まじわる、ふたごころ。
コト…
ふと息を整えたころ――
彼が姿を現し、透き通ったカップをそっとテーブルに添えた。
「カモミールティーです」
「ありがとうございます。いただきます」
(何回も往復してもらってるけど、一回も足音聞こえたことないんだよね…)
コップの縁に口をつけ、そういう方面を極めてるのか…?なんて、ぼんやりと思いながら、ゆっくりとコップを傾けカモミールティーを口の中に運ぶ。
(わぁ~美味しい~)
苦みが少なく、水出ししたかのようにさわやかな味わいである。
「とても美味しいです」
疲れが一気に吹き飛ばされ自然と笑みがこぼれた。
「ありがとうございます。本日のラインナップですが、定食が一種類のみとなっておりまして、そちらでも差し支えございませんでしょうか?」
「全然問題ないです。そちらでお願いします」
カモミールティーの余韻で気を張ることもなく初めて自然に話せたようだ。
「かしこまりました。今更ですが、苦手なものやアレルギーなどはありますか?」
「ありません」
「さようでございますか。では、準備して参ります。もう少々お待ちください」
「……あの、」
回れ右をして戻ろうとした背中になんとなく声をかける。
彼が、振り返る。
「はい」
――なんで呼び止めたんだろう。
自分でも戸惑いながら言葉が出た。
「良ければ、今日も一緒にご飯食べませんか?」
(…っ)
自分でもどうしてその言葉が出てきたかわからなかった。
ただ気づいたときにはそう紡がれていた。
恥ずかしさのあまり床を見つめる。
「…」
「…」
(まずかったかな…?)
意を決して顔を上げる。
するとそこには真顔のまま立ち尽くす彼がいた。
(固まってる?)
確かめようと手を挙げて顔の前で振ってみる。
「…」
(だめだ。別の世界にお出かけしてるわ)
私もそのまま一緒に固まってみる。
その後も変わらず動かないまま沈黙が流れた。
(そんなに動かないことある?もしかして…調子に乗りすぎた!?不快のあまり思考停止に…)
心の中であわあわしながら、このままでいても時間だけが流れていきそうだったので、声をかける。
「不都合であれば全然断っていただいても問題ないですよ」
そこで彼の手がピクっと動いた。
どうやらこちらの世界に、戻ってきたようである。
「…ええっと…、申し訳ございません。あまりに想定外のお誘いでしたので、取り乱しました」
(いや、そうだよね!?びっくりするよね。連日で来たと思ったら食事に誘われるなんて、びっくりするよね。そりゃ固まるよね!)
「謝らないでください。突然変なこと言ってしまってすみません」
目をぱちくりさせながら戸惑っている様子の時雨。
再び視界には床一面が広がった。
「いえ…!嬉しすぎて固まってしまいました」
耳を疑った――
反射的に顔を上げ、言ったそばから気まずそうに目をそらす彼の仕草に、妙な説得力を感じた。
ほんのり赤くなった頬に感情が追いつかない。
(え?試されてる…?私、何か試されてない?)
そう思ってしまうほどに時雨の表情は反則ものだった。
「ぜひ、お供させてください」
「っ…」
言わなきゃよかったと思った手前、まさかのオーケーに言葉が詰まる。
(今回は…ポーカーフェイスは保てそうにないな)
その意味もないだろうし――
この上ない幸福感に身を任せ、「ありがとうございます」と言った。
「では、準備してきますね」
「はい、お願いします」
去っていく背中を見つめながら、湧いてきた感情の名前を知っているけれど、それは頭の隅に追いやった。
しばらくして、茶碗の揺れる小さな音と共に、彼が戻ってきた。
向かいに座り、ふたりの食卓が、再び始まった。
昨日の緊張は何だったのか、と思うほどに話題は多方面に広がった。
好きなことや仕事について、普段はどんなふうに過ごしているか、食事が終わった後も会話は続いた。
とにかく彼は、何かを作ることが好きなようで、山の模型や木の彫刻、一つの世界を作っているようなクオリティのものを見せてくれた。
「プロ級のクオリティじゃないですか」と伝えると、恥ずかしそうに「ありがとうございます」と返した。
少し目をそらすようなその仕草に、私はまた思ってしまう。
(本当に不思議な人。話すたびに、少しずつ違う顔を見せてくる)
そう思うと、不思議と楽しみが募った。
微笑ましく眺めていると、違和感に気づく。
(あれ、さっきから身体が妙に軽い気がする)
息を吸っても、どこかうまく酸素が入ってこないような、そんな感覚――。
脳裏のどこかで、警鐘のようなものが鳴っているのに、心は妙に穏やかだった。
(もっと…この時間が続けばいいのに)
そこで突然、目の前が真っ暗になる。
(な、にこれ…)
全身から力が抜けていく感覚に襲われる。
「…っ翠さん!」
ガタン、と椅子が揺れる音。倒れたらしいが、不思議と痛みは感じなかった。
視界は真っ暗なままだが、彼が抱き留めてくれたことは分かった。
「大丈夫ですか!?翠さん…!」
(…まだ、お会計…して…ないのに、)
遠のいていく意識の中で、私の名前を何度も呼ぶ声が聞こえた。
彼の腕の中はなぜかとても心地がよくて、しんどさは一切感じられない。
そして、私は、眠りに入るように意識を手放した。




