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シルビアとご主人様

作者: まやかり
掲載日:2026/01/24

 

 またやってしまった。


 シルビアは床に広がる紅茶のしみと、ティーカップの破片を眺めながら、どうしようと震えた。

 

 ちゃんと入れようと、丁寧に慎重に注いだのに。

 手からすべり落ちたカップは、無惨にも割れてしまった。

 

 シルビアは決してふざけているわけではない。


 落としてもいいように、机の周りには沢山のクッションを置いていた。

 だけど、カップは器用にそれらを避けて、むき出しの床に落ちた。

 

 だがどんなに対策しても、カップは必ず割れてしまう。

 手が震えて、上手く注げないのだ。

 

 指先が冷たくて、破片を拾うこともままならない。

 

 ――はやく、はやく。はやく片付けなければ。

 また、ご主人様に失望されてしまう。

 

「――おい、何かあったのか」


 後ろの部屋から、長身のフードを被った男が居間へやってくる。シルビアの願い虚しく、ご主人様に見つかってしまった。

 

「はぁ。これで何度目なんだ」


 ご主人様は大きなため息を零した。


「ごめ、ごめんな……」


 声が震えて、謝罪の言葉が言えない。

シルビアがご主人様の様子を伺おうとした時。すでに、彼は奥の部屋へ引っ込んでしまった。

 

 ――私がのろまだから。また、ご主人様に失望されてしまった。


 いつから、ご主人様はこうなってしまったのだろう。


 以前は、優しく声をかけてくれた。

 だけれど、何度も失敗を繰り返すうちに、いつしか彼はシルビアを顧みなくなった。

 

※※※


 初めてティーカップを割った時のことだ。


「ごめんなさい」


「……大丈夫か。」


 ご主人様は、熱いから気をつけろと注意してくださったのに。

 

 音を立てて、ティーカップが割れた。

 こぼれた紅茶からは、まだ白い湯気が立ち上っている。

 

「……ご主人様、ごめんなさ」

 

 ご主人様の顔を伺う。


 顔は柔らかかったけれど、その目は冷えきっていた。

 

「あ、あの!すぐ拾います」


 慌てて床に散らばった破片を、拾い集めそうとする。

 

「おい、お前……」

 

 ご主人様は色白の肌をさらに青くして、立ち尽くしていた。

 

「ご主人様? そんなに青ざめて、どうされたのですか」

 

 そういった後に、ご主人様が魔法使いであったことを思い出した。

 ご主人様にかかれば、こんな片付けなんて簡単なのに。

 私はなんて愚図なんだろう。


 それからというものだ。ご主人様が冷たくなったのは。

 あれからシルビアが何かしでかすたびに、ため息を吐き、そして悲しそうな目でシルビアを見つめてくるのだ。

 怒鳴られた方が、よっぽどいいのに。

 ご主人様は重いため息を吐くばかり。

 シルビアには、それが何よりも辛かった。


 ※※※

  

 珍しく、ご主人様が居間のソファに座っていた。

 

「ご主人様?」

 

 お声をかけたが、反応がない。

 眠っていらっしゃるのかしら。

 風邪を引いてはいけないから、毛布でもかけて差し上げよう。

 シルビアはそう思い立つと、外に干してあるブランケットをいそいそと持ってきた。

 戻ってくると、ご主人様はぼんやりとこちらを見ていた。

 

「起きていらっしゃったのですか?」

 

お声をかけようとする。だけど、返された瞳はシルビアのことを見ていなかった。

 

「王女様……」

 

「ご主人様?」

 

 彼はシルビアのことをじっと見ていた。いつもの彼と違って、どこか寂しそうな様子だ。

 シルビアは、視線につられて、ご主人様の頭を撫でようとした。

 その手が頭に触れかかった時、ものすごい勢いで振り払われた。

 

「やめてくれ!」

 

「……あ、あの」

 

「お願いだから、もうなにもしないでくれ。気が狂いそうなんだ!」

 

 ご主人様は、叫んだ。

 あまりの剣幕に、シルビアは彼の顔を見上げることしか出来なかった。

 

