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ソラ

「ね、ソラ。ちょっといいかな」

 窓際の一番後ろの席に座り、肩肘をつきながら窓の外をぼうっと見つめる少年に向かって少女はそう声をかけた。

「……」

 『ソラ』と呼ばれた少年は気だるそうに無言で振り返った。

 そして「なんだよ小町……」とこれまた気だるげにいうのだった。

「まったく、相変わらずの『上のソラ』だね。君は」

 少女――小町楓はからかうようにそう言った。

「ほっとけ」

 少年――ソラは視線を窓の外、正確には窓の外の空に戻しながらそう言った。

「まったく。それより折り入って話し、というより相談があるんだけど、放課後あいてる?」

「あいてない」

 ソラは間髪をいれずに拒否を示した。

「なんでよ! 部活も委員会もやってないし、暇でしょ」

「理由がない」

「美少女が頼み込んでいるからじゃ理由にならない?」

「さすがの俺でも美少女の頼みを断れるわけないだろう?」 

 ソラはシニカルに笑った。

 楓はソラの言葉に一瞬額に青筋を浮かべるもすぐに隠し、平静を装った。

「んん? まるで私が美少女ではない物言いだね」

「まあ……」ソラは一瞬振り向いて楓の顔を見て、「微少女だな」と呟いた。

「何か今、美少女の『ビ』に違和感を感じたんだけど気のせいかな?」

「気のせいだよ」

 楓の額には再び青筋が浮かびあがり、右手は強くこぶしを握り締めて今にも目の前に少年に振り下ろしそうな勢いだった。

 楓は二、三度その場で深呼吸し自分を落ち着かせた。

「さて……、冗談はさておき真面目に訊いておくれよ。割りかし真剣な相談なんだよね。といっても相談相手は私じゃないんだけど。私の幼馴染の女の子。ちょっと悩み、っていうか……うーん、言葉じゃ言い表しづらいから、取りあえず実際にあ会ってみてよ」

「だからなんで俺が……」

「さっき言ったよね。美少女の頼みなら断れないって。彼女は本当に美少女だよ。髪なんかさらさらで顔は小さくて色白でスレンダーで……ってなんかこの言い方じゃ私が美少女じゃないみたいじゃない」

「知らねーよ」

 楓のノリ突っ込みにソラは冷静にそう言い、本当にどうでもよさそうな様子だった。 

「ま……とにかく今日の放課後図書館に来てね」

「えー……」

 相手が美少女と訊いても結局ソラは気乗りしなかった。

 昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。

「おっと、もうこんな時間か」

 ソラとは違う教室の楓は慌てた様子で最後にこう言った。

「彼女はソラと同じで『空』に御執心みたいだよ」

 その言葉にソラはその日初めて目を半分以上あけて振り返った。 

 しかし楓の姿は既に廊下へと消えていた。



 放課後、さてどうしたものかとソラは教室で迷っていた。

 人の少なくなった教室で友達と談笑するでもなく、出された課題をするでもなく、昼間と同じように窓の外を見つめていた。

 昼間の青空はとうに茜色に染まっていた。

 西日が差しこみ、ソラは眩しそうにいつもに増して目を細めている。

 徐々に教室からは人が減っていきやがてソラだけになった。

 誰もいなくなった教室でソラは一人何をしているかというと目は完全に閉じられ眠りに落ちていた。

 時計は五時を指し、下校時刻を告げるチャイムが鳴った。

 その音でソラは目を覚まし、

「あ……、寝てた」

 と独りごちた。

 行く理由はない、しかし行かない理由もなかった。それに楓の最後の言葉も少し気になり、図書館へと足を向けた。

「遅い!」

 図書館ではお静かに、と書かれた張り紙にもかかわらず楓は怒気を込めた声で叫んだ。

「何してたの? こんな時間まで」

 なおも声を張って言う楓に対してソラは壁の張り紙を指差した。

「うるさい!」

 うるさいのはお前だ、と言わんばかりの視線をソラは送った。

「寝てた」

「寝てた? 寝てただと? これを見ろ!」

 楓は机の上に置いてあった本を手に取り、栞のはさんであったページをめくりある部分を指差した。

「……?」

 ソラはその部分に目を凝らすも楓が何を言いたいのか理解できなかった。

 

