魔女と奴隷の王権宣言
怒りで熱いのか、傷口が熱いのかは定かではない。だが実際、オルトの体は目も当てられない程にはボロボロで、今にも死にそうな、荒れた呼吸を繰り返しているのも事実である。
(一撃だった)
挑んだところで、勝てる訳が無いのは分かっていた。でも挑んでみたかった、自分がどれほどの位置で剣を振っていたのかを知りたかったのだ。――努力が無駄じゃない、自分は前に進めている、と。
(勝負にすらなってなかった、抜く前に斬られてた!)
結果、未熟なまま慢心している自分に直面することになってしまった。でも俺は、正直これでよかったと思っている。早い段階で剣の鈍りを叩き斬ってもらえたのだから……まぁ、後悔が無いと言えば嘘になるが。――俺を閉じ込めている檻が動き、眩い程の光が入り込んでくる。
『皆様! 本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます!』
中年のべた付いた声が会場に響く。スポットライトに当てられているのは、奴隷として競りに出されている俺だった。負けて気絶し、その間に刀も服も奪われた。――裸一貫、個人としての努力がそのまま価値として出される、吐き気を催す人身売買の現場である。
『本日の目玉商品はこの男! 血にまみれているのはご愛敬……何を隠そうこの男は、ご存じ最強の剣聖であるスレクトイア・フェイ・フィンゼル卿の一太刀を受けても絶命せず、あろうことか、あの漆黒の鎧に包まれた背中に傷をつけたのです! この男の返り血は、即ち世界最強の剣聖の血なのです!』
高揚した煽り文句だった。恥の傷口に塩を塗りたくられている……あれは、単なる負けを認めない、往生際の悪い馬鹿の悪足掻きに過ぎない。――勝負による傷ではなかった、剣士として恥じるべき。今、此処に刃物の欠片でもあるのであれば、即座に腹を切っているだろう。
『実力を買って用心棒も良し、その身の丈夫さを買ってサンドバッグにするもよし! とにかく丈夫な商品で・す・がぁ! まぁ何分汚くてしかも『敗者』ですので、お安くしておきましょう……銀貨十枚からスタートです!』
声を上げる豚共の声で埋め尽くされる。俺の今までは、恥は、人生の全ては銀貨十枚ほどの価値でしかなかったのだろうか? どの道、これからの人生はろくなものではない……命令に逆らえないように魔法の刻印を焼かれ、一生を奴隷として過ごすのである。――無論、二度と剣など握れやしないだろう。
『十七枚、二十枚、二十一枚……おおっと五十枚が出ました! 他のお客様はいますか? いないのであれば、残り一分ほどであちらのご婦人がお買い上げという事になりますが……』
ご婦人、と呼ばれたのは肉塊に等しい存在だった。悪趣味な洋服が風船のように膨らんでおり、涎が垂れているのではないかと錯覚するほどの大きさだった。人間三人分の席を独占しながら、俺の方を気持ち悪い表情で見ていた。どうやら、俺の余生もご主人様も最悪らしい。
(世界一に、なってみたかったな)
五十秒、四十秒、三十秒……地獄への入り口が、迫っているような気がする。死に方ぐらい自分で決めたかったが仕方ない。――上と下の歯で、自らの舌を噛み切ろうとした……その時だった。
「ちょっと待った―――!」
華奢な手が挙がって、それが俺の目に入ったのは。
「その奴隷……私が金貨十枚で買わせてもらいます!」
光に照らされて尚、更に輝きを誇る金髪。自身に満ち溢れていた張りのある声、高そうな服……こんな俺でも見た事がある有名人。――御三家の一角である『ニライカナイ』家の長女であり最大の汚点、ハイル・ニライカナイ公爵令嬢であった。
『……き、金貨十枚! 金貨十枚以上のお客様はっ!?』
ピエロのようにおどける中年の声に、会場は静まり返った。それは金貨十枚という破格の金額に対してなのか、はたまた彼女が黒い噂……『魔女の祝福』を受けたという疑惑の中心にいる人物だからなのか。とにかく静まり返った会場の中、熱気に包まれていた人身売買は、氷点下に下がって終わった。そして俺のご主人様も決まったようだ……まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のように、彼女は階段を下りて、あろうことか俺の目の前に仁王立ちしたのだ。
