めざめ、あかされる。
「ふむ、時雨の…に触れすぎた…じゃろ…」
「…そ……か」
(誰かが話してる?)
意識の奥で、誰かの声が聞こえる気がした。
「…ん」
張り付いたように重い瞼をゆっくり開く。
「!!翠さん!気がつきましたか…!?」
声と同時に、勢いよく身をかがめた影が視界に入った。
「どこか痛むところは?」
穏やかだけど、心配だと全身から伝わってくる。
視界に入った彼の手は、布団を強く握りしめていた。
心配をかけてしまったことに申し訳なさを感じつつも、ちょっぴり嬉しい自分にそっぽ向く。
ほんと、私は現金なやつだな――
「っ……」
(大丈夫って言いたいのに、うまく声が出せない…)
力を振り絞って、首を横に振る。
それを見た彼の顔に、安堵が写った。
強張っていた身体が緩んだようでどこか安心する。
(あのまま倒れたのかな?)
倒れる直前の光景がよみがえる。
視界が滲んで、彼の驚いた顔だけがぼんやりと浮かんだ。
なぜ倒れてしまったのかはわからない、思い当たる節もない。
(そんなに無理してないんだけどな)
身体に痛いところはないが、錘でも乗っているかのように重たい。
体の内側から、力が吸い取られていくようだった。
(それにしても、ここはどこなんだろう…時雨さんがいるから変なところではないんだろうけど)
そんな疑問を抱いたが、再び降りてくる瞼にあらがえず、そのまま眠りについた。
目が覚めると、日の光は夕方を告げていた。
起き上がろうと試みたが、どうやらまだ回復していないらしい。
頭をゆっくりと動かし、辺りを見渡す。
天井の装飾や壁の彫刻、調度品――どれをとっても、あのお店の雰囲気とは違う。
むしろ、どこか宮殿のような、非日常的な空間だった。
そして、ベッドがふかふかである。
(こんなふかふかなベッドこの世に存在するんだ)
雲の上のようとは、まさにこのこと。
(実際に乗ったらすり抜けて終わりだけど…)
ガチャ…
ドアが開き、お盆を持った彼が入ってくる。
「気分はいかがですか?」
ベッドの脇まで来て、お盆を近くの机にそっと置いた。
甘くて爽やかな香りが鼻に届く。
お盆には、お水と、みかんやグレープフルーツなどの柑橘類が盛り付けられていた。
不思議と気分が落ち着いてくる。
「……さっきより……ずっと……まし、です」
(まだ、うまくしゃべれないや)
頭はクリアなのに体が置いてけぼりのように、私の意に反して動いてくれない。
「ましになったようで良かったです」
「…こ、こ…は…?」
途端に言葉が消え、空気が張り詰めるような静けさが広がった。
「?」
気まずそうな表情の彼が、黙り込んでしまっている。
しかし、静寂は思いのほか早く破られた。
「ここは、妾の部屋じゃよ」
その声は彼のすぐ後ろから聞こえてきた。
(…?誰なんだろう。話し方が可愛い。っていや、そうじゃなくて――何がどうなってるの?)
「お主は、時雨の店で倒れてしまったんじゃよ。それで知り合いの少ない時雨は、距離的に一番近いこの妾のところに来たというわけじゃ」
声と同時に、ふわりと現れたのは、長い杖を携えた、小人のような老人。
(そうだったんだ…おじいさん、なんだかただ者じゃない雰囲気…でも、見た目は…えっと、プリティー?)
森の小人さんのような紳士服に身をまとい、髪と髭は白髪に近いブロンドで、瞳の色は彼よりも少し明るい青緑をしている。
「…」
ずっと黙っている彼が気になり、様子をうかがった。
(時雨さん…なんかちょっと拗ねてる?)