――392


 楓が指差したのはとある言葉でも台詞でもなくページ番号だった。

「……ん?」

 まだ理解を示さないソラに対して楓はさらに怒気を強めて言った。

「この小説は私が放課後図書館に来てから読み始めた小説だ」

「……で?」

「そして現在がこのページだ」

「……ふーん」

「まだ分からない? 三百二十九ものページを読む間――時間にして二時間弱。これほどの時間を君は私を待たせたんだぞ。謝罪の言葉を述べるなり、申し訳なさそうな顔をするなりしたらどうなんだ?」

「まどろっこしいなあ。最初から二時間弱って言えよ」

 正論だった。

「くぅ……。いや、つい読書家の私は本の尺度で時間を表してしまったのだよ。本など読みそうにない君にはわからないだろうな」

「……」 

 ちなみに楓が読んでいた本はライトノベルだった。

 楓は取り直すように一度咳払いし、向かいの席に座るよう促した。

 ソラは素直にそれに従った。

「でだ。取りあえず君にこれを渡そう」

 そう言ってポケットから取り出したのは青いリボンのストラップが付いた一つのカギだった。

「何、これ?」

「カギだ」

「見ればわかる」

「屋上のカギだ」

「屋上? 屋上は立ち入り禁止だろう?」

「ははは、何をバカなことを。青春に屋上はつきものだろう」

 カギを宙でぶらぶらと弄びながら得意げに言った。

「なんでお前がそんなもんを……」

「それは秘密。とにかくこれを君に預けるよ。そして今から……」

 楓は途中言葉を切って壁にかかった時計を見た。五時を十数分過ぎたところだった。「うん、まだいるかな」と呟き言葉をつづけた。

「今から屋上に行きなさい」

「なんで?」

「昼休みに言った相談相手の私の友達がいる。まあ取りあえず会ってみて。私は帰って小説の続きを読む」

 そう言い残し、ソラの返答も待たず楓は図書館を去って行った。

 後に残されたのは未だ事をよく理解していないソラと青いリボンのカギだけだった。



 ソラは再び校舎に戻り、階段を上っていた。

 自分の教室がある四階まで階段を上ってふと気付いた。この学校の校舎はL字型になっていて屋上へと続く階段は確か二か所あったはずだ。はたして今上っている階段の先にある屋上でいいのかと。

 どっちが正しいかなんて聞いていないし知る由もない。ソラは取りあえず目の前の階段を上った。

 やがて行き止まりまで辿り着き、屋上へと通じる扉が見えた。

 ためしにノブを回してみるもやはり施錠されていた。

 そして先ほど受け取った鍵を差し込んでみる。

 回らない。

 右にも、左にも微動だにしない。

 一回抜き取り、また差し込んでさっきより強く力を込めたが結果はかわらなかった。

「くそっ……」

 ソラは思わず悪態をついた。

 もう帰ろうか、と一瞬思ったが屋上で一人待つ少女のことを思うと少し気が引けた。

(まさか、その彼女も放課後から数時間屋上に?)

 そう思うとさすがに帰れなかった。そして早足になり校舎の正反対の階段へと向かった。

 ソラは肩で息をしながら屋上の扉の前に立った。

 鍵を差し込み、回す。

――カチャン

 と解錠された音が聞こえ、ノブを回そうとするも、回らない。

「ん?」

 押しても引いてもドアは開かない。

 もう一度鍵を差し込み、回した。

 すると次はすんなりとドアは開かれた。

「そうか……」

 先客がいるということはそれすなわち誰かがカギを開けて初めに入っているということだ。

 それなら別に自分にカギを渡さなくてもよかったのでは、とソラは首をかしげた。

 疑問に思いながらも屋上へと足を踏み入れた。

 開けた場所。

 無骨なコンクリートの床。

 視線を上に向ければ入ってくるのは一面の空。

 この田舎町では学校以上に高い建物は無く、此処が一番空に近い場所だった。

 視線を前に向けると制服に身を包んだ少女の姿が見えた。

 もとは鮮やかな緑色だったであろうが今はさびてほとんど灰色のフェンスに寄りかかっている。

 

――ソラに背を向けて。


 すなわち、フェンスの外側に少女はいた。

 それに気づいたソラの背筋には戦慄が走り、時が止まったかのように動きを止めた。

 そして後悔した。図書館なんかに行かなきゃよかったと、屋上なんかにこなければよかったと。

 フェンスの向こうの少女は首を少し上に傾けただ宙を眺めている。ソラのことを気付いた様子はない。

(帰ろう)

