第6話 蛇攻め
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伝説……この伝説を知ったのは、書物からではなく、生きた人間との会話からでした。伝説を元に創作した物語をここに謹んでお届けします。
小夜は山道を歩かされていた。懐かしい、ふるさと平川の山。左右を固める武者たちの気配が、見えない鎖のように身体を縛っている。前を歩くのは陶晴賢。振り返ることもなく、ただ無言で進んでいた。
夜の山は、異様なほど静まり返っている。風は止み、虫の声もない。まるでこの場所だけが、世から切り離されたようだった。木々は黒い影となり、月の光もない。足元で枯葉が鳴る、そのかすかな音だけがやけに大きく響く。
「ここだ!」
乱暴な声がだった。小夜の視線の先に、朽ちかけた小屋があった。歪んだ屋根、ひび割れた壁。長く人の手が入っていないのは一目でわかる。だが、その周囲だけ空気が違った。冷たく、湿り、息を詰まらせるような気配が漂っている。
「草履を脱げ……入れ」
戸が開かれる。中は暗い。灯りはない。それでも、何かがいる。見えないのに、確かに感じる。
小夜は一歩、踏み入れた。その瞬間、背後で戸が閉まる。外の気配が断たれ、闇が満ちる。完全な静寂――いや、違う。耳を澄ませば、何かがある。
闇。何も見えない。手を伸ばしても、自分の指先すらわからない。小夜はその場に立ち尽くす。自分の呼吸の音だけが聞こえた。
やがて――かすかな音。
――すり。
――ずるり。
床を擦るような音。ひとつではない。いくつも。重なり合い、闇の中を這い回る。足に、何かが触れた。
「……いや……」
声が震える。足を動かす。また触れる。逃げたい。だが、どこへ行けばいいのかわからない。
そのとき、何かが肩に落ちてきた。首筋に、冷たいものがするりと触れる。「っ……!」
思わず息を呑み、振り払う。だが、また触れる。袖に。背に。どこからともなく。落ちてくる。這い上がる。
音が増えていく。
――ずる。――すり。――ざわ。
床だけではない。壁際を這う気配。足元を横切る感触。避けても追ってはこない。だが、どこへ行っても、いる。
「いや……っ」
声が漏れる。だが闇に吸われ、消える。
小夜は戸を叩いた。
ドンドン。
「開けて」
押しても引いても、びくともしない。
「誰か……助けて」
誰も来ない。後ずさる。素足で何かを踏む。刺されるような痛みが走った。
――噛まれた。
身体が震える。
闇の中で、自分の体がどこまで自分なのかわからなくなる。触れているのが衣なのか、それとも――わからない。
ただ冷たいものが、すぐそばに、いくつもいる。
呼吸が荒くなる。胸が締めつけられる。足がすくむ。
逃げたい。ここから。すぐにでも。
だが――出口はない。
闇の中で、気配が触れる。足元に、袖に、首筋に。冷たくぬめる感触が、逃げ場なくまとわりつく。振り払っても、また触れる。どこからともなく、次々と。
「いやーーーーーーー!!!いや!いや!誰か、誰かーーー!」
悲鳴が闇に吸い込まれる。誰も来ない。呼吸が乱れ、胸が苦しい。心が壊れそうになる。それでも――
「……いや……」
小夜は歯を食いしばった。涙が溢れ、声が震え、身体は思うように動かない。
小屋の外からやっと声がした。
「女よ、主君の命に従うか?」
陶の声だった。
小夜の心はさまよった。
(従えば、この地獄から救い出されるかもしれない。
でも、龍一郎さまの元には戻れない。
また違った地獄が現れるだけ)
「……従いませぬ。……いやあぁああああぁぁぁ!」
闇の中、恐怖の中で言い切る。外では陶が耳を澄ませている。悲鳴と拒絶。その両方が、神経を逆撫でする。