「私の名前はハイル! これから貴方のご主人様、そしていつか……この国の王になる女よ! よろしく!」
「――あっそ………ん? え? ……はぁ!?」
「「「「「「「「「「はぁあああああああ!?」」」」」」」」」」
どさくさに紛れた超問題発言を受け、隠れていた新聞記者共が寄ってたかって檻の周りに集まって来た。いつの間にか固く結ばれていた俺とハイルの握手は激写され、翌日、記事の大目玉になってしまう事になる。
何百、何千部と刷られるその記事には、『魔女と奴隷の王権宣言』とでっかく載せられていた。――こうして、かろうじて保たれていた御三家の王権争奪のバランスは、俺のご主人様の発言一つで崩壊し、勃発することになるのであった。
◇
「よし! これで完璧!」
とは言いますがご主人様、まず二つ言いたいことがあるんだ聞いてくれ。確かにあんたの俺に対する待遇は最高だった……ボロボロの体はこれでもかってぐらいに治療してくれたし、いい風呂にも入れてもらった、刀の手入れも、飯も貰った。だが……
「動きにくいんだよ、この服」
「仕方ないでしょう? 上半身裸なんて言うはしたない格好をされちゃ、私のイメージダウンに繋がっちゃうんだから」
「動きにくいんだよ!」
屋敷の中に響き渡る俺の声、誰も居ないから静かな建物の中によく響いて、それがこだまして……。大人げなかった、と。自分を顧みると辛かった。
「――知ってるわよ、それぐらい……」
「……ごめん」
大変不機嫌そうな顔にさせてしまったことも、なんだか心に痛む物を感じる。本来なら人として扱われない筈だった俺に対して、こんなに良くしてもらったのに……ググっと縮まる胸に、彼女は、ハイルは手をそっと当てて来た。
「世界に名だたる『七剣聖』二人を打ち倒し、最強の剣士であるスレクトイア卿の返り血を浴びた貴方の実力も、その胸に抱える野心も……私は全て知っています。――世界一の剣豪になること、でしょう?」
「――なんで、それを」
怪訝そうな顔の俺を愉しむかのように、ハイルは俺の腰を指差した。――そうだ、俺の刀の刀身には、俺自身の誓いが刻まれているんだった。
「『世界一』と刻まれた刀を持つ剣士の目標なんて、大体の予想はできます。何でそうなりたい、そう在りたいかまでは『まだ』聞きはしないけど」
「……じゃあ、アンタの夢ってのを聞いておこうか」
推理で当てられてばかりでは悔しいという気持ちもあるが、これは確認でもあった。このお嬢様は、これから俺の「ご主人様」になる訳で、あのクソみたいな場で「王になる」という立場を弁えない発言をした。――もしもあれが冗談の類であるのであれば、俺は刀を抜く覚悟を決めなければならない。
「さっきも言ったでしょう? 王様になること!」
「なる必要、なるメリットはあるのか? あんな立場になっちまえば、自由なんて一生取り戻せなくなる」
それなりの理由を期待する。俺をクソみたいな人生から、多少不満な人生にすくい上げてくれた恩がある。できれば斬りたくないし、正直……女を斬りたくない。
俺の剣幕に気圧されることなく、ハイルはにんまりと笑った。その笑い方が俺ではなく、もっと遠くの何かを見ている事は明白だった。
「メリットならあるわ、私の、私たちの自由を手に入れるために王になるの。貴方も噂ぐらいは聞いたことあるでしょ? ――私が、『魔女の祝福』を受けているってやつ」
「……へぇ、認めるんだな」
「あっ、でも勘違いしないで頂戴? 私はあくまで祝福を受けた『被害者』の味方であって、魔女っていう『加害者』の味方ではないの」
嘘偽りはない……というかそもそも嘘が付けないような人物と見た。数分もの間この少女と話してはいるが、なるほどこの少女は善人の類らしい。この物言いから、いくらでも王になる理由が察せられる。
「当ててやるよ、お前は自分と同じ『魔女の祝福』を受けた人間を自分ごと救いたいんだ。だから王になって、法律を変えて……つまり、お前にとっての王っていう立場は大義名分でしかないんだ、そうだろ?」