「その顔で、僕を見るな。……まがい物のくせに」

 

 そう言うと、ご主人様は奥の書斎へと消えていった。


「次こそは、ちゃんとしますから」


 だから、クビにしないでくださいまし。


 そう口にするのが、やっとだった。だが、その言葉は居間に虚しく響くだけだった。

 

※※※


「シルビア、この前は……」


 彼は何かいいかけて、それから激しく咳き込んだ。


「ご主人様、お身体は大丈夫ですか?」


 このところご主人様は、お身体が弱い。この前なんて、一日中咳をされていた。

 

 その時はさすがに、シルビアもいいつけを破って看病しようとした。

 だが、部屋に近づくなと命令されているシルビアは、何もすることができない。


 それに、ご主人様の部屋の近くには結界が貼られていて、誰かが近づけばわかるようになっている。――そう、昔彼に教えられた。

 

 基本ご主人様は書斎にこもりきりだ。

 世話をすることも出来ず、シルビアはただやるせなさを抱えていた。

 それでも、その晩は居間に響くほどの咳が書斎から聞こえていた。

 シルビアは、いてもたってもいられず、奥の書斎へ向かった。 


 シルビアが部屋の前に近づいた途端。

 びりりと、空気が震える感覚がした。ご主人様の結界に、引っかかったのだ。


「お願いだから、何もしないでくれ」


 扉の奥から、彼の悲しそうに言いつける声が聞こえた。

 弱りきっているのに、そう跳ね除けられては、黙り込むしか無かった。


 ※※※ 


 とある朝。いつもご主人様が起床する時間なのに、いつまで経っても居間に姿が見えなかった。


 書斎には入るなと言われていたので、リビングにて朝食の準備をする。


 卵をぱかりと二つに割って、フライパンの上に落とす。真ん中の黄身がつやつやと、光に照らされている。

 今日は一段と綺麗に卵が落とせた。殻も黄身が割れてもいない、完璧な姿。


「……ご主人様は、喜んでくださるかしら」


 シルビアは、久々に嬉しくなる心地で、朝食を作った。

 

 しかし、お昼をすぎても、夜になっても。

 ご主人様が居間に現れることはなかった。


 目玉焼きはすっかり乾燥しきって、ぱさぱさになっている。

 

 ……もしかして、お部屋で何かあったのかしら。


 心配になって、シルビアはご主人様の部屋に前へ向かった。

 ドアノブに触れようとして、この前のことを思い出す。

 また、ご主人様に拒絶されたりでもしたら――。

 今度こそ、家を追い出されてしまうかもしれない。

 

 もしかして、とうの昔に、見捨てられてしまったのかもしれない。でも、ご主人様はシルビアを屋敷から追い出すことなく、メイドとして置いてくれている。

 

 だから、ご主人様に追い出されるまで、シルビアは御恩に報いようと決めたのだ。

 

 ご主人様、目玉焼きが上手く焼けたんです。

 シルビアは、彼が来るまで、ずっと居間で待ち続けた。

 そうして、いくつかの昼と夜がすぎた。

 


 ご主人様がお見えになったら、すぐにお茶を入れよう。


 そうシルビアが考えていた時。

 

 突然玄関口の方から、けたたましい音が聞こえた。

 どん、どん、という衝撃が、屋敷を左右に揺らす。

 

「ご主人様!ご主人様!起きてください!」

 

 シルビアは約束を破って、ご主人様を呼びに行った。

 書斎のドアを思い切り叩こうとして、一瞬手が止まった。

 ぴりりとした、あの結界の痛みを思い出したからだ。


 だけど、すんなり扉に触れることができた。


 揺れはどんどん大きくなるばかりだ。


 「ご主人様!大変です!」


 書斎の入口を必死にノックする。

 でも、いくらシルビアが呼びかけても、彼が答えることはなかった。


 やがて、凄まじい轟音と共に、玄関の扉が打ち破られた。

 