 何も見なかったことにして帰ろうとソラは決意しそっと後ずさってドアへと近づいた。

 しかしソラの試みは無情にも打ち砕かれる。

 一陣の風が吹き、半開きだったドアを勢いよく閉めた。そしてその音が屋上に鳴り響いた。

 音に気付き、振り返った少女とソラは目があった。二人の間は距離にして十メートルは離れていた。

 気づかれては仕方ないと、ソラは少女に歩み寄った。残り三メートルほどまで近づいたところで「取りあえずこっちにこい」とでもいいたそうな、手で円弧を描くようなジェスチャーをした。

 一方少女のほうは「何してんだこいつ」とでも言いたげな胡散臭いものを見るような眼でソラを見ていた。

 ソラは「いいからこっちにこい」と飽くまでも言葉に出さず同じジェスチャーを激しく繰り返した。

「何、君? 聾唖なの?」

「違う。いいからこっちに来い」

 喋れることを思い出したかのようにソラは口を開いた。

「……」

 少女は命令口調なソラにいらついた様子だったがフェンスに手をかけ上ろうとした。

「あっち向いててよ」

 スカートを気にしたのか少女はぶっきらぼうに言った。

 上る際に手を滑られて落ちでもしないかと心配だったがソラは素直に従った。

 フェンスは約二メートルほどだった。人があまり立ち寄らないとはいえ低すぎやしないかとソラは思った。

 がしゃがしゃ、とフェンスを上る音をひやひやしながらソラを後ろ向きで聴いていた。

 とたんっ、と軽やかに着地する音が響いたのでソラは振り返った。

「何やってんだよ。危ないだろ」

「関係ないでしょ」

 スカートの埃を払いながら少女は言い放つ。

「ああ、確かに関係ない。誰が何処でどんなふうに死のうが俺には全く関係ない。ただ、お前が飛び降りたとき、その屋上に俺が一緒にいたという事実が問題だ。直接は関係なくても後々面倒なことに巻き込まれるのが容易に想像できる。すなわち死ぬなら一人で誰にも迷惑をかけないようにしろってことだ」

 少女はあきれたような顔をしてソラの話を聞いていた。

「君は本当に自殺しようとしてる人を前にしてもそんな自己中なことを言うの?」

「なんだ、じゃあお前のはただのポーズだったのか」

「ポーズもなにも、私は自殺なんてしようとしてない」

「じゃあフェンスの向こう側で何をしようとしてたんだよ」

「飛ぼうとした」

「……ふっ」

 とソラは両掌を上に向けてあきれたようなポーズをした。

「私は飛べるんだ」

 少女はソラの恰好にむっとしたのか、口調を強めた。

「そりゃ人はいつかは死ぬけどさ、何もそんなに死に急ぐこともないだろ。そりゃあ毎日辛いことがあるのかもしれないけどさ、まだ高校生だろ? このさききっといいことがある、なんて根拠のないことは言いたくないけどさ、まあ……。あるんじゃない? うん。それに家族がいないわけでもないだろ? お前が――」

「私には羽があるんだ!」

 まだ続きそうだったソラの説教を少女はそう言って打ち切った。

 少女はキッと目つきを鋭くし、ソラをにらみつけている。さっきまではずっと無表情だったがここで初めて感情をあらわにした。

「え? なんだって?」

 聞き取れなかったのか、理解できなかったのか、ソラは今の言葉を訊き返した。

「私には、羽があるんだ。……だから落ちない。何処までも飛んでいける」

「……」

 どう返していいのかわからずソラは口を閉ざした。そして考えた少女の言葉の真意を。羽とははたしてどんな比喩表現のかと。

 少女は少し目を薄めたソラの表情をどうとらえたのか、

「……所詮君もそう、痛々しいものを見るような目で私を見て、腫れ物に触るように私を扱うんだろ? 誰も、誰もわかってくれない。皆、皆……」

「いや、あの……羽って――」

「うるさい!」

 少女はソラを突き飛ばしながら屋上の出口へとかけて言った。目じりには涙を浮かべながら。

「えー……」

 状況が飲み込めないソラは呆然と立ち尽くした。

 そして激しい徒労感に襲われた。


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