に言った楓を恨んだ。

 それに自分に羽があるだなんて妄言を吐いているアスカに馬鹿にされたことに無性に腹がだった。

「ねえ、部活もバイトもしていない、家に帰って勉強するわけでもない。放課後に寄り道する友達もいない。熱中している趣味もない。空っぽの私は何をすればいいと思う?」

 自嘲気味にそう言うアスカの問いにソラ押し黙ることしかできなかった。

「何もない。昔はあった羽も、今はない。空っぽの私は同じように空っぽの空を眺めるの……」 


――傷を舐め合うように。


 最後にそう言ったような気がしたが、ソラはよく聞き取れなかった。

「日本人はうまいこと言葉を作ったよね『宇宙』と書いてソラ、『空』とかいてカラ、カラッポノソラ……。宇宙と空の境界線って明確には決まってないんだって、だからどっちも『ソラ』なのかな?」

 そんな雑学をアスカは得意げに話した。

 だけどソラはそんなアスカを何処か痛々しく見えた。

「……何か言ってよ」

 口を閉ざしたままのソラに対し苛立った口調でアスカは言った。

「お前は空に何を求めているんだ?」

 かつて楓に問われ、自分が答えられなかった質問を今度は自分が口にしていた。

(皮肉なもんだな)

 ソラはシニカルな笑みを微かに浮かべた。

「何って……、別に何も」

 意図の分からないソラの問いにアスカは困惑した表情をした。

「そう、だよなあ……」

「何? どういう意味だったの?」

「いや、意味なんてないよ。ただ、なんとなく」

「意味分かんない……」

 自分でも本当に意味がわからなかった。

 この空に何を求めているのか、ソラはアスカに問いかけると共に自分にも問いかけていた。しかし答えなんて出ない。では、何故いつも空を見上げているのか、この問いにもソラは明確な答えなど持ち合わせてはいなかった。

 憧憬、夢、自由、未知、可能性、悠久、黄昏――。

 空に意味を持たそうとそれらしい言葉を浮かべてもどれもピンとこなかった。

「どうして人は飛ぼうとしないんだろうね」

 その言葉が実際に飛ぶということなのか、それとも何か別の比喩的表現なのか、ソラには分からなかった。

「知っているからだよ」

「何を?」

「自分に羽がないことを」

 その言葉にアスカは悲しそうに目を細めた。そして何も言い返せずにいた。



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