「……まだか」
低く吐き捨てる。
「もう、十分では……」
側の侍が恐る恐る言う。陶の視線が突き刺さる。
「主君を拒んでいるのだぞ」
その一言で、侍は口を閉ざした。
陶は怒鳴った。
「思い知らせねばならぬ!この世の理をな。いいか、麗しい容姿に生まれついた女は男のために生きねばならぬ。特にお前のような女は、力ある男と無縁ではおられぬ。覚悟を決めよ。悪いようにはせぬ。殿の子を身ごもれば、俺が娶ってやる。殿の子を産め。そして俺がその父となる。お前は何不自由ない暮らしができる。それが、この地にとって最も良いことなのだ」
武断の男は、自分の正しさを疑わない。もしこのとき小夜がその言葉に屈していたなら、……歴史は変わっていたかもしれない。
闇の中、小夜は崩れ落ちる。
(あの無礼な侍……陶がわたしを娶ると言ったわ。それが策だったのね。……龍一郎さまと結ばれることは《《ない》》のですね。誰かが《美しい》と言った、それだけで――大事な思いのすべてが壊されるなんて)
身体の感覚が曖昧になる。恐怖も、少しずつ遠のいていく。
そのとき、ふいに声がした気がした。
――小夜。優しい声。龍一郎の声。
(……りゅうさま……)
幻だとわかっている。それでも、すがる。胸の奥に、かすかな灯がともる。消えかけていたものが、もう一度だけ燃える。
「……美しく生まれたものは……」
「……禍いから逃れられぬ……」
「……この山の見えるところには……美しい娘が生まれぬように……この苦しみは小夜だけで十分……」
それは祈りではなく、呪いだった。外の武者たちは、その言葉を聞いていた。
「なんと気の毒な……」
やがて音が消える。風がわずかに木々を揺らし、夜は再び静けさを取り戻した。
「……死んだのか。愚か者め」
陶が吐き捨てる。
「おい、お前。……お前だ。見て来い」
声をかけられた侍は躊躇していた。
「では、某が参りまする」
進み出た若い侍が恐る恐る小屋に入る。
松明を掲げた瞬間、息を呑んだ。荒れた室内に、無数の蛇がいた。
太い蛇、細い蛇。縞模様の毒々しい色の蛇。アオダイショウ。そして毒をもつマムシもいた。
「ひっ!」
侍は声を飲み込む。
部屋の中央に、小夜が倒れていた。白と赤の着物。見事な刺繍の鶴が浮かび上がる。
松明の火に驚いた蛇たちがゆっくり動き出す。美しい着物の中に入っていく。まるで温もりを求めるように、小夜の身体の上へ、下へ、絡みついていた。腹の上でとぐろを巻くものもいた。
でも、侍は見た。小夜の胸が、わずかに上下している。
(死んではいない。眠っているだけだ)
外では陶が命じていた。
「死んだな。火をかけてしまえ」
戸が閉められ、火が起こされる。
侍は裏の破れ戸から忍び込み、蛇を蹴り払いながら小夜へ駆け寄る。抱き上げると、驚くほど軽い。そのまま背負い、闇の山を駆け上がった。
けもの道を抜け、頂へ。振り返ると、小屋から火が上がっていた。炎が立ち上り、煙が空へ昇る。やがて火は山へ広がり、枯草を舐めるように這い上がってくる。
侍は小夜の頬を叩いた。袖から蛇が顔を出す。それを払い、もう一度叩く。
「うーん……」
小夜が目を覚ます。若侍を見て、目を見開く。
「小夜姫、某は弥助。桜御前の使いです」
「桜御前?」
「大内殿の正妻にございます。わたしはそのお方の密使。どうかご安心を」
「……はい」
ふたりは山を下りる。遠くで人々が山火事に気づき、桶を持って走っている。
弥助と小夜は手を取り合い、暗闇の中を駆けた。目指すは桜御前の御殿。山から二里。休むことなく、ただ前へ。
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