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第一話 「走らない者」

風走り隊の朝は早い。

だが遠風は、誰よりも早く立ち上がることはなかった。

隊舎の外で、数人がすでに走り込みを始めている。

軽装の兵が地面を蹴り、呼吸を荒らしながら距離を稼ぐ。

風走り――その名にふさわしい光景だった。

遠風は、それを横目に弓を手に取った。

弦の張りを確かめ、指先で木の反りをなぞる。

走る代わりに、距離を測る。

「遅いな」

誰かが言った。

遠風は聞こえないふりをして、的の位置を変える。

三十歩、四十歩。

射線の途中に、わざと遮蔽物を置いた。

合図もなく、矢を放つ。

的の中心からわずかに外れたが、問題はない。

遠風は次の一本をつがえなかった。

代わりに、槍を手に取る。

長くない。

振り回すためのものでもない。

近づかれた時に、距離を断ち切るための一本だ。

遠風は歩いた。

走らない。

一歩ずつ、遮蔽物の影を使い、間合いを詰める。

「今だ!」

背後から声が飛ぶ。

模擬戦の合図だった。

二人。

左右に分かれ、挟みに来る。

速い。判断も悪くない。

遠風は弓を捨てない。

撃たない。

撃つ理由が、まだない。

一人が距離を詰めすぎた。

その瞬間、遠風は弓を背に流し、槍を前に出す。

突きは浅い。

だが、相手の動きは止まった。

もう一人は踏み込めなかった。

距離が、合わない。

「終了!」

教官の声が響く。

模擬戦は終わりだった。

「どうして走らない?」

問いかけは、責める調子ではなかった。

ただの確認だ。

遠風は少し考え、答える。

「走ると、選択肢が減る」

教官は笑わなかった。

否定もしない。

「風走りは速さが売りだ」

「知っています」

「なら、なぜだ」

遠風は、槍を戻しながら言った。

「走らなくても、間に合うなら」

その場が、一瞬静まった。

誰かが小さく息を吐く。

教官は遠風を見つめ、やがて視線を外した。

「……変わった奴だ」

それ以上は言わない。

風走り隊は、結果で測る。

遠風は弓を整え、槍を確かめる。

どちらも、まだ使える。

それで十分だった。

この時、遠風はまだ知らない。

自分が“分隊の一員”ではなく、

一人で動く前提の存在として見られ始めていることを。

だが、気づいていたとしても、

走ることは選ばなかっただろう。

遠風は、今日も走らない。

距離を測り、

判断を先に置き、

静かに次の位置を取る。

それが、生き残るためのやり方だと、

もう体が知っていた。

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