第3話 小夜姫の思い人
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伝説……この伝説を知ったのは、書物からではなく、生きた人間との会話からでした。伝説を元に創作した物語をここに謹んでお届けします。
平川の里は、朝の光にやさしく包まれていた。山々はまだ薄く霞み、川面には白い靄がゆらゆらと揺れている。水の流れる音が絶え間なく耳に届き、どこからともなく鳥のさえずりが重なる。湿った土の匂いと、草の青い香りが風に乗って漂っていた。都のような華やかさはないが、そこには嘘のない暮らしがあった。畑を耕す音、薪を割る音、子どもたちの笑い声が、穏やかに一日の始まりを告げている。
その里の外れに、ひときわ大きな屋敷がある。白壁に囲まれた長者の館は、広い庭と蔵を持ち、門の前には商人の荷や馬が行き交っていた。異国の香の混じった風がふと流れ込み、この地もまた大内の富と交易の流れの中にあることを感じさせる。
「小夜、またそんなところで空を見ておるのか」
庭先で声をかけられ、小夜はゆっくりと振り返る。「父上」と微笑むその顔は、朝日が差し込んだかのように周囲の空気をやわらげた。だが本人はそれに気づいていない。ただそこにいるだけで、人の心をほどいてしまう。
「今日は市の日だ。山口からも人が来る。あまり外を歩き回るでないぞ」
「はい」
春と言っても肌寒い日々だ。
市には平川の地で採れた切り干し大根、冬の間に女たちが作った大内人形、薪。初物のタケノコなどが並ぶはず。小夜も市に行ってみたいがどんな危険があるやもしれぬと外出は制限がある。理由は、人さらいに連れられるかもしれないということだった。
実際《《別嬪さん》》と評判だった従姉は十五歳の冬の日、雪道を歩いているときに連れ去られたまま今も行方がわからない。
「小夜さんは美人さんだから危ない。誰にも会ってはならない」
長者と呼ばれる父も、優しい母も使用人たちも、みんなして小夜の行く手を阻む。
父の言葉に素直にうなずく小夜だったが、その瞳は遠くを見ていた。山の向こう、川の先。その先に海があり港がある。待っているのは、ただひとりの思い人だった。
「……龍一郎さま。そろそろ明からお帰りになるはず。数日前に大内殿のお屋敷に明の宝物が運び込まれたという噂。きっと平川に帰ってきてくださる」
龍一郎とは、この地の商家の息子。幼いころから長者の館で年老いた僧から明の言葉や風習を学んでいた。小夜はその傍らで読み書きを学んでいた。龍一郎の呑み込みのよさは皆の知るところであった。明の言葉をよく覚え、流暢に会話をする様子を小夜はずっと見聞きしていた。もちろん憧れの眼差しで。
龍一郎は、外出できない小夜に話しかけ、一緒に柿の皮をむいて干し柿を作ったり小鳥にエサを与えて言葉を覚えさせたりしてくれた。小夜にとって兄のような存在であった。そして、ふたりの様子を父母も兄も妹も温かく見守っていた。
一昨年の七月、龍一郎がいよいよ明行きの船に乗り込むということになった。小夜は涙を見せずに送り出すと心に決めた。
大内殿の遣明船が三田尻の港から銀や硫黄や刀剣を積み込むのを見届け、若年の乗組員である龍一郎が誰より力を込めて帆を張る姿を見た。そしてその姿を、胸が張り裂けるような思いで見送った。
あれから一年と八カ月。
「秋穂の港に船が着くぞ」
行商人から知らせを得た。
その日、小夜は父と小舟に乗って見に行った。春というのに冷たい風が頬を打つ。寒さに震える見物人のために、熱い湯がふるまわれた。男衆が握り飯を頬張っている。
太陽が南に上ったころ、秋穂の海に巨大な船影が現れた。
春靄の向こう、ゆっくりと姿を現すその船は、あの懐かしい遣明船。
見事な姿だった。高くそびえる帆柱、幾重にも張られた帆、そして黒い船体はかなり沈んでいる。荷物がたっぷり詰まれている証拠だ。波を割るたび、ぎしりと低い音を響かせる。
「来たぞ……」
港に立つ人々の声が、ざわめきに変わる。
「遣明船だ。海の向こう、明から戻った船だ」
船がゆっくりと入港すると、浜は一気に動き出した。
掛け声が飛び交い、縄が投げられ、船が岸へ引き寄せられる。板が渡され、男たちが次々と乗り込んでいく。
「気をつけろ! それは絹だ!」
「割るなよ、陶器だぞ!」
声が響く。
荷が運び出される。
箱に詰められた絹織物、香料の袋、白く輝く陶磁器。見たこともない細工の品々が、次々と浜へと下ろされていく。