 騎士たちが扉を破り、屋敷にずかずか押し入った。

 その内のひとりが、シルビアを一瞥して叫んだ。


「早く――王女様の遺体を回収しろ!」


「ですがこいつ、動いて……」 


 ああ、きっと、ご主人様に愛想を尽かされたのだ。

 だから役に立たないメイドを捕まえるために、騎士様をお呼びしたのだろう。

 

 だって、シルビアは人間じゃないから。


「あれは――アンデッドか!?」


「まさか、あの魔術師め」   

 

 騎士たちが、何かを言い合っていたが、やがてシルビアを取り囲んだ。

 でも、抵抗する気は全く起きなかった。

 

 シルビアはそのまま大人しく囚われ、両手を金具で繋がれて、上から袋を被せられた。

 そうして荷台に詰め込まれ、どこかへ運ばれていった。


 シルビアはただただ悲しかった。

 シルビアの役目はご主人様のお役に立つことだけなのに、それすらも出来なかったのだ。


※※※


 つれられた場所は、暗くてひんやりとした場所だった。まるで、ご主人様がいなくなってしまったリビングのようだった。


 シルビアは、あまり目が良くない。周囲の景色はよく分からなかったが、ここが家じゃないことは分かった。


 もしかして、これから新しい雇い主の人の元へ売られてしまうのかしら。


「あれは、本当に王女様なのか」


「あんなおぞましい姿……」

 

 ひそひそと、シルビアのことを話す声が聞こえた。


次第にそんな声も聞こえなくなって、シルビアの周りは静かになってしまった。

 

 ……ご主人様は、どうされたのだろう。

 メイドがいなくなって、清々したのかな。

※※※

  

 ある日、お日さまみたいな髪の毛をした男の人がやって来た。鉄格子の向こうで、陽だまりのような笑顔をしていた。


「やあ、久しぶりだね。私のことがわかるかい?」


「……ど、なたですか?」

 

 そう返すと、いつかのご主人様のように、悲しそうな顔をした。


「…………まあ、分からないよね。」


 彼は言葉を続けて、右手を軽く持ち上げた。 


「このままじゃ、君は長い事ここに閉じ込められてしまう。……そうなる前に私が――」


 淡い光が、その人の右手に灯る。その光は朝の光のように、柔く暗い地下牢を照らす。

 

 優しそうな人だ。この人なら、きっとお願いすればご主人様の家に帰してくれるかもしれない。 


「あの、私。お屋敷に帰りたいです。」


 そう言うと、その人の動きが止まった。しばらく押し黙ったあと、その人はシルビアに尋ねた。

 

「君は……家に帰りたいのかい?」


 シルビアはまた、追い出されてしまった。


 新しい雇い主の人が、どこでも行っていいよとシルビアを解放してくれたのだ。


 だが、シルビアにとってはまたしても「お役御免」を言われたのと同じことであった。


 でも、シルビアにとってそれは些細な事であった。


 シルビアは迷う事なく、ご主人様の家に帰ってきた。

 厚手の扉は見るも無惨に粉々になって、屋敷の中はひどく荒れ果てていた。


 ずっと固く閉ざされていた書斎の扉は、今は開け放たれていた。


 かつて、扉の隙間からひっそり覗いた時。部屋の左右には、山ほどの書類と薬品の山が積み上げられていた。

 そして、その奥にはご主人様の姿が見えた。


 だが今あるのは、小さな研究机だけ。

 部屋はほとんどもぬけの殻であった。


 屋敷のどこを探しても、ご主人様の姿は見つからなかった。

 

 それでも、シルビアのやることは変わらない。


 ご主人様が戻ってくる前に、部屋のお手入れをしなくては。

 

 いつかご主人が帰ってくるその日まで、シルビアはお茶をいれる練習をすることに決めた。


 ご主人様の研究机の奥で見つけた、綺麗な白いティーカップ。

 それは、まだそこにしまったままだ。

 これは、ご主人様の大切なティーカップだから。

 

 いつかあの茶器に、紅茶を入れるのを夢みながら。

 シルビアは今日も、ずっとご主人様の帰りを待ち続ける。 


2021年に書いた話を手直しして投稿しました。

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