彼を覗き込むようにしてそう言ったおじいさんに対して、心外だとでも言いたげな顔で、そっぽを向いている。
(見た目も相まって、おじいちゃんと孫みたい)
いつもにこやかな彼からは、想像もできない態度を見て親近感を抱く。
「疲れでもたまっとったんじゃろ、3日くらい休めば回復するはずじゃ」
目じりを下げて微笑んでくれる。
この方こそ、悟りを開いた仙人のような微笑みだ。
(会ったことないけど、仙人。いい感じに浄化されそう…待って、3日…)
「…っ!」
それでは仕事に行けないと言いたかったが、言葉にならなかった。
それに、ここで言っても現状は変わらないだろう。
おじいさんは、そのことを察してくれたのかこう言った。
「外でのことなら気にせずとも大丈夫じゃよ。詳しくは時雨から聞くがよい。ふぉっふぉっふぉ」
そして部屋から出ていった。
(…おじいさん、可愛いんだけど)
流れるように過ぎ去っていったおじいちゃんは本当に実在したのだろうかと思うほど不思議な人物だった。
詳しくは時雨からということだったが、話してくれるのだろうか。
そう思ってしまうほどに、彼はずっと黙っている。
私は、じっと待つ。
「…すみません…」
か細い声が部屋に響く。
「なぜ?」と返したいが今の活動限界がきているようだ。
声を出す気力が起きない。
どうにか何かできないかと、身体のあちこちに力を入れてみた。
辛うじて手は動きそうだった。
時雨さんに何か書くものはないかとジェスチャーをすると、ポケットからペンと紙を出して渡してくれた。
(すごい偶然、準備していたとしたらそれはもう預言者だよ)と思いながら、
『どうして謝ってくれたんですか?』と、綴った。
「…あなたが倒れてしまったのは、疲労も少しは関係ありますが、僕の…」
そこで止まってしまった。
彼の沈黙に、時間まで止まったように感じられる。
(「僕の…」で終わらないで…気になるよ、ものすごく)
けれど――
『言いたくないなら言わなくても大丈夫ですよ』
そう書いて見せると、彼は困ったように笑って首を横に振る。
「ありがとうございます。あなたが倒れてしまったのは、僕の神気――“神の気配”――というかオーラのようなものに触れすぎたせいなんです」
私の目を見て言い切った彼の瞳に、何か強い意志のようなものが宿っているように見える。
(うん……ん?)
訳の分からない単語が耳から入ってきた、そのことだけが事実として受け入れられた。
「“神の気配”って言ってわれても現実味ないですよね」
先程とは打って変わって、困ったように目を細めた。
急にファンタジー世界に足を踏み入れたようで、戸惑いを隠せず、おもむろにペンを走らせる。
『…しんき?』
「はい」
『神の気と書いて“しんき”……でしょうか』
「はい、そうです」
(え、神って……私の知ってる“あの”神?いやいや、えぇ…?)
混乱して、頭の中が討論会になる。
しばらく思考を巡らせてみたが、どうやらわからない現実は変わらない様だった。
(わぁ、夢かな、まだ目覚めてないのかもしれない。ちょっと一回目を閉じてみようかな)
諦めて、目を閉じてみた。
「夢じゃないですよ」
その言葉と共に目を開く。
(秒で引き戻されました。まぁ、すごい豪華な部屋にいるし、世界観が私の知ってる現実と違うしそういうことなんだろうな)
と、いうことは、彼は神ということになる。
その瞬間、頭の中にいくつもの疑問が浮かび上がる。
まるでフタが開いたかのように。
『わかりました。では、いくつか質問してもよろしいでしょうか』
メモ用紙を口元の高さまで上げて時雨さんに見せる。
「受け入れるのがはやいですね」
(こんな話、信じろっていうほうが無理――でも、彼が言うなら信じてみようかと思ってしまう…現状、それっぽい場所にいるし…)
『時雨さんが、そんな嘘をつくとは思えませんから』
出会って日は浅い。
それでも、こんな突拍子もないことを嘘で言うような人ではないと、思えた。
そう思わせる何かが、彼にはあった。
(やばそうな人だったら、とっくに距離を置いてただろうし)
私の言葉に嬉しそうに微笑んだ彼は、夕日の光に照らされているからか、儚げに映った。
「ありがとうございます。もちろん好きなだけ質問してください。可能な限りお答えします」
彼の眉間から皺がとれ、やっと張っていた気を抜けたのだと見て取れた。
(いざ聞くとなると、何から聞こうか悩むな)
この状況になって、今まで抱いた違和感は、間違っていなかったのかと思う。
それも踏まえて、じっと待っている彼に応えるように、ペンを走らせた。