その光景は、まるで宝があふれ出してくるようだった。
見物人は聞いた話を伝えていく。
「珍しい貴重な香木、何にでもよく効く薬、やわらかい絹が積まれているそうな。風に乗って、異国の匂いだなあ」
「ぴりっと鋭い香り。初めて嗅ぐ香りじゃな。胡椒というものらしいぞ」
小夜は父に気づかれないように、龍一郎を探した。
「いない……。帰ってこなかったのかしら。明で病気になってしまったとか……いいえ、そんなはずはない。きっとご無事よ」
やがて、荷は小舟へと積み替えられた。
湾内に、何艘もの舟が並ぶ。
人足たちが息を合わせ、重い荷を運び、慎重に積み込んでいく。水面が揺れ、小舟がかすかに軋む。
舟は一艘、また一艘と離れ、列をなして進み始めた。
静かな水路、椹野川へ。
◇
小舟は川をさかのぼっていく。
水は穏やかに流れ、舟はゆっくりと進む。櫂が水を切る音が、一定のリズムで響く。
最後の小舟が出たときだった。全ての荷を見送り、船頭と何やら話している一人の若い男がいた。日に焼け髭が伸び、頭髪を明風にまとめている。しかし、その背格好、頭の形、それは懐かしい思い人だった。
「……龍一郎さま」
小夜はほっとした。固く握りしめていた手をほどいた。父は全てを察し、舟を出すように水主(漕ぎ手)に伝えた。
岸には、畑を耕す手を止めた人々が珍しそうに見ている。
「おお。あれは……」
「大内殿の船だ」
「また、異国の品が来るぞ」
手を振る子どもたち。子どもたちに説明をする老人。
舟は進んでいく。
◇
平川で小夜と父は舟を降り長者の館と呼ばれる自宅へ歩いた。
異国の荷は、この先しばらく椹野川を遡り、陸へと上げられるはずだ。龍一郎は生きて戻った。しばらくすれば、平川の地に戻ってくるだろう。そして、帰朝報告の宴が催され、小夜との縁談の話が静かに進んでいくはずだ。
翌日、船着き場から大内殿の蔵まで人馬で宝を運ぶというお触れが出た。物珍しさと出される手間賃と食べ物が魅力的なので長者館の男衆も仕事に行った。いつもは小夜たち娘の見守り役である年老いた爺までが行った。
爺は帰ってくるなり自慢した。
「姫さま、うまい握り飯をたらふくご馳走になりましたぞ。大内殿の握り飯は梅干しだけじゃないのです。炊いたじゃこやら小エビやらも混ぜ込んであって、それはそれはうまい握り飯じゃった。姫様にもひとつ食わせたかったな。はっはっは」
「それはよかったこと」
「書物やら陶磁器やら香辛料など珍しい物をいっぱい見てきましたぞ。眼福眼福」
小夜は少し間を置いて訊ねた。
「お爺さん、それで、商人たちはもう家に帰ったのでしょうか?」
「はっはっは、気になるお方がおいでのようですな。まだまだ、帳簿仕事などがあるのでしょう。どの蔵に何を入れたのか記しておかねばなりませぬからね。まあ、あとひと月もかからんとは思いますが」
「一月も……」
それから三日たった。
川の水面はきらきらと光が揺れている。手を振る若い男――龍一郎が小舟に乗って大内殿の館から下ってきた。
「小夜……」
「お帰りなさい。龍一郎さま」
龍一郎は軽く笑う。その笑顔はどこか自由で、縛られない風のようだった。
「今日は面白いものを持ってきた」
と言って差し出した包みを開くと、中には見たこともない形の髪飾りがあった。細く伸びた簪は、金でできていた。先には小さな鳳凰が羽を広げ、その尾は細い鎖となって垂れている。わずかに動くだけで、光を受けてきらりと揺れた。
小夜は目を輝かせる。
「きれい……」
龍一郎は言った。
「だろう? 明から持ってきた品だ。京にいけば高く売れる」
「売るの?」
肩をすくめて笑った。
「当たり前だろ、商いだからな。……でも、これは売らない」
「え?」
「小夜にやる」
その言葉に、小夜は息をのむ。
「そんな、高価なもの……」
「いいんだ。小夜に似合うと思ったから」
照れたように笑う龍一郎に、小夜は何も返せなくなる。ただ、そっと髪飾りを受け取る。指先に伝わるひんやりとした感触の奥に、確かなぬくもりがあった。胸の奥が満ちていく。この人と笑っていられれば、それで十分だと、そう思えた。
「貸してごらん」
龍一郎が小夜の髪に挿した。首をかしげるとシャランと音がした。
「似合うよ、小夜姫。きれいだ」
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