俺は得意げに彼女の腹の内を探って見せた。誰だって自分の事が第一だから、誰かの為に何かをするとしても、それは本人の欲求の副産物に過ぎない。――しかし、彼女の表情が不快に曇る事も、図星を言い当てられた人間の言い訳が飛んでくることも無かった。
「確かに、私は王になって法律を変えたいと思っています。『魔女の祝福』を受けた人間全てへの差別を禁ずる、みたいな……そんな、誰もやろうとしなかったことを」
彼女は自分の胸元に手を当て、少し、少しの間、考えるように俯いていた……。
隙だらけな丸い背中だなと思っていたら、案の定だった。
「――伏せろ!」
「!?」
鈍い音、鋭い音、軽い音。大音量を重ねに重ねた破壊音が響き渡り、その直後に風が全身を叩いた。――音を伴う衝撃の正体は、飛ぶ斬撃だった。
俺は刀を即座に鞘から抜き取り、ハイルの前に立ちはだかるように構えた。粉塵のせいで前が見えない……俺一人なら襲撃者の元に突っ込む事ができるが、やはり守る人間がいる剣というのは最悪の鈍りを極めていた。
『いやぁ、凄い勘だな』
拍手と共に再び斬撃が放たれる。こちらも渾身の力を込めた振り下ろしと切り上げで対抗した。刀にぶち当たる斬撃は思っていたよりも軽く、適当な方向へいなすことは造作も無かった。
『だがこの視界だ、その女を守りながら……この『鎌鼬のソクシ』を斬れるかな⁉』
「ふぅん!」
残心、いいや居合の如き力を以て刀を振る。斬撃ではなく爆風が放たれ、視界を奪っていた粉塵が一気に吹き飛ばされる。吹き飛ばされた粉塵から出でたのは、斬撃型の銃を持った弱そうな男だった。
「えっ、はぁ? ……斬撃、え? うっ、うわぁあああああああ!」
放たれる弾丸には魔力も込められておらず、躱すよりも叩き落す方が簡単なぐらいだ。ワンパターンに放たれる弾丸を斬り潰し、はたき落としながら……いよいよ俺は男の間合いに入り込んだ。
「――じ、自爆を……」
「遅い!」
手榴弾のピンを抜こうとした腕を斬り上げ、振り下ろす刀で喉笛を掻っ切った。少量の血が宙を舞い、返り血は俺の頬を伝って落ちた。
男が持っていた銃は、地面に悲しい音を立てながら落ちた。血を吹き出す男も泡を吹き、喉笛を鳴らしながら地に伏した……血だまりの中、俺は真横に血を払う。
「……賊への制裁、見事です。貴方の剣技に敬意を表し、先程の質問に答えましょう」
目の前で人が死んだのに、大した女だ。彼女は震えを自分の意志で止め、立ち上がり、死体と対峙する俺の間合いに踏み込んできた。――その目に恐怖はあったが、貴族としての気品や誇りは失われていなかった。
「私は『魔女の祝福』なんて受けてないし、彼らの辛さなんて分からない。――でも、少なくとも私が思い描く王国の未来には、差別は要らないと思っています」
誇り高き彼女の目は、俺など見ていない。いいや国民すら見ていない……民を囲うこの国を、差別を正当としているこの国への、真っすぐとした闘志だった。漠然とした、聳え立つ巨大な概念に立ち向かう、無謀で、無茶で、考えれば不可能だってすぐに分かるようなもので。まるで、まるで……。
(同類じゃねぇかよ、チクショウ)
「……俺さ、政治とかそういう難しいのはよく分かんねぇけどよ」
やれやれ、俺は相当めんどくさいご主人様に飼われたみたいだ。――ああ、いいだろう。覚悟は決まった。
「お前が王様になるまでの露払いぐらいなら、手伝ってやるよ」
是より往くは修羅の道。細い一筋綱渡り、煽る風も、降り注ぐ雨も容赦なし。
「――ええ」
しかし、しかしこれぞ頂点への道である。苦難上等、不撓不屈さえも超越した者こそが、その道の先に立ち、また進むことを許される。
「頼りにしてるわ、無名の剣聖……オルト・ファクトクロス殿」
誰も居ない屋敷の中、俺たちは固い握手を交わした。――片方は国の未来を信じて進む修羅の王、もう片方は、世界一の剣豪を志す修羅の剣。
――これは、やがて世界の命運を託されることになる王とその奴隷の、始まりに過ぎないのであった――。
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